第11 原田会長からアポイント申請に対する返答がないこと(H23.1~H23.3)

「真の仏法者とは、自らが本来、仏であると確信している人である。一切衆生が仏であると信じる人である。仏法で説く、生命の因果の法則を、わが信念としている人である。それゆえに何ものをも恐れず、それゆえに人を敬い、それゆえに喜々として労苦を担い、信心は即人格となって輝きを放つ。」(名誉会長指導)

「広宣流布」
それは私があなたを信じること
「人間革命」
それは私があなたを信じる自分になること

人間を信じ
人間の可能性を信じ
人間の正義と勇気を信じ抜く
それはまた
宇宙を信じ
法を信じ
生命を信じ抜くこと
 
「信じること」
それは正義であるがゆえに
深ければ深いほど
信じて騙され
信じて馬鹿にされ
信じて裏切られ 傷ついていく
そして
信じたことに疲れ
信じたことに後悔し
信じることをやめていく

人生はあくまでも自由だ
富を信じ
利害を信じる人もいる
地位を信じ
立場を信じる人もいる
でも私は
一人の名もなき庶民を信じ抜き
命をかけた師に出会った
ならば私も
一人の名もなき会員を信じ
命をかけて戦い抜きたい
それが
師が示した弟子の正義の道だと
私は信じて


 九州、愛媛副理事長の偏見

 平成23年1月11日、小平は愛媛副理事長にこれまで体験してきたことを綴った書面を提出した。そして2週間が経過した。しかし、愛媛副理事長からその書面や面談日程についての連絡は来なかった。
 前年12月の愛媛副理事長との面談は、話したいことをほとんど話せないで終えられてしまった。故郷の会員同志たちが平成21年4月に役職解任となってから、実に2年が経とうとしている。その間、会員同志たちは、不当なレッテルを貼られ、多くの会員から白い目で見られている。地元組織の男子部メンバーや地区の方々からの音沙汰は無くなり、両親には「息子さんたちは会長に弓を引いている」と幹部から伝えられ、家族との絆をも断たれた会員もいた。
 しかし、それでも偉大なる師匠の弟子であると頭を上げ、社会で戦い続け、組織のメンバーに会えば笑顔で挨拶をして友好を広げていた。
 そのような、会員同志たちこそ、先生の模範の弟子であると思った。その正しき同志たちが不当に苦しめられているのを見殺しにして、どうして自分が本部職員として生きる意味があろうか。
 師匠は、会員こそ、同志こそ、師匠の命であると叫ばれ続けている!
 一刻も早く学会本部に戻り、会員たちの無実と正義を証明しなければならない!

 愛媛副理事長からの連絡はなかったが、小平は懇談を諦める訳にはいかなかった。平成23年1月24日の昼休み、小平は再度懇談のアポイントをお願いしに行く。
 愛媛副理事長は、席に座り書類を書いていた。
 小平が、「副理事長、すみません。」と声をかけると、
 愛媛副理事長は、「んん、ああ。」と言って、席の前にあった椅子を指差して座るように指示した。
 愛媛副理事長は、「東京に帰った時に集まっているのか?」と尋ねてくる。
 小平は、一瞬、何を言われたのか意味が分からない。しかしすぐに、“本部指導監査委員会が、「組織内組織」とのレッテルを貼った会員や職員の同志たちと会っていること”を指しているのではないかとよぎった。
 小平は、「(会員や職員の同志たちと)会うことはあります」と答える。
 すると、愛媛副理事長は、「九州に来てから、これまで何回会っているんだ?」、「最近では何回あった?」、「一番最近はいつだ?」と立て続けに質問し始める。
 解任となった会員や職員たちと会うことが、まるで悪いことであるかのような話しぶりであった。
 小平は尋ねる、「なぜ、会ったらいけないのですか?」、「何がいけないのでしょうか?」と。
 すると、愛媛副理事長は、「徒党を組むな!」と吐き捨てるように言う。
 あたかも悪事を働いている人間に対する言いようである。そして続けて言った。「不正に対しては、“一人で”声を上げるべきである」と。
 そして「本部指導監査委員会から言われているんだろ!」、「そういうのが学会の行き方とは違うんだよ!」、「学会のシステムが気に入らないのなら、辞めればいい、学会を辞めればいい!」と、事務所中に聞こえる大声で話した。
 小平は、“本部指導監査委員会の結論に従え”と、間接的に言われているように感じてならなかった。しかし、なぜ、「学会を辞めればいい」との飛躍した話になるのか。愛媛副理事長の言っていることがどうしても理解できない。愛媛副理事長は自分に対し、強い偏見があり、それは去年12月の面談の時以上に強くなっていると感じられてならなかった。
 誤解があるならば、誤解を解かなければならない。小平は必死に、「なぜ、そのような事を言われなければならないのでしょうか。私は学会を辞める気はありません。」と伝える。

 その時突然、愛媛副理事長の電話が鳴った。小平は、その場に座ったまま、電話が終わるのを待つ。周りの職員は、皆、小平と愛媛副理事長のやり取りを、固唾を飲んで見守っている。
 電話が終わると愛媛副理事長は、「まあ、とやかく言いたくないから、そんな細かい事に捉われないで。前を向いて行くんだ。君のお父さんだったらそう言うと思うよ」と落ち着いた口調で話し始める。
 小平は必死に、「細かい事などではないのです。無実の会員さんが、未だに苦しんでいるんです」と伝える。
 すると愛媛副理事長は、一瞬嘲笑い、小平に冷ややかな視線を向ける。そして、「『会員が苦しんでいる、会員が苦しんでいる』って、おかしくなっていった連中は、皆そう言うんだ」と話す。
 小平、「先生は“本部職員は、会員を守り、奉仕するためにいる”と言われています!」
 愛媛副理事長、「そうだけど、皆会員なんだ、君たちだけが会員じゃない!」
 小平、「先生は『間違っていれば、相手がどんな立場の人間であれ、声を上げろ』と言われています」
 愛媛副理事長は、「だから一人でやればいいんだよ。一人でやりなさい!!」とフロアー中に響く大声で叫ぶ。
 そして最後に愛媛副理事長は、「大概にせい!!」と言い、席から離れてしまった。
 結局、小平の手紙を読んでもらえたのか、小平の手紙を読んで何を感じたのか、一切分からなかった。むしろ、愛媛副理事長の話は、小平が手紙に書いた内容とは明らかに違い、真逆の内容であった。小平の手紙は、全く無視されてしまっている。
 悔しくてならなかった。自分の言っていることと、学会本部の言っていることには食い違いがあるのだろう、それは理解できる。しかし、そうであるならば、どちらが真実なのか、率直に聞いて欲しかった。それが、創価の「対話の精神」ではないのか。片一方の本部の話を聞いただけで、どうしてここまで断言できるのか。
 小平は、自分たちだけが会員であるなど、全く思っていない。ただ職員の不正に勇気を出して声を上げた会員たちが不当に苦しめられている。
 職員として正しい会員の正義を証明することは、当たり前である。いやそれ以上に、職員の不正に対しては、そもそも職員自身が断固たる姿勢で正すべきである。しかし、それを伏せ、会員に犠牲を強いていること自体が問題なのだ。
 “会員に奉仕するため”に、職員は存在している。しかし、会員の真実を語ろうと必死に対話を懇願すると、反発的な態度として受け取られる。ついには“職員を、学会を辞めればいい”とまで言われる。
 師匠の仰せとは真逆であると感じてならなかった。目の前の会員に尽くさずして、創価学会を守れるはずがないのだ。

 そうした中、平成23年2月9日、小平は九州で所属した現場組織の婦人部の方と話す機会があった。
 生立ちや家族のこと、九州に来ることになった経緯などを話すうちに、自然と平成14年から9年間の粗方を話すことになる。ご婦人は小平の話にじっと耳を傾ける。小平が話し終わるとご婦人は話し始める。
 「最初に小平さんが来た時に、『批判をして解任になっている人間が来る。どうしようか』と話になった。そして、『批判をして解任になるくらいなら先生の批判をしたんだろう。でも最初から色メガネで接するのではなく、本人に接していこう。まして創価家族なんだから変な言動があれば、その場で毅然と伝えていこう』と話し合いでなった。そうしたら全く真逆で弁解がましい話もしないし、誠実な青年で皆驚いていた。街頭演説の時に小平さんから笑顔で爽やかに声をかけてもらい、私はその時に小平さんへの見方が完全に変わった」と。
 さらにご婦人は語る。「主人とも『聞いている話と全く違う、本当にいい青年なのになぜ解任になり、九州に来ているのか。』と話していた。主人は、『批判をしたというが、幹部に対して苦言を呈して九州に異動させられたのではないか。そういう話はどこの社会にもある』と言っていた。私は“まさか創価学会の中にそんなことがあるなんて”思ってもみなかった。」と。
 小平は、学会組織から役職解任処分となった人間である。普通であれば、その人間を色メガネで見てしまうのが当然であろう。しかし、そのご婦人は、小平に率直に忌憚なく話してくれた。そのご婦人のお心に、感動で涙が出る思いだった。
 会員の皆様があって、学会本部があり、本部職員がいることを改めて実感した。本部職員は絶対に、自分に力があるなどと勘違いをし、調子に乗ってはならない。断じて、特別意識、エリート意識に侵されてはならない。小平は、心ある最前線の会員同志の方々の手駒となれる自分に成長しなければならないと固く誓った。

 とにかく、自分自身に誠実に正しいと思うことを一つ一つやっていくしかない。まずは目の前の問題から逃げないことである。地道に一つ一つ取り組むしか道はないのだ。
 1月24日の昼休みに懇談のアポイントをお願いしに行き「大概にせい!」と言われてから、愛媛副理事長から連絡が来ることはなかった。愛媛副理事長は学会本部から入った情報を鵜呑みにし、誤解していると思えてならなかった。

 何としても愛媛副理事長の誤解と偏見を解かなければならない。時が経てば、誤解という毒はどんどん広がっていく。早急に、何とか一度、腰を据えて話を聞いてもらいたい。
 平成23年2月14日の朝の勤行会の後、小平は再び勇気を出して愛媛副理事長に声を掛けるのである。
 小平、「副理事長、何とか懇談の時間を取ってもらいたいのですが」と伝える。
 しかし、副理事長は「懇談はしない!決めた!」
 小平、「それはどうしてですか?」
 愛媛副理事長、「自分の胸に聞きなさい!しない!」と言い、背中を向けその場を去って行く。
 小平は、その姿に動揺した。いつも、こうした対応に、苦しさを感じてしまう。情けなく弱い自分だと反省するも、毎回なぜなのだと悩み考える。
 しかし、悩み仏壇の前に座り、題目をあげ、師匠のお言葉を振り返る度に、話を聞いてもらえない理由は何度振り返っても思い当たるところは無いと思う。
 昼休み、祈れば祈るほど、このままでは良くないと思った。愛媛副理事長に真意を確かめるんだ。もう一度会いに行こう。

 その日の夜、小平は九州文化1階の食堂で夕食を終えた愛媛副理事長に勇気を出して話しかける。
 小平、「書面は読んで頂けましたでしょうか」
 愛媛副理事長、「読んだよ」
 小平、「去年、書面を読んでから話を聞いて頂けると言われていたと思うのですが」
 すると、愛媛副理事長は突然、「会長に私の事を伝えているだろ。そういうことをする人間とは話さない!」と。

 小平は平成23年1月27日付けで原田会長宛に手紙を出していた。
 その原田会長への手紙には、九州への配置転換について愛媛副理事長から、「職員としての再出発しなければならない問題事由があったために行なわれた制裁人事であり、小平が再出発を望んだため九州が受け入れたお情け人事である」との旨、聞いたことを書いていた。
 おそらく、そのことについて愛媛副理事長は、学会本部から咎められるようなことを言われたのであろう。
 だが、小平にとっては、九州配転が業務交流人事なのか、制裁人事なのかは、重大な問題である。当事者として、何が真実なのか知りたいと思うのは普通である。そもそも職員規律委員会からは「職員として問題なし」「職場でどうのこうのする問題ではない。」との結論が出ている。制裁人事となれば明らかに不当な人事と言わざるを得ない。

 学会本部で聞いた人事異動の理由と、異動先の九州で聞いた異動理由が異なっていた。そのことを原田会長に率直に伝え、この異動人事には問題があると伝えることの何がいけないのか。
 愛媛副理事長の、原田会長をはじめとする本部執行部の顔色を窺おうとする姿勢に、物事を曖昧にして終わらせたいという妥協の心と、執行部からの批判を避けたいという保身の心を感じてならなかった。

 「組織はどうしても腐敗しやすく、官僚化していく傾向をもっている。その場合、つねに現実に活動している大衆のなかに偉大な真理と正義があるという観点が必要となる。この精神を失ったならば、いかなる組織といえども、膠着化をまぬかれないであろう。」(名誉会長指導)

 話も聞かずに力で排除していくならば、組織の権威化、硬直化は加速度を増して進むことになる。
 小平の脳裏に、神奈川で歯を食い縛って戦う会員同志たちがよぎる。自分は真面目な父、一途な母、そして温かい創価家族の中で育てて頂いたからこそ、本部職員となることができた。また、自分は池田先生の弟子であり、偉大なる庶民である。自分は、絶対に、エリート意識と特別意識の本部職員の命には染まらない!そのためにはどうすればいいのか。
 戦い続ける以外に道はない!!
 師匠の指導に照らし、自分が正しいと信じることを貫くしかない。職場からどのような扱いを受けたとしても己心の師匠を裏切ることだけはできない。最後に、ただ師匠に喜んでさえいただければ、それで良いのだ。

 四国・香川県へ異動した野口の仕事がない日々

 平成23年2月1日、野口は四国・香川県へ単身赴任し、1K8畳のアパートでの生活が始まる。
 新たな職場となる四国池田文化会館に初出勤し、朝礼で挨拶。
 「本部から異動してきました野口と申します。新たな地で師匠のため会員さんのために一兵卒として何でもさせて頂きます。地域組織の活動では一男子部員として戦って参ります。」と。
 配属された四国総務部では、入社2年目の女性職員が担当していた業務を引き継いだ。
 毎朝の職員の出勤状況、毎週月曜の朝礼の内容、毎月1回の職員全体会議の状況を、それぞれ報告書1枚にまとめて本部職員局にメールで報告するのが主な業務である。しかし、いずれも10分程度で終わる。
 その他、週に1~2回ほど行なう会議や朝礼の準備として部屋の換気、冷暖房の運転、机の水拭きなどが業務である。しかしそれも、10~15分もあれば済んでしまう。
 どれも入社間もない職員が他の仕事を抱えながらするような内容であり、本来、入社10年目を迎える野口のような中堅職員が担当する業務ではない。
 むろん、仕事に優劣はない。職員の根本精神は会員への奉仕であり、いかなる雑用でも何でもさせて頂きたいと思っている。しかし、どう考えても仕事量は絶対的に少なく、一日の業務に費やす時間は平均すると30分あるかどうかであった。

 野口は、勤務時間の大半を自分の席で黙って過ごす日々が続く。周りの職員から声をかけてくることはほとんどない。野口は部屋の中央の席で、ただじっと座っている。野口は仕事がしたかった。
 野口は上司に「何か仕事はありますか?」と率直に尋ねる。しかし「考えます・・・」との返答で会話が終えられてしまう。
 本部職員の給料は会員の浄財によって支えられている。会員の浄財とは、会員が毎日必死に働き、生活費を切り詰めて財務して下さったものだ。自分はその会員さんの心にお応えする仕事ができているとは、到底思えない。
 職員として、給料泥棒とも言える状況に置かれ、罪悪感に苛まれる。この仕事が与えてもらえない苦しみは、日が経つにつれ増していく。

 終業時間になると、野口は毎日定時に職場を出てアパートに帰宅する。四国青年部の幹部からは、「職員でありながら役職がない野口の存在が、会員に誤解を与えないため」との理由で会合への参加は自粛するよう言い渡されていた。
 唯一、月1回の座談会と本部幹部会中継への参加は許されたが、それ以外は事実上謹慎状態とする判断を下され、地域組織での活動を禁止された。
 友人も家族も誰も知人がいない四国でのアパート生活。師匠の指導を学び、必死に題目をあげるしかなかった。組織に出られない以上、自分にできることは、故郷で不当な扱いを受けている会員がいることを師匠にお伝えすることしかない。
 どうすれば師匠に手紙が届くのか、原田会長との面談を実現できるのか、祈り悩み、考え続けた。

 今の自分の使命は、師匠に本部の実態をお伝えすることであり、一刻も早く地元に戻って会員たちの無実を証明しなくてはならない。まずは、一度、職場の最高責任者である宮崎方面総合長に、配置転換の理由を確認したい。
 平成23年2月14日、四国創価学会の最高責任者である宮崎方面総合長に面談のアポイントをお願いする。
 すると宮崎総合長は一言、「いち男子部員として、信心根本に」と。
 宮崎総合長とは、ほぼ初対面であったが、一度も自分のことを話してもいないのに、自身の信心を心配されている。小平と同様、学会本部から、“野口は誓約書に誓約せず本部の決定に従わなかった職員である”との説明を伝え聞いているように感じてならなかった。宮崎総合長に話を聞いてもらい、誤解があるならば解かねばならない。
 また、中央の学会本部の影響は強いと感じた。やはり、何としても原田会長との面談を実現しなければ、会員たちに対する不当な仕打ちを止めることは出来ない。
 遠く離れた四国の地で黙っている訳にはいかない!自分が体験してきた問題を闇に隠されてなるものか!

 同日2月14日、野口は原田会長宛のアポイント申請の手紙を託した会長秘書の徳島部長に電話する。野口が本部から四国へ発つ前に、会長手紙を託したのが徳島部長である。
 野口は徳島部長に尋ねる。「先日の会長宛の手紙に対して何の反応も頂けていないのですが、手紙は渡して頂けましたでしょうか?」と。
 徳島部長、「渡しました。会長は読んだと思います」
 野口、「話を聞いて頂きたいとの内容の手紙なので、対応いただけるか待っています。返事は頂けるのでしょうか?」
 徳島部長、「会長も忙しいので、全てに返事をしている訳ではありません」

 野口はおかしいと思った。そもそも原田会長の「役員室で懇談のアポイントを取りなさい」との指示によって、役員室を通して手続きを取っている。しかし、役員室の原田会長の担当秘書である徳島部長は「原田会長から返事が無いかもしれない」と言う。
 野口は不安に思い、「では、どうしたら現状は分かるのでしょうか?」と尋ねる。
 徳島部長、「もう少し待って頂くしかないと思います」
 野口、「どれくらい待てば良いのでしょうか。何とかご返事を頂きたいのですが」
 すると徳島部長は、「返答が欲しいのであれば、その内容の手紙をまた書いてもらっても構いません」と。
 野口、「確認や手紙の窓口は徳島部長なんですか?」
 徳島部長は、「私でいいです。待っていて下さい」と。野口は電話を終える。

 またも徳島部長から、原田会長宛に手紙を書くことを提案される。しかも、返答の無い原田会長に対して、もう一度、「返答が欲しい」との内容の手紙を書いた方がいいと言う。しかも待っていても、原田会長からは連絡しないこともあると言う。
 滅茶苦茶である。あまりにも不誠実である。
 一体何のための手紙なのか。何のための担当窓口なのか。
 しかし、いくらおかしいと思っても、今は手紙を書く以外に、原田会長と懇談をしてもらえる方法はない。
 もう一度、もう一度「返答が欲しい」との内容の手紙を書くんだ!

 「勝つか、負けるか――戦うことをやめれば、すぐに敗北が待っている。」(名誉会長指導)
 
 平成23年3月21日、原田会長宛てに懇談を求める2度目の手紙を出す。
 「何かしらの反応を頂きたいと、必死に祈ってきました。しかし『返答しない事もある』との話を聞き、無かった事になってしまうのではないかと不安になりました。ご返事を催促するような形になってしまうのは本当に不本意ながらも、どうしても会長から直接、私たちの手紙へのご返事を頂きたいと思い、再び手紙を書かせて頂きました。」
 「どうか公平な目で、私たちの話を聞いて頂けないでしょうか。話を聞き、認識して頂いた上で、評価されるのであれば、その評価を真摯に受け止めて参ります。私たち自身が振り返るべきことがあるならば、必ず自身を振り返り、人間革命して参ります。」と。

 翌日3月22日、野口は徳島部長に電話し、「先日、お話を頂きました会長宛の手紙を書かせて頂きました。徳島部長宛に郵送いたしましたので、どうか会長にお渡し頂きますよう、よろしくお願いします」と伝える。
 徳島部長は、「はい分かりました。ご苦労さまです」と了承する。
 野口は、四国から、徳島部長に宛てて手紙を送り、連絡が来ることを祈り待ち続けるのである。

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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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プライバシーに配慮し、登場人物は会長・理事長を除き、地名を使って仮名にしています
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