■⑥ 集会に参加しようと考えて下さっている同志の皆さまへ

 先日1月29日(金)の夜に、「集会の開催」をお伝えさせて頂きました。ありがたいことに、ブログを更新した直後から、多くのメールやコメントを頂戴しました。
 私たちが「集会」についての問い合わせ先を明記せず、開催場所である西公会堂の電話番号を載せてしまったことから、西公会堂の方に集会の内容をお問い合わせ下さった方もおられ、お手数をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

 今回の集会では、創価を憂う同志の皆さまと、三代の精神を根幹とする創価に変革するための確かな一歩を踏み出したいと決意しました。そして、約150名の会場を予約しました。
 しかし、現時点で皆さまから多くのご連絡を頂いており、遠いところでは中国地方や東海地方から参加すると伝えて下さる方もいらっしゃいます。ただただ、ありがたい思いで一杯です。そうした同志の方々が本当に参加して良かったと思える集会にしなければならないと心から決意しています。
 そうした思いの中、もし、ありがたいことに、私たちが想像していたよりも多くの方々が来られた場合のことを、考えなければならないと思い、今回すぐにこのブログを更新させてもらいました。
 わざわざ遠い所から足を運んでくださる同志の方々。貴重な時間をつくり、様々なことを抱えながらも、足を運んでくださる。それにも関わらず、もし会場に入れないような事態が起こったならば、師匠から「なぜ、そんなことも考えていない!!」とお叱りを受けることは間違いないと思えてなりません。

「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」

 私は、もし当日、お一人でも会場に入れない方を出してしまったならば、この戦いは負けだと思っています。それこそ、師匠のお心を踏みにじることだと思っています。

 同志の真心を踏みにじる戦いに未来も勝利も絶対にない。
 仮に、参加して下さる方の人数が予定よりも多くなることが予想される場合には、別の会場や日時を変更しなければならないと思っています。そのために、事前に参加したいと考えて下さる方々の大まかな人数を知れれば、本当にありがたいと思いました。

 そこでお願いがあります。本当に恐縮ですが、2月28日の集会に参加しようと思って下さっている皆さまに、当日参加しようと考えていらっしゃる人数をメールで教えて頂けないでしょうか。

 私たちとしても、できる限り多くの皆さまに足を運んで頂きたいとの思いで集会を計画しました。お名前をお伝え頂く必要はありません。「一人で行きます」「東京から2人で行く予定です」など、人数だけで構いません、教えて頂けると本当にありがたく思います。
 もちろん、連絡を下さったからといって、参加しなければならないということではありません。また、メールしなかったから集会に参加できないというものでもありません。ただただ、遠いところ大変な思いで集会に来て下さったのに、会場に入れないということだけは絶対に、絶対に起こってはならないと思っています。

 皆さまにはお手数をおかけし、大変に申し訳ありません。参加したいと思っていらっしゃる方は、できる限りで構いません、1週間後の2月7日(日)までに、その予定の人数をメールでお知らせ頂ければありがたいと思っています。是非ともご理解、ご協力をお願い致します。

 また先日、ブログ読者の方から、“もっとブログの内容を皆に見てもらった方が良い。しかし、ブログだと、読者層が狭くてもったいないから本を出してみたらどうか。”とのご意見を頂戴しました。私たちとしても考え、広く皆さまに知って頂くために、ブログを小冊子にすることにしました。

 本当は手に取って読んで頂けるならば、皆さまにお配りしたいというのが正直な気持ちです。しかし、私たちは全てをこの戦いに使わせて頂いているため、収入はなく経済的にゆとりがないというのが実際のところです。申し訳ありません。
 そのため、少しでも安く小冊子が作れないかと思い、印刷会社を探したところ、構成とデザインを自分たちで考えて作れば、1冊(200頁)を300円という低価格で、印刷・製本して頂ける印刷会社が京都にあることが分かりました。
 もしご希望の方がいらっしゃれば、作成代の300円で本をお渡しできればと考えています。本の完成は集会日である2月28日、当日を目指しています。

■ 参加人数の連絡先または私たちへの問い合わせは、ブログ上のメールフォームか、以下のアドレスにお願い致します。

連絡先(メールアドレス):harunokoimejapan20150831@yahoo.co.jp

※一行で構いません。「2名で行く予定です」など。予定で構いません、教えて下さると本当にありがたく思います。



■ 集会日時:平成28年2月28日(日)
         午前10時~11時30分
■ 集会場所:西公会堂2階 1号会議室
         神奈川県横浜市西区岡野 1-6-41
         ★「横浜駅」より徒歩10分
■ 連絡先(メールアドレス):harunokoimejapan20150831@yahoo.co.jp
※お問い合わせは、上記のメールアドレスか、ブログのメールフォームからお願いします
※集会に参加したいと思って下さる方は、「2名で行く予定です」など予定で構いませんので、教えて下さると本当にありがたく思います。
■ 地図:
西公会堂の地図


スポンサーサイト

■⑤ “師が築かれた、民衆が主役の創価を守り抜く”との私たちの決意

 前回、1月9日(土)に行なった第2回サイレントアピールの様子をお伝えさせて頂きました。それ以降、多くの方から、連日、たくさんのメールやコメントを頂戴しました。
 ブログを立ち上げた時から連絡を下さる会員同志の方からは電話を頂き、「今後、自分にできることは何でもさせてもらいたいので何かあれば声をかけてほしい」と伝えて下さいました。また、第2回サイレントアピールにお一人で駆け付けて下さったご婦人の方は「思いのある人たちは沢山います。是非、集い合える場を作っていきたい。もし集う場があれば、私も行かせてもらいたいです」と話して下さいました。
 そして、ある壮年の方からは長文のメールを頂きました。
 「今後の具体的な活動方針が共有できれば共に行動する実感が持てると思う」「皆が分かり易い具体的かつ明確な目的を掲げて、一人一人がその目的を自覚して力を集結していってはどうか」と。
 心温まるこうした内容に、ただただ感謝しかありません。自分は本部の官僚化、権威化をくい止めることができずに解雇。そして除名になり、会員の資格すらなくなってしまった。それでも「力になりたい」とまで伝えてくださる。その温かいお心に、私は涙がでる思いでした。自分はもっともっと戦わなければならない。もっともっと苦難に挑まなければならないと心から思いました。
 また、「師匠は名もなき会員の中に厳然と居られるのだ」と思えてなりませんでした。

  民衆は強い!
  民衆こそ正義だ!
  偉大なる師の真実の弟子とは
  組織の奴隷となって生きる
  血の通わぬ幹部ではない!!
  名もなき信念の庶民である!
  創価の主役とは
  誰が何と言おうが
  師の仰せ通り
  名もなき偉大なる
  会員である!!

 そして、会員同志の皆さまからのご意見で一番多かったのは、『今の創価学会が明らかにおかしくなってきている。先生が表に出て指揮をとって下さっていた時の創価ではなくなっている』という点でした。

 公明党が参画する政府与党によって、日本は徐々に軍事化を加速し、戦争を行なえる環境を整えている。
 これまで実施できなかった米軍への弾薬の提供、武器・弾薬の輸送、戦闘前の戦闘機に対する給油及び整備も実施できるものとなった。
 むろん、政府は、“後方支援だから戦争への加担ではない”などと述べているが、これが戦争への加担行為であることは明らかである。そうした公明党を容認する創価学会本部。創価学会はいつから公明党の腰巾着となってしまったのか。いやそうではない、創価学会という体が曲がったことで、公明党という影がななめとなったのだ。
 学会本部は公明党が政権与党であるとの権力に魅せられ、師匠の叫びである「戦争ほど悲惨なものはない」とのお心を忘れてしまった。
 「平和の党」である公明党は、第二次世界大戦で多くの命を奪った悲惨な戦争体験と不戦の誓いを忘れてしまった。
 師匠の仰せに反し「抑止力」を目的とした安保法制を進めれば進めるほど、周辺国の不信と不安が急激に増していることは目に見えている。結果、年頭には北朝鮮が水爆実験を行なっている。
 戦争によって殺された初代牧口先生の「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである」との叫びは過去の話ではない。
 学会本部よ!公明党よ!師の仰せを護るべきだ!
 民の声を、会員の声を謙虚に聞くべきである!
と声を大にして叫びたい!

 そもそも創価学会の原点は、初代会長である牧口先生の殉教である。
 牧口先生は軍部政府に対して真っ向から「戦争反対」を叫び抜き、逮捕、投獄され、獄中での不当な弾圧にも屈せず、国家権力と闘い抜かれ、獄死された(随筆新・人間革命「牧口先生と武蔵野」より)。戦争によって牧口先生は殺されたのである。
 「戦争は絶対悪である」初代牧口先生を死に至らしめた「戦争」と「横暴な権力」に対する闘争こそが創価学会の不滅の原点のはずである!
 創価の原点とは「戦争」と「横暴な権力」に対する名もなき会員と師匠との大闘争だ!

 私自身、平和のために命までなげうたれた牧口先生の清廉潔白な精神と三代の平和主義の戦いに感動し、学会活動に励み公明党を支援してきた。公明党は「平和の党」であり、一人の人間の生命を脅かす魔性の命とは断じて戦う政党であると友人に語り続けてきた。「戦争反対」と「平和」は公明党の原点であり、永遠の使命であったはずである。
 その「平和の党」公明党が、今、戦争に加担する「安保法制」を強力に推進している。
 本来ならば、安保法制に最も反対の声を上げなければならないのは、「絶対平和主義」を掲げる創価学会本部である!そして公明党である!しかし、反対どころか容認し、推進する立場となった。
 さらに、あろうことか師の思想を護ろうと勇気の声で反対する会員には「大変遺憾だ」「残念だ」「あくまで個人の立場」だと対話もなく切り捨てる。ついには、こうした本部のやり方が組織に波及し、安保に反対する会員には会合の連絡すらしなくなることすら起こっている。
 もはや、師の思想を護らず、会員を切り捨てる学会本部に、師匠のお心は通ってはいない!!
 創価は民衆のためだ!執行部のためでも、本部のためのものでもない!民衆のためにこそある!!
 今こそ、今こそ真実の声、民の声を上げなければ、三代の師匠が命をかけて築きあげた民衆城を、弟子の我々が壊すことになると思えてならない!
 牧口先生は我々民衆のために、「戦争反対」と「平和」を叫ばれ、獄中で殉教された。誰のためでもない、我々民衆のためにである!
 その殉教の意味を、民衆創価の原点を、今を生きる我々が壊してしまうと感じてならないのです。

 三代の根本精神を失った創価を憂い、祈れば祈るほど、弟子として池田先生の仰せに生き抜かねばならないとの思いが湧き上がってくる。
 その思いを、同志の方々と共有したい!師の理想とされる創価に変革するための次の一歩を踏み出したい!

 皆さまから、「共にサイレントアピールに立ちたい」「次回の日時を教えてほしい」との声を頂きました。本当に、本当にありがたい気持ちで一杯です。
 正直、私はサイレントアピールに立とうと思った時、心の中にあったのは「とにかく何か行動しなければ取り返しのつかないことになる」という思いだけでした。
 職員を解雇され、会員を除名となった私が声を上げても、「反逆者が声を上げている」と相手にすらされないかもしれない。しかし、今、具体的に行動を起こしていかなければ、創価の問題を体験した自身の使命は果たせなくなると思ったのです。むろん具体的な行動を取ったことで、嫌なメールもたくさん来ました。
 「英雄気取りはもうやめろ!」「ブログをやめろ!広宣流布の邪魔をするな!」「師に違背しているのはお前だ!」等。
 正直、腹を決めているのに、苦しさを感じてしまう弱い自分がいる。それでも、それでも祈り、行動するしかない!
 そうした中、サイレントアピールを通じて、知り合うことが出来た多くの会員の皆さまに、私は生涯忘れ得ぬ温かい励ましを頂きました。
 インターネットのブログは本などの出版物と違い、真実かどうかの判断が難しいところがあるのではないかと、私は思います。
 それにも関わらず「ブログを見て会いたいと思って来たんです!」と駆けつけて下さった創価の父と母。実に誠実で素朴な温かな創価の母の姿、笑顔の優しい創価の父の姿に、私は嬉しくて涙がでてきました。
 私はその父と母に「握手してもらっていいですか」と尋ねました。すると、父と母は笑顔で手を差し出し、私は「ありがとうございます」と強く固く正義の手を握らせて頂きました。その手に師匠の温かさを感じたのです。

 「書き続けて良かった。やはり師の仰せを護ろうと真剣に悩んでいる人がいる。」
 そして、創価の父と母、青年の熱と力を合わせ、「三代の精神を護り抜く創価」、「会員のための創価」へと心を合わせ変革していけるのではないかと思ったのです。創価変革のための大きな力を生み出していけるのではないかと思ったのです。
 そして、そのためにも、今の創価を憂える人が一同に会す「集会を開催」しようと決意しました。
 そこで、三代の師匠に違背した安保法制を容認する学会本部の問題点を共有していく。
 今の創価学会を、師匠の仰せ通りの創価学会へと変えていくきっかけとする場をつくることが今こそ重要ではないかと思ったのです。

「皆さん方、一人ひとりが、創価学会そのものです。それ以外には、創価学会の実体はありえないと確信していただきたい。」(名誉会長指導)

 一人一人が創価学会であり、一人一人の心の中に創価学会があると。ならば一人一人の心の中に、そして戦いの中に、師匠が理想とされた創価学会の実現があると思うのです。
 ならば、憲法の解釈を捻じ曲げ、“後方支援だから戦争への加担ではない”という詭弁に対し、正義の声を上げるべきは、創価三代の真の弟子である「名もなき庶民」でなければならない!
 師匠の精神を守るのは名もなき庶民である!名もなき会員にこそ創価三代の精神はある!!と私は声を大にして叫びたいのです!
 そして、師匠の精神を守るのは他ならぬ自分自身である!その心を同じくする同志の皆様と、私はさらなる正義の声を、師の正義の声を、力の限り叫び抜かねばならないと決意しています!

「善の人が勇気を持つのだ。声を上げるのだ。勝利のために連帯するのだ。
そこに、時代変革の重要な鍵がある。」(名誉会長指導)

「『権力者が上』『民衆は下』ではない。 民衆が主役である。民衆が王者である。
為政者とは、民衆に奉仕していく存在なのである。」(名誉会長指導)

  民衆が主役の創価を!
  師の仰せを護る創価を!
  断じて取り戻したい!!
  ゆえに
  民衆が異体同心で団結し
  正義の前進をするために
  正義は正義であり
  悪は悪であると
  真実を叫ぶのだ!!

  安保法制は創価三代に違背している!
  公明党・創価学会本部は
  師の仰せに違背している!!

  真の弟子である
  名もなき創価の民衆と
  時代を変えゆく
  真の座談会を
  善の力を結合しゆく
  誓いの座談会を
  師への報恩と
  創価への絶大なる感謝をもって
  ここに開催することを
  決意する!!

 
 
■ 集会日時:平成28年2月28日(日)
         午前10時~11時30分
■ 集会場所:西公会堂2階 1号会議室
         神奈川県横浜市西区岡野 1-6-41
         ★「横浜駅」より徒歩10分
■ 連絡先(メールアドレス):harunokoimejapan20150831@yahoo.co.jp
※お問い合わせは、上記のメールアドレスか、ブログのメールフォームからお願いします
※集会に参加したいと思って下さる方は、「2名で行く予定です」など予定で構いませんので、教えて下さると本当にありがたく思います。
■ 地図:
西公会堂の地図


■④ 【後半】第2回サイレントアピールに参加した会員一人一人の思いと私たちの決意

【後半】
 「第2回サイレントアピール」と私たちの決意

 私たちは、第2回目のサイレントアピールを、先日1月9日に学会本部と本部職員に対して行ないました。学会本部の「安保法制容認」が創価三代の師匠の精神に違背していることを訴え、さらに学会本部の「安保法制容認」に対する「師匠の了承」の有無の公表を求めるためです。
 お元気な師匠がおられたならば、安保法制に対する師匠のお考えを公表することは決して難しいことだとは思えません。
 連日メディアで報道されていた通り、会員の多くがこの安保法制推進に疑問を持っていることは明らかです。
 しかし、学会本部は未だに安保法制推進に対する師匠の思いを公表することはありません。
 そうした状況にも関わらず、聖教新聞の新年号には、昨年11月に撮影されたという師匠と奥様のお写真や「新年の歌」が掲載され、『新・人間革命』の「常楽」の章が開始されました。
 そして、1月7日の聖教新聞の紙面座談会(4面)では、最高幹部は、「お元気な池田先生・奥様」、「先生は、年末も海外の国々へメッセージを贈られるなどの激励を続けられた」と語るのです。
 「会員こそ我が命」
 師匠の人生が会員を護り抜くための連続闘争であったことは会員ならば誰もが知るところです。戸田先生は亡くなる2週間前に3.16の歴史的な式典に出席し、スピーチまでされている。その弟子である池田先生が今般の安保法制推進について何も語られず、姿も見せない。
 しかし、新・人間革命やメッセージは贈られる。
 私はそこに学会本部の師匠利用があると思えてならないのです。

 “師匠はご健在だ。だから師匠が安保法制容認を了承していないはずはない。”
 悩む学会員に対し、本部執行部が必死に誤魔化しているように思えてなりません。「師匠がご健在であってほしい。」そう願う学会員の純粋な心を利用しているように感じてならないのです。
 本部は目先の「選挙」や「権力」という政治の駆け引きによって、三代の精神である「絶対平和」という根幹を捻じ曲げてしまった。そして、安保法制を容認し続けている。その背信行為を必死に正当化しているように感じてなりません。

 しかし、いくら本部が師匠を利用し、自分達の暴走を正当化しようとも、「集団的自衛権の行使容認」を閣議決定で許してしまった公明党の判断を学会本部が容認した汚点は、断じて消えることはありません。
 だからこそ学会本部に対し、安保法制容認は三代の師匠が命がけで守ってきた「絶対平和」に対する裏切りであると、必死の声を上げることが正しいと思うのです。創価の役職も、創価学会も、師匠の仰せを護り、会員が幸せになるために存在する。その根本である、師匠が命をかけて教えて下さった厳命を、破る戦いに正義も幸福も私はないと思えてならないのです。

 私たちが横断幕を掲げて立っていると、一人の男性が声を掛けてきました。ブログを読んで下さり、駆けつけてこられた学会員の方でした。
 その方は事前に本ブログ宛にメールを下さり、サイレントアピールの時間を尋ねてこられました。私たちは事前にメールで時間をお伝えさせて頂きました。すると当日、遠方よりわざわざ足を運び、飲み物の差し入れまでして応援して下さいました。本当に、本当に恐縮しました。
 その方は仰られました。「御三方だけだと思っていたのですが、こんなにたくさんの方が集っているとは思いませんでした。」「本来は内部の私たちが声を上げなければならないことなのに申し訳ありません」と。
 その言葉を言わせてしまうことに、本当に申し訳なく思いました。自分がもっとしっかりしていれば、問題がここまで大きくなる前に創価の官僚化、権威化をくい止めることが出来たのではないかとの思いに駆られたからです。それと共に、私たちはその壮年部の方の真心に、自分を育ててくれた「創価家族」の温かさ、同苦の心を感じ、胸が熱くなりました。感謝しかありませんでした。

 さらには、ブログを読まれた北関東の婦人部、壮年部の方々が、サイレントアピールの時間帯も分からない中で、わざわざ電車で駆けつけて下さったのです。「3名のブログを見ています。直接お会い出来れば共に立ちたいと思ってきました」と。
 また、都内からも婦人部の方がお一人で駆けつけて下さいました。ここにも、偉大な「創価の母」の姿がありました。純粋に師の仰せのままに行動し、毅然と大誓堂の前に立たれるその姿に、感動と感謝、そして尊敬の思いで胸が一杯になりました。皆さんと共に立つことができ、涙が込み上げてきてなりませんでした。
 気が付けば、私たち3名を含めた16名もの参加者が、広宣流布大誓堂前に立ち並び、学会本部と本部職員に対してサイレントアピールを行なうことができました。
 たった16名と思う方もいるかも知れません。しかし私には、お一人お一人こそが創価であることを感じてなりませんでした。師匠の温かさを感じずにはいられませんでした。

 終了予定の11時に横断幕を片付けると、サイレントアピールに参加された方々の間で自然と対話が始まりました。短時間でしたが、まるで青空座談会のように話に花が咲きました。
 地元組織では安保法制の話がタブーとなっている実態。意見を言うと村八分にされる体験などを伺い、胸が締め付けられました。
 創価学会の中で、本部の方針に従わない人間を排除するといった権威主義が加速度を増して進んでいることを痛感しました。
 その場に集って下さったお一人お一人が、師の仰せを守らず安保法制推進を容認する今の学会本部のやり方を、深く危惧されていました。そして、師匠の仰せ通りに生きたいとの思いを語られていました。
 あらためて師匠は、師の仰せを胸に戦う会員さんお一人お一人の中にいらっしゃることを感じてなりませんでした。「師と弟子」その間には誰人たりとも入ることはできない。それが創価の師弟であると。

 ただただ、師匠池田先生のご恩に報いたいとの一心で戦う同志。
 こうした方々に勇気づけられ、支えられて、私たちは今の創価をより良く変えるための戦いをさせて頂くことが出来るのだと感じてなりませんでした。
 今の創価学会は、民衆を沈黙させ、考えなくさせ、ただ従わせるだけの権威的かつ硬直化した組織になっているように感じてなりません。
 第三文明の本年1月号では、作家でクリスチャンの佐藤優氏が、旧約聖書の一節を引きながら、「今は学会員の方々は『沈黙すべき時』であり、公明党議員を信頼してまかせるべき時だ」と発言しています。
 『沈黙すべき時』
 そんな師匠の指導がどこにあるのでしょうか。師匠はいつ「沈黙しろ」などと言われたことがあるでしょうか。創価の思想は一体どこへ行ってしまったのか。
 むしろ池田先生は明確に言われている。
「戦いにあって沈黙は悪だ!正義は叫ぶものだ!叫ぶことのない正義はありえない!一人の鉄の信念の叫びは、必ずや千波万波に広がるのだ!これが歴史の法則である。」

 さらに、戸田先生も明確に仰る。
「青年よ、心して政治を監視せよ」と。
 心して政治を監視し、悪には容赦なく正義を叫べと。
 それがなぜ「沈黙」なのでしょうか。
 学会員一人一人が、権力の中枢である政権与党に参画した公明党の動きについて、より厳しく監視していくことは当然のことではないかと思うのです。

 学会本部は、選挙に勝つため、公明党が政権与党であるためであれば、創価三代の精神を蔑ろにすることすら辞さなくなっているように感じてなりません。そして、そうした欺瞞を誤魔化そうと、あの手この手を使って躍起になっているように思うのです。
 だからこそ、私たちは、安保法制を容認し、創価三代に違背している学会本部に潜む「権力の魔性」と真っ向から戦わねばならないと思っています。三代の師匠と名もなき会員が創り上げてきた創価を護るために。

「第一歩を踏み出さなければ、目的は達せられない。
 まず『行動』だ。『一歩』を踏み出すことだ。
 『前進』即『勝利』である。」(名誉会長指導)



第2回サイレントアピール(大誓堂前1)20160109

第2回サイレントアピール(大誓堂前2)20160109







■③ 【前半】第2回サイレントアピールに参加した会員一人一人の思いと私たちの決意

【前半】
 「第2回サイレントアピール」について

 私たちは第2回目となるサイレントアピールを、平成28年1月9日(土)、朝10時から11時までの1時間、創価学会本部の広宣流布大誓堂前で行ないました。
 今回掲げたメッセージは、1回目に掲げていた、
『 安保法制の容認は 創価三代に 違背している 』
『 安保法制の容認について 「師匠の了承」の有無を 公表すべき 』
の2つとともに、
 新たにもう一つ、
『 北朝鮮の水爆実験 「抑止力」は創価三代に 違背している 』
とのメッセージを掲げました。
 この日の直前の1月6日、隣国の北朝鮮は水爆実験を行ないました。その報道を見たときに、日本の安保法制推進に呼応して、周辺国が「自衛的措置」「合法的権利」を口実に武力、戦力を拡大・誇示することに拍車がかかったように感じてなりませんでした。

 師匠は明確に仰っています。
「不信や恐怖に依拠した抑止論的思考を拒否する──との立場は、核兵器の使用を絶対悪と断じた戸田第2代会長の『原水爆禁止宣言』を貫く思想と相通じています」
「仏法では、生命主体と環境世界とが不可分に繋がり合っているという『依正不二論』を説きますが、その法理に照らしてみても、核兵器による脅しをかけられ、不安に揺れ動く心から、平和がもたらされるわけはないのであります」と。

 軍事力を使った「抑止力」(暴力的手段)では、平和は構築できない。それどころかさらなる暴力を生む。師匠は、平和を構築するためには、平和的手段(非暴力)による以外にないと明確に仰っているのです。つまり、安保という抑止力を師匠が了承することは絶対に、絶対にあり得ない。

 当日は、私たち3名以外にも、地元組織で不当な対応をされ続けている会員同志の方々が参加してくれました。集ってくれたお一人お一人が、今の創価学会に対して危機感を感じていました。本当に心強く思いました。午前10時少し前に大誓堂前に到着すると、その日は大誓堂で大きな会合があり、多数の会員の方々が訪れていました。
 また、その日の午後に豊島区・巣鴨の東京戸田記念講堂で1月度の本部幹部会の本番があったためか、多くの本部職員が大誓堂前を歩いていました。
 私たちは早速、横断幕を掲げてサイレントアピールを始めました。

 多くの会員の方々が、横断幕に掲げられたメッセージを読みながら通過して行かれました。横断幕を見て頷きながら通過する方、立ち止まって読まれる方、「無視、無視」と言いながら通り過ぎる方もいました。
 いろいろな反応がありました。しかし、多くの方々が学会本部の安保法制容認に対して、少なからず疑問を抱いているように感じてなりませんでした。

 しばらくアピールを続けていると、驚いたことに小平が九州で勤務していた時に、対話を懇願し続けていた愛媛総九州長が、前から歩いてくる姿が見えたのです。小平はこんなところで愛媛さんと出会う仏法のあまりの不可思議さを感じてなりませんでした。そして小平は「愛媛さん!」と声をかけました。何度も対話を懇願してきた愛媛さんと“もし会話をすることができたなら”と思ったのです。
 しかし、愛媛さんはこちらに気付いた途端に視線を逸らし、聞こえない様子で足早に去っていきました。
 そして、さらに不思議なことが起こりました。今度は滝川が神奈川で勤務していた時の上司であり、平成21年に私たちに対して役職解任処分を通知した高知副会長が前から歩いて来たのです。
 何度も対話をお願いしてきた高知副会長。滝川は“もし会話をすることができたならば”との思いで声をかけました。「高知さん、お久しぶりです!」と、しかし高知さんは、全く聞こえない様子で、一度も振り向かず目の前を通過していきました。滝川は通過して行く高知さんの後ろ姿を見つめていました。
 すると高知さんを見つめる私、滝川の姿を見て、マスクの奥から声を出して笑っている人がいました。今回「私も参加したい」と駆けつけてくれた私の母でした。
 大勢の会員さんがサイレントアピールをしている私たちを見ている中、私を見て笑っている母。
   滝川 「何笑ってるの・・・・」
    母 「(笑いながら)そうやってずっと“対話をして欲しい”と、話しかけて来たんだなって思って」
   滝川 「だって対話でしょ。万が一でも、対話してくれる可能性があるかもしれないでしょ」
    母 「(笑いながら)だって清志に対する本部の制裁を認めた人なんだから、除名だって認めているんだから、会話なんてしてくれるはずないでしょ」
   滝川 「まぁそれはそうだけど・・・」

    母 「でも清志は絶対に正しい」

 この温かい母は、入会して50年の一婦人部であり、入会当初は両親の大反対に遭いながらも必死に信仰を磨き、看護師として働きながら二人の息子を育ててきた。
 このサイレントアピールへの参加は、師匠のおっしゃるとおりに生きようとする母が、目の前で起こっている学会本部の安保法制容認という現実と向き合った時、自分の命を何のために使うのかを考えた末に決断したものだった。

 母は、今から13年前の平成15年9月、スキルス性の乳がんと宣告され、「年内もつかどうか」と告げられる。突然、突きつけられた余命3カ月。現役の看護師であった母はそれがどれほど厳しい病状であるかを誰よりも理解していた。
 私はもう死ぬ、そう思い遺書を書いた。御本尊に向かい題目を上げなければその不安に押し潰されそうになった。必死に祈る中で湧き起こってくるのは、「私は何のために生まれてきたのか」、「私の人生は何のためにあるのか」という思いだった。
 「私の人生は広布のためにある」そう思いながら生きてきた。しかし、今の自分は題目を上げなければ、死の恐怖に押しつぶされそうになる。心にある何かが定まらなかった。毎日、毎日、題目をあげ続けた。祈らなければ前に進めなかった。
 そして祈り続ける中、ある時こう思う。
 「残りの人生を、師匠のおっしゃるとおりに生き抜こう。それが一番後悔のない、自分が納得できる人生だ」と。
 “偉大なる師匠の弟子でありたい”と心から願う母である。当然と言えば当然過ぎる弟子としての結論である。しかし、その深さが違った。

 平成16年2月、母は乳がんの手術を受ける。手術前後に合計8クールもの強烈な抗がん剤との戦いを経て、長く過酷な闘病生活が始まる。手術は成功した。しかし、がん細胞はすでに全身に散らばっていた。いつ再発するか分からない。
 生きるか、諦めるか、諦めれば死が待っている。母は絶対に勝つと決めた。
 そして、さらなる試練が母を襲う。
 平成20年4月、息子が学会本部に呼び出され、本部指導監査委員会の監査にかけられることを知る。そして、本部が決めた結論に従わなければ(誓約書に誓約しない)役職解任処分となってしまうと聞かされるのである。
 「息子を先生のお役に立つ人間に」それだけを願ってきた母。本部職員である息子が処分されてしまう。病魔だけでなく、次々に容赦なく襲ってくる苦難の嵐に心が折れそうになった。
 祈るしかなかった。ただただ、必死に、必死に。
 そして母はこう思う。
 “自分がずっとこの目で見て来た息子である。そして、「師匠のおっしゃるとおりに生きたい」と誓う息子の同志たちである。何があっても自分は目の前の息子を信じ抜こう”と。

 地元組織の幹部が自宅を訪れた。そして母に伝える。
 「息子さんたちの問題は詳しくは分からないが、会長の決めたことに従うように息子さんを説得してほしい」と。
 しかし、母は幹部の話を聞きながら思う。
 “解任されるほどの重大な問題にもかかわらず、幹部が「私たちも詳しくは分からない」と言う。そんな無責任なことがあるか”と。
 そして、母は勇気を出しこう伝える。
 「私は“誓約して欲しい”と息子を説得することはできません。私は、息子は正しいと思っています」と。
 息子の戦いを見てきた母である。誓約を説得することは自分を誤魔化すことになる。しかし、説得することを断ればこれから起こるであろう難は容易に想像できる。しかし、母はそれでも苦難の人生を選んだ。そして説得を断ったのである。

 誓約書に誓約しなかった息子たちは学会活動を謹慎処分となる。その後、全役職解任処分となった。
 すると、母に対して、某総区長たち3名の幹部が家を訪れる。そしてこう徹底する。
 「息子さんの事を組織に一切話してはならない。聞かれても答えてはならない」と。
 それ以後、母に対して組織からの連絡はほとんどなくなった。会合連絡も、座談会の日程と本幹同時中継の入場券がポスティングされるだけとなる。

 母は、家を尋ねてくれる地元の身近な幹部から、「『(息子さんは)会長の指導に従わなかったから処分された』と聞いた」と聞かされる。
 “ずるい、こんなやりかたは絶対にずるい”

 そもそも、その「会長の指導」とは何なのか、現場の幹部は誰も知らない。事の経緯や内容を一切知らせずに、“「会長の指導」「本部の決定」に従わないことが問題である”とされている。ただ問答無用に従わせようとしているように感じてならなかった。今の創価に公平な「対話」が見失われていっていると思えてならなかった。
 母は負けない。原田会長に手紙を書くことを決意する。
 原田会長に「解任を決めた理由を説明してほしい」「一度話をさせて頂きたい」と手紙を書く。何とか一度でも原田会長と話が出来ればとの思いだけだった。しかし、返答はなかった。
 それでも母は戦いをやめない。
 さらに名誉会長の秘書である長谷川副理事長(現・理事長)や御子息の宮城副会長、某総合婦人部長にも手紙を書くのである。むろん、返事はなかった。
 そして平成23年6月、母は、本部職員の甲府総神奈川長と福井総県長の2人と話す機会をつくることができた。
 その際、その2人に原田会長への言づてとして、“会長が息子たちの解任を決めた理由を説明して頂きたい”とお願いした。
 すると、甲府総神奈川長は、母に対して真顔で言い放つ。
 「会長は偉い人なんです!わかりますか!」と。
 母はとっさにこう答えた。
 「そうは思いません!」
 その言葉に、甲府総神奈川長は絶句し青ざめたという。

 「会長は偉い人」だから身分を弁えて発言しろと言われているように感じた。“池田先生なら、池田先生ならこんなこと絶対に言われない!”悔しさに涙がこぼれた。
 息子たちが学会本部の中で向き合っている、権威化した「対話なき本部」の実態を肌身で実感するのである。
 母は決意する。
 「私は生きて生きて、戦って戦って、『青年達のすべての大勝利を見届けるまでは死ぬものか!!』」と。
 あまりに偉大な創価の母である。感謝してもしきれない。この母から生まれることができたことが私の最大の誉れである。

 平成24年10月、さらなる難が母を襲う。
 学会本部から、息子が話し合いを求める行為を理由に、即時懲戒解雇を下されたのである。
 息子から話を聞いた母はすぐには信じられなかった。対話を求めたら、一度も対話せずに懲戒に掛け、懲戒解雇処分で切り捨てる。そんなことが創価学会の中で現実に行なわれた。怒りと悔しさで御本尊の前で涙が溢れた。

 息子が学会本部から懲戒解雇を受けると、母はさらに組織から距離を置かれる。そして経済的にも厳しい状況となる。
次々と襲いかかる難に、見守ってきた滝川の父の心に変化が起きていく。
 「たとえ手紙を出しても会長からの返答はこない。握り潰されて終わるだけで本部は変わらない」と。
 そして戦いをやめるべきだと言い出すようになる。母はさらに苦しい状況に置かれていった。
 父は、入会直後に脊髄腫瘍が発覚し、手術をしても寝たきりになるなど社会復帰は望めないと言われていた。しかし、手術は成功し、数年後には社会復帰を果たし定年まで働くことができた。信仰の力を感じてきたのである。
 その父と母は、人生の苦闘を乗り越えてきた戦友であった。
 「池田先生の言われている通りの学会に私たちがしていかなければいけない」共に原田会長に手紙を書くなど二人三脚で戦い生きてきた。
 その父が「諦め」を口にし始めたのである。
 そして、「諦めない」息子たちを「動いても変わらない」と非難し始めたのである。
 母は、何度も父と話し合う。そのたびに父は、「息子たちを応援する」と変わるが、翌日になると、「やっても無駄だ」とガラリと考えが変わってしまう。
 難を受ける度に変化する父の心に、母は悔しさに涙が込み上げた。
 「私は負けない。絶対に負けない!」
 遅くまで題目をあげる日々が続く。
 母は、夫が息子たちを非難することをやめさせたかった。自分は何の行動もすることはなく、無責任な非難を繰り返していく。そのおかしさを何とか夫に気付いて欲しかった。
 母は、父と何度も何度も話し合う。
 しかし、父は、“どんな苦難にも立ち向かい、何があっても師匠の仰せどおりに生きる”と誓った母と同じ生き方をすることができなくなっていく。
 父は、病を完治し、40年働いた。だから、そこまでやる必要はないとの思いが口に出るようになる。
 常に再発を意識し、生涯戦い続けることを誓う母との間で、いつしか大きな隔たりが生まれる。それでも、母は父との対話を続けていく。
 しかし、父はついにその母をも批判するようになる。
 「こいつ(母)には何もしてもらったことはない。今後も何もしてもらおうとは思わない」と。
 母の存在を知人のいる前で否定するようになっていくのである。
 戦う心を失った父には母に対する感謝の心すら無くなっていた。
 母は、37年間共に生きてきた父と離婚を決断する。
 “私には絶対にやらなければならない戦いがある!”

 自らは病との戦いがある中、息子が懲戒解雇になり、その直後に、37年連れ添った夫と離婚。
 母に、苦難の嵐がこれでもかと襲い続けた。
 しかし、母に悲壮感はなかった、むしろ息子の前では常に笑顔だった。
 離婚を決意した母に、息子は母を巻き込んでしまった申し訳ない気持ちを伝えたことがある。
 すると母は言った。
 「私とお父さんのことです。成人した清志には関係ない!私は私が正しいと思うことをしている。清志は清志の戦いを先生の仰せ通り、最後の最後までやり抜きなさい!!」
 こんな苦しい環境でも気丈に振る舞う母。自分を励まそうとする母。母が一番辛いのに。「やり抜きなさい!!」母の強き言葉に、涙が止まらなかった。こんなにこんなに涙がでたことはない。生涯、絶対に忘れることは無い。

 母はあまりに偉大である。創価の母は何があっても戦いをやめない。
 原田会長に再び手紙を書くことを決意する。
 書いては修正し、修正しては書いた。そのたびに、クシャクシャに丸めた書き損じの草稿でゴミ箱は一杯になった。ペンを持つ指も赤くなりタコが出来た。老眼鏡をかけた目もかすむ。それでも、何とか会長の心に訴えかけようと必死に書き続けた。
 ただただ「青年達の声を一度でも聞くべきである」と。

 しかし、平成26年5月3日に原田会長に手紙を出した直後の5月8日、息子たち3名に創価学会員であることすらも許されない除名審査の呼び出し通知が送られる。そして6月18日に除名処分が決定するのである。
 母は怒りと涙で胸がいっぱいになる。これが会長の返事かと。一度も話を聞かずに除名かと。
 徹底的に息子たちを排除することを目的とした、結論ありきの処分ではないか!!
 母は不当な処分であることを原田会長に訴えようと、7月、11月、息子への処分の不当を訴え、原田会長に必死に手紙を書き続けた。
 しかし、原田会長から返事が来ることは一度もなかった。
 そして、平成27年1月、なんと母に乳がんの全身への骨転移が発覚するのである。一番恐れていた再発である。

「難があればあるほど、信心の炎を燃え立たせていくのだ。襲いかかる難を勝ち越える時、大海のごとき、悠然たる大境涯の自分になるのである」(名誉会長指導)

「人生には、暴風雨があり、暗い夜もある。それを越えれば、苦しみの深かった分だけ、大きな幸福の朝が光るものである。一番、悲しかった人が、一番、晴れやかに輝く人である。運命を価値に転換してほしい。その人が人間としての勝利者である。王者である」(名誉会長指導)

 師匠はいつも私を必ず支えてくれる。師の温かさに涙がこぼれた。
 担当医は、余命について明言を避ける。しかし、スキルス性の場合の症例を調べるとほとんどが3カ月以内に亡くなっている。
 平成16年2月の手術以降、11年が経っていた。それ自体奇跡である。功徳以外ない。
 しかし母は常に死と隣り合わせに生きてきた。もう弱音を吐いている暇はなかった。「やるべきことがある!負けるわけにはいかない!」
 すぐに治療を開始する。次に迎えた診察日、担当医が検査結果を見ながら興奮している。
 なんと劇的に数値が下がり、骨転移した箇所にも改善が見られたのだ。まだ、まだ私は生きられる!!師匠と御本尊にただただ感謝しかなかった。その感謝に涙が溢れた。
 生きれるならば戦える!!
 同年4月28日、手紙を書く母の手に力がこもる。
 “なんとしても原田会長に青年たちと対話してもらわなければならない!”

 しかし、手紙を書き続ける母に、組織の処分の手が、近づいてくるのである。
 3カ月後の7月23日、突然母に、会ったことも話したこともない本部職員の名古屋総区長から電話がある。
 8月2日、指定された会館に行くと、名古屋総区長の他に、本部職員の大津総区書記長や某総区総合婦人部長が同席していた。
 3人に囲まれ面談が始まる。
 名古屋総区長から「除名者と勤行をしているのではないか」と詰問される。
 名古屋総区長は「除名された人は、学会から、“あなたたちは学会に迷惑をかけたので、学会を除名します”と、そういうふうにされた方です。そういう方たちと、一緒に信仰活動するっていうのは、これは問題がある」
 母は「自分が見てきた青年達は除名されるようなことをしたとは考えられない。一度話を聞くべきではないですか。」
 そして3名の幹部は、誰一人、除名になった青年たちと直接話をしたことがないことを話す。会って話したこともない青年を除名審査に掛けて、除名処分を下す。母は、そのあまりに無慈悲な、結論ありきで排除するおかしさを必死に訴えた。
 「会ってもいないのに除名っていうのはおかしい!」と。
 しかし、総区幹部はそれには答えない。
 そればかりか、大津総区書記長は、「学会の正式な機関が決めた除名は間違ってますか!」「学会の判断は間違ってますか!」と、10回以上も繰り返し問い詰めるのである。
 もはや脅しである。組織を使ったいじめである。
 大津総区書記長は、どうしても「学会の判断は間違っている」という言葉、言質を取りたそうであった。
 大津総区書記長は本部職員である。母は、以前、本部職員の甲府総神奈川長から、「会長は偉い人なんです!わかりますか!」と言われた言葉を思い出す。都合の悪い質問には答えず、威圧的な言葉で相手を抑えつける。全く対話にならない。あの時と同じだと思った。
 人間を信じる心も、青年を育てようとする師匠の精神もまったく感じられない。ただ「分断」「排除」の2文字しかない。
 こうして地元地域では、息子も含め次々と除名処分が繰り返され、今では除名者が8名にものぼっている。皆、本部職員が起こした問題に声を上げたがゆえの処分であった。

 母は原田会長への手紙に以下のように書く。
「名古屋さんや大津さんは本部の職員だと聞きました。その二人とも、一度も青年達に会ったことも話をしたこともないのに、除名です。前代未聞です。
 会長、本部の幹部職員の中では、これが『常識』になっているのでしょうか。
 三代にわたる師弟の学会の魂は、『対話』なのではありませんか?『対話』こそ学会の生命ではありませんか」と。
 3名の総区幹部との面談で体験した地元幹部の対話ができない実態は、原田会長が手紙を無視し続けるように“対話なき学会本部の体質”から波及しているように感じてならない。
 母は、息子たちが解雇になって以降、原田会長に9通に渡る手紙を書いている。しかし、いまだに一度も会長からの返答はない。

 母は思う。対話ではなく、力ずくで人間を動かそうとする創価の体質。この体質が政治の世界でも「抑止力」という力で抑えつける考え方を容認することに繋がっているのだと。
 こうした中、息子からサイレントアピールを学会本部前で行なうことを聞くのである。
 母は、語る。
 「『建設は死闘、破壊は一瞬』だ。今こそ具体的な行動を起こさないといけない」と。母は、ただただ悔いなく生きたい。その思いで横断幕を掲げた。
 母の祈りと決意は深かった。
 「師匠が望まれる対話のある創価に変革するまで私は生き続ける!」
 師匠の模範の弟子とはだれか。
 幹部でも、執行部でもない!
 正義を愛する名もなき「母」である!!



  わが母よ
  偉大なる創価の母よ!

  人生の悲しみや苦しみに
  じっと耐え抜き
  一歩、また一歩と
  困難を切り開く
  そこにはいつも
  あなたの笑顔があった

  宿命に立ち向かい
  同志のために
  師のためにと
  不屈の祈りを重ねる母よ

  民衆を苦しめる悪に対しては
  毅然と声を上げる
  正義の母よ

  あなたの祈りが
  私を鼓舞し
  あなたの声が
  私の勇気を呼び覚ましてくれる

  ゆえに今こそ
  われは母のために
  偉大なる創価の母のために
  あなたが敬愛する師を
  我が命をかけて
  護り抜いて見せる!
  それが
  母への恩に報いる
  正義の道だと信じて!!







第15 懲罰や人事を使って制裁を与える学会本部の実態(H23.7~H23.9.19)

『師弟とは、人間の究極の道である。
命がけの決心でなければ、継ぐことはできない。勇気があるのか、正義が燃えているのか、分からない──そんな中途半端な姿ではいけない。
観念ではない。明確な「行動」がなければならない。
小さな自分をなげうって、人生の最後の瞬間まで、師匠の正義を叫び、大恩に報いていく──これが弟子の道である。
今、新しい創価学会を築く時である。後継のリーダーは「師弟なくして仏法はない」という一点を、わが生命に刻みつけていただきたい。』
(名誉会長指導)

師がいたからこそ
 苦難を越えられた
師がいたからこそ
 幸福になれた
師がいたからこそ
 人生の価値が生まれた
 
師弟を深めるために組織があり
民衆の幸福のために創価がある

決して
組織のための師弟でもなければ
創価のための人間ではない

「正義」と「創価」とは
「一人の人間のために」
 この一点にある
ならば
 我が人生
 人間のための創価を築くことが
 師恩に報いる 正義の道ではあるまいか!
 師恩に報いる 弟子の道ではあるまいか! 

 師のお心を 我が心とし
 師の叫びを 我が叫びとし
 尊き我が命を尽くし抜き
 断固として正義を叫び抜く!

 今こそ!三代の精神を護り抜け!!
 今こそ!人間のための創価に帰れ!
そして 我が生命よ!
 今こそ!師恩に報いる 苦難の弟子たれ!!


 懲罰の対象行為に唯一取り上げられなかった山梨女史に手紙を書く

 職員懲罰委員会から提示された『懲戒の対象となる言動』には驚くべき内容が記載されていた。それは、私たちが原田会長を始めとする本部執行部に対し、懇談をお願いした行為や名誉会長秘書に手紙を渡そうとしただけの行為が、懲罰の対象となる行為として列記されていたのである。
 本部執行部は、本部の決めたことに従わず声を上げる人間に対して容赦なく権力を行使し、その言動を封じようとしている。私たちの話を一度も聞かないまま、半年ごとに地方へ異動させる制裁人事を繰り返し、さらには自らが証言者となって懲罰委員会を動かす。
 もはや、私たちの必死の声は全て本部執行部に対する非違行為と判断され、そして初めから加害者であると決めつけられたのである。
 しかし、ただ一つ不思議なことがあった。
 それは懲罰委員会の『懲戒の対象となる言動』には、私たちが山梨女史に対して手紙を書いていることについては、一切取り上げられていなかったことだった。
 これまで私たちは、山梨女史に対して合計8通の手紙を書いて面談を懇願し続け、師匠への報告のお願いもしてきた。しかし、『懲戒の対象となる言動』の記載事項には、山梨女史の名前すらなかったのである。
 師匠の御子息の宮城第一庶務室次長(副会長)に手紙を渡そうとした行為は取り上げられている。しかし、師匠の側近中の側近である山梨女史に手紙を送付した行為は、一つも問題とされていない。実に不思議なことだった。

 私たちは考えた。
 “山梨女史は、私たちから手紙が送られてきていることを本部執行部に伝えていないのではないか。”
 “山梨女史は、私たちが報告した本部職員と本部執行部の不正、そしてそれを隠す学会本部の不正を師匠に報告すべきかどうか、誰にも相談できずに悩み、葛藤を続けておられるのではないか。”
 ほんのかすかな光である。しかし、私たちにとってはそんな光も大きな希望だった。
 “山梨女史から師匠に報告を届けてもらえる可能性が無いとは言えないのではないか。”
 私たちが無実の会員同志たちの正義を証明するために出来ることは、山梨女史から師匠に手紙を届けて頂けることを祈り信じ抜き、山梨女史に手紙を書き続ける以外にない。
 私たちは毎晩、山梨女史への手紙の内容を考えては話し合い、何度も何度も推敲を重ね、山梨女史へ9通目の手紙を作成する。もう山梨女史への手紙は9通73ページに渡っていた。

 私たちは山梨女史への手紙に大要以下の通り記した。

「平成23年6月に懲罰委員会から呼び出しを受けました。渡された『懲戒の対象となる言動』には、私たちがこれまで本部執行部の方々に『面談を懇願』してきた行為が取り上げられ、『面談を迫った』、『口論になった』と、事実を著しく誇張・歪曲されて書かれていました。
 私たちの話を一度も聞く事無く、すでに『懲戒の対象となる問題行為』をした人間として、私たちを処罰する方向に進んでおり、その場にいない人がいるとされたり、事務所を退出していたのに事務所に居座ったとされたり、事実とまったくかけ離れた『嘘』の内容が書かれていました。」

「自分達は、決して自身への懲戒を恐れているのではありません。会長や執行部に『面談を懇願した』ことが『懲戒の対象』となってしまう事実を恐れているのです。『対話』という、ごく自然で、創価において最も大事であるこの行為が、『懲罰の対象』とされていることに強い危機感を感じているのです。
 これは師匠の『「対話」「話し合い」を無視した一方通行のやり方は、明らかに大聖人の教えに反する。師への反逆という謗法なのである』との仰せの通り、師匠への反逆行為だと思うのです。」

「懲罰委員会からの呼び出しを受けて思うことは、先生の手の届かない所で、力を悪用し始めた人間がいるのではないかということです。本部の公式機関である懲罰委員会を私的に利用してしまうほど、権力を悪用する人間が出てきたように感じるのです。その人間が、今回懲罰委員会に『問題として依頼した人間』であるように感じてなりません。
 池田先生は『万が一にも、師弟をないがしろにし、学会を自分の思う通りにしようというような人間が出たら、皆で戦うことだ。こうした悪人を絶対に許してはならない』と御指導されています。
 私利私欲の為に学会の公式機関を動かし、学会を個人的感情で利用する人間がいることが、創価の存続に関わる大問題だと思うのです。だからこそ、師匠にお伝えしたいのです。取り返しのつかない事になってしまうことを恐れるのです。」と。

 そして最後に、平成23年3月の山梨女史宛の手紙に同封した、師匠宛の手紙を師匠に渡して頂きたいことと、一言でも原田会長と対話を懇願している青年がいることを師匠にお伝えして頂きたいことを書き、手紙を締めくくった。

 さらに山梨女史宛の手紙には、少しでも山梨女史に本部の実態を知って頂きたいとの思いを込め、私たちが懲罰委員会に提出した弁明書の一部を同封し、平成23年8月21日、山梨女史宛に郵送したのである。

 野口の四国への配置転換も制裁人事であったこと

 平成23年7月から9月にかけて、毎年恒例となっている、全職員を対象に行なわれる職員面談が実施された。
 野口は、学会本部の職員局に提出する『職員面談シート』に、四国へ異動する前の職場である本部管財局への異動を要望する旨を記入した。
 野口は平成23年2月1日に学会本部から四国池田文化会館に赴任して以来、異動先の四国総務部では、約半年間、ほとんど仕事は与えられない。一日の仕事量は30分にも満たなかった。フロアの真ん中のデスクにただ座り続ける日々。苦痛以外なかった。
 そもそも野口が学会本部から四国への配転を命じられた際には、小平や茨城氏のように「業務交流人事である」といった異動理由の説明すらなかった。
 何のために学会本部から、縁もゆかりもない四国へ配転となるのかが、一切不明であったのである。
 異動した当初から、どう考えても本部指導監査委員会の誓約書に誓約しないことに対する制裁的人事以外、考えられなかった。

 本部職員として、いかなる場所であっても業務に精励し会員の方々に奉仕することは当然だと思っている。しかし、このまま四国にいたならば、故郷の地元組織で役職解任処分となった会員同志が不当な仕打ちを受け続けている問題は風化されていってしまう。
 一刻も早く本部に戻り原田会長を始めとする本部執行部に対話の場を持って頂き、不正を隠蔽する学会本部の実態をお伝えし、学会本部を変革していく端緒としていかなければならない。
 そのためには、何とか四国最高幹部に、四国への異動が不当な制裁人事であることを伝え、元いた職場である本部に戻してもらうことを訴えるしかない。

 平成23年8月19日、四国の最高責任者の一人である宇都宮事務局長との職員面談が行なわれる。
 宇都宮事務局長は、野口の『職員面談シート』を見ながら話す中で、「ゆくゆくは本部に戻りたいという要望なんですね。」と尋ねてくる。
 野口は、自身が体験してきた一連の本部の問題と、本部への異動を要望する理由を伝える。
 平成21年4月に職員規律委員会が「職員として問題なし」、「職場でどうのこうのしてはならない」との結論を通知したにも関わらず、職場の上司である某管理第一部長から「今回の人事異動は組織の問題が理由です。会長、先輩の指導を聞けない人間に、池田先生周りの仕事をさせられないと上が判断した。」と言われ、本部管財局に異動となる不当な人事が行なわれたこと。
 さらに、同じく役職解任となった滝川は神奈川に、小平は九州に、茨城氏は広島に配置転換となり、異動先の最高責任者から「白紙で見守る」「九州で受け入れてあげた」などと言われていることを伝え、これらの経緯からすると、自分の四国への異動人事も、誓約書を提出しないことに対する制裁人事ではないかと、思っていることを伝えたのである。
 すると、宇都宮事務局長は、「それは、そうだと思う。」と、野口に対する四国への異動人事が制裁人事であることをあっさりと認めたのである。

 不当な動機・理由による配置転換は、社会的にも問題であり、学会本部の社会的信用に関わる重大な問題である。しかし、宇都宮事務局長にそうした問題意識は全く無かった。むしろ宇都宮事務局長は、「理由はどうあれ本部の決定には従うべき」と、当然のことのように話すのである。
 この方面組織の盲目的な“理由はどうあれ、従うべき”との思考が、ますます学会本部の官僚体質を増長させているように思えてならなかった。

 九州の小平に対するさらなる配置転換

 九州の小平に対して、平成23年7月26日、突然、某九州総務部長から「7月29日に職員人事内示式を行なう」とのメールが来た。小平が平成22年4月1日付で九州文化会館に赴任してから、約1年4か月が経過していた。
 指定された7月29日11時、小平は人事対象者の集合場所である九州文化会館3階第2会議に行くと、10名以上の人事対象者が集合していた。一人ずつ別室に呼ばれていき、小平の順番は最後であった。名前を呼ばれて別室に入ると、九州最高幹部の愛媛副理事長(総九州長)、某九州長、前橋事務総局長が並んで座っている。

 冒頭、前橋事務総局長から伝えられる。
「平成23年9月1日付けで、九州納骨堂事務局の九州多宝納骨堂に異動。」

 小平は一瞬頭の中が真っ白になる。
 小平は、平成22年4月に「業務交流人事」との名目で九州に来て以来、九州文化会館1階にある事務局で働き、担当した管理、管財、購買業務に全力を注いでいた。
 それとともに、故郷の地元組織で会員同志が不当に苦しめられている問題の解決に苦心し、毎晩、家に帰ると、山梨女史や原田会長に手紙を書き続けていた。
 本部職員の不正を隠蔽し、会員を犠牲にし続ける学会本部の問題を師匠に隠し続ける実態、そして対話が出来ない学会本部の実態を一刻も早く解決すべく全力を注いでいたのである。
 しかし、平成22年12月15日に、小平は九州の最高責任者である愛媛副理事長から、「九州で再出発の道を歩む意思があるのであれば、白紙で見守っていきたいという思いがあって、君を受け入れた」と伝えられた。愛媛副理事長は、小平の九州への異動が「業務交流」などというのは表向きの理由に過ぎず、小平に対する「制裁人事」であることを知っていたのである。
 しかし、今回の職員人事では、さらに九州文化会館から離れて福岡県の最西端である糸島市の、「九州多宝納骨堂」への配転命令が下されたのである。共に地方への制裁人事を受けている職員同士での話し合いや、不当に扱われている会員同志の話を聞くために飛行機で故郷に駆けつける時間も制約される。さらに厳しい状況に置かれる人事に悔しさが込み上げてきた。
 それでも、それでも諦める訳にはいかないのである。師匠に誓った約束がある!!
 小平は、自分に対する配置転換の真実を明らかにしなければならないと思った。九州納骨堂事務局に異動となる前に、何とか愛媛副理事長(総九州長)に懇談の場を持って頂きたいと思ったのである。
 小平は必死に愛媛副理事長に懇願した。
 「私はどんな職場であっても全力でやっていくことは変わりません。ただ去年からお願いさせて頂いていますが、どうか一度、しっかりと時間を取って話を聞いて頂けないでしょうか。」、「何とか、私が糸島市の納骨堂に行く前の8月中に、ご多忙とは思いますが、何とか、お願いできないでしょうか。お願いします。」と。
 愛媛副理事長は表情を変えることなく一言、「検討します」とだけ答える。

 九州方面の中心会館から、福岡県の最西端の納骨堂への異動。どんどん学会本部から遠ざけられていく。
 いかなる場所に異動となっても絶対に諦めない。どんな状況になろうとも、また、いかなる環境であっても、絶対に負けない!師匠の仰せ通りに生き抜くこと、それ以外に今世に生を受けた意味はないのだ!
 自分のやるべきことは、真実を伝え抜き、不当な会員への処分を撤回させること。また、こうした制裁人事が不当・無効であることをはっきりさせる以外にない。そして、一刻も早く本部に戻り、硬直化した組織を変えねばならない。そうしなければ、さらに多くの会員さんが傷つくことになる。

 平成23年9月1日、小平は九州多宝納骨堂へ配転となる。自宅から高速道路を使って1時間近くかけて車での通勤が始まった。毎日夜を徹して手紙を書き、また共に制裁人事を受けている職員同志で手紙の内容等について話し合う生活が続く中、新たに一から業務を覚えなければならないない。一刻も早く会員同志の無実を明らかにし、創価の変革を進めて行かなければならないにも関わらず、時間だけが無情に過ぎていく。実に苦しかった。

 翌9月2日、愛媛副理事長(総九州長)との懇談の機会が得られないまま、九州多宝納骨堂で前橋事務総局長との全職員対象となる職員面談が行なわれる。
 小平は、九州への配置転換が「業務交流人事」などではなく不当な制裁人事であることを必死に訴える。そして、その旨学会本部の大分職員局長に伝えてもらうことを前橋事務総局長に要望した。
 2週間後の9月16日の昼過ぎ、小平は九州文化の前橋事務総局長に確認の電話をする。
 小平、「本部の大分職員局長に、“交流人事は不当であり、小平が早急に本部に戻ることを要望している”ことを伝えてもらう件はどうなりましたでしょうか」と。
 すると、前橋事務総局長は「その件は本部局長会で上京した時に伝えました。大分職員局長は『わかりました』と言っていました。」と返答した。

 大分職員局長の「わかりました」との返答の意味は全く不明である。本部執行部が、こうした暖簾に腕押し的な対応をし続け、一連の本部の問題に対して全く取り合わずにいたため、今の学会本部の状況があるのだ。学会本部の無責任体質がここにあるのだ。
 自分が我慢すれば何か問題は解決するのか。いや違う。問題は一切対話をせず、懲罰までかけ、配置転換を繰り返してまで、問題を隠し、学会本部の体裁を守ろうとする体質なんだ。力ずくで立場の弱い者を抑えつける学会本部のやり方にあるんだ。本部執行部は、対話によって問題の根本解決をしていくのではなく、保身と妥協から、懲罰や配置転換といった外圧的な方法で問題を安易に処理しているのだ。
 しかしそうしたやり方は、師匠の仰せとは違う。対話を根幹とする創価の思想とは相反するものである。
 自分は奇しくもこうした学会本部の問題に出合った。
 ならば、この問題と徹底して向き合わねば、自身の使命を自ら失うことになる。我が使命を失えば、本部が改善されることはない。排除・隠蔽といった力の論理で物事を終わらせようとする本部の体質が変わることはない。声を上げ続けることが、この問題に出合った自身の果たすべき使命であると小平は思ったのである。
 環境が苦しくなればなるほど、師匠のお心を感じてならなかった。

「皆がおかしいと思っても、それを口に出せないような特別な存在を、つくってはならない。学会は、峻厳な師弟の精神に貫かれた、平等な同志の世界である。悪に対しては、勇敢に声を上げることだ。徹して強く責めることだ。臆病ではいけない。臆病は、ずるい。ずるいのは『悪』である。
 悪を見ながら、放っておいて戦わないと、自分が悪と同じになってしまう。」
(名誉会長指導)

「創価学会の決めたことだから正しい」「本部が決めたことだから正しい」
「師匠の近くにいる幹部だから正しい」
 この師匠の存在を利用する本部職員の慢心、堕落、独善は学会本部を根底から崩す原因になると思えてならなかった。
 今、声を上げなければ絶対に創価を守れないと感じてならなかった。

 職員懲罰委員会宛に2通目の追加書面を送る

 私たちは、平成23年6月30日に懲罰委員会にかけられたことから、平成23年7月末に、各々懲罰委員会宛の弁明書を提出した。
 その後8月16日には、懲罰委員会に対して「私たちを懲罰にかけた『発起人』に対する処罰を要望すること」や、「不当な制裁人事の撤回を求めること」などを訴える追加書面を提出する。さらなる難を受けようが、間違っているものは間違っている!

「言うべきことを、断固として言い切る。正しいことを『正しい』と言い切る。間違っていることを『間違っている』と言い切る。そこに、本来の仏法者の生き方がある。」(名誉会長指導)

 しかし、懲罰委員会からの反応は無かった。
 そうしたところ、同年9月1日付けの聖教新聞にオリンパス株式会社を相手取った一社員の裁判記事が掲載される。それは、社内の不正を告発した社員が不当な配置転換を受けたことに対して賠償と配転無効を求めて裁判を起こし、東京高裁で逆転勝訴したとの記事であった。
 裁判所が下した判決は、上司が「内部通報に反感を抱いて、必要のない配転命令をした」、「人事権の濫用」があったと判断し配置転換を無効とする、というものである。
 私たちは、この「配置転換の無効」を認めた判決を、懲罰委員会にかけられている最中に聖教新聞で知ることになり、その不思議な意味を感じてならなかった。
 私たちは本部職員の不正とそれを隠す学会本部の問題を知り得た職員として、師匠の側近や御子息を介して師匠に報告しようとしたところ、次々と地方へ配置転換された。
 そして小平は、学会本部から九州に異動となり、愛媛副理事長(総九州長)から「前提として君(小平)が職員を続けるのであれば、僕は白紙で見守っていきたいとの思いがあって九州に受けいれた」と伝えられている。
 野口も四国の最高責任者との懇談の際、四国への異動は組織の問題(本部指導監査委員会が下した誓約書に従わなかったこと)が理由であることを認められている。
 これらの配置転換は、“内部通報者に対する学会本部の仕打ち”であり、社会的にも法律違反とされる人事権の濫用のように感じてならなかった。

 さらに、懲罰委員会が取り上げた『懲戒の対象となる言動』には、原田会長が小平と茨城氏に対し、「役員室に面談のアポイントを取りなさい」と指示した時のやり取りがあった。しかし、これも明らかに原田会長の立場を利用した処罰のように思えてならない。
 私たちは原田会長の指示した「役員室に面談のアポイントを取りなさい」との言葉を信じて、平成22年11月16日に面談の要望書を提出した。そして、平成23年1月28日、3月21日、6月11日と4度に渡り、アポイントをとるために会長に手紙を出している。しかし、一度もアポイントが取れることはなかった。
 その会長の「言行不一致」の振る舞いを隠すかのように、原田会長本人の証言によって、その日のやり取りが「懲戒の対象となる言動」であるとされていたのである。

 そもそも、私たちは、本部執行部も了承した本部指導監査委員会の誓約書に誓約しなかったことから、謹慎処分、謹慎延長処分、役職解任処分と3度に渡る処分を受けている。
 しかも、その後の職員規律委員会は、本部指導監査委員会が取り上げた「一連の問題」について職務審査を行なった結果、「職員として問題なし」、「職員規律への抵触なし」との結論を下しているのである。
 ゆえに本来、学会本部が私たちに対して、誓約書に誓約しないことを理由に職務上の処罰を与えることは、本部執行部自らが決定に関与した職員規律委員会の結論に矛盾する問題である。
 それにも関わらず、小平と茨城氏は、「交流人事」との名目で地方への異動を命じられ、その異動先の最高責任者からは「制裁人事」であることを伝えられているのである。
 その後、原田会長の指示通り、アポイントを取ろうと4度に渡り申請や確認の手紙を役員室に提出するが、一切返答はない。それどころか、私たちが原田会長からの返答を待つ中、原田会長の証言によって懲罰に掛けられ、懲罰委員会から召集されることになっている。
 こんなことがあっていいのか!創価学会本部がこんな不正をしていいのか!絶対にあってはならない!!
 師匠が命を削り築き上げてきたのは、社会の模範であるべき創価学会ではないのか!会員の方々は、社会で創価の看板を背負いながら実証を示そうと奮闘されている。そうした会員によって成り立つ創価学会で、このような違法な行為を正当化させることなど絶対にあってはならない。断じて、揉み消されてしまうことがあってはならない!
 弁明書の提出期限からは一か月以上が経過していた。
 私たちは、懲罰委員会に、あらためて追加の書面を書くことを決意する。
 そして以下のような内容を記した。

「一般社会ですら許されない人事権の濫用、人権侵害が、師匠の命である『会員のための公平な創価の組織』にあって、絶対に許されて良いはずがないのです。もし懲罰委員会が執行部と癒着があり、こんなことが許されてしまうならば、創価学会を守るためにも、また、誰が師匠に反逆しているのかを明確にするためにも、司法の場で全てを明らかにし、創価を守らなければならないと感じております。
 誰が師匠に違背しているのか。誰が反逆者なのか。誰が師匠の言葉を建前として軽んじているのか。明確にしなければ、真に創価を護ることはできないと感じているのです。」

「池田先生は『もしも将来、創価学会において、会長が上、会員が下となったならば、そのときは創価学会も邪教です』と言われているのです。本部職員の不祥事が師匠に届かないよう、会員の声を無視し、さらには指摘した会員が反逆者とのレッテルを貼られ続けるならば、正しき創価を取り戻すために命を懸けて戦わなければならないと覚悟しています。
 どうか、職員懲罰委員会の一刻も早い判断をお待ちしております。公平厳正な判断をお待ちしております。」と。

 平成23年9月11日、私たちは4人連名で、祈りながら懲罰委員会宛てに追加の書面を郵送する。

 懲罰委員会に証言した原田会長への手紙

 私たちは諦めない。懲罰委員会に証言した原田会長にも手紙を書くことを決意する。
 原田会長は、創価学会の運営上の最高責任者である。しかし、その原田会長は、自らが小平と茨城氏に対して「役員室に面談のアポイントを取りなさい」と伝えていたにも関わらず、私たちのアポイント申請に対して一切返答がないだけでなく、その時のやり取り(小平と茨城氏の行為)を懲罰委員会にかけたのである。
 そもそも、一度でいい、たった一度でも会長と話をすることが出来れば、私たちが本部最高幹部たちに懇談をお願いすることも無かった。
 師匠の指導に照らして絶対に正しいとは思えない。いや、断じて間違っているのだ!!
 師匠の弟子として、たとえ創価学会の最高責任者である原田会長であっても伝えるべきは伝えなければならない!もし、懲罰委員会が本部執行部と癒着し、私たちに不当な結論を出すのであれば、本意ではないが公平厳正に正邪をはっきりさせるため司法の場においてすべてを明確にする覚悟であることを伝えなければならない!
 
 私たちは、勇気を持って原田会長への手紙を書いた。
「会長、こんなことがあっていいのでしょうか。こんな懲罰を了承していいのでしょうか。『面談の懇願』が懲罰の対象。私はあまりのおかしさに『この通知文の内容は誰が証言したのですか』と質問しました。すると懲罰委員会の熊本委員長は『この通知文は、(通知文に)書かれている人の証言をもとに作りました』と伝えられたのです。さらに衝撃を受けました。証言者が会長だというのです。私は本当にこんなことが許されていいのかと思いました。」

「『対話』ができないならば、なぜできない理由を伝えて頂けないのでしょうか。なぜ、私たちから一度も話を聞くことなく、最後は面談を求めたから『懲罰』になってしまうのでしょうか。私は全く理解できません。こうしたやり方は師匠のご指導からあまりにもかけ離れている。
 私たちの『交流人事』も嘘でした。九州に異動となった小平は、愛媛総九州長から、『君(小平)が職員を続け、九州で再出発の道を歩む意思があるのであれば、僕は白紙で見守っていきたいとの思いがあって九州に受け入れた』と。そして、今年の7月、さらに九州多宝納骨堂へ異動となったのです。全部『嘘』でした。本部から伝えられていた『交流人事』は『本部の指導に従わないことへの制裁』でした。もはやこれは明確な法律違反です。」と。

 そして、続けて
「私は先生の弟子として誠実に生き、死んでいきたいと願ってきました。いかなる誤解があろうとも、創価の為に私は自身の人生をかけて真実を叫びます。師匠が『話を聞かないやり方』を正しいと仰ることは絶対にありません。私は創価を護るために生き続けます。こうしたやり方が『正義』として通用するならば、誰が創価を破壊する人間か、師匠に違背する反逆者は一体誰なのか、真実を明確にし、満天下にしめさなければならない。すべてを明らかにし、創価を護らなければならないと考えています。
 会長が証言した『懲罰』の結論によっては、司法の場ですべてを明確にしていきたいと考えています。」と書き綴った。

 最後は、「原田会長、最後に懇願させて頂きます。今一度対話をして頂けますよう。何卒お願い申し上げます。」と締め括った。
 平成23年9月19日、私たちは原田会長に手紙を郵送する。

 これまで原田会長には9通110ページに渡る手紙を書いてきた。しかしすべて無視。それどころかそうした懇談をお願いする行為が懲罰にかけられてしまう。これ以上対話を求めればさらに厳しい状況になるだろう。職を失い、創価の会員としての資格を失うかもしれない。
 九州多宝納骨堂に異動になった時、それを知った地域の会員さんが心配をしてくれた。「もうこれ以上対話を求めることはやめて欲しい!創価学会にとって大切な人です!これ以上対話を求めれば取り返しのつかないことになる!」
 今でもその言葉が蘇ってくる。本当に嬉しかった。力のない自分である。そんな自分を護ろうと必死に伝えてくれた。自然と涙がでた。ただただ、ありがたかった。やはり、これで良い。これで良いのだと心から思った。一人の会員のために。そのために命を捧げられる自分でありたい。一人のために喜んで我が命を捧げる。
 それが、師が命をかけて教えて下さった弟子の道だと信じて。

 創価は断じて会員のためにある!その創価を社会的な不法行為まで正当化するような組織にだけは絶対にしてはならない!それは師匠への忘恩であり、裏切りである!!
 小平は自分に言い聞かせた。
 すべては勇気だ!全部勇気なんだ!そして勇気は自分が出すんだ!
 何ものも恐れる必要はないではないか!!
 なぜなら
 師匠は我が胸中に厳然とおられる!!
 我が命に厳然とおられるのだ!!



リンク
プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

3名共有のメールアドレスは以下の通りです。
harunokoimejapan20150831@yahoo.co.jp
最新記事
カテゴリ
カウンター
アクセス数
月別アーカイブ
プライバシーに配慮し、登場人物は会長・理事長を除き、地名を使って仮名にしています
検索フォーム
RSSリンクの表示