第12 池田名誉会長への手紙を山梨女史に託す(H23.3~H23.6)

「信仰は、観念論ではない。『行動』こそ、真実の信仰の証である」(名誉会長指導)

「大事なのは行動だ。あれこれと考え、議論をしていても、それだけでは何も変わらない。『深き祈り』と『勇気の行動』。この不断の積み重ねが、一切の壁を打ち破る原動力となるのである」(名誉会長指導)

 真実の信仰とは行動である 
 行動にこそ
 人間の人間たる真実の価値がある
 しかし
 行動には常に悩みと葛藤が生じる
 「今、行動を起こす時なのか」
 「理解は得られるのか」
 「他に良い方法があるのではないか」

 頭で考え悩み抜くことも良い
 友と議論を重ねることも良い
 また
 深き祈りに向かうことも重要だ

 しかし最後は
 「正義の行動」
 そして
 「勇気の行動」を起せる
 私でありたい
 そのための悩みであり 祈りでありたい

 ゆえに
 私は今日も
 師と共に
 たとえ小さくても
 勇気の一歩を踏み出すための
 1日を生き抜きたい


 平成23年2月、私たちは、何としても師匠に学会本部と本部職員の問題を伝えるために、師匠の側近である山梨女史に出すための手紙を書き進めていた。
 前回、平成23年1月19日に出した山梨女史への手紙には、本部の決定に従わない人間に対しては、地方への配置転換という制裁人事を行使してでも排除するという学会本部の強権的な実態について書いていた。さらに、今、本物の弟子が立ち上がらなければ、万代にわたる創価の発展は途絶えてしまうと訴えた。創価は刻一刻と血が通わない硬直化した組織になってきている。時間は無かった。
 そして、その手紙の最後には、「無理ならば無理と一言でもお伝えして頂きたい」と書き記したのである。しかし、1か月以上過ぎても返事は無かった。
 しかし、簡単な問題ではない。相談できる人もいないのかもしれない。山梨女史が本部の実態の深刻さを認識すればするほど、一人悶々と葛藤されているのではないかと思えたのである。
 山梨女史から返事を頂くことは難しいかもしれない、との考えが一瞬頭をよぎる。しかし、はっきりと「無理」と伝えられているわけでもない。可能性がある限り、山梨女史を信じ、手紙を書き続けることが大切なのではないか。
 官僚的で硬直化した今の学会本部の体質を考えた時、やはり今の創価学会の最高責任者である執行部、特に原田会長と対話をしなければ、創価の変革は始まらないと感じた。しかし、何度懇願しても原田会長と対話ができない。だからこそ、師匠に全てをご報告し「原田会長と対話させて頂きたい」とお願いできないか。
 “甘えている”と師匠に叱られるかもしれない。しかし、どれだけ自分が師匠に叱られようとも、それは弟子として受け止める覚悟である。今の学会本部の現状を看過するならば、それこそ師匠に対する忘恩の行為であり、間違っている。
 師匠への御報告を諦めることは絶対にできない。それは、己が創価の問題から逃げることであり、己が立てた師への誓いを裏切る行為である。そして、それは自分にとって“生きながらの死”である。

「学会内に起こった事件を私に対して、先生にかくしておれという事は、私に先生の敵になれというのか、私が先生に学会の事を『かくし事』をしたならば、その日から私は弟子だという事ができるものか、そんな考え方は私の境涯には無い」(名誉会長が引用された戸田先生の指導)

 もっとも苦しい今こそ、自分が試されているのではないかと思えた。師匠への扉を開くのは自身の一念であり、勇気の一歩で切り開くしかないと思えた。
 せめて、山梨女史が自分たちに返事をすることや、会って頂くことが難しかったとしても、山梨女史から師匠に学会本部と本部職員の問題を書いた手紙を渡してもらうことはできないだろうか。むろん渡して頂けない可能性もある。
 しかし、いくら考えても結論は出ない。ならば、行動するしかない。
 今自分が出来る唯一の行動は、山梨女史への手紙の中に師匠宛ての手紙を同封し、山梨女史に師匠に届けて頂けるよう、誠心誠意お願いすることではないか。
 
 私たちは、山梨女史宛の手紙に、師匠への手紙を同封して出すことを決める。四国の野口、九州の小平、神奈川の滝川、広島の茨城氏は、必死に師匠と山梨女史への手紙の内容について話し合う。
 「師匠は、私たちの想像も及ばないほど、多忙を極めておられるはず。その激務の中で、師匠に手紙を読んで頂く時間を取らせてしまって良いのだろうか」、「本来ならば、弟子である職員が、師匠の手を煩わせることなく解決すべき問題であり、本部職員の問題をお伝えする手紙を送る事自体、世界広布の指揮を執られている師匠の戦いを止めてしまうのではないだろうか」、「それでも、会員の正義を証明しようとする行動が、師匠の仰せに照らして間違っているとは思えない」、「行動を起こさなければ、師との誓いを破ることになるのではないか」
 何度も何度も話し合い、葛藤しながら推敲を重ねる。
 そして紡ぎ出した師匠への手紙は、自分たちが9年に渡って体験してきた経緯(時系列)と、師匠に手紙を書かせて頂いた想いを綴った内容と、あわせて58頁に渡る内容となった。
 祈りを込めて、一文字一文字、書き綴った。

 「先生のお時間を頂戴しこの手紙をお渡しすることは、先生の戦いを阻む破和合の行為ではないかと悩みました。この問題に出会ってから2年半、先生にお伝えすることは弟子として甘えがあるのではないかと悩み抜きました。偉大なる師匠の弟子として正義の行動がしたいと真剣に祈り続けて参りました。
 祈る中、創価万代の発展に尽くす祈りと行動こそが、正義の人生であると心から思いました。そう思った時、今この時を外して先生との誓いを果たすことは出来ないと思ったのです。大好きな創価のために、弟子の誓いを果たすため、弟子が乗り越えなければならない創価の問題点を先生にお伝えし、必ず必ず乗り越える決意をお伝えさせて頂きたいと思いました」

 「誰よりも師匠を求め戦っていた民間の青年部4名(兵庫、京都、木本秀信、島根)は、解任処分後も、『彼らが解任となった理由については一切聞いてはいけない』『会合等の連絡を積極的にする必要はない』と耳を疑うような内容が組織で徹底され、まともに会合の連絡すら頂けない状況です。解任通達の際に『一会員として全力で戦うように』と伝えられたにも関わらず、組織の活動すらまともに参加できない状況なのです。
 この9年を振り返る時、解任のきっかけとなった、9年前に学生部で起こった出来事は、今の創価の問題点を知るきっかけに過ぎませんでした。未熟な自身ではありましたが、ただただ『現場の会員さんのために』との思いで戦い続けて参りました。その私たちが、一連の問題に出会い、創価学会の現状、学会本部の問題点、執行部の対応を知ることになりました」

 「先生、お願いがあります。会長と対話をさせて頂きたいのです。本来、師匠にお願いをすること自体、弟子として負けの姿であると思っています。しかし、会長に20回以上懇願してきましたが、一度も話を聞いて頂けることはありませんでした。この本部職員の問題を通し、現場で感じ体験してきた職員が乗り越えるべき課題をお伝えさせて頂きたいのです。『対話』こそ、組織の生命線であることを伝えさせて頂きたいのです。ありがたくも、こうした問題に出会えた意味を果たさせて頂きたいのです」と。

 そして、山梨女史への手紙にはこう書き綴る。

 「山梨様、どうかたった一度でいいのです。私たちの話を聞いて頂くことはできないでしょうか。そして、もしそれが難しいのであれば、創価の為に命を削られている池田先生に私たちの先生宛てのお手紙をお渡しして頂けないでしょうか。師匠に、原田会長はじめ執行部の方々と対話をする機会を頂きたいとの思いをお伝えさせて頂きたいのです」

 「このまま、創価の世界にあって『対話』が閉ざされ続ければ、先生が命を懸けて築きあげた『対話の創価』を、弟子の手で壊すことは免れないと思うのです。師の創価を守りたいと祈り抜く中で、なんとか私たちの思いを手紙に書かせて頂き、そのお手紙を先生にお渡しして頂けないものかと思ったのです。なんとか、なんとかお渡しして頂けますようお願い致します」

 平成23年3月27日、師匠への手紙を同封し、山梨女史へ手紙を郵送する。
 その日から、私たちは手紙が師匠のもとに届くことを真剣に祈り続けた。
 師匠は職員全体会議の席上、仰っていた。「手紙をよこしなさい。真実の手紙を。間違っていたら絶対に信用しないよ」、「嘘があったら厳しくするよ」と。
 師匠に手紙が届くならば、いかなる結果であろうともすべて受け止める覚悟である。自分がすべて正しいなどとは微塵も思っていない。師の仰せ通りに生き、師匠と民衆によって築き上げられた創価を護るために己の命を使わせて頂けるならば本望である!

 野口の妻、そして野口の戦い
 
 地元組織では、野口の妻・桃子が入会して初めての折伏に挑戦していた。
 桃子は言う。「裕ちゃん(野口)や同志の皆さんに出会って、創価学会は素晴らしいところだと感じることができた。『目の前の友を救う』という最高に幸せな人生を教えて頂いた。今度は私が、目の前で悩んでいる友だちに信仰の偉大さを伝えていきたい。」と。そして、自らの体験を元職場の友人に語っていく。
 同じ地区には、平成20年の監査の誓約書に従えないことを理由に役職解任処分となった会員京都氏やその妻もいた。同志たちは、丁寧に桃子の友人に信仰を伝え、親身になって友人の悩みを聞き、共に題目を上げ、折伏を応援してくれる。友人は次第に、同志たちへの信頼を深めていく。そして、それはそのまま創価学会に対する理解に繋がっていった。
 友人は語る。「私のことを真剣に思ってくれて嬉しい」、「皆さんから勇気をもらった。私も強くなりたい」と。
 平成23年3月20日、友人は、桃子や会員同志たちの真心と熱意に触れて入会を決意。毎日真剣に題目に挑戦する。そして4月21日、桃子はその友人に、晴れて御本尊を流布することが出来た。

 同日、四国の野口は、以前から面談をお願いしていた四国の最高責任者である宮崎方面総合長に妻の折伏が実ったことを報告する。
 そして、「選挙が終わったら懇談を宜しくお願いします」と。
 宮崎総合長は、「ああそうだったね」と答え、面談の日時は平成23年4月27日の昼に決定する。
 野口は面談に向けて必死に祈り始める。
 地元に残された会員同志たちは、役職解任処分にされ反逆者のレッテルを貼られ、会合の連絡さえ来ない状況に置かれている。それでも懸命に、折伏・弘教、選挙支援活動と、出来得る限りの信仰活動に取り組んでいる。
 この会員同志たちの正義を自分は絶対に証明するんだ!師匠の仰る“会員のための創価”、“対話の創価”を断じて取り戻すんだ!

 「会員に尽くすことが、御本尊に尽くすことになる。それが広宣流布に尽くすことになるのである。自分は偉くない。偉いのは、広布へ戦う同志である」(名誉会長指導)

 面談当日、野口は、自分の配置転換の理由を、本部からどのように聞いているのか尋ねる。
 宮崎総合長は、「そんなに詳しいことは聞いていないんだよ」、「本部指導監査委員会にかかって役職解任になっていることは聞いている」と。
 野口は、学会本部から四国最高幹部に伝えられていない事実を、自分の口から説明したいと思った。しかし、宮崎総合長は、その後自らの青年時代の信仰体験を語り続ける。
 その間、野口は何度か、自分と会員が役職解任処分を受けた経緯、そして学会本部の問題を話そうとするが、話題はそらされ、結局30分ほどで面談は終了となる。
 宮崎総合長は席を立ち、応接室を出ようとする。
 野口は、「本部で実際にあった出来事を聞いてもらいたいので、今後もまた話をさせて頂きたいです。よろしくお願いします」と伝え、一礼した。

 野口は懇談の様子を振り返る。
 宮崎総合長は、野口の話を真っさらな状態で聞く状況ではないように感じた。学会本部から“本部の指導に従わず誓約しなかった職員”との偏見が植え付けられているように思えた。
 やはり学会本部という根元が変わらなければ、四国幹部の自分に対する認識も変わらないと感じるのである。
 自分は、本部から四国へ発つ時、共に解任処分にあいながらも懸命に戦う会員同志の正義を証明すると師に誓った。その誓いを果たすには、己の断じて諦めない一念と行動である!一刻も早く本部に戻り、何としても原田会長との面談を実現させ、会員同志の正義を証明しなければならない!
 野口は、山梨女史と原田会長からの返事が来ることを必死に祈り、待ち続けた。

 滝川が会員島根氏と会う

 平成23年5月、滝川は、共に役職解任処分となった会員島根氏と会う。会員島根氏は滝川の4つ下の学生部時代の後輩である。
 各々近況を伝え合い、師匠のことを語り合った。そして、自然と島根氏が学生部時代に体験したことを改めて詳細に聞くこととなった。

 島根氏が学生部員だった平成16年9月、本部職員の和歌山氏は、当時の岐阜全国学生部長の指示で隣の総県から派遣され、島根氏の所属する総県の学生部長に就任する。
 そして和歌山総県学生部長は、平成16年から18年にかけ、300人から1000人の学生部員が参加する会合の場で、その時すでに学生部を卒業していた京都氏や私たちなど和歌山氏が来る以前の総県、分県幹部たちを指して、「京都は暗黒時代をつくった人間だ!」「前体制(私たちや京都氏が学生部幹部の体制)は暗黒時代だった」と繰り返し誹謗中傷し続ける。
 島根氏は、自分が信仰するきっかけを作ってくれた先輩たちを批判する本部職員の和歌山総県学生部長の言動に悩み苦しんだ。
 島根氏は、来る日も、来る日も題目を上げ続ける。そして、和歌山総県学生部長に先輩たちを非難する理由を聞こうと決意する。

 島根氏は和歌山総県学生部長に質問した。「なぜそんなことを言うのでしょうか?」、「何を根拠に先輩方が間違っていると言うのでしょうか?」と尋ねる。
 和歌山総県学生部長は、「京都らは派閥を作っていた。」、「部員さんを傷つけた。」と。
 島根氏は信じることができない。絶対にそんなことをするような先輩たちではない。
 島根氏は、「そもそも本人に確認したのですか?」と尋ねる。
 和歌山総県学生部長、「していない。」
 島根氏、「なぜ当事者に確認してないことを言えるのですか?」
 和歌山総県学生部長、「情報は間違いない。」
 島根氏、「傷ついた部員さんとは誰のことですか?」
 和歌山総県学生部長、「それは答えられない」

 島根氏は、和歌山総県学生部長が“認識せずに評価をしている”のではないかと感じてならなかった。しかし、「前体制は間違っていた、暗黒時代だった」との話は学生部員までにも広がりどんどん不信が植え付けられていく。
 さらに、和歌山総県学生部長のもとにいた学生部幹部たちも、徐々に和歌山氏の影響を受け、会合で「過去の暗黒時代はひどいと思いませんか?皆さんいかがでしょうか~?」と、参加する学生部員に同意の拍手を求める行動を取るようになっていく。
 次第に全く関係ない純粋な学生部員までも、“前体制(私たちや京都氏が学生部幹部の体制)は間違っていた”との認識に染まっていく。そう認識しなければ幹部からの「指導」という名の説得が待っていた。
 島根氏は、前体制が間違っているとは思えなかった。むしろ和歌山総県学生部長時代の学生部の方が苦しく、理解し難い組織に感じていた。
 会合は深夜1時をこえる非常識な時間まで行われ、言葉遣いは乱雑になっていった。総県学生部幹部会等の大きな会合では、和歌山総県学生部長が登壇する際にはアニメの曲を流し、必ずといっていいほど、壇上から食べ物を投げるパフォーマンスが行なわれる。そして、本部職員の和歌山氏(総県学生部長)は他の幹部と共に、頻繁に個人会館で飲酒や寝泊りを繰り返し、そこから聖教新聞社に出勤していた。
 平成17年9月の国政選挙の投票日前日には、会合後、前夜祭と称して個人会館を使い、飲み会が行なわれた。後輩の学生部員に酒を買いに行かせ、さらにバイクで来ている学生部員に対しても飲酒を勧めるなど、その振る舞いは創価学会の幹部として、また本部職員として逸脱していた。
 さらに、島根氏が参加したある会合では、滝川の職場の後輩である本部職員の学生部幹部が参加していた。その学生部幹部は滝川の職場パソコンのデータを滝川に無断で印刷した書面を持参し、その場にいた別の幹部がその書面を使って、滝川を非難していたのである。本部職員である幹部が、学会本部の職場内の情報を本人に無断で持ち出し、さらに会合で平然と語る姿に、島根氏は衝撃を受けた。

 島根氏は、日に日に会合に行くのが苦しくなる。眠れない日が続く。しかしどんなに苦しくても“先輩・同志、そして師匠に守られてきた感謝を忘れずに戦おう”、“若輩者であっても、一生涯、同志の為、師匠の為に命を懸けて戦おう”と決意し続けたのである。

 さらにその後、和歌山氏の後任として、総県学生部長になった公明党職員の佐賀総県学生部長も、和歌山氏同様、会合の場で、前体制(和歌山氏以前の総県幹部たち)への非難を繰り返すことになる。
 佐賀総県学生部長は、前体制への批判に同調しない島根氏らに対して、嫌悪感をむき出しにした。「君は“前体制の命”が残っている。病気だ」と。
 島根氏は勇気を出して、佐賀総県学生部長に質問する。「『前体制の命』とはどんな命ですか?」、「なぜ先輩方を間違っていると言うのですか?」と。
 すると佐賀総県学生部長は、「君の話はもう聞かない。分からないならそれでいい。今度、『前体制の命』を出したら君を切る(学生部を卒業させるとの意)」と言い、「今後『前体制の命』を出さない」との誓約書への誓約を迫る。
 島根氏は、絶望的な気持ちになる。脅し以外の何ものでもない。
 島根氏が誓約書の提出を断ると、佐賀総県学生部長は他の幹部や学生部員に、「島根の話すことは聞かないように」と徹底し始める。
 島根氏は学生部の皆から無視をされるようになり、共に人間革命に挑んできた同志たちとの信頼関係は一気に破壊された。自分が折伏した友人からも、「先輩から、『島根の話は半分聞いておけばいい』と言われた」と伝えられ、無視されるようになったのである。完全に“組織的ないじめ”であった。
 最後は、佐賀総県学生部長から、「前体制の命を出したね。君は学生部を卒業だ」と言われ、学生部から卒業となるのである。

 滝川は、あらためて島根氏の話を聞きながら、当時を思い返していた。
 やはり何度考えても、本部職員のおかしな行動に苦しみ、勇気を出して声を上げた会員を犠牲にし、本部職員の不正行為を隠蔽する監査の結論は間違っていると感じてならなかった。
 当時を振り返れば振り返るほど、滝川は怒りが沸き起こってきた。絶対に、健気に戦う会員を犠牲にした本部の問題を風化させてはならない!
 一刻も早く真実を明らかにしたい!そして犠牲になった会員が、本部職員の不正に対して声を上げた勇気ある会員であり、師匠の仰せを守る弟子であることを明らかにしなければならない!

 山梨女史と原田会長に、会員島根氏が犠牲となった問題について手紙を書く

 滝川は島根氏が学生部時代に本部職員から被った数々の出来事は、師匠が“創価学会のために会員がいるのではない。会員のために創価学会があるのである”と言われる創価の組織において、決してあってはならないことの連続であると改めて思った。
 そして、今現在も島根氏は反逆者のような扱いをされ続けている。何としても自身が体験してきた創価学会の実態と問題点を師匠にお伝えし、変革していかなければならない。
 何としても師匠にお伝えしなければならない。
 師匠の側近である山梨女史には、平成23年3月27日に山梨女史宛ての手紙と師匠への手紙を同封し郵送した。しかし未だに連絡はない。
 滝川は、職場の昼休みも、歩いている時も題目をあげ続けた。何とか、山梨女史から師匠に届けて頂けないものか。無理な場合は、“無理だ”と伝えて頂きたいと、手紙に書いている。
 しかし、山梨女史から“無理だ”という返事もない。何度考えても山梨女史以外に師匠への手紙を届けて頂ける可能性のある人はいない。
 山梨女史がどのように考えておられるのか、繰り返し考えたが結局は分からない。
 ならば、山梨女史にお願いするしかない。自分で「多分、ダメだろう」と諦めることこそ、自分で自分の生き方を曲げることになる。信仰とは行動である。
 もう一度、もう一度山梨女史を信じて、手紙を書くんだ!

 滝川は、山梨女史宛ての手紙に、本部職員の不正に声を上げた会員島根氏が役職解任された事実について書き綴った。
 「島根君は明らかにおかしな言動を繰り返した本部職員幹部に対し、師の仰せのままに『おかしい』と叫び、その結果組織を使ったいじめを受け続けてきたのです。『経緯はどうあれ』と全てを切り離してしまうには、島根君の苦しんできた過程はあまりにも重要すぎるものだと思うのです」
 「何の罪もない会員さんが『解任』となっているこの事実をなんとかしなければならないのです。原田会長にお伝えさせて頂きたいのです。なぜ島根君の解任を会長が了承したのか。会長は本当にこうした事実を知っていたのか知りたいのです。
私は自分の解任を解いて欲しいと微塵も思っておりません。ただ、いじめを受け続けてきた会員が『解任』となった事実を知りながら、何も手を講じることなく生きることは、師匠への大反逆行為であると感じるのです」と。
 平成23年6月9日、山梨女史宛てに郵送した。

 山梨女史に手紙を出す一方で、私たちは、原田会長との懇談のアポイント申請に対して、原田会長から返答が来るのを待ち続けていた。

 原田会長がご多忙であることは重々承知している。会長秘書の徳島部長からは、「会長がすべての手紙に返答している訳ではない。だから、返答をお願いする手紙を書いたらどうか」と提案され、返答をお願いする手紙もこれまで2通出した。
 しかし、一度も返答は無い。
 本当に一度でいい。何とか、原田会長と話をさせて頂きたい。会員同志は反逆者のレッテルを貼られたままである。こんなところで弟子としての生き方を諦める訳にはいかないのだ!

「人生は、地に足をつけて、一歩一歩進んでいくことだ。一度に頂上には登れない。一歩一歩、忍耐強く歩む人が、最後に必ず勝つのである」(名誉会長指導)

 師匠のお言葉には素直に涙が出てくる。涙が止まらなくなる。御本尊様、己の命はお願いですから、先生のために使わせて下さい。自分の願いは本当にそれだけなんです。

 目の前のやれることを一歩一歩やっていく以外に、前進も問題解決もない。今できることを、一つ一つやっていく以外に道はない。
 原田会長宛ての手紙に、山梨女史に書いた手紙と同様に、島根氏が体験してきた本部職員の振る舞いについて具体的に書く。
 そして、「何の罪もない会員さんが『解任』となっているこの事実だけはなんとかしなければならないのです。原田会長はここまでの事実があったことをご存じないのではないかと思ったのです。だからこそ、原田会長に直接話しを聞いて頂きたいと思っているのです。
 私たちは自分の解任を解いて欲しいと微塵も思っておりません。ただ、いじめを受け続けてきた会員が『解任』となった事実を知りながら、何も手を講じることなく生きることは、師匠への大反逆行為であると感じるのです」
 「原田会長、お願いします。一度でいいので話を聞いていただけないでしょうか。どうかどうかお願い申し上げます。何卒、何卒宜しくお願い致します」と、一度話を聞いてもらうことを必死に懇願する。
 そして、平成23年6月11日、郵便局から、原田会長宛てに懇談を求める3度目の手紙を祈る思いで出すのである。

 職員懲罰委員会からの呼び出し

 それから2週間が過ぎた平成23年6月27日、私たちそれぞれに、職員局人事部の長崎氏から電話が来る。
 「職員懲罰委員会からの呼び出しにより、6月30日に信濃町の世界青年会館ロビーに来て下さい。」と。
 職員懲罰委員会とは、創価学会職員就業規則に基づいて、法人職員に対して懲戒の審議・決定を行なう委員会である。
 その職員懲罰委員会からの呼び出しである。
 しかし、私たちは、職務上の行為で懲罰に問われるようなことをした覚えは無かった。一体、何を審査されるのか。
 この一本の電話から、私たちが平成24年10月12日に懲戒解雇処分されるに至るまでの約1年4か月に渡る戦いが始まるのである。



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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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