●⑳【前篇】九州・熊本座談会の報告と中国・岡山座談会への決意

 先日2月26日(日)、九州は熊本で、本年最初の創価変革のための座談会を大成功、大勝利で開催することができた。
 地元熊本の同志をはじめ、福岡、大分、広島、東京、神奈川から、ある同志は飛行機で、ある同志は新幹線で、またある同志はご家族とともに車で駆けつけて下さった。

 座談会開始の約1時間前には、九州男子部のAさんが会場に到着され、談話コーナーで川崎から来た同志たちと歓談に花が咲いた。
 Aさんは、私たちが“3名のブログ”を立ち上げてすぐにメールをくださった方であった。
 それ以来、何度もメールでやりとりをさせていただいてきた。
 昨年の熊本地震の際にも、「熊本地震が落ち着いたら熊本で座談会を開催してほしい」とのメールを頂いていた。
 今回の熊本座談会を行なうにあたって会場選びはAさんのご協力で無事に適切な場所を取ることが出来たのである。念願のAさんとお会いすることができ、川崎の同志の喜びは爆発した。
 Aさんは語る。「今日は何でも語り合える座談会を楽しみにしています。地元では去年『男子部が折伏日本一を達成した!』と言っていましたが、その実態は壮年部や婦人部が決めた折伏を男子部の成果にしているんです。このままの成果主義では学会が空洞化して駄目になってしまうと思います」と。
 創価を心から想うからこそ純粋な同志は苦悩している。
 「本来の師匠の創価はこうじゃない!」と。
 こうして同じ思いを抱く同志に会えることを心待ちにされていた方々が各地から集い、一堂に会して熊本座談会は始まった。

 はじめに、昭和54年当時からの池田先生と九州の同志との絆を描いた動画を観賞する。師匠の九州の同志への熱き魂が伝わり、皆、目頭を熱くする。
 登壇者として最初に、滝川の母である滝川光子さんがお話して下さった。
 光子さんは2年前の1月に、11年間冥伏していた乳がんが再発した。スキルス性の骨転移である。症例的には3カ月以内に亡くなる方がほとんどであった。
 死の恐怖、そして不安が襲う。当時、夫とは離婚し、息子は懲戒解雇され収入は無かった。唯一の収入は自分への年金だけで、治療費も莫大にかかるであろう。失意のどん底に叩き落された。
 それでも「私にはやるべきことがあるんだ!何としても、病魔に打ち勝たねばならない!」と、闘うことを諦めない光子さんは必死に祈り闘い抜かれ、再発から4か月後には全身への骨転移ガンを全て消滅させた。
 2度目の奇跡の完治である。医者は「滝川さんすごいよ!!!」と二人でガッチリ握手した。
 しかし、光子さんのガンはいつ再発してもおかしくない。再発すれば、今度こそ危険な体である。
 その満身創痍の体で、必死に原稿を読み上げる。難病のシェーグレン症候群(ドライアイ、ドライマウス)の体は、すぐに目がかすみ、のどが渇く。座トレの上に置いた水を5分話しては飲み、また5分話しては飲む。
 背筋を張り、命を振り絞るその声に、感動で涙を拭うご婦人もいらっしゃった。
 先月1月30日、光子さんは原田会長に対話を求めて、息子が解雇になってから実に14通目となる手紙を出した。しかし、返事はなかった。
 それでも実直な母は決して諦めない。さらに祈りを込めて、今現在も新たな手紙を書き始めているのだ。
 最後に、光子さんは決意を叫ぶ。
 「池田先生、どうぞご覧になっていて下さい!信心のお陰で与えて頂いたこの命を、私は目を閉じる最後の瞬間まで、全て創価のために使わせて頂き、必ず、必ず、先生の仰せ通りの創価に変えてまいります!」。
 会場から盛大な拍手が鳴り響いた。

 続いて、数千万に及ぶ金銭横領疑惑の関係者であると言われる職員B氏に有り得ない暴言を吐かれ、その言動に声を上げたことを理由に創価学会から除名処分された木本貴子さんの体験談に移る。
 職員B氏の貴子さんたち会員同志への言動は、何度聞いても常軌を逸している。
 貴子さんの当時婚約者だった木本秀信さんを指して、「人非人」「まともな人間じゃありません」と罵り、野口の妻の桃子さんに対しては「頑張っているんでしょうけれども、基本的な知性っていう部分で、非常に、おぼつかないものがあるんです、あなたは。」「ちゃんとした教育受けていますか?」と馬鹿にしていった。
 その職員B氏の仏子をいじめ抜いた過ちが消えることは断じてない。
 貴子さんたちは、2012年5月に除名処分となって以来、諦めずに声を上げ続けている。
 貴子さんは決意で話を締めくくる。
 「池田先生と同志に支えられて、今の自分があります。何度も何度も救ってもらいました。ただただ感謝しかありません。絶対に学会本部は変わると信じ抜き、同志の皆様と共にこれからも大恩ある創価学会のために、徹底して今の学会本部に対して声を上げ、自分にできる本部変革の闘いに命を使い切っていきます。」

 続いて3人を代表し野口が、今の学会本部の狂いの元凶は、昭和54年に本部最高幹部が師匠を辞任させたことにあると話した。
 当時の最高責任者の一人でもある原田稔現会長が、師を守らなかった点を認め、心から振り返り、そこから学ぶことなしには、今の学会本部が正常な状態に戻ることはない。

 座談会の醍醐味である第2部『自由発言の懇談会』では、全員が大きな円になって座った。
 一人の壮年が先駆を切って颯爽と手を挙げられた。組織では地区幹事を務めるCさんである。
 Cさんは、前月1月に出張で東京にお見えになった際、滝川家まで足を運んで下さり、私たち3人と時が経つのも忘れてお話しした方であった。
 Cさんは苦しい心の叫びを話される。
 「最近の会合は全然面白くない。聖教新聞が読むところがない。それをほったらかしている学会幹部は何を考えているのか」と。
 そしてCさんは皆に訴えかけるように話す。
 「先生はかつてお元気な時に“ジャーナリズムの本質”ということをおっしゃっていました。『ジャーナリズムというのは自分の足で稼いで自分で情報を見つけてそれを世に訴えるということが本質である』と。しかし、これまで聖教新聞の3面記事で誰がそんなことをやったことがあるんですかね。共同通信の配信の記事をもらっているだけです。ジャーナリズムの片隅にもおけない!」と、聖教新聞に対する熱き思いを語られた。
 最後に、「もし今年の最後の方で、九州でまた会合の予定を組んでくれるとありがたいな」と、九州での会合をリクエストして下さった。

 続いて、末期ガンを患いながらも、創価変革の使命に生き抜かれるご婦人のDさんが話して下さった。Dさんについては以前、裁判報告ブログ(▲②)で書かせていただいたように、今こそ師匠のために命を燃やし闘う覚悟で東京から駆けつけて下さったのである。
 創価大学出身のDさんは、昨年、後輩に当たる小平、滝川が学会本部前でサイレントアピールをしていることを知った。
 その時、かつて池田先生が創大生に対し「弟妹たちを頼むよ」と仰った言葉が呼び起され、「今こそ自分が先生との誓願を果たす時だ。弟たちの味方をする番だ」と思われたという。
 純粋なDさんは、決意をされるとすぐに行動に移された。何としても“創価変革のため”の闘いを自ら起こしたいと踏み出されたのだ。
 信心をしているお兄さんと話したいと決意し、お兄さんの家に行った。
 心優しいお兄さんは、信心から離れ末期ガンを患うDさんが「お兄ちゃんとお嫁さんと3人で題目を上げたい」と伝えると心から喜んでくれた。そして涙を流しながら一緒に1時間題目を上げてくれたという。
 題目が終わるとDさんは、『実名告発 創価学会』をお兄さんに渡された。
 「兄に言いました。“是非、この本を読んでほしい。私はこの本に書かれたみんなに会ったからこそ、『生きたい』って思えるようになったんだよ”と素直に伝えました。」
 そう話すDさんの眼には、うっすらと涙が光っている。
 「それまでは、生きていても自分の使命を果たすことが出来ないんだったら、“こんな命別にどうでもいい”という気持ちでした。でも、皆さんにお会いして、この学会の未来は明るいなって。この方たちがいて、それ以外にも学会を変えていこうとする人たちがいるんだったら折伏する意味がある。まず自分の体を治して、『この体が治りましたよ』って言ったら、バンバン折伏できるんだから絶対にガンを治すしかない!という思いで祈ってきました。」
 Dさんは目を真っ赤にしながら、真剣に話を続けた。

 一念発起をされ熊本座談会に日帰りでの参加を決めたDさんのもとに、熊本座談会の3日前、長崎にいるお姉さんから突然連絡があったという。Dさんが電話をすると、お姉さんはなんと「私も癌になった」と告白されたという。
 “苦しむ人のもとにすぐに駆けつけて対話をする”というのがDさんのモットーであった。
 Dさんは急遽長崎へ飛び、お姉さんに、「使命と捉えてやっていこうよ。治った時に自分がその体験を語って折伏している姿を想像して、お題目をあげていこうよ」と真剣に励まされたという。
 使命を自覚したDさんは最後に決意を語られる。
 「“自分と池田先生という一点で、御書根本にやっていこうよ”っていうことをこれからも言い続けて、闘っていこうと思っています!」と。
 参加者から、「お姉さんの回復を全力で祈ります!」との温かい声が上がった。
 ガンは決して他人事ではない。いつ自分がガンに侵されるとも限らない。1分1秒も無駄にせず、今を自身の使命を果たすために全力で生き抜くことを皆で誓い合った。

 続いて、隣りに座っていたご婦人のEさんが話をして下さった。
 Eさんはかつて東京に住んでいた時に“ある被害”に遭われたという。
 その後、故郷の九州に戻ってから、その“ある被害”の「被害者の会」に入られた。
 そして、その“被害”についてインターネットで様々調べる中で、私たち3人の存在を知ったという。
 Eさんはこれまで学会を批判するような本は一度も買ったことがなかった。しかし、『実名告発 創価学会』はどうしても気になって買って読んだ。すると、Eさんは「胸が締め付けられて、苦しくて涙が出てきて。これは真実じゃんって、私は思った」と語られる。すぐにご友人に本を薦めたところ、その方はEさんの思いに共鳴され、すぐに本を購入して3名の方に渡されたという。
 さらに、Eさんは友達でもある婦人部長にもメールで伝えた。
 「今、心ある人たちが動き出してるんよ。YouTubeで記者会見したのが全世界に広まっていて、全世界の会員の心ある人たちが気づき始め、動き出しとんよ」と。
 しかし、その婦人部長からは全くメールの返事は来なかった。
 Eさんがインターネットの情報を見ていくと、3人のことをけなすものが出てきたという。足軽会という組織があり、その組織は抜けることができず、抜けたら叩きのめされてしまう、といった内容だとEさんは教えてくださった。
 そうした中、今回、その3人が熊本に来るということで、ならば直接会って自分で確かめようと思い、座談会への参加を決めたのだと話された。
 Eさんは率直に話し続けられる。
 「実際に会ってみて、本(「実名告発 創価学会」)を読んで受けた印象通りの人たちだなと思いました。私も九州で自分が出来ることを一つずつやりたいと思っています。この本(「実名告発 創価学会」)をみんなに教えてあげたいなと思っています」と決意を話された。
 『百聞は一見に如かず』のままに行動に移されたEさんの純粋さとその勇気、あまりに偉大である。

 すると、会合の運営スタッフとして来てくれた川崎の同志のFさんが「ちょっといいですか。今の話の中に、『足軽会』とかって、『叩き潰す』とかってあったじゃないですか。その誤解を解かなきゃいけないなって思うんですけど」と話し始める。

 当時の川崎では学生部卒業者が社会人となって男子部で闘えなくなるケースが多かったため、卒業世代ごとに○○会という名前を付け、一年に1、2回集まって励まし合う風習があった。みなが社会の荒波にも負けず励まし合い、信仰を磨き一生懸命活動していくために、自然発生的に出来た防波堤のようなものであった。
 私たちの世代では『足軽会』と名付けた。“足軽の兵隊は足取り軽く先駆を切って出陣し、将軍様(池田先生)の為に命を捨てていく”との思いを込めて。カッコいい名前ではなく、一番身分の低い会にしようよと言って名前を付けた。
 当時、足軽会メンバーのG君が、仕事の忙しさにはまり学会活動が思うように出来なくなった。幹部であるにもかかわらず組織活動が出来なくなると、「あいつは信心がない。ダメだ」とか、「もう先生の弟子じゃない」と一方的に決めつけるような風潮が四者の中にあった。自分に厳しい性格でもあったG君は自分を責め続けた。
 そうした中、FさんはG君を励ますために、「闘えなくなってもいいじゃないか。一生涯信仰を貫く中では闘えなくなるときだって、題目を上げたくなくなるときだって、組織に足を運べなくなるときだってあるじゃないか。そうした苦しむ同志(G君)に対して、足軽会メンバーの中で、『学会員として負けた姿だ』と言うような心を持ってしまうことがあったならば、そうした心こそ違うのではないか。そうした心とは絶対に闘わなければいけない」といった趣旨のメールを同世代の足軽会メンバー全員に送ったのである。そして、それを受け取ったG君自身も、「そのメールは僕が当時会合に参加できなくなっていて、僕が会合に参加する時に後ろめたい気持ちにならないように、Fさんが自分のために懸命に必死になって書いてくれたメールだった」旨、証言していた。
 しかし、学会本部は、その本人(G君)の証言を知りながら、メールの趣旨を著しく歪曲して、部分的に切り取って使い、Fさんが足軽会メンバーを洗脳するカリスマ的なリーダーであると結論付けたのである。

 Eさんはその話を聞くと、再び話し始めた。
 「でも結局、Fさんがすごく人に慕われる人で、それを妬んだ幹部の嫉妬が発端で、結局そういう風にしてFさんを追い落として、別の人間を派遣したっていうのが別の所に書いてありました。」
 小平がすかさず、「そういうことなんです。」と言う。
 Eさんは続ける。「男性の方がヤキモチが真っ黒こげっていうから、そういう一生懸命にやってみんなから慕われている人がいたら、それを妬む幹部がなんとかして叩き潰さなくちゃいけないとなる。そうすると、悪口を100倍、1000倍にして書くしかないから、結局、妬まれて排斥されたんじゃないかなと思っていました」と話された。
 Fさんは目に涙をためて、「ほんと有難いです。結局、真実を知っても首謀者だ、カリスマリーダーだっていうレッテルを学会の中では剥がすつもりはないんです。しかもそういう風に仕立て上げた方が分かり易い構図になる。結果的に僕の方が3人より先に除名になったんです」と話した。
 川崎の中で最も苦しめられてきた同志である。事実無根のカリスマのリーダーに仕立て上げられ、悪の元凶とされてきたのだ。そして、3人よりも先に首謀者として除名処分となったのである。
 この同志の無実と正義を、一日も早く証明しなければ、職員であった自分こそ最大の悪である。

 話に合点がいったEさんは、みなさんに訴えかけられる。
 「自分達がやったことを隠蔽するために、本当の真実の声を上げる人をどんどんどんどん除名して、結局イエスマンばっかり残して自分たちのやり易いようにしているんですよ。そこで『おかしんじゃないですか』って声を上げなくちゃいけないし、みんなが声を上げるようになってこそ、上も動かざるを得なくなりますよね。
 まだ一部の人しか動いてないから、上は切り捨てれば後は黙って付いてくるからそれでいいと思っている。それこそ、宗門が学会を切り捨てるときに、2割が付いてくればいいと言ったけど、今も同じことが起こっているんだって思ったんですよ。
 結局、先生の辞任の時に声を上げる弟子は誰もいなかった。だから今、一般の会員さんから、本当の地涌の菩薩の人が出て来ているのかなって。
 今日はここに来れて、本当に真実の声を聞けて良かったと思っています。」

 どんな人でも、自らが真実を追求していくことを諦めてしまえば、学会本部が垂れ流す「猛毒」に簡単に侵されてしまう。
 そして、いつの間にか、正常な判断が出来ない自分になっていってしまうのである。


【お知らせ】
・この度、静岡は富士宮特区で迫害に遭われた方々とお会いする機会がありました。創価学会にあるまじき事件をお伺いし、創価変革のための共戦を誓い合いました。そのため、本ブログに富士宮の皆さんのブログ『創価師弟共戦』をリンクさせて頂きます。
・各所からの要望に応え、この度、「元創価学会職員3名のブログ」というアカウントで、ツイッターを始めました。ブログの最新記事の告知や、創価変革のための活動の告知などを発信していきます。基本的にツイッター上でのやり取りはしませんので、やり取りを希望される方は3名のブログ宛にメールをいただけますようお願い致します。
・熊本座談会報告ブログの「後篇」は、近日中にアップする予定です。

20170226熊本座談会①




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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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