第15 懲罰や人事を使って制裁を与える学会本部の実態(H23.7~H23.9.19)

『師弟とは、人間の究極の道である。
命がけの決心でなければ、継ぐことはできない。勇気があるのか、正義が燃えているのか、分からない──そんな中途半端な姿ではいけない。
観念ではない。明確な「行動」がなければならない。
小さな自分をなげうって、人生の最後の瞬間まで、師匠の正義を叫び、大恩に報いていく──これが弟子の道である。
今、新しい創価学会を築く時である。後継のリーダーは「師弟なくして仏法はない」という一点を、わが生命に刻みつけていただきたい。』
(名誉会長指導)

師がいたからこそ
 苦難を越えられた
師がいたからこそ
 幸福になれた
師がいたからこそ
 人生の価値が生まれた
 
師弟を深めるために組織があり
民衆の幸福のために創価がある

決して
組織のための師弟でもなければ
創価のための人間ではない

「正義」と「創価」とは
「一人の人間のために」
 この一点にある
ならば
 我が人生
 人間のための創価を築くことが
 師恩に報いる 正義の道ではあるまいか!
 師恩に報いる 弟子の道ではあるまいか! 

 師のお心を 我が心とし
 師の叫びを 我が叫びとし
 尊き我が命を尽くし抜き
 断固として正義を叫び抜く!

 今こそ!三代の精神を護り抜け!!
 今こそ!人間のための創価に帰れ!
そして 我が生命よ!
 今こそ!師恩に報いる 苦難の弟子たれ!!


 懲罰の対象行為に唯一取り上げられなかった山梨女史に手紙を書く

 職員懲罰委員会から提示された『懲戒の対象となる言動』には驚くべき内容が記載されていた。それは、私たちが原田会長を始めとする本部執行部に対し、懇談をお願いした行為や名誉会長秘書に手紙を渡そうとしただけの行為が、懲罰の対象となる行為として列記されていたのである。
 本部執行部は、本部の決めたことに従わず声を上げる人間に対して容赦なく権力を行使し、その言動を封じようとしている。私たちの話を一度も聞かないまま、半年ごとに地方へ異動させる制裁人事を繰り返し、さらには自らが証言者となって懲罰委員会を動かす。
 もはや、私たちの必死の声は全て本部執行部に対する非違行為と判断され、そして初めから加害者であると決めつけられたのである。
 しかし、ただ一つ不思議なことがあった。
 それは懲罰委員会の『懲戒の対象となる言動』には、私たちが山梨女史に対して手紙を書いていることについては、一切取り上げられていなかったことだった。
 これまで私たちは、山梨女史に対して合計8通の手紙を書いて面談を懇願し続け、師匠への報告のお願いもしてきた。しかし、『懲戒の対象となる言動』の記載事項には、山梨女史の名前すらなかったのである。
 師匠の御子息の宮城第一庶務室次長(副会長)に手紙を渡そうとした行為は取り上げられている。しかし、師匠の側近中の側近である山梨女史に手紙を送付した行為は、一つも問題とされていない。実に不思議なことだった。

 私たちは考えた。
 “山梨女史は、私たちから手紙が送られてきていることを本部執行部に伝えていないのではないか。”
 “山梨女史は、私たちが報告した本部職員と本部執行部の不正、そしてそれを隠す学会本部の不正を師匠に報告すべきかどうか、誰にも相談できずに悩み、葛藤を続けておられるのではないか。”
 ほんのかすかな光である。しかし、私たちにとってはそんな光も大きな希望だった。
 “山梨女史から師匠に報告を届けてもらえる可能性が無いとは言えないのではないか。”
 私たちが無実の会員同志たちの正義を証明するために出来ることは、山梨女史から師匠に手紙を届けて頂けることを祈り信じ抜き、山梨女史に手紙を書き続ける以外にない。
 私たちは毎晩、山梨女史への手紙の内容を考えては話し合い、何度も何度も推敲を重ね、山梨女史へ9通目の手紙を作成する。もう山梨女史への手紙は9通73ページに渡っていた。

 私たちは山梨女史への手紙に大要以下の通り記した。

「平成23年6月に懲罰委員会から呼び出しを受けました。渡された『懲戒の対象となる言動』には、私たちがこれまで本部執行部の方々に『面談を懇願』してきた行為が取り上げられ、『面談を迫った』、『口論になった』と、事実を著しく誇張・歪曲されて書かれていました。
 私たちの話を一度も聞く事無く、すでに『懲戒の対象となる問題行為』をした人間として、私たちを処罰する方向に進んでおり、その場にいない人がいるとされたり、事務所を退出していたのに事務所に居座ったとされたり、事実とまったくかけ離れた『嘘』の内容が書かれていました。」

「自分達は、決して自身への懲戒を恐れているのではありません。会長や執行部に『面談を懇願した』ことが『懲戒の対象』となってしまう事実を恐れているのです。『対話』という、ごく自然で、創価において最も大事であるこの行為が、『懲罰の対象』とされていることに強い危機感を感じているのです。
 これは師匠の『「対話」「話し合い」を無視した一方通行のやり方は、明らかに大聖人の教えに反する。師への反逆という謗法なのである』との仰せの通り、師匠への反逆行為だと思うのです。」

「懲罰委員会からの呼び出しを受けて思うことは、先生の手の届かない所で、力を悪用し始めた人間がいるのではないかということです。本部の公式機関である懲罰委員会を私的に利用してしまうほど、権力を悪用する人間が出てきたように感じるのです。その人間が、今回懲罰委員会に『問題として依頼した人間』であるように感じてなりません。
 池田先生は『万が一にも、師弟をないがしろにし、学会を自分の思う通りにしようというような人間が出たら、皆で戦うことだ。こうした悪人を絶対に許してはならない』と御指導されています。
 私利私欲の為に学会の公式機関を動かし、学会を個人的感情で利用する人間がいることが、創価の存続に関わる大問題だと思うのです。だからこそ、師匠にお伝えしたいのです。取り返しのつかない事になってしまうことを恐れるのです。」と。

 そして最後に、平成23年3月の山梨女史宛の手紙に同封した、師匠宛の手紙を師匠に渡して頂きたいことと、一言でも原田会長と対話を懇願している青年がいることを師匠にお伝えして頂きたいことを書き、手紙を締めくくった。

 さらに山梨女史宛の手紙には、少しでも山梨女史に本部の実態を知って頂きたいとの思いを込め、私たちが懲罰委員会に提出した弁明書の一部を同封し、平成23年8月21日、山梨女史宛に郵送したのである。

 野口の四国への配置転換も制裁人事であったこと

 平成23年7月から9月にかけて、毎年恒例となっている、全職員を対象に行なわれる職員面談が実施された。
 野口は、学会本部の職員局に提出する『職員面談シート』に、四国へ異動する前の職場である本部管財局への異動を要望する旨を記入した。
 野口は平成23年2月1日に学会本部から四国池田文化会館に赴任して以来、異動先の四国総務部では、約半年間、ほとんど仕事は与えられない。一日の仕事量は30分にも満たなかった。フロアの真ん中のデスクにただ座り続ける日々。苦痛以外なかった。
 そもそも野口が学会本部から四国への配転を命じられた際には、小平や茨城氏のように「業務交流人事である」といった異動理由の説明すらなかった。
 何のために学会本部から、縁もゆかりもない四国へ配転となるのかが、一切不明であったのである。
 異動した当初から、どう考えても本部指導監査委員会の誓約書に誓約しないことに対する制裁的人事以外、考えられなかった。

 本部職員として、いかなる場所であっても業務に精励し会員の方々に奉仕することは当然だと思っている。しかし、このまま四国にいたならば、故郷の地元組織で役職解任処分となった会員同志が不当な仕打ちを受け続けている問題は風化されていってしまう。
 一刻も早く本部に戻り原田会長を始めとする本部執行部に対話の場を持って頂き、不正を隠蔽する学会本部の実態をお伝えし、学会本部を変革していく端緒としていかなければならない。
 そのためには、何とか四国最高幹部に、四国への異動が不当な制裁人事であることを伝え、元いた職場である本部に戻してもらうことを訴えるしかない。

 平成23年8月19日、四国の最高責任者の一人である宇都宮事務局長との職員面談が行なわれる。
 宇都宮事務局長は、野口の『職員面談シート』を見ながら話す中で、「ゆくゆくは本部に戻りたいという要望なんですね。」と尋ねてくる。
 野口は、自身が体験してきた一連の本部の問題と、本部への異動を要望する理由を伝える。
 平成21年4月に職員規律委員会が「職員として問題なし」、「職場でどうのこうのしてはならない」との結論を通知したにも関わらず、職場の上司である某管理第一部長から「今回の人事異動は組織の問題が理由です。会長、先輩の指導を聞けない人間に、池田先生周りの仕事をさせられないと上が判断した。」と言われ、本部管財局に異動となる不当な人事が行なわれたこと。
 さらに、同じく役職解任となった滝川は神奈川に、小平は九州に、茨城氏は広島に配置転換となり、異動先の最高責任者から「白紙で見守る」「九州で受け入れてあげた」などと言われていることを伝え、これらの経緯からすると、自分の四国への異動人事も、誓約書を提出しないことに対する制裁人事ではないかと、思っていることを伝えたのである。
 すると、宇都宮事務局長は、「それは、そうだと思う。」と、野口に対する四国への異動人事が制裁人事であることをあっさりと認めたのである。

 不当な動機・理由による配置転換は、社会的にも問題であり、学会本部の社会的信用に関わる重大な問題である。しかし、宇都宮事務局長にそうした問題意識は全く無かった。むしろ宇都宮事務局長は、「理由はどうあれ本部の決定には従うべき」と、当然のことのように話すのである。
 この方面組織の盲目的な“理由はどうあれ、従うべき”との思考が、ますます学会本部の官僚体質を増長させているように思えてならなかった。

 九州の小平に対するさらなる配置転換

 九州の小平に対して、平成23年7月26日、突然、某九州総務部長から「7月29日に職員人事内示式を行なう」とのメールが来た。小平が平成22年4月1日付で九州文化会館に赴任してから、約1年4か月が経過していた。
 指定された7月29日11時、小平は人事対象者の集合場所である九州文化会館3階第2会議に行くと、10名以上の人事対象者が集合していた。一人ずつ別室に呼ばれていき、小平の順番は最後であった。名前を呼ばれて別室に入ると、九州最高幹部の愛媛副理事長(総九州長)、某九州長、前橋事務総局長が並んで座っている。

 冒頭、前橋事務総局長から伝えられる。
「平成23年9月1日付けで、九州納骨堂事務局の九州多宝納骨堂に異動。」

 小平は一瞬頭の中が真っ白になる。
 小平は、平成22年4月に「業務交流人事」との名目で九州に来て以来、九州文化会館1階にある事務局で働き、担当した管理、管財、購買業務に全力を注いでいた。
 それとともに、故郷の地元組織で会員同志が不当に苦しめられている問題の解決に苦心し、毎晩、家に帰ると、山梨女史や原田会長に手紙を書き続けていた。
 本部職員の不正を隠蔽し、会員を犠牲にし続ける学会本部の問題を師匠に隠し続ける実態、そして対話が出来ない学会本部の実態を一刻も早く解決すべく全力を注いでいたのである。
 しかし、平成22年12月15日に、小平は九州の最高責任者である愛媛副理事長から、「九州で再出発の道を歩む意思があるのであれば、白紙で見守っていきたいという思いがあって、君を受け入れた」と伝えられた。愛媛副理事長は、小平の九州への異動が「業務交流」などというのは表向きの理由に過ぎず、小平に対する「制裁人事」であることを知っていたのである。
 しかし、今回の職員人事では、さらに九州文化会館から離れて福岡県の最西端である糸島市の、「九州多宝納骨堂」への配転命令が下されたのである。共に地方への制裁人事を受けている職員同士での話し合いや、不当に扱われている会員同志の話を聞くために飛行機で故郷に駆けつける時間も制約される。さらに厳しい状況に置かれる人事に悔しさが込み上げてきた。
 それでも、それでも諦める訳にはいかないのである。師匠に誓った約束がある!!
 小平は、自分に対する配置転換の真実を明らかにしなければならないと思った。九州納骨堂事務局に異動となる前に、何とか愛媛副理事長(総九州長)に懇談の場を持って頂きたいと思ったのである。
 小平は必死に愛媛副理事長に懇願した。
 「私はどんな職場であっても全力でやっていくことは変わりません。ただ去年からお願いさせて頂いていますが、どうか一度、しっかりと時間を取って話を聞いて頂けないでしょうか。」、「何とか、私が糸島市の納骨堂に行く前の8月中に、ご多忙とは思いますが、何とか、お願いできないでしょうか。お願いします。」と。
 愛媛副理事長は表情を変えることなく一言、「検討します」とだけ答える。

 九州方面の中心会館から、福岡県の最西端の納骨堂への異動。どんどん学会本部から遠ざけられていく。
 いかなる場所に異動となっても絶対に諦めない。どんな状況になろうとも、また、いかなる環境であっても、絶対に負けない!師匠の仰せ通りに生き抜くこと、それ以外に今世に生を受けた意味はないのだ!
 自分のやるべきことは、真実を伝え抜き、不当な会員への処分を撤回させること。また、こうした制裁人事が不当・無効であることをはっきりさせる以外にない。そして、一刻も早く本部に戻り、硬直化した組織を変えねばならない。そうしなければ、さらに多くの会員さんが傷つくことになる。

 平成23年9月1日、小平は九州多宝納骨堂へ配転となる。自宅から高速道路を使って1時間近くかけて車での通勤が始まった。毎日夜を徹して手紙を書き、また共に制裁人事を受けている職員同志で手紙の内容等について話し合う生活が続く中、新たに一から業務を覚えなければならないない。一刻も早く会員同志の無実を明らかにし、創価の変革を進めて行かなければならないにも関わらず、時間だけが無情に過ぎていく。実に苦しかった。

 翌9月2日、愛媛副理事長(総九州長)との懇談の機会が得られないまま、九州多宝納骨堂で前橋事務総局長との全職員対象となる職員面談が行なわれる。
 小平は、九州への配置転換が「業務交流人事」などではなく不当な制裁人事であることを必死に訴える。そして、その旨学会本部の大分職員局長に伝えてもらうことを前橋事務総局長に要望した。
 2週間後の9月16日の昼過ぎ、小平は九州文化の前橋事務総局長に確認の電話をする。
 小平、「本部の大分職員局長に、“交流人事は不当であり、小平が早急に本部に戻ることを要望している”ことを伝えてもらう件はどうなりましたでしょうか」と。
 すると、前橋事務総局長は「その件は本部局長会で上京した時に伝えました。大分職員局長は『わかりました』と言っていました。」と返答した。

 大分職員局長の「わかりました」との返答の意味は全く不明である。本部執行部が、こうした暖簾に腕押し的な対応をし続け、一連の本部の問題に対して全く取り合わずにいたため、今の学会本部の状況があるのだ。学会本部の無責任体質がここにあるのだ。
 自分が我慢すれば何か問題は解決するのか。いや違う。問題は一切対話をせず、懲罰までかけ、配置転換を繰り返してまで、問題を隠し、学会本部の体裁を守ろうとする体質なんだ。力ずくで立場の弱い者を抑えつける学会本部のやり方にあるんだ。本部執行部は、対話によって問題の根本解決をしていくのではなく、保身と妥協から、懲罰や配置転換といった外圧的な方法で問題を安易に処理しているのだ。
 しかしそうしたやり方は、師匠の仰せとは違う。対話を根幹とする創価の思想とは相反するものである。
 自分は奇しくもこうした学会本部の問題に出合った。
 ならば、この問題と徹底して向き合わねば、自身の使命を自ら失うことになる。我が使命を失えば、本部が改善されることはない。排除・隠蔽といった力の論理で物事を終わらせようとする本部の体質が変わることはない。声を上げ続けることが、この問題に出合った自身の果たすべき使命であると小平は思ったのである。
 環境が苦しくなればなるほど、師匠のお心を感じてならなかった。

「皆がおかしいと思っても、それを口に出せないような特別な存在を、つくってはならない。学会は、峻厳な師弟の精神に貫かれた、平等な同志の世界である。悪に対しては、勇敢に声を上げることだ。徹して強く責めることだ。臆病ではいけない。臆病は、ずるい。ずるいのは『悪』である。
 悪を見ながら、放っておいて戦わないと、自分が悪と同じになってしまう。」
(名誉会長指導)

「創価学会の決めたことだから正しい」「本部が決めたことだから正しい」
「師匠の近くにいる幹部だから正しい」
 この師匠の存在を利用する本部職員の慢心、堕落、独善は学会本部を根底から崩す原因になると思えてならなかった。
 今、声を上げなければ絶対に創価を守れないと感じてならなかった。

 職員懲罰委員会宛に2通目の追加書面を送る

 私たちは、平成23年6月30日に懲罰委員会にかけられたことから、平成23年7月末に、各々懲罰委員会宛の弁明書を提出した。
 その後8月16日には、懲罰委員会に対して「私たちを懲罰にかけた『発起人』に対する処罰を要望すること」や、「不当な制裁人事の撤回を求めること」などを訴える追加書面を提出する。さらなる難を受けようが、間違っているものは間違っている!

「言うべきことを、断固として言い切る。正しいことを『正しい』と言い切る。間違っていることを『間違っている』と言い切る。そこに、本来の仏法者の生き方がある。」(名誉会長指導)

 しかし、懲罰委員会からの反応は無かった。
 そうしたところ、同年9月1日付けの聖教新聞にオリンパス株式会社を相手取った一社員の裁判記事が掲載される。それは、社内の不正を告発した社員が不当な配置転換を受けたことに対して賠償と配転無効を求めて裁判を起こし、東京高裁で逆転勝訴したとの記事であった。
 裁判所が下した判決は、上司が「内部通報に反感を抱いて、必要のない配転命令をした」、「人事権の濫用」があったと判断し配置転換を無効とする、というものである。
 私たちは、この「配置転換の無効」を認めた判決を、懲罰委員会にかけられている最中に聖教新聞で知ることになり、その不思議な意味を感じてならなかった。
 私たちは本部職員の不正とそれを隠す学会本部の問題を知り得た職員として、師匠の側近や御子息を介して師匠に報告しようとしたところ、次々と地方へ配置転換された。
 そして小平は、学会本部から九州に異動となり、愛媛副理事長(総九州長)から「前提として君(小平)が職員を続けるのであれば、僕は白紙で見守っていきたいとの思いがあって九州に受けいれた」と伝えられている。
 野口も四国の最高責任者との懇談の際、四国への異動は組織の問題(本部指導監査委員会が下した誓約書に従わなかったこと)が理由であることを認められている。
 これらの配置転換は、“内部通報者に対する学会本部の仕打ち”であり、社会的にも法律違反とされる人事権の濫用のように感じてならなかった。

 さらに、懲罰委員会が取り上げた『懲戒の対象となる言動』には、原田会長が小平と茨城氏に対し、「役員室に面談のアポイントを取りなさい」と指示した時のやり取りがあった。しかし、これも明らかに原田会長の立場を利用した処罰のように思えてならない。
 私たちは原田会長の指示した「役員室に面談のアポイントを取りなさい」との言葉を信じて、平成22年11月16日に面談の要望書を提出した。そして、平成23年1月28日、3月21日、6月11日と4度に渡り、アポイントをとるために会長に手紙を出している。しかし、一度もアポイントが取れることはなかった。
 その会長の「言行不一致」の振る舞いを隠すかのように、原田会長本人の証言によって、その日のやり取りが「懲戒の対象となる言動」であるとされていたのである。

 そもそも、私たちは、本部執行部も了承した本部指導監査委員会の誓約書に誓約しなかったことから、謹慎処分、謹慎延長処分、役職解任処分と3度に渡る処分を受けている。
 しかも、その後の職員規律委員会は、本部指導監査委員会が取り上げた「一連の問題」について職務審査を行なった結果、「職員として問題なし」、「職員規律への抵触なし」との結論を下しているのである。
 ゆえに本来、学会本部が私たちに対して、誓約書に誓約しないことを理由に職務上の処罰を与えることは、本部執行部自らが決定に関与した職員規律委員会の結論に矛盾する問題である。
 それにも関わらず、小平と茨城氏は、「交流人事」との名目で地方への異動を命じられ、その異動先の最高責任者からは「制裁人事」であることを伝えられているのである。
 その後、原田会長の指示通り、アポイントを取ろうと4度に渡り申請や確認の手紙を役員室に提出するが、一切返答はない。それどころか、私たちが原田会長からの返答を待つ中、原田会長の証言によって懲罰に掛けられ、懲罰委員会から召集されることになっている。
 こんなことがあっていいのか!創価学会本部がこんな不正をしていいのか!絶対にあってはならない!!
 師匠が命を削り築き上げてきたのは、社会の模範であるべき創価学会ではないのか!会員の方々は、社会で創価の看板を背負いながら実証を示そうと奮闘されている。そうした会員によって成り立つ創価学会で、このような違法な行為を正当化させることなど絶対にあってはならない。断じて、揉み消されてしまうことがあってはならない!
 弁明書の提出期限からは一か月以上が経過していた。
 私たちは、懲罰委員会に、あらためて追加の書面を書くことを決意する。
 そして以下のような内容を記した。

「一般社会ですら許されない人事権の濫用、人権侵害が、師匠の命である『会員のための公平な創価の組織』にあって、絶対に許されて良いはずがないのです。もし懲罰委員会が執行部と癒着があり、こんなことが許されてしまうならば、創価学会を守るためにも、また、誰が師匠に反逆しているのかを明確にするためにも、司法の場で全てを明らかにし、創価を守らなければならないと感じております。
 誰が師匠に違背しているのか。誰が反逆者なのか。誰が師匠の言葉を建前として軽んじているのか。明確にしなければ、真に創価を護ることはできないと感じているのです。」

「池田先生は『もしも将来、創価学会において、会長が上、会員が下となったならば、そのときは創価学会も邪教です』と言われているのです。本部職員の不祥事が師匠に届かないよう、会員の声を無視し、さらには指摘した会員が反逆者とのレッテルを貼られ続けるならば、正しき創価を取り戻すために命を懸けて戦わなければならないと覚悟しています。
 どうか、職員懲罰委員会の一刻も早い判断をお待ちしております。公平厳正な判断をお待ちしております。」と。

 平成23年9月11日、私たちは4人連名で、祈りながら懲罰委員会宛てに追加の書面を郵送する。

 懲罰委員会に証言した原田会長への手紙

 私たちは諦めない。懲罰委員会に証言した原田会長にも手紙を書くことを決意する。
 原田会長は、創価学会の運営上の最高責任者である。しかし、その原田会長は、自らが小平と茨城氏に対して「役員室に面談のアポイントを取りなさい」と伝えていたにも関わらず、私たちのアポイント申請に対して一切返答がないだけでなく、その時のやり取り(小平と茨城氏の行為)を懲罰委員会にかけたのである。
 そもそも、一度でいい、たった一度でも会長と話をすることが出来れば、私たちが本部最高幹部たちに懇談をお願いすることも無かった。
 師匠の指導に照らして絶対に正しいとは思えない。いや、断じて間違っているのだ!!
 師匠の弟子として、たとえ創価学会の最高責任者である原田会長であっても伝えるべきは伝えなければならない!もし、懲罰委員会が本部執行部と癒着し、私たちに不当な結論を出すのであれば、本意ではないが公平厳正に正邪をはっきりさせるため司法の場においてすべてを明確にする覚悟であることを伝えなければならない!
 
 私たちは、勇気を持って原田会長への手紙を書いた。
「会長、こんなことがあっていいのでしょうか。こんな懲罰を了承していいのでしょうか。『面談の懇願』が懲罰の対象。私はあまりのおかしさに『この通知文の内容は誰が証言したのですか』と質問しました。すると懲罰委員会の熊本委員長は『この通知文は、(通知文に)書かれている人の証言をもとに作りました』と伝えられたのです。さらに衝撃を受けました。証言者が会長だというのです。私は本当にこんなことが許されていいのかと思いました。」

「『対話』ができないならば、なぜできない理由を伝えて頂けないのでしょうか。なぜ、私たちから一度も話を聞くことなく、最後は面談を求めたから『懲罰』になってしまうのでしょうか。私は全く理解できません。こうしたやり方は師匠のご指導からあまりにもかけ離れている。
 私たちの『交流人事』も嘘でした。九州に異動となった小平は、愛媛総九州長から、『君(小平)が職員を続け、九州で再出発の道を歩む意思があるのであれば、僕は白紙で見守っていきたいとの思いがあって九州に受け入れた』と。そして、今年の7月、さらに九州多宝納骨堂へ異動となったのです。全部『嘘』でした。本部から伝えられていた『交流人事』は『本部の指導に従わないことへの制裁』でした。もはやこれは明確な法律違反です。」と。

 そして、続けて
「私は先生の弟子として誠実に生き、死んでいきたいと願ってきました。いかなる誤解があろうとも、創価の為に私は自身の人生をかけて真実を叫びます。師匠が『話を聞かないやり方』を正しいと仰ることは絶対にありません。私は創価を護るために生き続けます。こうしたやり方が『正義』として通用するならば、誰が創価を破壊する人間か、師匠に違背する反逆者は一体誰なのか、真実を明確にし、満天下にしめさなければならない。すべてを明らかにし、創価を護らなければならないと考えています。
 会長が証言した『懲罰』の結論によっては、司法の場ですべてを明確にしていきたいと考えています。」と書き綴った。

 最後は、「原田会長、最後に懇願させて頂きます。今一度対話をして頂けますよう。何卒お願い申し上げます。」と締め括った。
 平成23年9月19日、私たちは原田会長に手紙を郵送する。

 これまで原田会長には9通110ページに渡る手紙を書いてきた。しかしすべて無視。それどころかそうした懇談をお願いする行為が懲罰にかけられてしまう。これ以上対話を求めればさらに厳しい状況になるだろう。職を失い、創価の会員としての資格を失うかもしれない。
 九州多宝納骨堂に異動になった時、それを知った地域の会員さんが心配をしてくれた。「もうこれ以上対話を求めることはやめて欲しい!創価学会にとって大切な人です!これ以上対話を求めれば取り返しのつかないことになる!」
 今でもその言葉が蘇ってくる。本当に嬉しかった。力のない自分である。そんな自分を護ろうと必死に伝えてくれた。自然と涙がでた。ただただ、ありがたかった。やはり、これで良い。これで良いのだと心から思った。一人の会員のために。そのために命を捧げられる自分でありたい。一人のために喜んで我が命を捧げる。
 それが、師が命をかけて教えて下さった弟子の道だと信じて。

 創価は断じて会員のためにある!その創価を社会的な不法行為まで正当化するような組織にだけは絶対にしてはならない!それは師匠への忘恩であり、裏切りである!!
 小平は自分に言い聞かせた。
 すべては勇気だ!全部勇気なんだ!そして勇気は自分が出すんだ!
 何ものも恐れる必要はないではないか!!
 なぜなら
 師匠は我が胸中に厳然とおられる!!
 我が命に厳然とおられるのだ!!



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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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