第6 本部職員である青年部最高幹部の不正を隠した「学会本部の問題」(H14.6以前~H22.5)

「幹部のための学会ではない。会員のための学会である。断じて学会員を苦しませてはいけない。そのためにも、おかしな幹部がいれば、皆で声をあげていくのである。『学会の指導と違うではないか!』『師匠の言っていることに反しているではないか!』と。
そうやって皆が強く叱咤・激励して、立派な指導者をつくっていけばいいのだ。」(名誉会長指導)

「学会をよくするためには、どんなことでも、勇気をもって上に言い切っていきなさい。そして上の人間は、そうした正しい意見をよく聞いていけ!」(名誉会長指導)

 師は仰った
 「幹部のための創価ではない。会員のための創価である」
 「絶対に会員を苦しめてはならない」

 会員を苦しめる幹部の振る舞いを見たならば
 勇気を出して声を上げることだ!
 師の心を我が心とし
 勇気の対話に挑むことだ!

 「そんなことは分かっている」
 「いつか時がきたら」
 「言っても変わらない」
 理由を並べればいくらでもある

 しかし、自身の幸福は、勇気なくしてはあり得ない!
 「勇気」こそが 困難を乗り越える力となり
 「勇気」こそが 自身の幸福を築く力となるのだ!
 「勇気」なくして 未来はないのだ!

 ならば友よ!
 一人の幸福こそが 創価の発展ならば
 「勇気」の声が 同志を守る慈悲となり
 「勇気」の声が 立派な幹部をつくる正義となるのだ!

 我が友よ!
 君自身の幸福のために
 師が願う「会員のための創価」を創るために
 同志と同志を真に結合させゆく正義の声を 
 君が上げるのだ!


 平成22年2月22日に東京・信濃町から広島県への異動を命じられた茨城氏。5月1日付の異動を目前に控え、聖教新聞社の上司である編集総局長のもとへ挨拶に行こうと考える。その上司とは、平成20年5月の本部指導監査委員会の中心者の岩手副会長である。半年前に学会本部から聖教新聞本社に異動となっていた。
 現場の地域組織では、本部職員から誹謗中傷された会員たちが、杜撰な監査の結論により「反逆者」のレッテルを貼られ、依然として会合の連絡すら来ない状況に置かれている。
 何としても会員を救済しなければならない。
 広島に異動となって聖教本社から離れる前に、自分が出来ることはすべてやらなければならないと深く決意。岩手副会長に、監査の偏頗な結論によって、未だに会員たちが不当に苦しめられている実情を伝え、何とか再監査をお願いできないか懇願しようと考えた。

 平成22年4月27日、茨城氏はアポイントを取って事務所内にある岩手副会長の席に行き、2年間、思い続けてきた監査委員会の話題を切り出す。
 「僕自身は聖教職員として、仕事の上では一切悔いはありません。しかし、一点大きな悔いがあります。それは2年前、岩手さんが行なった監査によって未だに会員さんが苦しんでいることです。」
 茨城氏は話を続けた。「皆、真剣に命をかけ先生のために戦っていた人たちです。その会員さんが犠牲となり、役職解任にされ、未だに組織でレッテルを貼られている。こんなことは創価において絶対に許されないと思うのです。なんとか、もう一度、再監査をして頂けないでしょうか。」
 岩手副会長の表情が一変し、厳しい口調になる。
 「その件ならば、話すことはありません!そんな話なら帰りなさい!」
 一切話が出来ずに終えられてしまいそうになった。
 茨城氏は必死に、「なぜですか。監査をやられたのは岩手さんです」と訴える。
 すると岩手副会長は、
 「私は会長に言われた通りにやりました。会長に言いなさい!」
 茨城氏は「会長には何度も伺いました。執行部の方全員に伺いました。しかし、どなたも一切話を聞いて頂けませんでした。」
 岩手副会長、「私が話すことはない!会長に言いなさいと言っているだろ!」
 茨城氏は必死に、「健気に戦っていた会員が解任となり、組織からも連絡がなくなりました。」と伝える。
 岩手副会長は声を荒げ「聞きません!!」
 最後は体を真横に向けてしまった。もはや対話をする状況ではなかった。
 茨城氏はその場をあとにせざるを得なかった。

 監査の話題に一切触れようとしない岩手副会長。自ら指揮を執った監査を「会長に言われた通りにやりました」と。そして自分ではなく「会長に言いなさい」と。本部に感じてきた、上の指示に従い、その責任を問われると上の責任だとして棚上げする。あまりに無責任なこの組織体質を改めて感じざるを得なかった。
 それだけではない。岩手副会長がここまで声を荒げて再監査を拒否する理由、それは2年前の本部指導監査委員会が「本部職員である青年部最高幹部の不正人事」を隠した問題をほじくり返されたくないからだと感じてならなかった。

 本部指導監査委員会が隠した「本部職員である青年部最高幹部の不正人事」

 平成20年3月30日、私たちは本部指導監査委員会に、計182頁に渡る陳述書を提出する。それは、本部職員である青年部最高幹部たちが、自分より役職が下の意見する人間を学生部から卒業させ、次々と排除していった不正人事について、事実と経緯を詳細にまとめたものとなった。

 平成14年6月、当時、地元組織の総県学生部長であった小平に対し、人事通達からわずか2日間で学生部を卒業し、男子部移行となる人事が行なわれる。その背景には、小平、滝川、野口が責任者であった総県学生部に対する、当時の学生部最高幹部たちの嫌悪があった。
 小平、滝川、野口は、新卒で本部職員として採用されたが、初めは学会本部の方針や組織の秩序を最優先に考える典型的な本部職員であった。しかし、学生部活動に全力を尽くし、現場の会員さんとともに切磋琢磨させて頂く中で、徐々に本部職員の中にある上下関係や対話が出来ない体質、会員を軽んじる特別意識が自分の中にもあることを自覚していった。そして、自身の人間革命をかけて地元学生部では、師匠の指導を活動の根本とし、対話の実践に力を注いだ。
 どこまでも相手のことを祈り、信じて、「正しいものは正しい」「間違っているものは間違っている」と勇気をもって伝え合う。そこには、互いに深い信頼が芽生え、共に真実を追求しようとする活気が満ちていった。
 慣れ合いを排して、意見をぶつけ合うことは日々の戦いの中では常に行われ、徹底した対話の後には真の納得が生まれた。皆が、その歓喜によって活動に励み、多くの学生部員が信仰体験を積んでいった。
 そして小平、滝川、野口は、上位幹部に対しても徐々に積極的な意見を伝えていくようになる。
 下から上に意見できないような硬直化した組織になれば、最も苦しむのは会員である。
 すると学生部最高幹部は、「小平は善悪をはっきりさせすぎる」「小平は学生部よりも男子部の方があっている」と周囲の幹部に漏らすようになる。

 小平は総県学生部長に就任してから9か月後の平成14年6月28日、突然、全国学生部長の千葉氏、全国学生部書記長の静岡氏から呼び出され、2日で学生部を卒業となるあまりに急な人事を命じられる。後任の総県学生部長は決まっていなかった。そして、残されたメンバーに引き継ぐ時間ももらえない。突然の通達に頭が真っ白になった。
 小平がいなくなった役職には、代行の総県学生部長が就くという人事がとられる。その代行の総県学生部長には、中央から全国副学生部長の長野氏が派遣されることになった。
 むろん現場は混乱していた。突然、組織の長がいなくなり、しかも代行で中央から派遣された総県学生部長が来る。
 小平は、「申しわけない。」「人事は師匠から頂くもの。分かって欲しい」と疑問を抱く会員さんに必死に説明するしかなかった。皆、受け入れようと懸命な様子だった。

 しかし、この長野全国副学生部長の“代行”人事は、千葉全国学生部長、静岡全国学生部書記長が、青年部人事委員会の正式な手続きを踏まずに恣意的に行なった手続違反の不正な人事だったのである(本部指導監査委員会は、長野全国副学生部長の総県学生部長代行期間を「空白の3カ月間」と認定し、正式な人事でないことを認めている)。

 さらに学生部の体制が変わった平成16年9月には、新たに全国学生部長となった岐阜氏と全国学生部書記長になった愛知氏も現場の混乱を無視する人事を行っていくのである。 
 茨城氏と滝川が地元の総県学生部長、書記長であった体制の総県幹部、県幹部の19名のうち、11名を学生部から一斉に卒業させるという人事を行なっていく。その際、滝川、野口、茨城氏は学生部を卒業となった。
 特に、野口はその時まだ25歳であり、当時全国男子部長の三重氏からも「青年部人事委員会では27歳が男子部移行の目安だ。野口は25歳だし、若い、これからだろ。」と言われる中での早すぎる卒業人事だった。

 当時、総県幹部であった滝川と茨城氏は、中央の学生部から伝えられる活動方針を、そのまま下位組織に落とすことはせず、より会員のための学会活動となるように考え、話し合った。その上で、上の幹部に対しても現場の意見を積極的に伝えるようにしていた。
 自分の意思や考えを持って活動に取り組むことから、「上からの打ち出しをそのまま実行すればよい」と考える学生部最高幹部から、陰で「独立国家」などと揶揄され始めたのである。
 上の幹部に対し、勇気をもって創価のために意見を伝えることができる人間は、卒業人事の対象となった。2年前の小平卒業人事と全く同じ構図だった。

 滝川、野口、茨城氏が卒業となり、いなくなったところに、岐阜全国学生部長は隣の総県に住んでいた本部職員の和歌山氏と他2名に派遣を命じる。そして、引っ越しをさせ、総県学生部長等に任命する人事を行なったのである(和歌山総県学生部長は、平成20年の監査委員会に対して、「岐阜全国学生部長から、総県学生部幹部の派閥化問題について説明を受け、組織の立て直し・正常化を託されました。」と証言している)。

 また、本部職員で当時方面学生部長の滋賀氏は、予定していた人事案を、面接当日の面接直前に取り消すことまで行なったのである。滋賀方面学生部長は、その理由を「幹部カードが届いていない」と説明した。予定した人事は白紙撤回となり、面接に赴いた学生部員は、自分の人事が突然なくなったことに呆然とするほかなかった(後日、本部職員の某元方面学生部書記長が、「幹部カードは届いていた」と証言している)。

 本部職員幹部が行なった不可解な人事が2年以上にわたって繰り返された。こうした人事を「御仏意」であり「師匠から頂くものだ」とするには限界があった。

 「人事と金銭は、絶対に正確にして、問題を起こしてはならない」(名誉会長指導)

 創価学会では、戸田第2代会長の時代から「人事の不正」は金銭問題、男女問題と同じく、厳格に処罰される問題である。
 しかし、本部指導監査委員会は、こうした事実を詳細に書いた陳述書を提出したにもかかわらず、こう結論したのである。
 「人事手続きには問題はなかった」
 むろんそう判断した理由は述べられていない。

 そして、この手続違反の人事を起こした本部職員の千葉全国学生部長、静岡全国学生部書記長や、岐阜全国学生部長、愛知全国学生部書記長に対しては、口頭注意で終え、誓約書の提出要請すらしなかった(監査当時、静岡氏は全国男子部長、千葉氏は全国牙城会委員長で青年部の中核であった)。
 本部指導監査委員会は、本部職員の青年部最高幹部が行なった再三に渡る「不正人事」を隠蔽したのである。

 「人事は、創価学会の生命線である。」(名誉会長指導)

 しかし、私たちの監査面談を行なった中心者の岩手副会長はこう語る。
 「千葉全国学生部長、静岡全国学生部書記長、某方面学生部長の3人がそう証言しているんだ!君は3人が言っていることが間違っていると言うのか。君が言っていることが間違っているんだ!」と。

 本部指導監査委員会は、役職で人間を見、役職で話の信用性を判断した。
 そして、本部指導監査委員会は、青年部最高幹部に対してお咎め無しも同然の判断を下したのである。

 問題の正邪を転倒させた学会本部の結論

 他方、本部職員の青年部最高幹部が起こした「不正人事」に対し、勇気の声を上げた会員たちは、“学会指導に反する組織内組織(グループ)である”と結論されたのである。
 さらに、その組織内組織(グループ)の中心者は会員の京都氏であるとされ、その京都氏が皆を扇動したと結論づけた。
 しかし、会員京都氏は、すでに学生部を卒業し、男子部で活動している中、面識もない本部職員の和歌山総県学生部長たちから突然誹謗中傷された被害者である。あまりに強引な結論であった。
(和歌山総県学生部長が岐阜全国学生部長から派遣された時点で、私たちはすでに中央学生部から「派閥(グループ)」とのレッテルが貼られていた。和歌山総県学生部長はすでに学生部を卒業していた小平・滝川・野口が中心者であった頃の総県幹部、県幹部を指して、「暗黒時代をつくった」などと会合の場で非難中傷を繰り返した。それによって、自身への求心力を強め、組織の団結を図るようになる。公の場での批判は、すでに地元組織で男子部として活動していた会員京都氏たちをも的とし始め、総県内の男子部組織にも広まりレッテルが貼られていった。)

 監査委員会は、私たちに、「グループを自主的に解散し、二度と組織内組織と認められる行動はとりません」との誓約書への誓約を迫る。
 しかし、この内容自体、極めて抽象的であり、「組織内組織と認められる行動」とは一体どのような行動なのか、具体性はない。
 まさに、組織内組織であるかどうかは、幹部のさじ加減なのである。本部の方針に従わない人間や上層の幹部のおかしな振る舞いに声を上げる人間を、「反逆する疑いのある人間の集まり」としてグループや派閥に仕立てあげ、そして排除するやり方である。

 さらに、監査委員会は、私たちに「今後今回の関係者に対する対話の要求は二度と行いません」との誓約内容を要請する。
 私たちが陳述書で訴えた、本部職員である青年部最高幹部が行なった手続違反の不正人事に対して、その後一切声を上げてはならないとの楔を打ち、職員の問題に蓋をするものであった。

 本部指導監査委員会の結論は、結果的に本部職員から誹謗中傷された会員たちを反逆グループとして括り、一会員をその中心者に仕立て上げ、不正人事を行なった本部職員である青年部最高幹部を護るものであった。
 問題の正邪を転倒させた結論であり、これ自体、「学会本部の不正」である。弟子として絶対に看過できない問題であった。

 「悪を傍観(ぼうかん)し、放置しておくことは、師匠に対する忘恩であり、裏切りである。また、たとえどんなに小さなことであっても、同志を苦しめる悪を、絶対に見逃してはならない。放っておけば、その毒気が、いつしか全体に蔓延(まんえん)して、清浄な和合の世界が破壊されてしまう。『悪』を滅してこそ『善』が生ずる。」(名誉会長指導)

 弟子として、“本部職員の不正を隠蔽する「学会本部の不正」である”と感じながら傍観し、誓約書に誓約してその不正を容認するならば、それは師匠に対する忘恩であり、裏切りである!
 今後どのようなことになろうが、ただただ師匠の仰せ通り生き抜いて見せる。「間違っているものは間違っている」と勇気の声を上げた会員を「悪」とすることは、創価の存在意義を失わせる結論になる。
 弟子として絶対に容認することは出来ない!

 本部の誤った結論により犠牲となった会員を守るため原田会長に面談を求める

 茨城氏も平成22年5月4日に、広島に発った。滝川は、その半年前の平成21年11月1日に学会本部から横浜池田講堂に異動となっていた。
 本部には、もう野口しかいなくなった。

 野口は、2年前に行なわれた監査を思い出しながら、岩手副会長が茨城氏に話した「私は会長に言われた通りにやりました。会長に言いなさい!」との発言に思いを巡らせる。
 2か月半前の平成22年2月8日にも、師匠の御子息である宮城副会長を訪ねて第一庶務に行ったが、第一庶務の最高責任者の群馬副会長から、「会長のところに行きなさい!いいから会長のところに行きなさい!」「会長のところに何度でも行きなさい、青年なんだから!」「会長が責任者なんだから会長のところに行きなさい」と繰り返し伝えられた。
 最高幹部が皆、原田会長に会いに行くように言うのである。

 師匠は原田会長に対して、「原田会長は『若さ』もある。『経験』もある。威張らない。否、絶対に、これからも威張ってはいけない。学会は、いよいよ『本門の時代』に入った。原田会長が同志を立派に育て上げ、同志に尽しに尽くし抜いて、後世に光る『広宣流布の指導者』となりゆくことを私は期待している」と仰せになられた。
 だからこそ、創価学会の責任者である会長に選ばれた人でもある。
 今回の問題は、本部指導監査委員会が、本部職員から誹謗中傷された会員を悪人に仕立て上げ、本部職員である青年部最高幹部の不正を隠した問題であり、「学会本部の問題」である。この問題は、原田会長に報告しなければならない。その報告を受けることは原田会長の責務のはずだ。
 しかし、原田会長は私たちの面談の申し入れをこれまでずっと断っていた。職場の会合で私たちを暗に非難したこともあった。

 師匠ならばどうなされるのか。何が正しい行動なのか。悩んだ。必死に祈り続け、師匠の言葉に何度も立ち返った。

 「途中で途絶しては対話とはいえず、真の対話は、間断なき持続的対話として貫徹されねばならない」(名誉会長指導)

 やはり、自分の中の諦める心に負けてはならない。師匠は原田会長を信頼されている。原田会長を信じ抜き、もう一度、話を聞いて頂くお願いをしよう。真実を知るために、会員の無実を証明するために、何度でも対話を求めていくことが弟子としての道のはずだ。
 題目をあげ勇気を奮い起こし、正しいと信じることをやり続けるしかない。何度断られようとも怒鳴られようとも、前に進む以外に道はない!

 滝川や小平、茨城氏の地方への異動を思うと、不安がないわけではない。最高幹部に会いに行くときには、いつも臆病の心が出てくる。自分は本当に弱い。しかし、自分は師匠の創られた創価を守るため、会員に尽くし抜くために本部職員になったのだ。自分の師匠は池田先生である。
 何としても、会員の正義を証明するために自分自身を使わせて頂きたい!断じて師匠への誓いを果たす!
 一人学会本部に残った野口は、原田会長宛に書き綴った再監査をお願いする手紙を携え、会長を訪ねるのである。


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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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