■㉑ 第3回「4.29東北座談会」の報告と私たちの決意

 先日4月29日、新緑の青葉が茂る仙台城から程近い戦災復興記念館で、第3回東北座談会を行なわせて頂きました。当日は雨の予報でしたが、同志の皆様の力強いお題目のお陰で見事に雨を吹き飛ばし、快晴の青空の広がる中で座談会は大成功で行なうことが出来ました。本当に、本当にありがとうございました。
 さらに、当日までに「東北座談会の大成功を祈っています」との真心こもるメールを下さった、大分、福岡、山口、岡山、兵庫、大阪、香川、愛知、静岡、埼玉、神奈川、東京、千葉、秋田、福島、さらにはオーストラリア、アメリカの同志の皆様、熱きエールを送って下さり本当にありがとうございました。
 また会合当日には、震災で甚大な被害を受けておられる九州の同志の方が、余震が続き復興の戦いで大変な中にもかかわらず、「明るく、楽しく決意溢れる大会になることを祈っております。」との心温まるメッセージを贈って下さいました。共戦の深き御心に、ただただ感謝しかありません。
 より一層、引き続く地震の鎮静化、降雨災害が起きないこと、被災された方々の怪我や病気のご回復、そして一日も早い住宅や街の復興を真剣に祈らせて頂きます。

 今回の東北座談会は、約20名の方が集って下さいました。初めから全員が車座となり、場内スタッフで就いてくれていた地元神奈川の同志の皆さんも輪の中に入り、アットホームな雰囲気で始まりました。
 はじめに、滝川の母である滝川光子さんが体験談を話して下さいました。
 東北・福島県出身の光子さんは、郡山市の看護学校に通う学生時代に創価学会の信仰に巡りあい、今年でちょうど入信50年目という節目を迎える。光子さんは、「今回、東北の地で体験発表することは万感の思いです。東北への御恩返しをさせて頂きたい。」と出発前に語られる。
 かつて光子さんは、余命3か月という末期直前のスキルス性乳癌を、信心で克服された体験がある。それから11年が経った昨年、恐れていた癌の再発が発覚したが、必死の祈りと闘いで骨転移した癌が完全に消えるという奇跡を起こす。
 光子さんは、“信心のお陰で与えて頂いた我が命を、全て創価のため師匠のために使わせて頂きたい。”そう深く決意し、息子が学会本部から解雇されて以降、原田会長に対して10通の手紙を書き続けている。
 一途に師を思う創価の母は、「私にはやるべき戦いがある!負けるわけにはいかない!」と叫びながら苦難の嵐を乗り越えてきた。その壮絶なる今日までの闘争の半生を語って下さった。参加した皆が心を震わせて聞き入っていた。
 ハンカチで涙を拭うご婦人もいる。光子さんの声にも力がこもる。
 最後に光子さんは、意を決して語る。
 「何としても、私は原田会長と対話するまで諦めません!師匠が望まれる対話のある創価に変革するまで、私は絶対に、絶対に生き続けます!」と。
 生涯青春の創価の母の深き決意に、会場の誰もが目頭を熱くした。母の隣に座る息子の私も、込み上げる涙を抑えきれませんでした。この純粋な母から生まれることができたことが、私の最大の幸福であると改めて感謝し、更なる戦いへの決意を深くしました。

 続いて、横浜と関西の座談会に続き、今回の東北座談会でも、常に一人立たれて戦い続ける天野達志さんに体験談をお話し頂きました。天野さんは、今回も遠く愛知県から新幹線で駆けつけてくださいました。本当に、本当にありがとうございました。
 天野さんは、国会で3人の憲法学者が揃って「安保法案は違憲である」と発言したことを機に、公明党に疑問を持つ。一信仰者として、また一弟子として、その疑問を有耶無耶にすることは出来なかった。
 そして、「ひとりの学会員」として立ち上がり、安保法案の白紙撤回を求める署名活動を開始する。ホームページを立ち上げ、実名と住所、連絡先もすべて公表した。
 自分の全てをなげうつ天野さんを突き動かすものは何であったか。
 それは、“これまで応援してきた公明党に「立党の精神」に立ち返ってもらいたい”との公明党を憂う切実な思いであった。
 天野さんは、現場組織でも副支部長として一歩も引かずに戦われ続ける。そして、現在も国会デモや講演会に立ち、語り続けている。
 「安保法制は仏法の生命尊厳の教えと池田先生の平和思想に反している」
 「支援したくないのではない。支援したくでも出来ないのだ。」と。
 天野さんの間断なき正義の闘争の体験談は、参加者の心に、さらに一層の決意の炎を燃え上がらせました。
 私たちも、常に率先垂範で戦い続ける天野さんの連続闘争のお話に、限りない勇気と希望を頂き、さらなる連帯の拡大を決意させて頂きました。

 私たちもお時間を頂戴し、「今後の決意と目標」を話させて頂きました。
 今回私たちは、現在の私たちの生活と戦いを支えて頂いている地元の同志の方々との体験談を中心に話をさせて頂きました。私たちが今日まで戦ってくることができたのは、地元の同志の皆さんが共に戦い、支えて下さったからに他なりません。
 師匠池田先生のお陰で、私たちは、師弟不二に生き抜く真実の同志に出会うことができた。そして今は、創価を憂う全国、全世界の同志の皆様と共に戦わせて頂くことができる。これ以上の幸福はありません。
 こんなにも幸せにして頂いた我が人生を全て、師匠のため、創価のために捧げ抜きたい。それが師と同志への僅かばかりのご恩返しであるとの思いで、創価変革を絶対に最後まで諦めず、断じて戦い抜くことを決意させて頂きました。
 最後に、全員で、師匠が愛する東北同志のために作詞・作曲された学会歌、「青葉の誓い」を大合唱し、式次第は終了しました。

 式次第が終わると、自然と自由座談会が始まる。一人のご婦人がさっと手を上げられ、自らの思いを率直に話される。
 「今朝のね、聖教新聞の一面に、『昨日、先生が第二別館の方で勤行された』と出ていました。『原田会長以下は別の所で』ということで。原田会長の写真なんかいらないんですよ、私は!」
 「池田先生はご高齢だし、ご病気になられているというのは、皆さん承知していることだと思います。ありのままの先生の姿を見せて欲しい、事実、真実を!」と。
 すると、ある地区部長の方も顔を紅潮させながら語られる。
 「そのほうが我々も祈る時に『先生はこういうご病気で、こういう状況だから、御健康を祈ろう』と、具体的な祈りに変えられると思うんです。でも新聞ではただ単に、『お元気な池田先生が』ってことだけじゃないですか。そこは本当にね、いい加減にしてくれって話ですよ。」

 皆が賛同の思いで頷く中、同志の京都氏が語る。
 「先生が表舞台に立たれていた時には、選挙の戦いが激しくなっても、その都度、先生の温かな姿と真心と、どれだけ今の戦いが大切かということを伝えて下さっていました。それが、今では『先生のために』『先生にお応えしよう』と叫べば皆が納得して戦ってくれると思い、その言葉と運動論だけが展開されていく。」
 間髪入れずご婦人が、「誠に都合のいい、便利なお言葉でございます。」と呆れた表情でつぶやく。
 皆が、“その通り”との顔で頷いている。
 野口が、「本来、納得が無ければ人間本当の力は出ないんですけどね。」と話す。
 続いて細身の壮年の方が、悲憤の声で語り始める。
 「命の底からスッキリこないんですよね。今まで僕も選挙の戦い散々戦ってきましたし、先生が指揮をとられて、公明党もある程度実績を出しましたから、まさか戦争に加担するなんて思ってもいなかった。それこそ、池田思想のままに平和思想でやってきていると思っていた。」と。
 すると、最初に話し始めたご婦人が怒りに身を震わせ、
 「今回の安保の問題で、私と主人は30年以上続けてきた公明党の党員を、去年、降ろさせて頂きました。」と告白する。

 ご婦人が公明党の党員を辞めたくて辞めたわけではないことは、その場の誰もが感じていた。
 創価三代の絶対平和主義に違背する安保法制。会員は師匠を思うがゆえに、師匠が創られた公明党を支援したくても、支援できないのである。
 しかし、今の創価では「公明党がおかしい」と言えば村八分にされてしまう。

 自然と話題は、今の創価の実態について話し合う流れとなった。
 “そもそも対話の創価なのに、納得の対話が無くなっていることが根本の問題なのだ。”
 さらには、“多くの学会員がおかしいと感じても「しょうがない」と諦めてしまっていることが最も問題なのではないか。”と。

 皆の話を聞いていたご婦人が口を開く。
 「今まで上から言われたことをそのまま素直にやるのが信心だと思ってきました。上が言うことを『先生が仰ること』っていうふうに捉えてもきました。」
 そして、ご婦人はハンカチを握りしめながら、
 「先生がお出になられなくなってから、理解できないことばかりの状況になってしまっています。でも今、こうやって少しではあるけれども、皆さんと声を上げられる。先生が、『頑張れ、頑張れ』、『今が時だよ、時だよ』、『目覚めなさいよ』って、言って下さっているように思うんです。」と語られる。
 すると京都氏が話し始める。
 「そのために、先生がこの状態で生きて頂いているのではないでしょうか。」
 さらに京都氏は確信を込めながら語る。
 「最後に民衆が立ち上がることを、先生は望んでいるのではないでしょうか。『これで創価は安泰だ』っていうふうに思って、先生は次の生命の世界へ指揮を執りに行かれるのではないかという感じがします。先生があと何年生きられるか分からないという中で、職員ではなく、執行部の上からの命令ではなく、民衆が本当に自ら立ち上がる時っていうのを作っていかなければいけないと思うんです。」と。

 すると、それまで皆の話を頷いて聞いていた東北の壮年の方が、声を弾ませながら話し始める。
 「今日の皆さんの体験を聞かせて頂いて、本当に久しぶりに戦っている響きのある声を聞かせて頂いたなと感じています。」

 その壮年の方は、長年、現場組織の中で公明党議員や本部職員、幹部の不正と向き合ってきた体験を語られる。
 “かつて男子部時代に、おかしな議員や本部職員がいれば地元の男子部の同志と一つ一つ協議し、東北方面の幹部に対処を求めるなどして声を上げてきた。そして、第二次宗門問題の時にも、悪い日顕宗の坊主を徹底的に糾弾し、地元から追い出した”と。
 そうした破邪顕正の戦いをやり抜く中で、創価の清浄な組織は護られ、議員や本部職員の不正を抑えることができたのではないかと語られる。
 しかし、今では、不正に対して下からの声を上げる青年部がいないことを危惧される。
 さらには、5年前の東日本大震災のことに触れられる。
 「あの震災を、あの悲劇を見たら普通では居られなかった。たまらなかった。被害をいっぱい受けている状況の中で、原発だけは怖かった。」と。
 その眼にうっすらと涙が滲む。先の見えない原発問題は、東北の方々に重くのしかかっていることをあらためて認識させられる。
 壮年の方は、御本尊に祈りながら必死に考え、自問自答を繰り返してきた胸の内を語られる。
 “なぜ東北に震災が起きたのか。なぜ福島で原発問題が起きたのか。”

 一人悶々としながら考える中で、いつしかその疑問は、東北の地から変毒為薬の戦いを起こしゆく熱き決意へと変わっていく。あの男子部時代に戦った悪との闘争、つまり公明党議員や本部職員の不正に声を上げるために立ち上がらねばならない時が必ず来ると。
 そして今、創価三代に違背した安保法制を推進する学会本部に対し、一念発起して戦う決意を語って下さったのである。
 すると、壮年の隣で黙って話を聞いていたご夫人も、意を決して話し始める。
 「私も今日この場に参加して、言うべきことはしっかり言わなければいけないと思いました。」
 その凛としたご夫人の声に、会場には感動と決意の輪が一気に広がる。
 隣に座っていた20代の東北の若き青年部の方も、微笑みを浮かべ、目を輝かせながら聞いている。
 夫婦二人三脚で、震災にも負けずに戦い抜いて来られたご夫妻の並々ならぬ決意に、これぞ信仰者の不撓不屈の精神があった。

 最後に、その壮年の方が力強く語る。
 「常に先生という思いがずっとありました。たとえ変な幹部がいても、池田先生が全部分かっているという思いで戦ってきました。しかし、今は先生がいないのと同じです。そろそろ立ち上がらないとまずいと思っています。」
 さらに壮年は、意気軒昂に語られる。
 「今日の体験談と皆さんの姿を見させてもらい、ずっと私は悶々としてきたんですが、いよいよこれからです。今までは学会を護るために破折の資料を作ってきましたが、今度は学会を破折しなければならない!」と。
 会場は戦う熱気に溢れ、大拍手が沸き起こる。
 皆が、共戦の熱き誓いを胸にたぎらせ、“何としても、師の仰せ通りの本来の創価へと変革していきたい”との決意と歓喜の中で、東北座談会は終了時間を迎えた。

 私たちは、その日のうちに地元に戻り、翌日から東北座談会の報告ブログを書き始めました。
 集われたお一人お一人の真剣な声が蘇ってきました。
 皆、師匠を思うがゆえに、師匠が創られた公明党に頑張ってもらい、支援をしたいと思っていた。しかし、今の公明党は安保法を成立させ、日本を戦争に参加できる国にし、さらに「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」との答弁書の閣議決定にまで加担している。
 もはや、完全に創価三代の思想とは真逆の方向に驀進していることは、誰の目にも明らかである。

 現場では真面目な学会員が、これまで30年以上務めてきた公明党の党員を降りられ、「これ以上は支援できない」と表明される。
 さらには、安保反対の意思を表明した地区部長が正役職から外され、「現場組織で安保反対の話をしてはならない」と徹底される中、それでも必死に忍耐の対話を続けているのである。
 しかし、学会本部はそうした実態には目も止めず、公明党の支援を全国の会員に徹底しているのである。

 学会本部よ!
 学会員は、本部の駒ではない!!
 学会員は、執行部の駒ではない!

 学会員こそ師匠の命そのものなのだ!!
 それが 師の教えであり
 正義そのものなのだ!

 ならば、
 友よ!
 会員のための創価へと
 勇気の声を上げるべきだ!
 今こそ! 今こそ!
 創価変革の声を上げるべきだ!
 宗教改革をする時は
 今なのだ!

 師匠が居られる
 今しかないのだ!

 “我が弟子よ!立ち上がってくれ!”
 “たのむ!立ち上がってくれ!”と
 必死に祈る
 師のために!!

 立ち上がる時は 今なのだ!!
 友よ! 今なのだ!!


「もはや、“もの言わぬ大衆”であってはならない。
一方通行の受け身に甘んじてはならない。
たとえ一人であっても、言うべきことは言い、抗議すべきことは抗議していく。これこそ真の『人間』である。
そうした主体性のある個人の連帯が、新しき時代の扉を開ける“カギ”である。」
(名誉会長指導)







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プロフィール

Author:創価学会元職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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