●㉕【前編】「中国・岡山座談会」の報告と「4・23中部・名古屋座談会」への決意
先日3月20日、春の訪れを感じる穏やかな気候のなか、中国方面は岡山の地で座談会を開催し、全国から36名の同志が集い合った。
会場の岡山市民会館のロビーでは、会合開始前から対話の花が咲き薫った。東京、神奈川から前泊して駆け付けてくださったご婦人たちや熊本座談会に参加してくださった九州のご婦人が再会を喜び合い、笑顔が輝いていた。
関西からも、座談会に1時間しか参加できないというご多忙な中、壮年とご婦人の方が駆け付けて下さり、開会前のひと時、対話をさせていただいた。
その壮年の方から、「とにかく互いに差異を認め合いながら、今後もよく連携を取り合って闘いを進めていこう」と、熱き思いをお伝え頂いた。
また、瀬戸内海を挟んだ四国からは、前日の検査結果によっては座談会に来られないかもしれなかった闘病中の壮年部Aさんが、「何としても岡山座談会に参加したい」との強き一念と祈りで体調をご回復され、晴れ晴れとしたお姿で集われた。
Aさんは池田先生の長編詩を抜粋した資料をご自分で用意して持参してくださった。
そこには、師匠の長編詩「君よ勝者と勝ち誇れ!仏法も勝負 人生も勝負」(2002年5月19日付)の抜粋が書かれていた。
『正義の旗とは
信念の魂である。
そして
信念の行動であり
勇気であり
邪悪を倒しゆく
雄渾の決意である。』
師の心に触れ、心に勇気が溢れる。
座談会開始前に参加者の皆さんにお配りさせていただくと、Aさんの真心に感動と喜びの拍手が沸き起こった。
第1部が終了し、司会から、「いよいよ後半は、皆さんが自由に何でも語り合う場にしていければなと思います」と呼び掛けると、“待ってました!”とばかりに参加者の明るい笑いが弾ける。
四国から来られたAさんがさっそうと先駆を切り、「はい」と手を挙げられる。
「四国から参りましたAと申します。たぶん、創価学会で一番最初に処分されたのは私じゃないかと思います。
1992年(平成4年)の7月3日に、大石寺に対して日顕書写の曼荼羅を返却致しました。
というのも、池田先生を切った日顕が書写した曼荼羅に、手を合わせて成仏を願うことや広宣流布を願うことは、これは池田先生の弟子がするべき行為ではないと考えまして、大石寺の日顕宛に御本尊を返却したのです。」
師を胸に、一人立ち上がって闘われる衝撃的な話に、会場がざわめいた。
Aさんはその日以降、当時の四国の男子部長と、何度も何度も「日顕書写の曼荼羅を大石寺に返却する運動を男子部が先頭切って行なっていくことが弟子の道ではないか」と、四国の会館で話し合ったという。
しかし、男子部長からは明確な返答はなかった。
Aさんは必死に祈り抜き、男子部長に、「あなたが答えられないんだったら、あなたは池田先生にお会いできる立場なのだから、先生にご相談していただきたい」と誠実に訴えた。
ところが、職員であったその男子部長は、“Aさんに役職が無いから師匠へ報告できない”と回答したという。
Aさんは男子部長に率直に、「それって保身ではないですか」と伝えた。
すると男子部長は、「申し訳ないけど、その通りです」と答えたという。
自分が保身であることを平気で会員に公言してしまえるその幹部職員の厚顔無恥な態度に、「職員の問題」の根の深さを感じてならない。
会員に尽くさず保身で己を守るならば、職員として存在している意味はない。いやむしろ会と会員にとって邪魔な存在である。
師を想い信念を貫かれるAさんは諦めなかった。
その後も四国男子部長に何回も相談し続けた。しかし、男子部長は一向に納得できる答えを持ってきてくれない。
Aさんは祈り、葛藤の末にある行動に移す覚悟を決められたという。
「もう我慢できずに、地元の会館で“『日顕曼荼羅追放運動』という行動を起こそう”と呼び掛けるビラを配らせていただきました。
そうしたら、その日の夜中2時、3時に、四国の男子部長と青年部長がやって来て、ドアをドンドン、ドンドン叩いて、『こらA、出てこんか!こら出てこんか!!』言うて、まるで暴力団なみなんですよ。
もう近所迷惑なんで、仕方なくドアを開けたら、いきなり部屋に上がってきて、『おい、お前これ何したんや!』って怒鳴るんですよ。
私が、『そのビラ読んでくれましたか?』と聞くと、青年部長は『ほんなん目通す必要ない。もう、すぐ学会を辞めさす』と、こうなんですよ。」
組織の意向に沿わない人間や、疑問や意見を持ち、声を上げ続ける人間に対して、問答無用に『除名処分』を迫り脅す。まさに「権力の魔性」に侵された職員の姿であろう。
Aさんはこの時、やむなく幹部職員の話を聞き入れることを選択した。
しかし、それにより除名処分は免れたが、「会合には一切参加しない」「日顕に血脈相承がないということを言わない」という不当な条件が付いて回ったという。
その1年後の1993(平成5)年10月、創価学会総体として、日顕が書写した曼荼羅から日寛上人の曼荼羅に交換する方針を取るようになる。
しかしそうなっても、やむにやまれぬ思いで「日顕の御本尊の追放」を叫んだAさんの名誉は回復されることはなかった。組織からは無視の状態が、20年以上経った今現在も続いているという。
無責任と保身に覆われた幹部職員の冷酷な対応に怒りが込み上げた。
小平が「もう組織に納得の対話が無いんですよね。対話なく排除する構図が本部も現場も、どこも同じだなって思います」と話す。
Aさんは頷きながら、「そうなんです。しかも、自分の意に沿わないと“豹変”するんですよ、暴力団なみに」と、当時の怒りを思い出すように語られる。
そのAさんの話を、中国方面から参加された女性のBさんとBさんのお母様が、悲憤の表情を浮かべ、大きく頷きながら聞いていた。
続いて、Bさんが勇気を振りしぼりながら語ってくださった。
「“豹変”と言えば、私と接点がなかった人も、幹部の一声で、私のことを無視するようになったんです。」
Bさんは以前、地区内のある婦人部員から、別の婦人部員に苛められているという相談をされた。苛める側の婦人部員は、拠点を提供しており、幹部も一目置かざるを得ない存在だったという。
正義感の強いBさんは黙っていられなかった。苛められている婦人部員を守ろうと必死に“苛めている婦人部員”に、直接、申し入れた。すると、その苛めている婦人部員は逆に怒りを露わにし、婦人部幹部に「自分は苛めていない」と嘘をついて泣き付いたという。
このことをきっかけに、BさんとBさんのお母様はなんとそれ以降ずっと、その苛めている婦人部員の家の唱題会に参加できなくなり、別の拠点の唱題会も参加禁止を言い渡されたという。
さらに、その苛められている婦人部員に対する『苛め』には、なんと地区婦人部長も関与していたというから驚きである。
その苛められた婦人部員には子どもがいなかった。地区婦人部長はその苛めを受ける婦人部員がいない場で、「あの子には子どもがいない」、「子どもを生んでいる人間の方が磨かれているのは当たり前だ」と心無い批判をしたという。
Bさんは納得がいかず、地区婦人部長に、「子どもがいないことと彼女の人格は関係ありません。そんな事ばかり言うのでしたら、彼女に子どもができるよう祈ってあげてください!」と必死に訴えたという。
ところが地区婦人部長は、その日の出来事を“Bさんから罵られた”と婦人部幹部に報告していった。
さらに、地元の圏副婦人部長は、わざわざBさんのお母さんのもとを訪れ、「人が苛められていてもほっとけばいいのに。馬鹿な子じゃね」と伝えに来たという。
この出来事をきっかけにBさんは、地元組織から排除され始める。そして、現在は「会館・拠点への出入り禁止処分」を下されているという。
それでも、純粋で一途なBさんは、毎日真剣にお題目をあげながら諦めずに学会活動に励まれている。
以前、尊敬する先輩の同志が、「何があっても座談会と本幹だけは行こう」と励ましてくれたことを大事に胸に秘めながら、幹部から「県外であれば座談会に参加して良い」と許可が下りたため、県外のお知り合いの方の地区座談会に参加されているという。
必死に話されるBさんの目には涙が滲んでいた。
創価学会の中で、婦人部幹部が一人の婦人部員を苛め、その苛めを誰も止めずに見て見ぬ振りをする。逆に、苛められた人間を守ろうとした正義の人が組織で苛められていく。
本当に有り得ない話である!
「苛めは苛めた側が100%悪い」というのが師の思想だ!
絶対に苛めを許す訳にはいかない!
Bさんの話を我が事のように聞いていた中国方面で副支部長をされている壮年部のCさんが、「今の組織って何を言ったかじゃなくて、誰が言ったかで決めてしまうんだよね」と鋭く指摘する。
BさんとBさんのお母様が、「そうです!」と深く頷かれる。
すると、関西からお越し下さった壮年部のDさんが手を挙げられ、真剣な表情で話し始める。
「何が正しいかじゃなくて、誰が正しいかで判断されるようになっているというのはその通りで、要するに『依法不依人』がもう崩れてしもうてるんです。」
創価学会は、2014年11月、「会則の教義条項の変更(会則教義変更)」を行なった。さらに翌2015年1月には、教学部として教義条項改正の意義を確認するとともに、「日寛教学の『一大秘法』『六大秘法』という用語は今後用いない」などと補足解説を行なった。
しかし、Dさんは、“まさか師匠がそんな変更をされることがあるのか”と疑問に思われたという。
Dさんは意を決して参加者全員に問いかけられた。
「皆さん、池田先生が、会則教義条項の変更後の随筆の中で、実は『六大秘法』を使っているというのを知っていらっしゃるやろうか?」
そして、ご自身でご用意下さったA4の書面を参加者全員に配ってくださった。その書面には、2015年9月15日付聖教新聞に掲載された師匠の随筆『民衆凱歌の大行進㉗ 御書根本の勝利道を』が両面刷りされていた。
その中の「特に『観心本尊抄』は(中略)法本尊を開眼された重書中の重書である」と書かれた文章の“法本尊を開眼された”の箇所に、ピンクのマーカーが引かれている。「法本尊」とは、「六大秘法」の一つである。
Dさんは、師匠が会則教義条項の変更後に「六大秘法」(「法本尊」という用語)を用いていることに疑問を持たれたという。
Dさんは真剣な眼差しで、参加者に問いかけていく。
「じゃあ、池田先生は会則を破っているんでしょうか?
いやむしろ、池田先生が認めていない会則教義変更を、実は学会執行部がやったんじゃないでしょうか。
池田先生は会則変更後にも、『六大秘法』を使っている。ならば、『六大秘法』を使わないという風に教義変更した執行部というのは池田先生の仰せに反し、池田先生を『永遠の師匠』と定めている会則を、実は破ったことになるんじゃないのか、と僕は思っています。
これが結局根本にあって、今の創価学会では、『依法不依人』ができなくなっているのではないか。官僚的になり、何が正しいのか、誰が正しいのかの判断を間違ってしまっているような今の創価学会になってしまったんじゃないのかなと思います。
だから、先程のBさんのようなお話は、おそらく全国的にどこにでもあるのではないでしょうか。」
本質をえぐるような洞察に感じてならない。
本部執行部の師弟のずれが、全国の現場組織にまで波及し、正しい判断を見失わせているのではなかろうか。
Dさんは続ける。
「2014年に執行部が使わないとした『六大秘法』を2015年に池田先生が使われているということは、執行部が池田先生の意に反しているということと共に、『今、創価学会は教義上2つに分かれている』ことを意味します。
『池田先生の創価学会』と『原田会長の創価学会』の2つです。
そして自分に、こう問わねばなりません。『自分はどっちだ?』『あなたはどっちだ?』と。」
教義は信仰の根幹であることは当然である。
しかし、2014年の拙速・急激な会則教義条項の変更は、本部執行部が学会員への丁寧な説明を欠き、現場に大きな禍根を残していると感じてならない。
一人ひとりの納得なしに、ただ号令をかけるだけの組織では、“イエスマン”しかいなくなっていく。
このまま学会本部執行部の独裁化が進めば、創価の崩壊は火を見るよりも明らかである!
師を想う弟子が総立ちとなって、断じて食い止めねばならない!
師匠の理想とされる創価を弟子が一丸となって築きゆく時は今である!

<4・23(日)中部方面・名古屋座談会開催のお知らせ>
■ 日時
平成29年4月23日(日)午後1時15分~4時15分終了予定
■ 場所
愛知県青年会館 3階 9号会議室
(愛知県名古屋市中区栄1-18-8)
http://www.aichi-seinenkaikan.or.jp/access.html
■ 座談会参加のご連絡のお願い
座談会への参加を希望して下さる方は、参加人数をブログ上のメールフォームか、以下のアドレスからお知らせいただけると本当にありがたいと思っています。
連絡先(メールアドレス):harunokoimejapan20150831@yahoo.co.jp
お名前をお伝え頂く必要はありません。一行で構いませんので、「2名参加です」「静岡から1名で行きます」など、教えていただけると本当にありがたく思います。
もちろん、連絡を下さらなくても参加していただいて構いませんし、また連絡を下さったからといって参加しなければならないということではもちろんありません。
■ 地図

■ 交通アクセス
・タクシーで、名古屋駅より約10分
・市バス、名鉄向かい6乗車、納屋橋下車
→ 名古屋東宝ビル角、南へ250m
・地下鉄「伏見駅」下車、7番口、西へ300m
→ 名古屋東宝ビル角、南へ250m
・駐車場について
会館のフロントで、駐車券を購入(1日300円)
普通車15台 室内10台 (高さ1.9M)
室外 5台 (高さ制限なし)
4・23(日)「名古屋座談会」の当日の晴天、絶対無事故、大成功・大勝利を勝ち取るべく、全力で闘い抜き、万全の準備を進めて参ります!
【お知らせ】
◆一昨日4月3日(月)、私たちが職員在職当時に受けた譴責処分(H23)と配置転換の不当性を証明するための裁判における、こちらの訴状に対して相手方・学会本部の認否反論の書面が来ました。
次の「第7回口頭弁論期日」は18日(火)10時半から東京地裁611号法廷で行われますが、その日までに、その書面に対する反論の準備を進めていきます。
この裁判は会員同志の無実と正義を証明するとともに、原田会長ら本部執行部の責任を明確にし、断罪していく重要な意義があります。
断固、勝つ!
会場の岡山市民会館のロビーでは、会合開始前から対話の花が咲き薫った。東京、神奈川から前泊して駆け付けてくださったご婦人たちや熊本座談会に参加してくださった九州のご婦人が再会を喜び合い、笑顔が輝いていた。
関西からも、座談会に1時間しか参加できないというご多忙な中、壮年とご婦人の方が駆け付けて下さり、開会前のひと時、対話をさせていただいた。
その壮年の方から、「とにかく互いに差異を認め合いながら、今後もよく連携を取り合って闘いを進めていこう」と、熱き思いをお伝え頂いた。
また、瀬戸内海を挟んだ四国からは、前日の検査結果によっては座談会に来られないかもしれなかった闘病中の壮年部Aさんが、「何としても岡山座談会に参加したい」との強き一念と祈りで体調をご回復され、晴れ晴れとしたお姿で集われた。
Aさんは池田先生の長編詩を抜粋した資料をご自分で用意して持参してくださった。
そこには、師匠の長編詩「君よ勝者と勝ち誇れ!仏法も勝負 人生も勝負」(2002年5月19日付)の抜粋が書かれていた。
『正義の旗とは
信念の魂である。
そして
信念の行動であり
勇気であり
邪悪を倒しゆく
雄渾の決意である。』
師の心に触れ、心に勇気が溢れる。
座談会開始前に参加者の皆さんにお配りさせていただくと、Aさんの真心に感動と喜びの拍手が沸き起こった。
第1部が終了し、司会から、「いよいよ後半は、皆さんが自由に何でも語り合う場にしていければなと思います」と呼び掛けると、“待ってました!”とばかりに参加者の明るい笑いが弾ける。
四国から来られたAさんがさっそうと先駆を切り、「はい」と手を挙げられる。
「四国から参りましたAと申します。たぶん、創価学会で一番最初に処分されたのは私じゃないかと思います。
1992年(平成4年)の7月3日に、大石寺に対して日顕書写の曼荼羅を返却致しました。
というのも、池田先生を切った日顕が書写した曼荼羅に、手を合わせて成仏を願うことや広宣流布を願うことは、これは池田先生の弟子がするべき行為ではないと考えまして、大石寺の日顕宛に御本尊を返却したのです。」
師を胸に、一人立ち上がって闘われる衝撃的な話に、会場がざわめいた。
Aさんはその日以降、当時の四国の男子部長と、何度も何度も「日顕書写の曼荼羅を大石寺に返却する運動を男子部が先頭切って行なっていくことが弟子の道ではないか」と、四国の会館で話し合ったという。
しかし、男子部長からは明確な返答はなかった。
Aさんは必死に祈り抜き、男子部長に、「あなたが答えられないんだったら、あなたは池田先生にお会いできる立場なのだから、先生にご相談していただきたい」と誠実に訴えた。
ところが、職員であったその男子部長は、“Aさんに役職が無いから師匠へ報告できない”と回答したという。
Aさんは男子部長に率直に、「それって保身ではないですか」と伝えた。
すると男子部長は、「申し訳ないけど、その通りです」と答えたという。
自分が保身であることを平気で会員に公言してしまえるその幹部職員の厚顔無恥な態度に、「職員の問題」の根の深さを感じてならない。
会員に尽くさず保身で己を守るならば、職員として存在している意味はない。いやむしろ会と会員にとって邪魔な存在である。
師を想い信念を貫かれるAさんは諦めなかった。
その後も四国男子部長に何回も相談し続けた。しかし、男子部長は一向に納得できる答えを持ってきてくれない。
Aさんは祈り、葛藤の末にある行動に移す覚悟を決められたという。
「もう我慢できずに、地元の会館で“『日顕曼荼羅追放運動』という行動を起こそう”と呼び掛けるビラを配らせていただきました。
そうしたら、その日の夜中2時、3時に、四国の男子部長と青年部長がやって来て、ドアをドンドン、ドンドン叩いて、『こらA、出てこんか!こら出てこんか!!』言うて、まるで暴力団なみなんですよ。
もう近所迷惑なんで、仕方なくドアを開けたら、いきなり部屋に上がってきて、『おい、お前これ何したんや!』って怒鳴るんですよ。
私が、『そのビラ読んでくれましたか?』と聞くと、青年部長は『ほんなん目通す必要ない。もう、すぐ学会を辞めさす』と、こうなんですよ。」
組織の意向に沿わない人間や、疑問や意見を持ち、声を上げ続ける人間に対して、問答無用に『除名処分』を迫り脅す。まさに「権力の魔性」に侵された職員の姿であろう。
Aさんはこの時、やむなく幹部職員の話を聞き入れることを選択した。
しかし、それにより除名処分は免れたが、「会合には一切参加しない」「日顕に血脈相承がないということを言わない」という不当な条件が付いて回ったという。
その1年後の1993(平成5)年10月、創価学会総体として、日顕が書写した曼荼羅から日寛上人の曼荼羅に交換する方針を取るようになる。
しかしそうなっても、やむにやまれぬ思いで「日顕の御本尊の追放」を叫んだAさんの名誉は回復されることはなかった。組織からは無視の状態が、20年以上経った今現在も続いているという。
無責任と保身に覆われた幹部職員の冷酷な対応に怒りが込み上げた。
小平が「もう組織に納得の対話が無いんですよね。対話なく排除する構図が本部も現場も、どこも同じだなって思います」と話す。
Aさんは頷きながら、「そうなんです。しかも、自分の意に沿わないと“豹変”するんですよ、暴力団なみに」と、当時の怒りを思い出すように語られる。
そのAさんの話を、中国方面から参加された女性のBさんとBさんのお母様が、悲憤の表情を浮かべ、大きく頷きながら聞いていた。
続いて、Bさんが勇気を振りしぼりながら語ってくださった。
「“豹変”と言えば、私と接点がなかった人も、幹部の一声で、私のことを無視するようになったんです。」
Bさんは以前、地区内のある婦人部員から、別の婦人部員に苛められているという相談をされた。苛める側の婦人部員は、拠点を提供しており、幹部も一目置かざるを得ない存在だったという。
正義感の強いBさんは黙っていられなかった。苛められている婦人部員を守ろうと必死に“苛めている婦人部員”に、直接、申し入れた。すると、その苛めている婦人部員は逆に怒りを露わにし、婦人部幹部に「自分は苛めていない」と嘘をついて泣き付いたという。
このことをきっかけに、BさんとBさんのお母様はなんとそれ以降ずっと、その苛めている婦人部員の家の唱題会に参加できなくなり、別の拠点の唱題会も参加禁止を言い渡されたという。
さらに、その苛められている婦人部員に対する『苛め』には、なんと地区婦人部長も関与していたというから驚きである。
その苛められた婦人部員には子どもがいなかった。地区婦人部長はその苛めを受ける婦人部員がいない場で、「あの子には子どもがいない」、「子どもを生んでいる人間の方が磨かれているのは当たり前だ」と心無い批判をしたという。
Bさんは納得がいかず、地区婦人部長に、「子どもがいないことと彼女の人格は関係ありません。そんな事ばかり言うのでしたら、彼女に子どもができるよう祈ってあげてください!」と必死に訴えたという。
ところが地区婦人部長は、その日の出来事を“Bさんから罵られた”と婦人部幹部に報告していった。
さらに、地元の圏副婦人部長は、わざわざBさんのお母さんのもとを訪れ、「人が苛められていてもほっとけばいいのに。馬鹿な子じゃね」と伝えに来たという。
この出来事をきっかけにBさんは、地元組織から排除され始める。そして、現在は「会館・拠点への出入り禁止処分」を下されているという。
それでも、純粋で一途なBさんは、毎日真剣にお題目をあげながら諦めずに学会活動に励まれている。
以前、尊敬する先輩の同志が、「何があっても座談会と本幹だけは行こう」と励ましてくれたことを大事に胸に秘めながら、幹部から「県外であれば座談会に参加して良い」と許可が下りたため、県外のお知り合いの方の地区座談会に参加されているという。
必死に話されるBさんの目には涙が滲んでいた。
創価学会の中で、婦人部幹部が一人の婦人部員を苛め、その苛めを誰も止めずに見て見ぬ振りをする。逆に、苛められた人間を守ろうとした正義の人が組織で苛められていく。
本当に有り得ない話である!
「苛めは苛めた側が100%悪い」というのが師の思想だ!
絶対に苛めを許す訳にはいかない!
Bさんの話を我が事のように聞いていた中国方面で副支部長をされている壮年部のCさんが、「今の組織って何を言ったかじゃなくて、誰が言ったかで決めてしまうんだよね」と鋭く指摘する。
BさんとBさんのお母様が、「そうです!」と深く頷かれる。
すると、関西からお越し下さった壮年部のDさんが手を挙げられ、真剣な表情で話し始める。
「何が正しいかじゃなくて、誰が正しいかで判断されるようになっているというのはその通りで、要するに『依法不依人』がもう崩れてしもうてるんです。」
創価学会は、2014年11月、「会則の教義条項の変更(会則教義変更)」を行なった。さらに翌2015年1月には、教学部として教義条項改正の意義を確認するとともに、「日寛教学の『一大秘法』『六大秘法』という用語は今後用いない」などと補足解説を行なった。
しかし、Dさんは、“まさか師匠がそんな変更をされることがあるのか”と疑問に思われたという。
Dさんは意を決して参加者全員に問いかけられた。
「皆さん、池田先生が、会則教義条項の変更後の随筆の中で、実は『六大秘法』を使っているというのを知っていらっしゃるやろうか?」
そして、ご自身でご用意下さったA4の書面を参加者全員に配ってくださった。その書面には、2015年9月15日付聖教新聞に掲載された師匠の随筆『民衆凱歌の大行進㉗ 御書根本の勝利道を』が両面刷りされていた。
その中の「特に『観心本尊抄』は(中略)法本尊を開眼された重書中の重書である」と書かれた文章の“法本尊を開眼された”の箇所に、ピンクのマーカーが引かれている。「法本尊」とは、「六大秘法」の一つである。
Dさんは、師匠が会則教義条項の変更後に「六大秘法」(「法本尊」という用語)を用いていることに疑問を持たれたという。
Dさんは真剣な眼差しで、参加者に問いかけていく。
「じゃあ、池田先生は会則を破っているんでしょうか?
いやむしろ、池田先生が認めていない会則教義変更を、実は学会執行部がやったんじゃないでしょうか。
池田先生は会則変更後にも、『六大秘法』を使っている。ならば、『六大秘法』を使わないという風に教義変更した執行部というのは池田先生の仰せに反し、池田先生を『永遠の師匠』と定めている会則を、実は破ったことになるんじゃないのか、と僕は思っています。
これが結局根本にあって、今の創価学会では、『依法不依人』ができなくなっているのではないか。官僚的になり、何が正しいのか、誰が正しいのかの判断を間違ってしまっているような今の創価学会になってしまったんじゃないのかなと思います。
だから、先程のBさんのようなお話は、おそらく全国的にどこにでもあるのではないでしょうか。」
本質をえぐるような洞察に感じてならない。
本部執行部の師弟のずれが、全国の現場組織にまで波及し、正しい判断を見失わせているのではなかろうか。
Dさんは続ける。
「2014年に執行部が使わないとした『六大秘法』を2015年に池田先生が使われているということは、執行部が池田先生の意に反しているということと共に、『今、創価学会は教義上2つに分かれている』ことを意味します。
『池田先生の創価学会』と『原田会長の創価学会』の2つです。
そして自分に、こう問わねばなりません。『自分はどっちだ?』『あなたはどっちだ?』と。」
教義は信仰の根幹であることは当然である。
しかし、2014年の拙速・急激な会則教義条項の変更は、本部執行部が学会員への丁寧な説明を欠き、現場に大きな禍根を残していると感じてならない。
一人ひとりの納得なしに、ただ号令をかけるだけの組織では、“イエスマン”しかいなくなっていく。
このまま学会本部執行部の独裁化が進めば、創価の崩壊は火を見るよりも明らかである!
師を想う弟子が総立ちとなって、断じて食い止めねばならない!
師匠の理想とされる創価を弟子が一丸となって築きゆく時は今である!

<4・23(日)中部方面・名古屋座談会開催のお知らせ>
■ 日時
平成29年4月23日(日)午後1時15分~4時15分終了予定
■ 場所
愛知県青年会館 3階 9号会議室
(愛知県名古屋市中区栄1-18-8)
http://www.aichi-seinenkaikan.or.jp/access.html
■ 座談会参加のご連絡のお願い
座談会への参加を希望して下さる方は、参加人数をブログ上のメールフォームか、以下のアドレスからお知らせいただけると本当にありがたいと思っています。
連絡先(メールアドレス):harunokoimejapan20150831@yahoo.co.jp
お名前をお伝え頂く必要はありません。一行で構いませんので、「2名参加です」「静岡から1名で行きます」など、教えていただけると本当にありがたく思います。
もちろん、連絡を下さらなくても参加していただいて構いませんし、また連絡を下さったからといって参加しなければならないということではもちろんありません。
■ 地図

■ 交通アクセス
・タクシーで、名古屋駅より約10分
・市バス、名鉄向かい6乗車、納屋橋下車
→ 名古屋東宝ビル角、南へ250m
・地下鉄「伏見駅」下車、7番口、西へ300m
→ 名古屋東宝ビル角、南へ250m
・駐車場について
会館のフロントで、駐車券を購入(1日300円)
普通車15台 室内10台 (高さ1.9M)
室外 5台 (高さ制限なし)
4・23(日)「名古屋座談会」の当日の晴天、絶対無事故、大成功・大勝利を勝ち取るべく、全力で闘い抜き、万全の準備を進めて参ります!
【お知らせ】
◆一昨日4月3日(月)、私たちが職員在職当時に受けた譴責処分(H23)と配置転換の不当性を証明するための裁判における、こちらの訴状に対して相手方・学会本部の認否反論の書面が来ました。
次の「第7回口頭弁論期日」は18日(火)10時半から東京地裁611号法廷で行われますが、その日までに、その書面に対する反論の準備を進めていきます。
この裁判は会員同志の無実と正義を証明するとともに、原田会長ら本部執行部の責任を明確にし、断罪していく重要な意義があります。
断固、勝つ!
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