第9 原田会長から「役員室で懇談のアポイントを取りなさい」との指示(H22.9~H22.12)

「人生も、仏道修行も、何の抵抗もない真空状態の中では、楽なように思えるかもしれないが、そのじつ、大空を飛翔することはできない。空気の抵抗のなか、飛行機が前へ前へと飛び続けてこそ、空気も味方し、持ち上げる力となるのである。前へ、ただ前へ—―広宣流布もまた、勢いある前進を続けるかぎり、苦難をも上昇の力に変えていける」(名誉会長指導)

「何らかの圧迫を受ける。その壁を破ろうと全力で抵抗する。そこに生命力は増大する。人間としての成長も、進歩もある。その意味で、圧迫は、自身の、新しい可能性を開いてくれる。圧迫ゆえの進歩—―それが生命の法則である」(名誉会長指導)

      順風満帆な人生が 最も幸福なのか
      平穏無事な人生が 真の勝利なのか
      いや、むしろ
      逆風によって 己は向上し
      圧迫の壁を破るなかで 己は成長する

      己をより強く、より高みへと
      進歩させゆく君の前には
      必ず障壁が立ちはだかる

      しかし、それは
      不二の道を歩む証明であり
      生命の道を歩む証である!

      ゆえに
      君の正しさの証明であり
      君の正義の証であるのだ!

      同志よ!
      勇んで 進むのだ!
      迷わず 進むのだ!
      歓喜をもって 破るのだ!
      もはや 君の前に立ちはだかる
      障壁は障壁にあらず!
      障魔は障魔にあらず!
      ただただ
      歓喜と飛躍の
      未来の扉なのだ!!


 
 平成22年9月26日日曜日の午前、九州から帰京した小平は、広島から帰京した茨城氏とともに学会本部へと向かう。原田会長との面談の約束を取るため、手紙を携え本部2階の事務所にある原田会長の席を訪れる。
 事務所には数人の職員しかいない中、席に座っている原田会長がおられた。
 小平と茨城氏は、会長の席の前まで進み、勇気を出して声を掛ける。

 小平、「おはようございます。失礼します。小平です。九州から参りました」
 原田会長は、一瞬、呆気に取られたような顔をする。
 会長、「業務はどうした。休んで来たのか?」と尋ねる。
 小平、「今日は日曜日なので、業務は休みです。原田会長すみません。一度話を聞く時間を取って頂けないでしょうか」と、単刀直入に要件を伝える。
 すると原田会長は一気に話す。
 「アポは取ったのか。アポ無しで来るのは社会的常識が無いんだ」、「九州から来てもらって悪いが、話すことはできません!役員室で懇談のアポイントを取りなさい。以上、終わりです」と。

 数カ月前に野口、滝川が訪問した際、原田会長は手紙すら受け取らず、野口、滝川に罵声を浴びせた。そのことを思うと、今回、原田会長から「役員室で懇談のアポイントを取りなさい」と具体的に伝えて頂いたことは、対話の扉を開く大きな一歩前進なのではないかと感じた。
 小平は、「分かりました。では、役員室を通してアポイントを取らせて頂きます」と頭を下げ、帰ろうとする。

 すると、原田会長の2つ隣の席に座っていた青森副会長が、突然立ち上がる。青森副会長は小平と茨城氏に向かって歩きながら、「ここは私の管理責任がある場所だ。」、「出ろよ!出ろよ!」と事務所の出口を指さしながら連呼する。
 小平は、「青森さん。落ち着いて下さい。興奮しないでください」と伝える。
 しかし、青森副会長の興奮は収まらない。出口を指さし続け、「興奮していない!出ろよ!出ろよ!出ろよ!」と何度も言い続ける。
 これまでも、青森副会長は、「一度話を聞いて頂けないでしょうか」と懇願する小平に対し、「行動に気を付けた方がいいぞ!」と睨むなど高圧的な対応を取ってきていた。
 小平と茨城氏は原田会長への要件が済んでいたため、速やかに事務所を退室する。

 事務所の外に出ると、原田会長秘書の山口主任が追いかけて来る。山口主任は、小平の高校の同級生の兄であり、面識があった。
 山口主任は目を丸くしながら、「あんな青森副会長を見るのは初めてだ。何があったの?」と事の次第を聞いてくる。
 小平は、端的にこれまでの経緯を説明する。そして、会長秘書の山口主任に、「どうやって原田会長と懇談のアポを取れば良いのですか?」と尋ねる。
 山口主任は丁寧に教えてくれた。「会長の担当は役員室総務第一部長の徳島部長です。なので、徳島部長に直接連絡をして下さい。懇談を希望する理由は、通常、書面で提出することになっています。書面で提出して下さい」と。

 微かな希望の光が見えた気がした。初めて、原田会長に話を聞いてもらえる可能性が出て来たと感じた。何としても原田会長との懇談のアポイントを取り、一度話を聞いて頂きたい。会長の誤解を解き、会員の無実を何としても証明したい。
 その後、小平、野口、滝川、茨城氏はすぐに、原田会長との懇談の機会を得るためのアポイント申請書の内容について話し合う。

 ちょうどこの頃、誓約書の不提出を理由に役職解任となった会員たちが、地元組織でさらなる不当な扱いを受けていた。
 平成22年9月中旬頃、会員兵庫氏の自宅に封筒が届く。差出人は兵庫氏の男子部の先輩で、最近壮年部に移行した本部職員の某支部長。中には、広布部員の申込用紙と切手付き返信封筒、そして、ワード文書で「広布部員を希望する場合は、申込用紙に記入し返信封筒で11日必着で返信してください」と書かれた書類が入っていた。これまで財務の申込書みは手渡しで、兵庫宅と某支部長の自宅は自転車で5分、携帯電話も知っている。それがすべて郵便。兵庫氏に対する、あからさまな差別的対応であった。
 さらに、会員木本秀信氏は、役職解任処分の通知の際に神奈川執行部から「一会員として、今後の活動については、しっかりと取り組んでいっていただきたい」と言われていたにもかかわらず、地元組織では、「一人一人が発言できるような会合に来ないでほしい」「座談会に参加しないでほしい」と言われるまでになっていた。
 師匠の弟子として、また職員として、この状況を知りながら何も行動しないことは絶対に出来ない。何としても、まずは原田会長に懇談の場を持って頂き、会員たちが不当な扱いを受けている実情を伝えたい。

 原田会長との懇談のアポイント申請書に書き綴った。
 「本部職員である私たちはどうなっても構いません。しかし、何の罪もない会員さん(木本氏、島根氏、京都氏、兵庫氏)が『全役職解任』という処分を受け、『反逆者』のレッテルを張られ、未だに組織から連絡をもらえず、理不尽な対応をされ続けているのです」と。
 そして、「私たちがすべて正しいと思っている訳ではありません。私たちに間違っている点があれば、原田会長に教えて頂きたいのです。その時は断じて自身を人間革命していきます。どうかお時間をとって頂けますよう、何卒、何卒、よろしくお願い致します」と。
 何としても、まずは一度、直接、原田会長に話を聞いて頂く必要がある。

 山梨女史に初めて手紙を出す
 平成22年も10月に入る。本部から九州に戻った小平は原田会長へのアポイント申請の書面を作成しながらも、名誉会長側近である山梨女史の娘埼玉さんから、一向に連絡が来ないことに思い悩み続けていた。埼玉さんとの約束から、はや半年が経つ。
 小平は考えた。“もう何度も埼玉さんに手紙を書き、返答のお願いをしてきた。しかし、埼玉さんからの返答はない。これまで半年間、埼玉さんを信じて待ち続けてきたが返事を頂ける可能性はないのではないか。”と。
 そして、“師匠の側近である山梨女史に直接手紙を出しても良いのではないか。”との考えが一瞬よぎる。しかしすぐに、“それは埼玉さんを信じないことになるのではないか。埼玉さんが「必ずこちらから連絡します」と言ってくれた真心を裏切ることになるのではないか。”との考えが浮かぶ。小平の葛藤は続く。
 しかし、絶対的に時間は無かった。故郷での会員たちへの不当な扱いは続いている。会員たちに対する「反逆者」のレッテルは広まり、どんどん取り返しのつかないことになると感じていた。

「たとえどんなに小さなことであっても、同志を苦しめる悪を、絶対に見逃してはならない。放っておけば、その毒気が、いつしか全体に蔓延して、清浄な和合の世界が破壊されてしまう」(名誉会長指導)
「時を逃せば、何事も成就しない。それまでの努力も、苦労も、すべては水泡に帰してしまう」(名誉会長指導)

 小平は、本部の野口、神奈川の滝川、広島の茨城氏に、山梨女史に手紙を書いても良いかどうか相談する。
 すると、同志たちは語った。「師匠は、『次の百年のため、悪い職員がいたら報告しなさい』と厳命されている。職員の不正を見ておきながらここで諦めてしまえば、自分は師匠の仰せを裏切る保身の弟子となってしまう。それは絶対に出来ない」、「このまま返答を待つだけでなく、一歩行動を起こすべきだと思う」「会員たちへの仕打ちを解決するために、師匠の側近である山梨女史に手紙を書くことが正しいと思う」と。
 私たちは、4名連名で、山梨女史に手紙を書くことを決めた。

 時系列に沿いながら、これまで自分たちが体験してきた「本部職員の不正」や、「会員を犠牲にして本部職員の不正を隠蔽する学会本部の体質」について手紙に書く。
 そして、本部の隠蔽体質に起因する職員の不正についても言及し、“三重全国男子部長の異性問題や聖教職員たちによる金銭問題など、本部職員の不祥事がなくならない原因が、「先生にご心配をおかけしない」という欺瞞で、師の耳にマイナス情報を入れない学会本部の隠蔽体質にあると感じている”と訴える。
 そして末尾には、「山梨様、私たちは決して自分達がすべて正しいと考えているわけではありません。ただ、私たちがこの8年間受けてきた出来事は、先生が『弟子に託すしかない』と仰られる今後の創価学会において、断じて繰り返されてはならないことだと強く感じたのです」、「一度私たちの話を直接聞いて頂くことはできないでしょうか」、「どうかお返事頂けますよう、よろしくお願い致します」と。
 平成22年10月19日、茨城氏が4人を代表して清書し、広島郵便局から郵送する。
 時間は有限だ。このまま絶対に負ける訳にはいかない!

 野口が四国・香川県への異動を内示される
 平成22年11月12日、原田会長との面談のアポイント申請書が完成した。小平が原田会長から「役員室で懇談のアポを取りなさい」と指示されてから、約1か月半が経っていた。小平は山口主任に電話し、学会本部にいる野口が申請書を持っていくことを伝える。
 山口主任は、快く返答してくれた。「わかりました。野口君が直接持ってきてもらえればいいと思います」、「そのように徳島部長に言っておきます。役員室の誰に渡してもらっても大丈夫です」と。
 11月16日の就業時間開始前、野口は役員室事務局の事務所を訪ね、山口主任に会長懇談の申請書を手渡す。
山口主任は、「それでは局長に渡します」と快く受け取ってくれた。
 ようやく、原田会長との懇談をお願いする書面を受け取ってもらえた。これまで半年間、会長に手紙の受け取りを拒否され続けてきたが、やっとここまで来た。
 野口は事務所を出ると、原田会長と短時間でも懇談する機会が得られればと、祈る思いで職場に戻っていった。

 6日後の平成22年11月22日12時頃、出先にいた野口は、上司である管財局長から突然、電話で呼び出される。
 すぐ事務所に戻ると、局長から、「人事異動の内示があるから12時30分に役員室へ行くように」と一言だけ伝えられる。
 一瞬、時間が止まった。地方へ異動した小平や滝川、茨城氏の顔が頭に浮かんだ。
 野口は、指定された通り役員室事務局に向かう。
 会議室へと案内され、内示の場となる。職員局の責任役員である青森副会長から人事異動が命じられる。
 「野口裕介、平成23年1月1日付けで四国池田文化会館へ異動」

 とうとう自分にも地方への配転命令が来た。東京・信濃町から、縁もゆかりもない四国・香川県への異動である。
 これまで何度も何度も、自分が地方へ異動することを想像してはきた。もちろん、全国どこに行っても、大恩ある師匠のため、創価のために戦う覚悟は変わらないつもりだ。すでに自分の腹は決まっている。
 しかし、いざ現実になってみると、4日前に入籍した妻にはどう伝えれば良いのか、苦しくなる。
 妻は、半年前に創価学会に入会。4日前の11月18日に入籍し、翌月12月25日には結婚式を控えている。
 妻にとって新たな出発となる結婚式のわずか1週間後に、野口は四国に引っ越さなければならないことになる。

 その日、帰宅した野口は、妻に四国の香川県への異動の内示があったことを伝える。妻は目を真っ赤にした。
 野口は、あらためて自分の思いを伝える。妻は、必死に不安をこらえながら聞いている。

 「自分は、本部職員の不正に勇気を出して声をあげた会員を犠牲にする本部指導監査委員会の不当な誓約書には絶対に誓約できない。
 今後、四国の地でさらなる苦しい状況が待っているとしても、自分は絶対に諦めない。一刻も早く師匠に全てをご報告し、勇気ある会員たちの真実と正義を必ず証明する。
 そして、必ず四国での使命を果たし抜き地元組織に戻ってくるから、四国には単身赴任で行こうと思っている。どうかこれだけは、自分のお願いを聞いてもらいたい」

 妻は黙って頷く。そして、意を決した力強い声で、「私に創価学会の素晴らしさを教えてくれた裕ちゃん(野口)や同志の皆さんは絶対に間違っていないと思っている。私は先生のお陰でこんなにも幸せな人生を教えて頂いた。生涯、先生の仰せ通りに正しいと信じることのために、裕ちゃんと共に戦う」と答えた。野口はその妻の心に涙が出た。
 そして、さらに妻は「正しい行動をすれば必ず向かい風は起こるものだからって。それが信心だって教えてくれたでしょ。大丈夫よ」と笑顔で覚悟の思いを伝えた。
 入会して6ヶ月、懸命に師匠の仰せ通りに生きようとする妻。その妻の心にただただ感謝しかなかった。
 見知らぬ四国の地であっても、どこまでも師匠のために命を投げ打って戦うことを決意する。

「広宣流布に生きる人の胸には、歓喜の火がある。どんな試練の烈風も、その火を消すことはできない。むしろ、その火は、風が激しさを増せば増すほど、いや増して燃え盛るのだ」(名誉会長指導)

 平成22年11月24日の午後、職員全体会議で人事発表が行なわれる。
 「平成23年1月1日付け人事。野口裕介、四国事務局総務部副主任」
 会合終了後、多くの職場の先輩や同僚が声を掛けてくる。
 「四国に奥さんの実家があるのか」、「管財局に来て1年半しか経っていないのに早すぎる」、「今、本部周辺の建設工事が最も忙しい時なのに、なぜ今、野口が異動なのか」と。
 周囲の眼から見ても、野口の四国行きは不自然であった(数日後、野口は、すでに決まっていた結婚式の準備と四国への引っ越しの準備が重なり時間的に厳しいことを理由に、青森副会長宛てに異動の延期を申請。1ヶ月の延期が認められる)。

 本部にいられる期間は、残り2か月である。
 野口は、管財局建設部の職員として、本部周辺の建設工事の現場に立ち会う機会があった。比較的、屋外に出ている時間も多い。本部周辺で、師匠といつ何時、お会いできるとも限らない。
 日中は、清書した師匠への手紙を常に胸ポケットに携帯し、師匠にお会いし、手紙をお渡しできることを祈り続ける。
 絶対に諦めるものか!今、本部にいる自分が出来ることは、全部、全部やるしかない!

 山梨女史に再び手紙を書く
 野口は、歩いていても、電車の中でも題目をあげながら、師匠にお会いした時のことばかり想像していた。
異動までの2か月のうちに、何としても師匠に手紙を届けたい。そのためには、考えつくことは全てやり抜かねばならない。何とか、 名誉会長側近の山梨女史から返事を頂けないものか。
 平成21年11月の滝川の神奈川異動、その半年後の小平の九州異動、茨城氏の広島異動に続いて、野口の四国への異動も決まり、わずか1年の間に本部指導監査委員会の誓約書に誓約しなかった4人全員が地方へ配置転換となった。
 この事実は、どう考えても不自然過ぎた。
 最高幹部に面談を求める自分たちを本部から遠方の会館に異動させ、一連の問題に蓋をしようとしているように感じてならない。

 12月に入った。山梨女史に初めて手紙を出してから1ヶ月半が経とうとしていた。必死に祈り待ち続けてきたが、山梨女史からの返事はない。
 山梨女史が多忙を極める方だということは重々承知している。しかし、時間がない。自分が本部にいる間に、何とか一度話をさせて頂きたい。

 もう一度山梨女史に手紙を書く。
 「日々、先生をお護りする常随給仕の戦いの中、山梨様に大変な御迷惑をおかけしていることを感じているつもりです。『組織の問題は執行部や会長に相談しなさい』とお叱りを受けることだと思います。しかし、やはり創価を護りたいのです。師の仰せのままに生き続けたいのです。一人の会員を徹して護る創価をさらに創らなければならないと思うのです」
 「丁寧に、誠実に懇談を求めても、問答無用で怒鳴り、対話を拒否し、言うことを聞かなければ人事で飛ばす。このようなことが創価にあるならば、断じてその心と誠実に対話をしなければならないと思ったのです。そこにこそ、『師匠の仰せを護り抜く振る舞い』があると思ったのです」
 手紙の最後には、「一度話を聞いて頂き間違っているところがあれば教えて頂きたいです」と書き綴った。

 平成22年12月12日、祈りを込めて山梨女史宛ての手紙を投函する。あとは必死に祈り、信じて待つしかない。
 山梨女史に話を聞いて頂き、真実を理解してもらえれば、師匠にご報告する機会が得られるかもしれない。その時こそ、自分が体験してきた一連の問題を師匠にお伝えし、原田会長と対話をさせて頂くお願いをしたい。
 決して、師匠に何か解決してもらおうとの思いではない。弟子同士が師匠の指導を根本に団結し、弟子が創価学会内の問題を解決することが今問われているのだ。

「若き諸君は、たとえ相手がどんな役職や立場であろうと、その行為が間違っていれば、『何をやっているんだ!』『先生の指導と違うではないか!』と、はっきりと言っていくべきである」(名誉会長指導)

 偉大なる師匠の弟子として、ひとたび掲げた「対話の旗」だけは絶対に降ろすわけにはいかない。
 会長と対話をさせて頂き、真実を明らかにすることは、一連の問題に出会った自らの使命である。断じて、断じて師匠に甘える弟子であってはならない。
 野口は、四国に行くまでの残り1か月半、さらにさらに原田会長との面談が実現することを強く祈っていくのである。



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プロフィール

Author:創価学会元職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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