第20 職員懲罰委員会が無視を続ける実態(H23.11.5~H23.11.8)

 平成23年11月、小平は福岡県福岡市にある九州文化会館事務所から、福岡県糸島市の九州多宝納骨堂へ異動となり、2か月が過ぎていた。
 もともと、小平が学会本部から九州文化へ異動する時、学会本部の青森事務総長は、「業務のスキルアップを目指すための業務交流人事だ」と説明した。
 しかし、そもそもこの時小平は、本部の管理第一部に異動となってから、まだ11カ月しか経っておらず、管理第一部の業務を習得中の身であった。
 青森事務総長が言う「業務のスキルアップを目指す」ことが目的であるならば、別の業務に配転するのではなく、本来、管理第一部でしっかり業務を習得させることが適切なことである。
 そして今回も、九州文化会館事務所には、まだ1年5か月しか所属しておらず、まだまだ業務を習得中の身であるにもかかわらず、さらにまた別の業種である九州多宝納骨堂へ異動となったのである。

 異動先の九州多宝納骨堂は、局長、部長、小平の3名体制で、火曜日が定休日だった。
 小平は、連休を取ることすら難しくなったため、共に本部指導監査委員会の誓約書を拒否し、苦闘を重ねてきた会員同志たちがいる故郷に戻ることが難しくなった。
 会員同志たちは、未だ地元組織で不当な仕打ちを受け続けている。それを思うと、胸が締め付けられ、居ても立ってもいられない。

 小平は、納骨堂の上司に、自らが学会本部で体験してきた「対話拒否」「問答無用」といった狂った実態を何度も語っていく。
 「本部指導監査委員会の偏狭な結論によって、故郷の会員同志たちは反逆者のレッテルを貼られ、苦しめられ続けています。しかし、本部執行部の方々は、一度も話を聞こうともしなかったのです。」
 「仕事はもちろん、全力でやります。必ず結果も出します。しかし、私の人事が一時的な業務交流人事であるならば、どうか一刻も早くそれを終えて頂き、元いた学会本部に戻して頂きたいのです。」と。
 小平は懸命に業務に勤しんだ。はじめは聞く耳を持たなかった上司も、そうした小平のありのままの姿を見て、少しずつ話を聞いてくれるようになる。
 そして、「小平君が学会本部に戻れないか、上に相談してみるよ。」と言ってもらうまでになったのである。
 やはり「対話」によって一歩ずつ切り開いていく戦いなのだと、小平は実感する。

「対話こそ人間の特権である。それは人間を隔てるあらゆる障壁を超え、心を結び、世界を結ぶ、最強の絆となる。」(名誉会長指導)

 野口は、そうした孤軍奮闘する小平の状況を聞き、少しでも力になれないかと思った。
 “コダさんの上司に会い、今の本部の官僚体質や硬直化の実態、地元故郷で無実の会員同志が苦しんでいる実態を話して、さらなる理解を得ることは出来ないだろうか”と。
 平成23年11月5日(土)、野口は、四国の香川県を出発し、車で2時間かけて広島県の茨城氏のもとへ向かい、そこから2人でさらに3時間半かけて福岡県の小平を訪ねる。
 その夜、野口、小平、茨城氏は小平宅の御本尊に真剣に祈る。誓願の題目に力がこもった。
 “断じて『師匠が仰せ通りの創価』『対話の創価』に変えていきます!師の思想を護る創価へと変革していきます!”と。

 翌日の夕方、野口は茨城氏とともに、筑紫富士と言われる可也山の麓にある九州多宝納骨堂を訪ねる。
 「遠くから本当によく来てくれたね」と、笑顔で小平が出迎える。
 どこに行っても使命の天地と捉えて戦う同志。その逞しさを感じ、野口は安心するとともに“我も断じて負けてはならぬ!”と自分を鼓舞する。
 事務所に行くと、野口らの訪問を小平から事前に聞いていた、小平の上司たちが温かく迎えてくれる。
 野口は、これまで自分たちが体験してきた本部職員の実態、学会本部の実態について語った。
 「たったの一度も、どなたも対話に応じて頂けることは無かったんです。本当に今の学会本部には、創価の生命線である『対話』が無くなっていると思うのです。」と。
 そして、現在、懲罰委員会から、「本部執行部に対話を求めた行為が懲罰にあたる」と判断され、始末書の提出を求められていることを語っていく。
 局長は、「信じられんな。もう、ありえんもん。」と、ため息をつきながら話を聞いている。
 野口は局長の目を見つめ、さらに真剣に語る。
 「僕たちは、今の『対話なき創価』を師匠の仰せ通りの創価に変革するために戦うことが、職員の不正に出会った意味であり、自身の使命だと思っています。絶対に執行部の方々との対話を諦めません!対話を通して、創価を変えていきたいんです!今後も小平さんを見守って頂けると嬉しいです!」と。
 局長と部長は深く頷き、笑顔で、「よくわかった。また来てよ。」と手を差し出して握手してくれたのである。
 野口は、局長の手を握りながら、“相手を信じて対話をすることが、どれほど大きな一歩前進となるのか。地道だが、やはりこれをやり続けることが正しいのだ!”と決意する。
 この日の対話により、局長と部長はこれまで小平が話してきたことが本当であるとの理解を深め、その後、小平を陰に陽に懸命に支えてくれるようになったのである。

 小平は野口たちを車まで見送る。野口は、これから6時間以上かけて香川県に帰るのだ。
 「今日は遠いところ、ここまで来てくれて本当にありがとう。のぐっちゃん達のお陰で、局長も部長もこれまで僕が話してきたことが本当であると感じてくれたと思う。本当にありがとう。」
 野口も小平と握手をしながら、
 「当然です。僕もいつもみんなに守られているから戦えるんです。でも、なぜか僕らみんな西日本に異動となって、こうして会えることが不思議ですね。僕も、本当に師匠に守られていることを実感させてもらいました。」
 小平は、同志の車が見えなくなるまで見送る。

「師とともに、同志とともに、学会とともに、苦楽を分かち合う人生ほど、
価値ある充実と栄光の道はない。」(名誉会長指導)

 楽な戦いなど一つもない。しかし、共に師匠を思い創価のために戦える同志がいる。これがどれだけ幸せなことか。
 師匠のお陰で出会わせて頂いたかけがえのない同志たち。苦難を共にし、生きるも死ぬも一緒だと誓い合った同志たち。
 ならば、この同志と共に、師の思想を護る創価に変えることこそが、我が使命であり、師への僅かばかりのご恩返しである!
 師のために、同志と共に、尊き我が命を捧げ抜く人生こそ、最高最大の喜びであり、無上の幸福である!

 無視を続ける職員懲罰委員会の実態

 10月23日付で懲罰委員会に、始末書を書くために質問する2通目の書面を提出した。
 その時、小平は熊本委員長に、“私たちの質問書面に対して、早急に書面での返答をお願いしたい”ことを要望した。そして、熊本委員長は懲罰委員会の窓口である長崎氏を介して、「わかった」と伝えていた。
 私たちは熊本委員長からの返答を祈りに祈る。
 しかし、10日待ったが、一切連絡はない。
 本部の公式機関として、なぜ「始末書を書くための疑問点」にすら答えて頂けないのか。対応できないならば、対応できない理由をなぜ教えてくれないのか、本当に意味が分からない。
 「わかった」と言いながら、10日間も「無視」できてしまう感覚は、あまりに非人間的であると感じてならない。
 師匠の精神は、どこまでも「対話」である。その「対話」とは対極にある「無視」が、本部の中で当然のように行なわれているのだ。
この状況が、果たして、師匠の仰せに照らして正しいと言えるのだろうか。

 今の状況で今回の「始末書」を提出することは、学会本部や最高幹部の権力の魔性の前に、屈服することと同じである。なぜなら、私たちが本部と執行部の問題を知っていながら「悪かった」と謝罪すれば、その問題を水に流すことになるからである。
 ゆえに、なぜ懲罰となるのかが分からない今のままでは、どうしても「始末書」を書くことは出来ない。
 ただ、「始末書」を提出しないだけで、何も行動しなければ、それもまた事実上、本部と執行部の問題に蓋をすることになってしまう。
 ここで私たちが妥協したならば、学会本部と本部職員はさらに腐敗・堕落していくように感じてならない。そしてそれは自分がその腐敗・堕落に加担することと同じである。

 私たちは、懲罰委員会の熊本委員長宛に3通目の書面を書くことを決意する。熊本委員長から、なんとか返答が来ることを信じて。

 「熊本委員長、始末書とは単なる形式なのでしょうか。私は、心から反省できなければ、始末書を書く意味はないと思っております。心から反省し、二度と行わないと誓うものでなければその始末書はただの形式であり、かえって懲罰委員会に対する不誠実な行為になってしまうと思うのです。
 法人の公式な機関に提出する公式な『始末書』です。一社会人として、また一法人の職員として、『始末書』を書く以上、重大な社会的責任が伴うことは当然のことだと思っております。」

 「なんどもお伝えしておりますが、何が事実とされ、何が虚偽とされたのか。どの行為がどの規則に違反するとされたのか。始末書を書くために、どうか教えて欲しいのです。創価学会の公式な機関であるからこそ、どこまでも常識的に、誰が見ても分かるご返答を、書面にて早急に提示して頂きますようお願い致します。」

 そして、平成23年11月6日、熊本委員長宛に郵送する。

 翌7日、小平は、熊本委員長に3通目となる書面を送ったことを伝えるため長崎氏に電話をした。しかし、長崎氏は電話に出ない。熊本委員長にも電話をしたがこちらも繋がらない。
 諦める訳にはいかないのだ!
 さらに翌日、小平は熊本委員長の職場である連絡局に電話をする。そして、熊本委員長をお願いする。
 ようやく熊本委員長が電話に出た。
 しかし、熊本委員長は、
 「書面は受け取ったがもうすべて伝えている。それが分からないのはあなたの問題だ!」と吐き捨てるように言い、電話を切ってしまったのである。
 小平は一瞬呆気に取られたが、すぐに我に返る。

 「書面で返答してほしい」とのこちらの要望に対して、「わかった」との返事は何だったのか。
 懲戒処分通知書に記載の内容が不明だから、私たちは具体的に質問している。しかも、あの処分通知書で「すべて伝えた」というには無理がある。懲罰委員会の委員長としてあまりに無責任であり、公式機関のやり方としても杜撰という他ない。
 小平は再度電話を掛けることを決意する。
 もう一度連絡局に電話を架け直す。
 電話がつながる。
 小平「話の途中で、熊本委員長に電話を切られてしまったのですが。熊本委員長をお願いできますでしょうか。」
 職員「ちょっと、待ってくださいね。」
 しばらく、待たされる。
 職員「あのですね、熊本委員長は、『もうすべて伝えて話すことはない』と言っています。」
 小平「えっ、ちょっと待ってください。熊本委員長が作った譴責の処分通知書に虚偽の内容があったんです。なので私は3通の質問の書面を出して返答を下さいとお願いをしました。何とか、返答が頂けるように熊本委員長にお伝え頂けないでしょうか。」
 その職員は、「はい。はい。はい。」と言って電話を終える。

 懲罰委員会は何がしたいのか。処分の理由を詳しく聞きたいと言っているのだから、説明してくれれば良いだけの話ではないか。しかし、処分を受ける側の話には全く耳を傾けず、処分理由・判断理由の詳しい説明はしない。そして、こちらが書面で質問をしても「無視」し続ける。
 こうしたやり方は明らかに問題である!
 懲罰委員会は、これまで原田会長が私たちを「無視」し続けている振る舞いに倣って、「無視」をしても良いと考えているのではないかと思えてならない。
 そもそも、本来、全職員に対して中立の立場であるべき公式機関の職員懲罰委員会が、原田会長を始めとする本部執行部側の言い分を鵜呑みにして、本部執行部を擁護するために動くこと自体がおかしいのだ!

「『魚は頭から腐る』と言われる。
トップが崩れるところから、組織も腐り、崩壊していく。それが道理である。
また、幹部が傲慢になり、威張って人の意見を聞かなくなると、そこに『魔』は付け入ってくるのだ。」(名誉会長指導)


 もはや上の腐敗、堕落を変えなければ、学会本部は変わらない。
 創価の頭である原田会長の振る舞いこそ、最大の悪に思えてならない。
 この悪を見ておきながら、もし黙って従うならば悪への傍観であり、加担ではなかろうか。
 偉大な師匠の弟子として、それだけは絶対にあってはならない。
 もはや、創価の「頭」は腐りかけている!
 今戦わねば、創価が滅んでしまう!
 創価は「対話」だ。やはり、創価学会の最高責任者である原田会長に今の創価の実態を直接訴え抜くしかない!




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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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