第12 池田名誉会長への手紙を山梨女史に託す(H23.3~H23.6)

「信仰は、観念論ではない。『行動』こそ、真実の信仰の証である」(名誉会長指導)

「大事なのは行動だ。あれこれと考え、議論をしていても、それだけでは何も変わらない。『深き祈り』と『勇気の行動』。この不断の積み重ねが、一切の壁を打ち破る原動力となるのである」(名誉会長指導)

 真実の信仰とは行動である 
 行動にこそ
 人間の人間たる真実の価値がある
 しかし
 行動には常に悩みと葛藤が生じる
 「今、行動を起こす時なのか」
 「理解は得られるのか」
 「他に良い方法があるのではないか」

 頭で考え悩み抜くことも良い
 友と議論を重ねることも良い
 また
 深き祈りに向かうことも重要だ

 しかし最後は
 「正義の行動」
 そして
 「勇気の行動」を起せる
 私でありたい
 そのための悩みであり 祈りでありたい

 ゆえに
 私は今日も
 師と共に
 たとえ小さくても
 勇気の一歩を踏み出すための
 1日を生き抜きたい


 平成23年2月、私たちは、何としても師匠に学会本部と本部職員の問題を伝えるために、師匠の側近である山梨女史に出すための手紙を書き進めていた。
 前回、平成23年1月19日に出した山梨女史への手紙には、本部の決定に従わない人間に対しては、地方への配置転換という制裁人事を行使してでも排除するという学会本部の強権的な実態について書いていた。さらに、今、本物の弟子が立ち上がらなければ、万代にわたる創価の発展は途絶えてしまうと訴えた。創価は刻一刻と血が通わない硬直化した組織になってきている。時間は無かった。
 そして、その手紙の最後には、「無理ならば無理と一言でもお伝えして頂きたい」と書き記したのである。しかし、1か月以上過ぎても返事は無かった。
 しかし、簡単な問題ではない。相談できる人もいないのかもしれない。山梨女史が本部の実態の深刻さを認識すればするほど、一人悶々と葛藤されているのではないかと思えたのである。
 山梨女史から返事を頂くことは難しいかもしれない、との考えが一瞬頭をよぎる。しかし、はっきりと「無理」と伝えられているわけでもない。可能性がある限り、山梨女史を信じ、手紙を書き続けることが大切なのではないか。
 官僚的で硬直化した今の学会本部の体質を考えた時、やはり今の創価学会の最高責任者である執行部、特に原田会長と対話をしなければ、創価の変革は始まらないと感じた。しかし、何度懇願しても原田会長と対話ができない。だからこそ、師匠に全てをご報告し「原田会長と対話させて頂きたい」とお願いできないか。
 “甘えている”と師匠に叱られるかもしれない。しかし、どれだけ自分が師匠に叱られようとも、それは弟子として受け止める覚悟である。今の学会本部の現状を看過するならば、それこそ師匠に対する忘恩の行為であり、間違っている。
 師匠への御報告を諦めることは絶対にできない。それは、己が創価の問題から逃げることであり、己が立てた師への誓いを裏切る行為である。そして、それは自分にとって“生きながらの死”である。

「学会内に起こった事件を私に対して、先生にかくしておれという事は、私に先生の敵になれというのか、私が先生に学会の事を『かくし事』をしたならば、その日から私は弟子だという事ができるものか、そんな考え方は私の境涯には無い」(名誉会長が引用された戸田先生の指導)

 もっとも苦しい今こそ、自分が試されているのではないかと思えた。師匠への扉を開くのは自身の一念であり、勇気の一歩で切り開くしかないと思えた。
 せめて、山梨女史が自分たちに返事をすることや、会って頂くことが難しかったとしても、山梨女史から師匠に学会本部と本部職員の問題を書いた手紙を渡してもらうことはできないだろうか。むろん渡して頂けない可能性もある。
 しかし、いくら考えても結論は出ない。ならば、行動するしかない。
 今自分が出来る唯一の行動は、山梨女史への手紙の中に師匠宛ての手紙を同封し、山梨女史に師匠に届けて頂けるよう、誠心誠意お願いすることではないか。
 
 私たちは、山梨女史宛の手紙に、師匠への手紙を同封して出すことを決める。四国の野口、九州の小平、神奈川の滝川、広島の茨城氏は、必死に師匠と山梨女史への手紙の内容について話し合う。
 「師匠は、私たちの想像も及ばないほど、多忙を極めておられるはず。その激務の中で、師匠に手紙を読んで頂く時間を取らせてしまって良いのだろうか」、「本来ならば、弟子である職員が、師匠の手を煩わせることなく解決すべき問題であり、本部職員の問題をお伝えする手紙を送る事自体、世界広布の指揮を執られている師匠の戦いを止めてしまうのではないだろうか」、「それでも、会員の正義を証明しようとする行動が、師匠の仰せに照らして間違っているとは思えない」、「行動を起こさなければ、師との誓いを破ることになるのではないか」
 何度も何度も話し合い、葛藤しながら推敲を重ねる。
 そして紡ぎ出した師匠への手紙は、自分たちが9年に渡って体験してきた経緯(時系列)と、師匠に手紙を書かせて頂いた想いを綴った内容と、あわせて58頁に渡る内容となった。
 祈りを込めて、一文字一文字、書き綴った。

 「先生のお時間を頂戴しこの手紙をお渡しすることは、先生の戦いを阻む破和合の行為ではないかと悩みました。この問題に出会ってから2年半、先生にお伝えすることは弟子として甘えがあるのではないかと悩み抜きました。偉大なる師匠の弟子として正義の行動がしたいと真剣に祈り続けて参りました。
 祈る中、創価万代の発展に尽くす祈りと行動こそが、正義の人生であると心から思いました。そう思った時、今この時を外して先生との誓いを果たすことは出来ないと思ったのです。大好きな創価のために、弟子の誓いを果たすため、弟子が乗り越えなければならない創価の問題点を先生にお伝えし、必ず必ず乗り越える決意をお伝えさせて頂きたいと思いました」

 「誰よりも師匠を求め戦っていた民間の青年部4名(兵庫、京都、木本秀信、島根)は、解任処分後も、『彼らが解任となった理由については一切聞いてはいけない』『会合等の連絡を積極的にする必要はない』と耳を疑うような内容が組織で徹底され、まともに会合の連絡すら頂けない状況です。解任通達の際に『一会員として全力で戦うように』と伝えられたにも関わらず、組織の活動すらまともに参加できない状況なのです。
 この9年を振り返る時、解任のきっかけとなった、9年前に学生部で起こった出来事は、今の創価の問題点を知るきっかけに過ぎませんでした。未熟な自身ではありましたが、ただただ『現場の会員さんのために』との思いで戦い続けて参りました。その私たちが、一連の問題に出会い、創価学会の現状、学会本部の問題点、執行部の対応を知ることになりました」

 「先生、お願いがあります。会長と対話をさせて頂きたいのです。本来、師匠にお願いをすること自体、弟子として負けの姿であると思っています。しかし、会長に20回以上懇願してきましたが、一度も話を聞いて頂けることはありませんでした。この本部職員の問題を通し、現場で感じ体験してきた職員が乗り越えるべき課題をお伝えさせて頂きたいのです。『対話』こそ、組織の生命線であることを伝えさせて頂きたいのです。ありがたくも、こうした問題に出会えた意味を果たさせて頂きたいのです」と。

 そして、山梨女史への手紙にはこう書き綴る。

 「山梨様、どうかたった一度でいいのです。私たちの話を聞いて頂くことはできないでしょうか。そして、もしそれが難しいのであれば、創価の為に命を削られている池田先生に私たちの先生宛てのお手紙をお渡しして頂けないでしょうか。師匠に、原田会長はじめ執行部の方々と対話をする機会を頂きたいとの思いをお伝えさせて頂きたいのです」

 「このまま、創価の世界にあって『対話』が閉ざされ続ければ、先生が命を懸けて築きあげた『対話の創価』を、弟子の手で壊すことは免れないと思うのです。師の創価を守りたいと祈り抜く中で、なんとか私たちの思いを手紙に書かせて頂き、そのお手紙を先生にお渡しして頂けないものかと思ったのです。なんとか、なんとかお渡しして頂けますようお願い致します」

 平成23年3月27日、師匠への手紙を同封し、山梨女史へ手紙を郵送する。
 その日から、私たちは手紙が師匠のもとに届くことを真剣に祈り続けた。
 師匠は職員全体会議の席上、仰っていた。「手紙をよこしなさい。真実の手紙を。間違っていたら絶対に信用しないよ」、「嘘があったら厳しくするよ」と。
 師匠に手紙が届くならば、いかなる結果であろうともすべて受け止める覚悟である。自分がすべて正しいなどとは微塵も思っていない。師の仰せ通りに生き、師匠と民衆によって築き上げられた創価を護るために己の命を使わせて頂けるならば本望である!

 野口の妻、そして野口の戦い
 
 地元組織では、野口の妻・桃子が入会して初めての折伏に挑戦していた。
 桃子は言う。「裕ちゃん(野口)や同志の皆さんに出会って、創価学会は素晴らしいところだと感じることができた。『目の前の友を救う』という最高に幸せな人生を教えて頂いた。今度は私が、目の前で悩んでいる友だちに信仰の偉大さを伝えていきたい。」と。そして、自らの体験を元職場の友人に語っていく。
 同じ地区には、平成20年の監査の誓約書に従えないことを理由に役職解任処分となった会員京都氏やその妻もいた。同志たちは、丁寧に桃子の友人に信仰を伝え、親身になって友人の悩みを聞き、共に題目を上げ、折伏を応援してくれる。友人は次第に、同志たちへの信頼を深めていく。そして、それはそのまま創価学会に対する理解に繋がっていった。
 友人は語る。「私のことを真剣に思ってくれて嬉しい」、「皆さんから勇気をもらった。私も強くなりたい」と。
 平成23年3月20日、友人は、桃子や会員同志たちの真心と熱意に触れて入会を決意。毎日真剣に題目に挑戦する。そして4月21日、桃子はその友人に、晴れて御本尊を流布することが出来た。

 同日、四国の野口は、以前から面談をお願いしていた四国の最高責任者である宮崎方面総合長に妻の折伏が実ったことを報告する。
 そして、「選挙が終わったら懇談を宜しくお願いします」と。
 宮崎総合長は、「ああそうだったね」と答え、面談の日時は平成23年4月27日の昼に決定する。
 野口は面談に向けて必死に祈り始める。
 地元に残された会員同志たちは、役職解任処分にされ反逆者のレッテルを貼られ、会合の連絡さえ来ない状況に置かれている。それでも懸命に、折伏・弘教、選挙支援活動と、出来得る限りの信仰活動に取り組んでいる。
 この会員同志たちの正義を自分は絶対に証明するんだ!師匠の仰る“会員のための創価”、“対話の創価”を断じて取り戻すんだ!

 「会員に尽くすことが、御本尊に尽くすことになる。それが広宣流布に尽くすことになるのである。自分は偉くない。偉いのは、広布へ戦う同志である」(名誉会長指導)

 面談当日、野口は、自分の配置転換の理由を、本部からどのように聞いているのか尋ねる。
 宮崎総合長は、「そんなに詳しいことは聞いていないんだよ」、「本部指導監査委員会にかかって役職解任になっていることは聞いている」と。
 野口は、学会本部から四国最高幹部に伝えられていない事実を、自分の口から説明したいと思った。しかし、宮崎総合長は、その後自らの青年時代の信仰体験を語り続ける。
 その間、野口は何度か、自分と会員が役職解任処分を受けた経緯、そして学会本部の問題を話そうとするが、話題はそらされ、結局30分ほどで面談は終了となる。
 宮崎総合長は席を立ち、応接室を出ようとする。
 野口は、「本部で実際にあった出来事を聞いてもらいたいので、今後もまた話をさせて頂きたいです。よろしくお願いします」と伝え、一礼した。

 野口は懇談の様子を振り返る。
 宮崎総合長は、野口の話を真っさらな状態で聞く状況ではないように感じた。学会本部から“本部の指導に従わず誓約しなかった職員”との偏見が植え付けられているように思えた。
 やはり学会本部という根元が変わらなければ、四国幹部の自分に対する認識も変わらないと感じるのである。
 自分は、本部から四国へ発つ時、共に解任処分にあいながらも懸命に戦う会員同志の正義を証明すると師に誓った。その誓いを果たすには、己の断じて諦めない一念と行動である!一刻も早く本部に戻り、何としても原田会長との面談を実現させ、会員同志の正義を証明しなければならない!
 野口は、山梨女史と原田会長からの返事が来ることを必死に祈り、待ち続けた。

 滝川が会員島根氏と会う

 平成23年5月、滝川は、共に役職解任処分となった会員島根氏と会う。会員島根氏は滝川の4つ下の学生部時代の後輩である。
 各々近況を伝え合い、師匠のことを語り合った。そして、自然と島根氏が学生部時代に体験したことを改めて詳細に聞くこととなった。

 島根氏が学生部員だった平成16年9月、本部職員の和歌山氏は、当時の岐阜全国学生部長の指示で隣の総県から派遣され、島根氏の所属する総県の学生部長に就任する。
 そして和歌山総県学生部長は、平成16年から18年にかけ、300人から1000人の学生部員が参加する会合の場で、その時すでに学生部を卒業していた京都氏や私たちなど和歌山氏が来る以前の総県、分県幹部たちを指して、「京都は暗黒時代をつくった人間だ!」「前体制(私たちや京都氏が学生部幹部の体制)は暗黒時代だった」と繰り返し誹謗中傷し続ける。
 島根氏は、自分が信仰するきっかけを作ってくれた先輩たちを批判する本部職員の和歌山総県学生部長の言動に悩み苦しんだ。
 島根氏は、来る日も、来る日も題目を上げ続ける。そして、和歌山総県学生部長に先輩たちを非難する理由を聞こうと決意する。

 島根氏は和歌山総県学生部長に質問した。「なぜそんなことを言うのでしょうか?」、「何を根拠に先輩方が間違っていると言うのでしょうか?」と尋ねる。
 和歌山総県学生部長は、「京都らは派閥を作っていた。」、「部員さんを傷つけた。」と。
 島根氏は信じることができない。絶対にそんなことをするような先輩たちではない。
 島根氏は、「そもそも本人に確認したのですか?」と尋ねる。
 和歌山総県学生部長、「していない。」
 島根氏、「なぜ当事者に確認してないことを言えるのですか?」
 和歌山総県学生部長、「情報は間違いない。」
 島根氏、「傷ついた部員さんとは誰のことですか?」
 和歌山総県学生部長、「それは答えられない」

 島根氏は、和歌山総県学生部長が“認識せずに評価をしている”のではないかと感じてならなかった。しかし、「前体制は間違っていた、暗黒時代だった」との話は学生部員までにも広がりどんどん不信が植え付けられていく。
 さらに、和歌山総県学生部長のもとにいた学生部幹部たちも、徐々に和歌山氏の影響を受け、会合で「過去の暗黒時代はひどいと思いませんか?皆さんいかがでしょうか~?」と、参加する学生部員に同意の拍手を求める行動を取るようになっていく。
 次第に全く関係ない純粋な学生部員までも、“前体制(私たちや京都氏が学生部幹部の体制)は間違っていた”との認識に染まっていく。そう認識しなければ幹部からの「指導」という名の説得が待っていた。
 島根氏は、前体制が間違っているとは思えなかった。むしろ和歌山総県学生部長時代の学生部の方が苦しく、理解し難い組織に感じていた。
 会合は深夜1時をこえる非常識な時間まで行われ、言葉遣いは乱雑になっていった。総県学生部幹部会等の大きな会合では、和歌山総県学生部長が登壇する際にはアニメの曲を流し、必ずといっていいほど、壇上から食べ物を投げるパフォーマンスが行なわれる。そして、本部職員の和歌山氏(総県学生部長)は他の幹部と共に、頻繁に個人会館で飲酒や寝泊りを繰り返し、そこから聖教新聞社に出勤していた。
 平成17年9月の国政選挙の投票日前日には、会合後、前夜祭と称して個人会館を使い、飲み会が行なわれた。後輩の学生部員に酒を買いに行かせ、さらにバイクで来ている学生部員に対しても飲酒を勧めるなど、その振る舞いは創価学会の幹部として、また本部職員として逸脱していた。
 さらに、島根氏が参加したある会合では、滝川の職場の後輩である本部職員の学生部幹部が参加していた。その学生部幹部は滝川の職場パソコンのデータを滝川に無断で印刷した書面を持参し、その場にいた別の幹部がその書面を使って、滝川を非難していたのである。本部職員である幹部が、学会本部の職場内の情報を本人に無断で持ち出し、さらに会合で平然と語る姿に、島根氏は衝撃を受けた。

 島根氏は、日に日に会合に行くのが苦しくなる。眠れない日が続く。しかしどんなに苦しくても“先輩・同志、そして師匠に守られてきた感謝を忘れずに戦おう”、“若輩者であっても、一生涯、同志の為、師匠の為に命を懸けて戦おう”と決意し続けたのである。

 さらにその後、和歌山氏の後任として、総県学生部長になった公明党職員の佐賀総県学生部長も、和歌山氏同様、会合の場で、前体制(和歌山氏以前の総県幹部たち)への非難を繰り返すことになる。
 佐賀総県学生部長は、前体制への批判に同調しない島根氏らに対して、嫌悪感をむき出しにした。「君は“前体制の命”が残っている。病気だ」と。
 島根氏は勇気を出して、佐賀総県学生部長に質問する。「『前体制の命』とはどんな命ですか?」、「なぜ先輩方を間違っていると言うのですか?」と。
 すると佐賀総県学生部長は、「君の話はもう聞かない。分からないならそれでいい。今度、『前体制の命』を出したら君を切る(学生部を卒業させるとの意)」と言い、「今後『前体制の命』を出さない」との誓約書への誓約を迫る。
 島根氏は、絶望的な気持ちになる。脅し以外の何ものでもない。
 島根氏が誓約書の提出を断ると、佐賀総県学生部長は他の幹部や学生部員に、「島根の話すことは聞かないように」と徹底し始める。
 島根氏は学生部の皆から無視をされるようになり、共に人間革命に挑んできた同志たちとの信頼関係は一気に破壊された。自分が折伏した友人からも、「先輩から、『島根の話は半分聞いておけばいい』と言われた」と伝えられ、無視されるようになったのである。完全に“組織的ないじめ”であった。
 最後は、佐賀総県学生部長から、「前体制の命を出したね。君は学生部を卒業だ」と言われ、学生部から卒業となるのである。

 滝川は、あらためて島根氏の話を聞きながら、当時を思い返していた。
 やはり何度考えても、本部職員のおかしな行動に苦しみ、勇気を出して声を上げた会員を犠牲にし、本部職員の不正行為を隠蔽する監査の結論は間違っていると感じてならなかった。
 当時を振り返れば振り返るほど、滝川は怒りが沸き起こってきた。絶対に、健気に戦う会員を犠牲にした本部の問題を風化させてはならない!
 一刻も早く真実を明らかにしたい!そして犠牲になった会員が、本部職員の不正に対して声を上げた勇気ある会員であり、師匠の仰せを守る弟子であることを明らかにしなければならない!

 山梨女史と原田会長に、会員島根氏が犠牲となった問題について手紙を書く

 滝川は島根氏が学生部時代に本部職員から被った数々の出来事は、師匠が“創価学会のために会員がいるのではない。会員のために創価学会があるのである”と言われる創価の組織において、決してあってはならないことの連続であると改めて思った。
 そして、今現在も島根氏は反逆者のような扱いをされ続けている。何としても自身が体験してきた創価学会の実態と問題点を師匠にお伝えし、変革していかなければならない。
 何としても師匠にお伝えしなければならない。
 師匠の側近である山梨女史には、平成23年3月27日に山梨女史宛ての手紙と師匠への手紙を同封し郵送した。しかし未だに連絡はない。
 滝川は、職場の昼休みも、歩いている時も題目をあげ続けた。何とか、山梨女史から師匠に届けて頂けないものか。無理な場合は、“無理だ”と伝えて頂きたいと、手紙に書いている。
 しかし、山梨女史から“無理だ”という返事もない。何度考えても山梨女史以外に師匠への手紙を届けて頂ける可能性のある人はいない。
 山梨女史がどのように考えておられるのか、繰り返し考えたが結局は分からない。
 ならば、山梨女史にお願いするしかない。自分で「多分、ダメだろう」と諦めることこそ、自分で自分の生き方を曲げることになる。信仰とは行動である。
 もう一度、もう一度山梨女史を信じて、手紙を書くんだ!

 滝川は、山梨女史宛ての手紙に、本部職員の不正に声を上げた会員島根氏が役職解任された事実について書き綴った。
 「島根君は明らかにおかしな言動を繰り返した本部職員幹部に対し、師の仰せのままに『おかしい』と叫び、その結果組織を使ったいじめを受け続けてきたのです。『経緯はどうあれ』と全てを切り離してしまうには、島根君の苦しんできた過程はあまりにも重要すぎるものだと思うのです」
 「何の罪もない会員さんが『解任』となっているこの事実をなんとかしなければならないのです。原田会長にお伝えさせて頂きたいのです。なぜ島根君の解任を会長が了承したのか。会長は本当にこうした事実を知っていたのか知りたいのです。
私は自分の解任を解いて欲しいと微塵も思っておりません。ただ、いじめを受け続けてきた会員が『解任』となった事実を知りながら、何も手を講じることなく生きることは、師匠への大反逆行為であると感じるのです」と。
 平成23年6月9日、山梨女史宛てに郵送した。

 山梨女史に手紙を出す一方で、私たちは、原田会長との懇談のアポイント申請に対して、原田会長から返答が来るのを待ち続けていた。

 原田会長がご多忙であることは重々承知している。会長秘書の徳島部長からは、「会長がすべての手紙に返答している訳ではない。だから、返答をお願いする手紙を書いたらどうか」と提案され、返答をお願いする手紙もこれまで2通出した。
 しかし、一度も返答は無い。
 本当に一度でいい。何とか、原田会長と話をさせて頂きたい。会員同志は反逆者のレッテルを貼られたままである。こんなところで弟子としての生き方を諦める訳にはいかないのだ!

「人生は、地に足をつけて、一歩一歩進んでいくことだ。一度に頂上には登れない。一歩一歩、忍耐強く歩む人が、最後に必ず勝つのである」(名誉会長指導)

 師匠のお言葉には素直に涙が出てくる。涙が止まらなくなる。御本尊様、己の命はお願いですから、先生のために使わせて下さい。自分の願いは本当にそれだけなんです。

 目の前のやれることを一歩一歩やっていく以外に、前進も問題解決もない。今できることを、一つ一つやっていく以外に道はない。
 原田会長宛ての手紙に、山梨女史に書いた手紙と同様に、島根氏が体験してきた本部職員の振る舞いについて具体的に書く。
 そして、「何の罪もない会員さんが『解任』となっているこの事実だけはなんとかしなければならないのです。原田会長はここまでの事実があったことをご存じないのではないかと思ったのです。だからこそ、原田会長に直接話しを聞いて頂きたいと思っているのです。
 私たちは自分の解任を解いて欲しいと微塵も思っておりません。ただ、いじめを受け続けてきた会員が『解任』となった事実を知りながら、何も手を講じることなく生きることは、師匠への大反逆行為であると感じるのです」
 「原田会長、お願いします。一度でいいので話を聞いていただけないでしょうか。どうかどうかお願い申し上げます。何卒、何卒宜しくお願い致します」と、一度話を聞いてもらうことを必死に懇願する。
 そして、平成23年6月11日、郵便局から、原田会長宛てに懇談を求める3度目の手紙を祈る思いで出すのである。

 職員懲罰委員会からの呼び出し

 それから2週間が過ぎた平成23年6月27日、私たちそれぞれに、職員局人事部の長崎氏から電話が来る。
 「職員懲罰委員会からの呼び出しにより、6月30日に信濃町の世界青年会館ロビーに来て下さい。」と。
 職員懲罰委員会とは、創価学会職員就業規則に基づいて、法人職員に対して懲戒の審議・決定を行なう委員会である。
 その職員懲罰委員会からの呼び出しである。
 しかし、私たちは、職務上の行為で懲罰に問われるようなことをした覚えは無かった。一体、何を審査されるのか。
 この一本の電話から、私たちが平成24年10月12日に懲戒解雇処分されるに至るまでの約1年4か月に渡る戦いが始まるのである。



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第11 原田会長からアポイント申請に対する返答がないこと(H23.1~H23.3)

「真の仏法者とは、自らが本来、仏であると確信している人である。一切衆生が仏であると信じる人である。仏法で説く、生命の因果の法則を、わが信念としている人である。それゆえに何ものをも恐れず、それゆえに人を敬い、それゆえに喜々として労苦を担い、信心は即人格となって輝きを放つ。」(名誉会長指導)

「広宣流布」
それは私があなたを信じること
「人間革命」
それは私があなたを信じる自分になること

人間を信じ
人間の可能性を信じ
人間の正義と勇気を信じ抜く
それはまた
宇宙を信じ
法を信じ
生命を信じ抜くこと
 
「信じること」
それは正義であるがゆえに
深ければ深いほど
信じて騙され
信じて馬鹿にされ
信じて裏切られ 傷ついていく
そして
信じたことに疲れ
信じたことに後悔し
信じることをやめていく

人生はあくまでも自由だ
富を信じ
利害を信じる人もいる
地位を信じ
立場を信じる人もいる
でも私は
一人の名もなき庶民を信じ抜き
命をかけた師に出会った
ならば私も
一人の名もなき会員を信じ
命をかけて戦い抜きたい
それが
師が示した弟子の正義の道だと
私は信じて


 九州、愛媛副理事長の偏見

 平成23年1月11日、小平は愛媛副理事長にこれまで体験してきたことを綴った書面を提出した。そして2週間が経過した。しかし、愛媛副理事長からその書面や面談日程についての連絡は来なかった。
 前年12月の愛媛副理事長との面談は、話したいことをほとんど話せないで終えられてしまった。故郷の会員同志たちが平成21年4月に役職解任となってから、実に2年が経とうとしている。その間、会員同志たちは、不当なレッテルを貼られ、多くの会員から白い目で見られている。地元組織の男子部メンバーや地区の方々からの音沙汰は無くなり、両親には「息子さんたちは会長に弓を引いている」と幹部から伝えられ、家族との絆をも断たれた会員もいた。
 しかし、それでも偉大なる師匠の弟子であると頭を上げ、社会で戦い続け、組織のメンバーに会えば笑顔で挨拶をして友好を広げていた。
 そのような、会員同志たちこそ、先生の模範の弟子であると思った。その正しき同志たちが不当に苦しめられているのを見殺しにして、どうして自分が本部職員として生きる意味があろうか。
 師匠は、会員こそ、同志こそ、師匠の命であると叫ばれ続けている!
 一刻も早く学会本部に戻り、会員たちの無実と正義を証明しなければならない!

 愛媛副理事長からの連絡はなかったが、小平は懇談を諦める訳にはいかなかった。平成23年1月24日の昼休み、小平は再度懇談のアポイントをお願いしに行く。
 愛媛副理事長は、席に座り書類を書いていた。
 小平が、「副理事長、すみません。」と声をかけると、
 愛媛副理事長は、「んん、ああ。」と言って、席の前にあった椅子を指差して座るように指示した。
 愛媛副理事長は、「東京に帰った時に集まっているのか?」と尋ねてくる。
 小平は、一瞬、何を言われたのか意味が分からない。しかしすぐに、“本部指導監査委員会が、「組織内組織」とのレッテルを貼った会員や職員の同志たちと会っていること”を指しているのではないかとよぎった。
 小平は、「(会員や職員の同志たちと)会うことはあります」と答える。
 すると、愛媛副理事長は、「九州に来てから、これまで何回会っているんだ?」、「最近では何回あった?」、「一番最近はいつだ?」と立て続けに質問し始める。
 解任となった会員や職員たちと会うことが、まるで悪いことであるかのような話しぶりであった。
 小平は尋ねる、「なぜ、会ったらいけないのですか?」、「何がいけないのでしょうか?」と。
 すると、愛媛副理事長は、「徒党を組むな!」と吐き捨てるように言う。
 あたかも悪事を働いている人間に対する言いようである。そして続けて言った。「不正に対しては、“一人で”声を上げるべきである」と。
 そして「本部指導監査委員会から言われているんだろ!」、「そういうのが学会の行き方とは違うんだよ!」、「学会のシステムが気に入らないのなら、辞めればいい、学会を辞めればいい!」と、事務所中に聞こえる大声で話した。
 小平は、“本部指導監査委員会の結論に従え”と、間接的に言われているように感じてならなかった。しかし、なぜ、「学会を辞めればいい」との飛躍した話になるのか。愛媛副理事長の言っていることがどうしても理解できない。愛媛副理事長は自分に対し、強い偏見があり、それは去年12月の面談の時以上に強くなっていると感じられてならなかった。
 誤解があるならば、誤解を解かなければならない。小平は必死に、「なぜ、そのような事を言われなければならないのでしょうか。私は学会を辞める気はありません。」と伝える。

 その時突然、愛媛副理事長の電話が鳴った。小平は、その場に座ったまま、電話が終わるのを待つ。周りの職員は、皆、小平と愛媛副理事長のやり取りを、固唾を飲んで見守っている。
 電話が終わると愛媛副理事長は、「まあ、とやかく言いたくないから、そんな細かい事に捉われないで。前を向いて行くんだ。君のお父さんだったらそう言うと思うよ」と落ち着いた口調で話し始める。
 小平は必死に、「細かい事などではないのです。無実の会員さんが、未だに苦しんでいるんです」と伝える。
 すると愛媛副理事長は、一瞬嘲笑い、小平に冷ややかな視線を向ける。そして、「『会員が苦しんでいる、会員が苦しんでいる』って、おかしくなっていった連中は、皆そう言うんだ」と話す。
 小平、「先生は“本部職員は、会員を守り、奉仕するためにいる”と言われています!」
 愛媛副理事長、「そうだけど、皆会員なんだ、君たちだけが会員じゃない!」
 小平、「先生は『間違っていれば、相手がどんな立場の人間であれ、声を上げろ』と言われています」
 愛媛副理事長は、「だから一人でやればいいんだよ。一人でやりなさい!!」とフロアー中に響く大声で叫ぶ。
 そして最後に愛媛副理事長は、「大概にせい!!」と言い、席から離れてしまった。
 結局、小平の手紙を読んでもらえたのか、小平の手紙を読んで何を感じたのか、一切分からなかった。むしろ、愛媛副理事長の話は、小平が手紙に書いた内容とは明らかに違い、真逆の内容であった。小平の手紙は、全く無視されてしまっている。
 悔しくてならなかった。自分の言っていることと、学会本部の言っていることには食い違いがあるのだろう、それは理解できる。しかし、そうであるならば、どちらが真実なのか、率直に聞いて欲しかった。それが、創価の「対話の精神」ではないのか。片一方の本部の話を聞いただけで、どうしてここまで断言できるのか。
 小平は、自分たちだけが会員であるなど、全く思っていない。ただ職員の不正に勇気を出して声を上げた会員たちが不当に苦しめられている。
 職員として正しい会員の正義を証明することは、当たり前である。いやそれ以上に、職員の不正に対しては、そもそも職員自身が断固たる姿勢で正すべきである。しかし、それを伏せ、会員に犠牲を強いていること自体が問題なのだ。
 “会員に奉仕するため”に、職員は存在している。しかし、会員の真実を語ろうと必死に対話を懇願すると、反発的な態度として受け取られる。ついには“職員を、学会を辞めればいい”とまで言われる。
 師匠の仰せとは真逆であると感じてならなかった。目の前の会員に尽くさずして、創価学会を守れるはずがないのだ。

 そうした中、平成23年2月9日、小平は九州で所属した現場組織の婦人部の方と話す機会があった。
 生立ちや家族のこと、九州に来ることになった経緯などを話すうちに、自然と平成14年から9年間の粗方を話すことになる。ご婦人は小平の話にじっと耳を傾ける。小平が話し終わるとご婦人は話し始める。
 「最初に小平さんが来た時に、『批判をして解任になっている人間が来る。どうしようか』と話になった。そして、『批判をして解任になるくらいなら先生の批判をしたんだろう。でも最初から色メガネで接するのではなく、本人に接していこう。まして創価家族なんだから変な言動があれば、その場で毅然と伝えていこう』と話し合いでなった。そうしたら全く真逆で弁解がましい話もしないし、誠実な青年で皆驚いていた。街頭演説の時に小平さんから笑顔で爽やかに声をかけてもらい、私はその時に小平さんへの見方が完全に変わった」と。
 さらにご婦人は語る。「主人とも『聞いている話と全く違う、本当にいい青年なのになぜ解任になり、九州に来ているのか。』と話していた。主人は、『批判をしたというが、幹部に対して苦言を呈して九州に異動させられたのではないか。そういう話はどこの社会にもある』と言っていた。私は“まさか創価学会の中にそんなことがあるなんて”思ってもみなかった。」と。
 小平は、学会組織から役職解任処分となった人間である。普通であれば、その人間を色メガネで見てしまうのが当然であろう。しかし、そのご婦人は、小平に率直に忌憚なく話してくれた。そのご婦人のお心に、感動で涙が出る思いだった。
 会員の皆様があって、学会本部があり、本部職員がいることを改めて実感した。本部職員は絶対に、自分に力があるなどと勘違いをし、調子に乗ってはならない。断じて、特別意識、エリート意識に侵されてはならない。小平は、心ある最前線の会員同志の方々の手駒となれる自分に成長しなければならないと固く誓った。

 とにかく、自分自身に誠実に正しいと思うことを一つ一つやっていくしかない。まずは目の前の問題から逃げないことである。地道に一つ一つ取り組むしか道はないのだ。
 1月24日の昼休みに懇談のアポイントをお願いしに行き「大概にせい!」と言われてから、愛媛副理事長から連絡が来ることはなかった。愛媛副理事長は学会本部から入った情報を鵜呑みにし、誤解していると思えてならなかった。

 何としても愛媛副理事長の誤解と偏見を解かなければならない。時が経てば、誤解という毒はどんどん広がっていく。早急に、何とか一度、腰を据えて話を聞いてもらいたい。
 平成23年2月14日の朝の勤行会の後、小平は再び勇気を出して愛媛副理事長に声を掛けるのである。
 小平、「副理事長、何とか懇談の時間を取ってもらいたいのですが」と伝える。
 しかし、副理事長は「懇談はしない!決めた!」
 小平、「それはどうしてですか?」
 愛媛副理事長、「自分の胸に聞きなさい!しない!」と言い、背中を向けその場を去って行く。
 小平は、その姿に動揺した。いつも、こうした対応に、苦しさを感じてしまう。情けなく弱い自分だと反省するも、毎回なぜなのだと悩み考える。
 しかし、悩み仏壇の前に座り、題目をあげ、師匠のお言葉を振り返る度に、話を聞いてもらえない理由は何度振り返っても思い当たるところは無いと思う。
 昼休み、祈れば祈るほど、このままでは良くないと思った。愛媛副理事長に真意を確かめるんだ。もう一度会いに行こう。

 その日の夜、小平は九州文化1階の食堂で夕食を終えた愛媛副理事長に勇気を出して話しかける。
 小平、「書面は読んで頂けましたでしょうか」
 愛媛副理事長、「読んだよ」
 小平、「去年、書面を読んでから話を聞いて頂けると言われていたと思うのですが」
 すると、愛媛副理事長は突然、「会長に私の事を伝えているだろ。そういうことをする人間とは話さない!」と。

 小平は平成23年1月27日付けで原田会長宛に手紙を出していた。
 その原田会長への手紙には、九州への配置転換について愛媛副理事長から、「職員としての再出発しなければならない問題事由があったために行なわれた制裁人事であり、小平が再出発を望んだため九州が受け入れたお情け人事である」との旨、聞いたことを書いていた。
 おそらく、そのことについて愛媛副理事長は、学会本部から咎められるようなことを言われたのであろう。
 だが、小平にとっては、九州配転が業務交流人事なのか、制裁人事なのかは、重大な問題である。当事者として、何が真実なのか知りたいと思うのは普通である。そもそも職員規律委員会からは「職員として問題なし」「職場でどうのこうのする問題ではない。」との結論が出ている。制裁人事となれば明らかに不当な人事と言わざるを得ない。

 学会本部で聞いた人事異動の理由と、異動先の九州で聞いた異動理由が異なっていた。そのことを原田会長に率直に伝え、この異動人事には問題があると伝えることの何がいけないのか。
 愛媛副理事長の、原田会長をはじめとする本部執行部の顔色を窺おうとする姿勢に、物事を曖昧にして終わらせたいという妥協の心と、執行部からの批判を避けたいという保身の心を感じてならなかった。

 「組織はどうしても腐敗しやすく、官僚化していく傾向をもっている。その場合、つねに現実に活動している大衆のなかに偉大な真理と正義があるという観点が必要となる。この精神を失ったならば、いかなる組織といえども、膠着化をまぬかれないであろう。」(名誉会長指導)

 話も聞かずに力で排除していくならば、組織の権威化、硬直化は加速度を増して進むことになる。
 小平の脳裏に、神奈川で歯を食い縛って戦う会員同志たちがよぎる。自分は真面目な父、一途な母、そして温かい創価家族の中で育てて頂いたからこそ、本部職員となることができた。また、自分は池田先生の弟子であり、偉大なる庶民である。自分は、絶対に、エリート意識と特別意識の本部職員の命には染まらない!そのためにはどうすればいいのか。
 戦い続ける以外に道はない!!
 師匠の指導に照らし、自分が正しいと信じることを貫くしかない。職場からどのような扱いを受けたとしても己心の師匠を裏切ることだけはできない。最後に、ただ師匠に喜んでさえいただければ、それで良いのだ。

 四国・香川県へ異動した野口の仕事がない日々

 平成23年2月1日、野口は四国・香川県へ単身赴任し、1K8畳のアパートでの生活が始まる。
 新たな職場となる四国池田文化会館に初出勤し、朝礼で挨拶。
 「本部から異動してきました野口と申します。新たな地で師匠のため会員さんのために一兵卒として何でもさせて頂きます。地域組織の活動では一男子部員として戦って参ります。」と。
 配属された四国総務部では、入社2年目の女性職員が担当していた業務を引き継いだ。
 毎朝の職員の出勤状況、毎週月曜の朝礼の内容、毎月1回の職員全体会議の状況を、それぞれ報告書1枚にまとめて本部職員局にメールで報告するのが主な業務である。しかし、いずれも10分程度で終わる。
 その他、週に1~2回ほど行なう会議や朝礼の準備として部屋の換気、冷暖房の運転、机の水拭きなどが業務である。しかしそれも、10~15分もあれば済んでしまう。
 どれも入社間もない職員が他の仕事を抱えながらするような内容であり、本来、入社10年目を迎える野口のような中堅職員が担当する業務ではない。
 むろん、仕事に優劣はない。職員の根本精神は会員への奉仕であり、いかなる雑用でも何でもさせて頂きたいと思っている。しかし、どう考えても仕事量は絶対的に少なく、一日の業務に費やす時間は平均すると30分あるかどうかであった。

 野口は、勤務時間の大半を自分の席で黙って過ごす日々が続く。周りの職員から声をかけてくることはほとんどない。野口は部屋の中央の席で、ただじっと座っている。野口は仕事がしたかった。
 野口は上司に「何か仕事はありますか?」と率直に尋ねる。しかし「考えます・・・」との返答で会話が終えられてしまう。
 本部職員の給料は会員の浄財によって支えられている。会員の浄財とは、会員が毎日必死に働き、生活費を切り詰めて財務して下さったものだ。自分はその会員さんの心にお応えする仕事ができているとは、到底思えない。
 職員として、給料泥棒とも言える状況に置かれ、罪悪感に苛まれる。この仕事が与えてもらえない苦しみは、日が経つにつれ増していく。

 終業時間になると、野口は毎日定時に職場を出てアパートに帰宅する。四国青年部の幹部からは、「職員でありながら役職がない野口の存在が、会員に誤解を与えないため」との理由で会合への参加は自粛するよう言い渡されていた。
 唯一、月1回の座談会と本部幹部会中継への参加は許されたが、それ以外は事実上謹慎状態とする判断を下され、地域組織での活動を禁止された。
 友人も家族も誰も知人がいない四国でのアパート生活。師匠の指導を学び、必死に題目をあげるしかなかった。組織に出られない以上、自分にできることは、故郷で不当な扱いを受けている会員がいることを師匠にお伝えすることしかない。
 どうすれば師匠に手紙が届くのか、原田会長との面談を実現できるのか、祈り悩み、考え続けた。

 今の自分の使命は、師匠に本部の実態をお伝えすることであり、一刻も早く地元に戻って会員たちの無実を証明しなくてはならない。まずは、一度、職場の最高責任者である宮崎方面総合長に、配置転換の理由を確認したい。
 平成23年2月14日、四国創価学会の最高責任者である宮崎方面総合長に面談のアポイントをお願いする。
 すると宮崎総合長は一言、「いち男子部員として、信心根本に」と。
 宮崎総合長とは、ほぼ初対面であったが、一度も自分のことを話してもいないのに、自身の信心を心配されている。小平と同様、学会本部から、“野口は誓約書に誓約せず本部の決定に従わなかった職員である”との説明を伝え聞いているように感じてならなかった。宮崎総合長に話を聞いてもらい、誤解があるならば解かねばならない。
 また、中央の学会本部の影響は強いと感じた。やはり、何としても原田会長との面談を実現しなければ、会員たちに対する不当な仕打ちを止めることは出来ない。
 遠く離れた四国の地で黙っている訳にはいかない!自分が体験してきた問題を闇に隠されてなるものか!

 同日2月14日、野口は原田会長宛のアポイント申請の手紙を託した会長秘書の徳島部長に電話する。野口が本部から四国へ発つ前に、会長手紙を託したのが徳島部長である。
 野口は徳島部長に尋ねる。「先日の会長宛の手紙に対して何の反応も頂けていないのですが、手紙は渡して頂けましたでしょうか?」と。
 徳島部長、「渡しました。会長は読んだと思います」
 野口、「話を聞いて頂きたいとの内容の手紙なので、対応いただけるか待っています。返事は頂けるのでしょうか?」
 徳島部長、「会長も忙しいので、全てに返事をしている訳ではありません」

 野口はおかしいと思った。そもそも原田会長の「役員室で懇談のアポイントを取りなさい」との指示によって、役員室を通して手続きを取っている。しかし、役員室の原田会長の担当秘書である徳島部長は「原田会長から返事が無いかもしれない」と言う。
 野口は不安に思い、「では、どうしたら現状は分かるのでしょうか?」と尋ねる。
 徳島部長、「もう少し待って頂くしかないと思います」
 野口、「どれくらい待てば良いのでしょうか。何とかご返事を頂きたいのですが」
 すると徳島部長は、「返答が欲しいのであれば、その内容の手紙をまた書いてもらっても構いません」と。
 野口、「確認や手紙の窓口は徳島部長なんですか?」
 徳島部長は、「私でいいです。待っていて下さい」と。野口は電話を終える。

 またも徳島部長から、原田会長宛に手紙を書くことを提案される。しかも、返答の無い原田会長に対して、もう一度、「返答が欲しい」との内容の手紙を書いた方がいいと言う。しかも待っていても、原田会長からは連絡しないこともあると言う。
 滅茶苦茶である。あまりにも不誠実である。
 一体何のための手紙なのか。何のための担当窓口なのか。
 しかし、いくらおかしいと思っても、今は手紙を書く以外に、原田会長と懇談をしてもらえる方法はない。
 もう一度、もう一度「返答が欲しい」との内容の手紙を書くんだ!

 「勝つか、負けるか――戦うことをやめれば、すぐに敗北が待っている。」(名誉会長指導)
 
 平成23年3月21日、原田会長宛てに懇談を求める2度目の手紙を出す。
 「何かしらの反応を頂きたいと、必死に祈ってきました。しかし『返答しない事もある』との話を聞き、無かった事になってしまうのではないかと不安になりました。ご返事を催促するような形になってしまうのは本当に不本意ながらも、どうしても会長から直接、私たちの手紙へのご返事を頂きたいと思い、再び手紙を書かせて頂きました。」
 「どうか公平な目で、私たちの話を聞いて頂けないでしょうか。話を聞き、認識して頂いた上で、評価されるのであれば、その評価を真摯に受け止めて参ります。私たち自身が振り返るべきことがあるならば、必ず自身を振り返り、人間革命して参ります。」と。

 翌日3月22日、野口は徳島部長に電話し、「先日、お話を頂きました会長宛の手紙を書かせて頂きました。徳島部長宛に郵送いたしましたので、どうか会長にお渡し頂きますよう、よろしくお願いします」と伝える。
 徳島部長は、「はい分かりました。ご苦労さまです」と了承する。
 野口は、四国から、徳島部長に宛てて手紙を送り、連絡が来ることを祈り待ち続けるのである。

第10 制裁的な配置転換を行なう学会本部(H22.11~H23.1)

「“千里の道も一歩から”である。その“一歩”に“千里”が含まれている。次の“一歩”また“一歩”ごとに夢が現実に近づいていく。大事なのは足元である。歩みを止めないことである。」(名誉会長指導)

「人間、何が幸せか。一日一日、『きょうも、やり切った』『きょうも悔いがない』『きょうも、私は勝った』という行動を重ねることだ。毎日、自分として“これでよし”と言えるよう、精いっぱいの努力で生きる。その積み重ねが、大勝利の人生となる。平凡なようだけれども、これが人生の『王道』であり『王者の道』である。」(名誉会長指導)

人間の幸福は
小さな一歩から 目の前の一歩から
すべては始まる

始めの一歩を踏み出す勇気
次の一歩を進めようとする祈りと行動
その積み重ねこそ
夢と理想を叶える原動力なのだ!

歴史を創りゆく開拓者の人生もあれば
友のために生きゆく尊き青年の人生もある
子を立派に育てゆく偉大なる母の人生もある
いかなる人生も
悔いなく一日を勝つことから始まる
日々の努力の積み重ねの中に
人間王者としての 大勝利の人生があるのだ!

君よ!
自分らしく 自己の本分に生き抜くのだ!
胸中の師に「今日も勝った!」と報告しゆく
悔いなき日々を勝ち取るのだ!
師の理想とする創価を築きゆくのは
弛まず前進する あなた自身であることを
忘れてはならない!


 平成22年11月、野口の四国行きが決まる。
 異動日は、平成23年2月。これで本部指導監査委員会の提示した誓約書に誓約できなかった本部職員は学会本部から4人ともいなくなり、地元である神奈川に残るのは滝川だけになる。
 滝川は、会員たちが不当な目にあっている実態を目の当たりにし続ける自分の使命をいやが上にも自覚することになる。
 2年前、神奈川執行部で本部職員の福井総県長は、私たちが誓約できない理由を聞くと、「君たちは100%正しい」と言った。それにも関わらず、神奈川執行部は、「本部の決定だから」と会員たちに誓約を迫り、謹慎処分(さらに謹慎処分延長)、そして役職解任処分と3度の処分を決定、通知した。
 神奈川執行部は、会員たちが間違っていないことを知っている。しかし、最終的に「経緯はどうあれ、学会本部の決定に従わないことが問題」との理由で会員たちに非があると判断したのだ。
 そこには、学会の公式機関が下した判断だから、正しい(従うしかない)、との欺瞞に満ちた判断があった。これこそが本部職員に巣くう官僚主義の最たるものであると感じていた。

 神奈川に残る自分の戦いは、会員たちの真実を語ることである。
 自分が語らずして誰が語るのか!
 滝川は、会員たちが平成21年4月1日付けで全役職解任処分され、一会員として活動できるようになった以降も、地元組織でレッテルを貼られ、不当な扱いを受け続けていることを見聞きしてきた。
 会員兵庫氏は、地元組織から「創価学会の決めたことを守れない人だから、組織からは励ましてはいけない、人材育成してはいけない、できれば声をかけてもいけない」と徹底されていることを聞いた。
 時が流れれば、問題は過去のこととして忘れ去られる。そして、“連絡が無く学会活動に参加することができない”会員は、次第に“学会活動に参加しない会員”とされ、忘れ去られていく。犠牲になった会員は、闇に葬り去られる。

「誤解が誤解のままであれば、『真実』は葬り去られてしまう。誤解を放置しておくことは、『正義』の死を意味する。」(名誉会長指導)

 滝川は、神奈川創価学会の実質的な最高責任者である高知副会長に、誓約しなかったことで会員たちがすでに処分を受けたにも関わらず、その後も現場組織で不当な扱いを受けていることを相談しようと思った(会員たちは、謹慎処分、謹慎処分延長そして役職解任処分が下される際、「創価学会の機構では、会長と方面長(高知副会長)は同格です」との説明を受けている)。
 自分ができる一歩を踏み出す以外に道は開かれない。

 平成22年11月30日朝、滝川は高知副会長に電話し、「個人的に相談したいことがあり、是非一度、面談の場を持ってもらえないでしょうか」とお願いする。
 すると高知副会長は、「はい、分かりました」と二つ返事で快く面談を了承。平成22年12月17日14時から神奈川文化会館で、面談の予定が決定する。

 そして、高知副会長との面談当日の朝、滝川の職場に一本の電話が入る。高知副会長からだった。内容は一点、「今日の件ですが、本部指導監査委員会に関係する内容でしたら、その場で帰って頂きますので、その点宜しくお願いします。」と。
 言い終わるや否や、滝川が返答する間もなく電話はプツッと切られる。
 受話器を持ったまま滝川は唖然とする。
 高知副会長には、具体的に何を相談したいのかはまだ伝えていない。なぜ、ここまで監査の話が出ることを警戒するのか、理解できない。
 高知副会長が、対話する前から自分に対して警戒していることを思うと、残念に感じてならなかった。

 同日、指定された14時前、滝川は神奈川文化会館2階にある事務所に入り、席に座っている高知副会長のもとを訪れる。
 高知副会長は、事務所の中央にあるテーブルに滝川を案内する。
 滝川は、現場組織で、会員に座談会だけでなく本幹など会合の連絡が一切来ないこと、他の会員に「声をかけてもいけない」と徹底されていることを伝えた。
 すると高知副会長は、「当然だ!『解任』になった人間なんだから、皆怖がって会合の連絡なんか出来るわけがないだろ。当たり前のことだ!」と。

 滝川はその言葉に衝撃を受けた。そして怒りに体が震えた。
 なぜなら、高知副会長は、1年9ヶ月前の平成21年3月31日の役職解任処分の通知の際、以下のように話していたのだ。
 「一会員として、今後の活動については、しっかりと取り組んでいって頂きたい」と。
 その時の発言とはあまりに真逆な発言だった。副会長であり神奈川最高責任者という責任ある立場にありながら、あまりに無慈悲、そして無責任な言動ではないかと思ったのだ。

 滝川は尋ねた「高知さんは一度でも地元組織で不当な仕打ちにあっている当事者の話を聞いたことがあるのでしょうか。ないではないですか。高知さんが解任を決めたのではないですか。」と。
 高知副会長、「解任は私が決めたのではない。学会本部が決めたんだ。」
 会員に通知した責任者が責任回避。滝川はまさにこの思想、この体質と戦っているのだと感じてならなかった。
 滝川は高知副会長を見つめ語った。「解任通知の際、高知さんは『私は会長と同格の権限を持っている』と前置きして、『解任する』と仰っていました。」
 高知副会長、「委員会が解任を決めたんだ。私ではない。解任は人事委員会の皆で決めて、最後に本部が了承したんだ!本部に則ってやったんだ。」
 滝川は意を決して質問する。「高知さんは一度も話を聞いていないのに、なぜ解任を決めることが出来たんですか。責任者として高知さんが当事者の話を聞かずに解任を決めたことは果たして先生が正しいと仰るのでしょうか。」と。
 高知副会長は即答する。「正しいと仰るよ」
 滝川は高知副会長の何も感じていない言葉に困惑した。
 そして、伝え抜くんだと思い語り出した。「私はそうは思えません。会員が職員の問題により犠牲になっている事実がある限り、話を一度も聞かずに解任する行為は間違っていると思うのです。」と。
 すると高知副会長の顔つきが変わった。突然声を荒げ、「帰りなさい!業務命令だ!帰りなさい!」と、そのまま面談は終了となった。

 高知副会長が、一度も会員たちの話を聞かずに下した謹慎処分、役職解任処分によって、地元組織では会員を不当に扱う問題が発生している。会員は誓約しなかったことによる処分に、悔しさを抱えながらも、処分を受け入れ、そして罰を受けた。しかし、それでもなお、組織で不当に扱われている状況があるのだ。
 全く対応しようとしない高知副会長の姿は、あまりに無責任かつ無慈悲であり、あってはならないことである。興奮して話を終わらせられてしまう悔しさと、会員を救えない自身の力のなさに涙が込み上げた。

「無責任な人間は、敵よりも始末が悪い。」(名誉会長指導)
「無責任な傍観者、威張った官僚主義者が増えれば、学会の内側は滅びる。」
(名誉会長指導)

 みな自分の信仰者としての責任が問われると、都合よく「本部が決めた」、「委員会が決めた」と、責任の所在は曖昧になり、決定に関与した人間は組織の陰に隠れていく。
 そこにはもはや自分が決定したとの意思はなくなり、良心の呵責を感じることもなくなっている。まるで“自分は組織決定に従っているまでだ。だから自分は正しいのだ”とさえ言わんばかりである。
 今の本部職員の中に、こうした無責任体質が蔓延している。本部を変えたい。いや変えねばならない。一刻も早く変えねば、さらに多くの会員が犠牲になると思えてならなかった。
 やはり学会本部の最高責任者である原田会長と話をしなければ、学会本部と本部職員の問題の根本解決は難しいと痛感したのである。

 原田会長との懇談のアポイント申請に対する返答

 もう一方で、私たちは平成22年11月16日に出した原田会長との懇談のアポイント申請に対する返答を待っていた。原田会長に言われた通りに、懇談のアポイント申請をしたにも関わらず、3週間が過ぎても何の連絡もない。

 同年12月6日午後、小平は徳島部長に電話し、会長面談のアポイントの確認をする。
 すると徳島部長から、「調整はしたが年末年始で(原田会長の)スケジュールは一杯で厳しい」、「また改めて申し込んでほしい」との返答。
 小平は、先日学会本部を訪ねた際、原田会長から直接、「役員室でスケジュール調整をしているからアポイントをとってください」と言われた事情を話し、何とか年内にお願いできないかと必死に懇願する。
 しかし、徳島部長は、「だから調整したんだけど、調整がつかなかった」と話す。そして、「急ぎの内容なら会長に直接手紙を書いたらどうか」と提案した。
 小平は「会長宛に書けばいいのでしょうか?」、「徳島さんから会長に直接渡してもらうこともできますか?」と聞く。
 徳島部長は、「それは構いません。私宛に送ってもらえば私から会長に直接渡します」と答えてくれた。

 原田会長の年末年始のスケジュールが一杯ならば仕方がない。一刻も早く原田会長と面談したいという焦る気持ちを抑える。時に忍耐することもまた勇気だと思った。
 何とか、原田会長との懇談を実現させたい。年が明けたら、もう一度、懇談のお願いをさせて頂こうと決意する。
 歩みを止める訳にはいかない。止まっているように見えたとしても、着実に目の前のやるべきことを進めていくしかない。

 小平に対する九州の最高責任者である愛媛副理事長の対応

 平成22年12月、小平が九州に来て、8か月が経とうとしていた。
 小平は、職員局責任役員のB副会長から、「人事戦略プロジェクトで検討を重ねてきた方面との交流人事で、個人の業務スキルアップも目指す」と言われて九州に来た。
 しかし、九州青年部長からは「君の話は完璧に聞いている」、「まずは生活と仕事だ。時間はかかるが信用されるようになれ。」と言われ、事実上、謹慎処分状態となっていた。学会本部から言われていたことと、現場の扱いには食い違いがあるように感じてならなかった。
 信用を勝ち取るため、仕事を真剣にやってきたが、小平は学会活動ができない現状に悩んだ。そして、学会本部が方面の九州幹部に対し、自分のことをどのように伝えているのか気掛かりだった。
 もしかしたら、九州の最高責任者である愛媛副理事長は、小平が体験した一連の問題について何も知らない可能性がある。そしてもし、誤解をしている部分があるならば、その誤解を解きたいと思った。

 小平は、平成22年9月から愛媛副理事長に面談のお願いをし、3か月後の平成22年12月9日、愛媛副理事長から「12月15日10時から面談をしましょう」との連絡があった。

 同年12月15日10時前、小平は早めに九州文化2階の会議室に到着し、愛媛副理事長が来るのを待つ。
 しばらくして、愛媛副理事長が某九州方面長とともに入ってくる。
 小平、「ご挨拶もちゃんと出来ていませんでしたし、お話しもさせて頂きたいなと前から思っていまして。よろしくお願いします。」と丁重に挨拶する。
 そして率直に、「4月から九州に異動で来たんですが、学会本部からどのように伺ってらっしゃるのかなと思いまして」と尋ねる。
 愛媛副理事長は、「率直に言うと、学会本部からは当然、経緯のあらかたについては聞いています。君が今日まで監査委員会にかかって。もう数年前から君が地元の学生部長をしていた時代のころの史実だな。」と話す。
 そして愛媛副理事長は続けて話す「それと同時に、その前提で、君が九州で職員を続けるのであれば、再出発の道を歩む意思があるのであれば、君も未来ある青年だから、白紙で見守っていきたいという思いがあって、九州に受け入れたんだよ。」と。

 小平は耳を疑った。学会本部での配転内示と人事発表の際、青森副会長から聞いた話と明らかに違う内容である。
 本部では、青森副会長から、「人事戦略プロジェクトで検討された『人事交流』『業務交流』の異動である」と説明された。その後、職員人事委員会委員長の大分職員局長に確認しに行った際も、「一連の組織の問題とは一切関係ない人事」だと伝えられていた。
 しかし、愛媛副理事長の話では、小平の九州配転は、“小平には、九州で「再出発」をしなければならない理由(問題事由)があり、小平が「再出発」することを望んだからこそ、九州が白紙で受け入れた”ことになっていた。
 まるで、流罪者のような扱いである。
 青森副会長の「個人の業務のスキルアップを目指す業務交流人事」との説明は、ただ表面を取り繕った後付けの理由であった。
 小平の配置転換は、“制裁人事”であったことが明らかとなったのである。

 さらに愛媛副理事長は話を続ける。
 「むしろ僕の方から君に聞きたい。これまでの経緯を。一度も聞いたことねえから。」と。
 小平は懸命に事の経緯を話す。しかし、愛媛副理事長にはなかなか伝わらない。先入観が強いように感じてならなかった。
 しばらくすると、愛媛副理事長はこれから来客があるから、面談を終わりにするという。そして、小平の思いを書面にしてもらえれば、それを読むと。
 小平は、「わかりました。書面を書かせて頂きます。その書面をもとに懇談をお願いします。」と伝える。
 愛媛副理事長、「わかった。またやろう。書面はゆっくりでいいよ」と。

 小平は九州の住まいに戻り、愛媛副理事長との面談を振り返る。
 方面組織(幹部)が、中央本部(幹部)の意見をすべて鵜呑みにしてしまう体質をいやが上にも感じる。だからこそ、率直な対話が大事になってくる。胸襟を開いた対話でしか道は開けない。
 勇気だ!すべて勇気をもって語るんだ!
 早速、愛媛副理事長への書面の作成に取り掛かる。何とか、愛媛副理事長に真実を知ってもらわなければならない。
 小平は、これまで本部指導監査委員会や原田会長に提出してきた書面の内容を見返し、連日連夜、必死になって書面作成に取り組む。

 愛媛副理事長への書面にはこれまでの経緯とともに自分の思いを書き綴った。
 「私は自身の解任処分について、後悔は一切ありません。問題が起こってからのこの9年間の戦いを通し、師匠と法に守っていただいたことに感謝の思いしかありません。しかし、未だに無実の会員が、あの監査の結論によって反逆者のように扱われ苦しめられ、犠牲になっている現状があるのです。先生は『師匠を守るということは具体的に会員を守るということだ』と教えて下さいました。無実の会員を苦しめる事だけは、断じてあってはならないと思うのです。どんなに組織が大きくなろうとも、一人の会員を徹して守ってこそ創価が守られると思うのです。会員に尽くしぬくことが職員の使命だと思うのです。」と。

 平成23年1月11日夜、九州文化2階事務所の愛媛副理事長に書面を届ける。愛媛副理事長は書面を受け取り、その場でざっと目を通す。
 しばらくすると、愛媛副理事長は小平が渡した書面から一旦目を離し、机から、おもむろに「2枚の書面」を取り出す。
 そして、「私は本当に客観的な内容しか聞いてないんだよ」と言いながら、小平にその書面を手渡す。
 そこには、“公平厳正に監査が行われたが一部の人間が納得せず、結論である誓約書に誓約しなかった。その後、何度も指導したが、聞き入れなかったため謹慎処分となり、2回勧告したが聞き入れなかったため、解任処分となった”と書かれていた。
 小平が九州文化会館に異動してきた時に、学会本部から愛媛副理事長に通知されたものであったのだ。
 小平はその書面に動揺した。
 “公平厳正な監査”ならば間違いなく会員たちは、誓約書に誓約し、平穏無事に終われた。しかし、誓約を拒否し、その拒否による罰を受けることを望んだ。そのやむにやまれぬ会員たちの決断は一体なんだったのか。「自分の人生を作ってくださった師匠だけは絶対に裏切らぬ」と涙を浮かべ、処分通知に臨んだ会員たちの判断は、一体なんだったのか!!
 小平は動揺しながらも、その「2枚の書面」を見終わると、愛媛副理事長に返し、「私の書面を読んで頂き、また面談をよろしくお願いします」と頭を下げ、その場を後にした。

 本部の結論が正しいとの前提で書かれた「2枚の書面」。何としても、愛媛副理事長に事実を知ってもらうしかない。書面を読んでもらい、再度の面談を実現するんだ。正義は誰か、弟子は誰なのか、絶対に語り抜くんだ。創価は断じて会員のためにある!!
 小平は、愛媛副理事長からの連絡を待つことになる。

 野口が四国へ異動

 野口は、平成22年12月15日、小平から愛媛副理事長との面談の様子を聞き、自分の四国への配置転換が制裁的人事であることは、ほぼ間違いないと感じた。
 学会本部は、自分を四国に異動させ、本部の決定に従わない限りは本部に戻さないつもりだ。
 しかし、自分が出会ったこの問題から逃げるつもりはない。不当な扱いを受け続けている会員たちを、裏切ることは我が命をかけてもすることはない。これまで以上に声を大にして叫ばなければ、自分が体験してきた一連の問題は風化され、師匠の耳に届かず蓋をされてしまうことを感じてならなかった。

 師匠に繋がる道は側近である山梨女史しかいないと思った。野口は平成22年12月12日に、2通目の手紙を出していたが、返事はなかなか来なかった。
 野口は必死に祈り、待つ。しかし、1週間が経ち、2週間が経っても連絡はない。山梨女史への手紙には、本部職員による人事の不正、その不正を隠す学会本部の不正、そして、それらの問題について一度も話を聞かない本部執行部の問題について書いてある。
 山梨女史は、どう対応するべきか、悩み葛藤されているのではないかと感じられた。
 平成22年12月末、野口は、小平、滝川、茨城氏の3人に相談をする。
 「小平の愛媛副理事長との面談から、自分たちに対する地方への配転命令が、制裁的人事であることは明らかだと感じる。ならば、一刻も早く師匠にご報告できる道を切り開くためにも、師匠の側近である山梨女史に制裁的人事のことをお伝えした方が良いのではないか。」と。
 同志たちは、賛同した。

 必死に祈り、山梨女史に3通目の手紙を書くのである。

「人生は戦いである。断じて、あきらめない。断じて、立ち止まらない。
どこまでも走り続けた人が勝つ。執念を燃やし続けた人が勝つのだ。」
(名誉会長指導)

 山梨女史への3通目の手紙には以下のように書き綴った。
 「会員が苦しんでいるのです。職員の姿勢を指摘し解任となった会員さんは本当に悪くないのです。創価学会は会員のためにあるはずだと思うのです。会員が苦しんでいるにも関わらず、なぜ一度も話を聞いて頂けないどころか、人事というやり方で無かったことにしてしまおうとするのか。」と。
 そして、「どうか、私たちの手紙に対してお返事を頂くことはできないでしょうか。無理ならば無理と一言でもお伝えして頂きたいのです。師匠は、私たち弟子の一人ひとりがどう行動するのかじっと見られていると思うのです。
 山梨様、私たちの思いを汲み取って頂ければこれほど、これほど嬉しい事はありません。何卒、何卒、宜しくお願い致します。」と。
 平成23年1月19日、山梨女史宛ての手紙を郵送する。
 
 それとともに、原田会長との懇談のアポイントを何としても取りたい。1度目は、年末のスケジュール調整がつかず、叶わなかった。必死に2度目のアポイント申請の手紙を書き進める。
 何とか2月1日付けで四国へ発つ前に、アポイント申請書を徳島部長に手渡したい。
 対話が閉ざされた本部では、組織の硬直化が進む一方だと感じてならない。師の築かれた会員のための創価を護りたい、何とか原田会長との対話を実現し、誤解があるならば解かせて頂きたい。不当な扱いを受けている会員たちの無実をお伝えしたい。

 率直な思いを原田会長宛ての手紙に書き綴った。
 「私たちがお願いしたいのは、ただただ話を聞いて頂きたいということなのです。一度でいいから話を聞いて頂きたいのです。話を聞いて頂いた上で『主張だけをする人間の話は聞けない』という判断になってしまったのであれば仕方のないことだと思っております。ただ、一度も話を聞いていただけていない中で『対話はできない』とすることが、どうしても理解できないのです。」
 「真剣に祈り、振り返れば、振り返るほど、自身の至らなさはあったとしても、この問題について『話を聞いて頂きたい』と懇願することが間違っていることだと思えないのです。会員の幸福を目的とする創価の世界にあって、会員が解任となった経緯を会長に聞いて頂きたいと懇願することが間違っていることだと思えないのです。」
 そして、手紙の最後には、
 「原田会長、どうかたった一度でいいのです。真っさらな状態でお話を聞いて頂くことはできないでしょうか。何を反省すべきかをお伝えして頂くことはできないでしょうか。師匠は、私たち弟子の一人ひとりがどう行動するのかじっと見られていると思うのです。」と。

 平成23年1月28日金曜日、野口が学会本部に出勤する最後の日。原田会長宛の手紙を携えて、役員室事務局がある本部別館へと向かう。
 すぐに徳島部長は1階ロビーまで降りてくる。
 椅子に座り、野口が「今日が最後の本部出勤です」、「四国に異動になりますので、今日どうしてもお願いしたくてきました。なんとか会長にお願いします」と手紙を差し出す。
 徳島部長は、「分かりました。これは会長に届けます」と約束する。
 野口は、「宜しくお願いします。四国に行っても全力で戦います!」と伝え、エレベーターに乗る徳島部長を見送った。

 職場に戻り、最後の仕事をやり終えた野口は、事務所に置いてあった自分の荷物を段ボールに詰め込むと、上司や同僚に最後の挨拶をして回る。同僚の女性職員からは、「新婚なのに、あり得ない人事ですね」と言われ、前の職場の先輩からは、「青森副会長もひどい事をする。絶対におかしいよ」と伝えられる。
 皆、本心では分かっている。しかし、表立って声をあげることはしない。
 自分は自分が正しいと信じる事を一歩ずつ続ければ良いのだ。師匠に喜んで頂ければ、それでいいのだ。師匠さえ分かって頂ければ。
 約10年勤めた学会本部の最終出勤日。野口は、師が居られるであろう本部を見つめながら思いを馳せた。「正義のために勝て!」師から頂いた言葉が蘇ってくる。苦しい時も辛い時も支えて頂いた師匠の御心に涙が込み上げた。感謝に涙が止まらなかった。そして、野口は「断じて正しいと信じることを貫きます!」と心で叫び信濃町を後にした。
 
 平成23年1月30日の夜、野口は羽田空港に向かう。見送りに駆け付けてくれた会員同志や家族の顔には、怒りと悔しさが溢れていた。自分の問題を我が事のように捉えてくれる、その同志の心に涙が込み上げて来る。
 「自分は絶対に負けません!断じて本部の実態を師匠にお伝えし、必ず勝って戻ってきます!」と伝え、搭乗口へと向かう。ずっとずっと手を振ってくれた。涙を流す会員同志もいた。本当に、本当にただただ感謝しかない。
 自分は師匠と会員同志のお陰で生きている。師の築かれた創価を護るため、会員の無実を証明するために前に進むのだ!
 野口は、本部職員の不正人事によって苦しめられた学生部の時に、師から「正義のために勝て!」との言葉を頂いた。この師の叫びを我が誓いとし、野口は故郷の神奈川から新たな四国の地へと発ったのである。






第9 原田会長から「役員室で懇談のアポイントを取りなさい」との指示(H22.9~H22.12)

「人生も、仏道修行も、何の抵抗もない真空状態の中では、楽なように思えるかもしれないが、そのじつ、大空を飛翔することはできない。空気の抵抗のなか、飛行機が前へ前へと飛び続けてこそ、空気も味方し、持ち上げる力となるのである。前へ、ただ前へ—―広宣流布もまた、勢いある前進を続けるかぎり、苦難をも上昇の力に変えていける」(名誉会長指導)

「何らかの圧迫を受ける。その壁を破ろうと全力で抵抗する。そこに生命力は増大する。人間としての成長も、進歩もある。その意味で、圧迫は、自身の、新しい可能性を開いてくれる。圧迫ゆえの進歩—―それが生命の法則である」(名誉会長指導)

      順風満帆な人生が 最も幸福なのか
      平穏無事な人生が 真の勝利なのか
      いや、むしろ
      逆風によって 己は向上し
      圧迫の壁を破るなかで 己は成長する

      己をより強く、より高みへと
      進歩させゆく君の前には
      必ず障壁が立ちはだかる

      しかし、それは
      不二の道を歩む証明であり
      生命の道を歩む証である!

      ゆえに
      君の正しさの証明であり
      君の正義の証であるのだ!

      同志よ!
      勇んで 進むのだ!
      迷わず 進むのだ!
      歓喜をもって 破るのだ!
      もはや 君の前に立ちはだかる
      障壁は障壁にあらず!
      障魔は障魔にあらず!
      ただただ
      歓喜と飛躍の
      未来の扉なのだ!!


 
 平成22年9月26日日曜日の午前、九州から帰京した小平は、広島から帰京した茨城氏とともに学会本部へと向かう。原田会長との面談の約束を取るため、手紙を携え本部2階の事務所にある原田会長の席を訪れる。
 事務所には数人の職員しかいない中、席に座っている原田会長がおられた。
 小平と茨城氏は、会長の席の前まで進み、勇気を出して声を掛ける。

 小平、「おはようございます。失礼します。小平です。九州から参りました」
 原田会長は、一瞬、呆気に取られたような顔をする。
 会長、「業務はどうした。休んで来たのか?」と尋ねる。
 小平、「今日は日曜日なので、業務は休みです。原田会長すみません。一度話を聞く時間を取って頂けないでしょうか」と、単刀直入に要件を伝える。
 すると原田会長は一気に話す。
 「アポは取ったのか。アポ無しで来るのは社会的常識が無いんだ」、「九州から来てもらって悪いが、話すことはできません!役員室で懇談のアポイントを取りなさい。以上、終わりです」と。

 数カ月前に野口、滝川が訪問した際、原田会長は手紙すら受け取らず、野口、滝川に罵声を浴びせた。そのことを思うと、今回、原田会長から「役員室で懇談のアポイントを取りなさい」と具体的に伝えて頂いたことは、対話の扉を開く大きな一歩前進なのではないかと感じた。
 小平は、「分かりました。では、役員室を通してアポイントを取らせて頂きます」と頭を下げ、帰ろうとする。

 すると、原田会長の2つ隣の席に座っていた青森副会長が、突然立ち上がる。青森副会長は小平と茨城氏に向かって歩きながら、「ここは私の管理責任がある場所だ。」、「出ろよ!出ろよ!」と事務所の出口を指さしながら連呼する。
 小平は、「青森さん。落ち着いて下さい。興奮しないでください」と伝える。
 しかし、青森副会長の興奮は収まらない。出口を指さし続け、「興奮していない!出ろよ!出ろよ!出ろよ!」と何度も言い続ける。
 これまでも、青森副会長は、「一度話を聞いて頂けないでしょうか」と懇願する小平に対し、「行動に気を付けた方がいいぞ!」と睨むなど高圧的な対応を取ってきていた。
 小平と茨城氏は原田会長への要件が済んでいたため、速やかに事務所を退室する。

 事務所の外に出ると、原田会長秘書の山口主任が追いかけて来る。山口主任は、小平の高校の同級生の兄であり、面識があった。
 山口主任は目を丸くしながら、「あんな青森副会長を見るのは初めてだ。何があったの?」と事の次第を聞いてくる。
 小平は、端的にこれまでの経緯を説明する。そして、会長秘書の山口主任に、「どうやって原田会長と懇談のアポを取れば良いのですか?」と尋ねる。
 山口主任は丁寧に教えてくれた。「会長の担当は役員室総務第一部長の徳島部長です。なので、徳島部長に直接連絡をして下さい。懇談を希望する理由は、通常、書面で提出することになっています。書面で提出して下さい」と。

 微かな希望の光が見えた気がした。初めて、原田会長に話を聞いてもらえる可能性が出て来たと感じた。何としても原田会長との懇談のアポイントを取り、一度話を聞いて頂きたい。会長の誤解を解き、会員の無実を何としても証明したい。
 その後、小平、野口、滝川、茨城氏はすぐに、原田会長との懇談の機会を得るためのアポイント申請書の内容について話し合う。

 ちょうどこの頃、誓約書の不提出を理由に役職解任となった会員たちが、地元組織でさらなる不当な扱いを受けていた。
 平成22年9月中旬頃、会員兵庫氏の自宅に封筒が届く。差出人は兵庫氏の男子部の先輩で、最近壮年部に移行した本部職員の某支部長。中には、広布部員の申込用紙と切手付き返信封筒、そして、ワード文書で「広布部員を希望する場合は、申込用紙に記入し返信封筒で11日必着で返信してください」と書かれた書類が入っていた。これまで財務の申込書みは手渡しで、兵庫宅と某支部長の自宅は自転車で5分、携帯電話も知っている。それがすべて郵便。兵庫氏に対する、あからさまな差別的対応であった。
 さらに、会員木本秀信氏は、役職解任処分の通知の際に神奈川執行部から「一会員として、今後の活動については、しっかりと取り組んでいっていただきたい」と言われていたにもかかわらず、地元組織では、「一人一人が発言できるような会合に来ないでほしい」「座談会に参加しないでほしい」と言われるまでになっていた。
 師匠の弟子として、また職員として、この状況を知りながら何も行動しないことは絶対に出来ない。何としても、まずは原田会長に懇談の場を持って頂き、会員たちが不当な扱いを受けている実情を伝えたい。

 原田会長との懇談のアポイント申請書に書き綴った。
 「本部職員である私たちはどうなっても構いません。しかし、何の罪もない会員さん(木本氏、島根氏、京都氏、兵庫氏)が『全役職解任』という処分を受け、『反逆者』のレッテルを張られ、未だに組織から連絡をもらえず、理不尽な対応をされ続けているのです」と。
 そして、「私たちがすべて正しいと思っている訳ではありません。私たちに間違っている点があれば、原田会長に教えて頂きたいのです。その時は断じて自身を人間革命していきます。どうかお時間をとって頂けますよう、何卒、何卒、よろしくお願い致します」と。
 何としても、まずは一度、直接、原田会長に話を聞いて頂く必要がある。

 山梨女史に初めて手紙を出す
 平成22年も10月に入る。本部から九州に戻った小平は原田会長へのアポイント申請の書面を作成しながらも、名誉会長側近である山梨女史の娘埼玉さんから、一向に連絡が来ないことに思い悩み続けていた。埼玉さんとの約束から、はや半年が経つ。
 小平は考えた。“もう何度も埼玉さんに手紙を書き、返答のお願いをしてきた。しかし、埼玉さんからの返答はない。これまで半年間、埼玉さんを信じて待ち続けてきたが返事を頂ける可能性はないのではないか。”と。
 そして、“師匠の側近である山梨女史に直接手紙を出しても良いのではないか。”との考えが一瞬よぎる。しかしすぐに、“それは埼玉さんを信じないことになるのではないか。埼玉さんが「必ずこちらから連絡します」と言ってくれた真心を裏切ることになるのではないか。”との考えが浮かぶ。小平の葛藤は続く。
 しかし、絶対的に時間は無かった。故郷での会員たちへの不当な扱いは続いている。会員たちに対する「反逆者」のレッテルは広まり、どんどん取り返しのつかないことになると感じていた。

「たとえどんなに小さなことであっても、同志を苦しめる悪を、絶対に見逃してはならない。放っておけば、その毒気が、いつしか全体に蔓延して、清浄な和合の世界が破壊されてしまう」(名誉会長指導)
「時を逃せば、何事も成就しない。それまでの努力も、苦労も、すべては水泡に帰してしまう」(名誉会長指導)

 小平は、本部の野口、神奈川の滝川、広島の茨城氏に、山梨女史に手紙を書いても良いかどうか相談する。
 すると、同志たちは語った。「師匠は、『次の百年のため、悪い職員がいたら報告しなさい』と厳命されている。職員の不正を見ておきながらここで諦めてしまえば、自分は師匠の仰せを裏切る保身の弟子となってしまう。それは絶対に出来ない」、「このまま返答を待つだけでなく、一歩行動を起こすべきだと思う」「会員たちへの仕打ちを解決するために、師匠の側近である山梨女史に手紙を書くことが正しいと思う」と。
 私たちは、4名連名で、山梨女史に手紙を書くことを決めた。

 時系列に沿いながら、これまで自分たちが体験してきた「本部職員の不正」や、「会員を犠牲にして本部職員の不正を隠蔽する学会本部の体質」について手紙に書く。
 そして、本部の隠蔽体質に起因する職員の不正についても言及し、“三重全国男子部長の異性問題や聖教職員たちによる金銭問題など、本部職員の不祥事がなくならない原因が、「先生にご心配をおかけしない」という欺瞞で、師の耳にマイナス情報を入れない学会本部の隠蔽体質にあると感じている”と訴える。
 そして末尾には、「山梨様、私たちは決して自分達がすべて正しいと考えているわけではありません。ただ、私たちがこの8年間受けてきた出来事は、先生が『弟子に託すしかない』と仰られる今後の創価学会において、断じて繰り返されてはならないことだと強く感じたのです」、「一度私たちの話を直接聞いて頂くことはできないでしょうか」、「どうかお返事頂けますよう、よろしくお願い致します」と。
 平成22年10月19日、茨城氏が4人を代表して清書し、広島郵便局から郵送する。
 時間は有限だ。このまま絶対に負ける訳にはいかない!

 野口が四国・香川県への異動を内示される
 平成22年11月12日、原田会長との面談のアポイント申請書が完成した。小平が原田会長から「役員室で懇談のアポを取りなさい」と指示されてから、約1か月半が経っていた。小平は山口主任に電話し、学会本部にいる野口が申請書を持っていくことを伝える。
 山口主任は、快く返答してくれた。「わかりました。野口君が直接持ってきてもらえればいいと思います」、「そのように徳島部長に言っておきます。役員室の誰に渡してもらっても大丈夫です」と。
 11月16日の就業時間開始前、野口は役員室事務局の事務所を訪ね、山口主任に会長懇談の申請書を手渡す。
山口主任は、「それでは局長に渡します」と快く受け取ってくれた。
 ようやく、原田会長との懇談をお願いする書面を受け取ってもらえた。これまで半年間、会長に手紙の受け取りを拒否され続けてきたが、やっとここまで来た。
 野口は事務所を出ると、原田会長と短時間でも懇談する機会が得られればと、祈る思いで職場に戻っていった。

 6日後の平成22年11月22日12時頃、出先にいた野口は、上司である管財局長から突然、電話で呼び出される。
 すぐ事務所に戻ると、局長から、「人事異動の内示があるから12時30分に役員室へ行くように」と一言だけ伝えられる。
 一瞬、時間が止まった。地方へ異動した小平や滝川、茨城氏の顔が頭に浮かんだ。
 野口は、指定された通り役員室事務局に向かう。
 会議室へと案内され、内示の場となる。職員局の責任役員である青森副会長から人事異動が命じられる。
 「野口裕介、平成23年1月1日付けで四国池田文化会館へ異動」

 とうとう自分にも地方への配転命令が来た。東京・信濃町から、縁もゆかりもない四国・香川県への異動である。
 これまで何度も何度も、自分が地方へ異動することを想像してはきた。もちろん、全国どこに行っても、大恩ある師匠のため、創価のために戦う覚悟は変わらないつもりだ。すでに自分の腹は決まっている。
 しかし、いざ現実になってみると、4日前に入籍した妻にはどう伝えれば良いのか、苦しくなる。
 妻は、半年前に創価学会に入会。4日前の11月18日に入籍し、翌月12月25日には結婚式を控えている。
 妻にとって新たな出発となる結婚式のわずか1週間後に、野口は四国に引っ越さなければならないことになる。

 その日、帰宅した野口は、妻に四国の香川県への異動の内示があったことを伝える。妻は目を真っ赤にした。
 野口は、あらためて自分の思いを伝える。妻は、必死に不安をこらえながら聞いている。

 「自分は、本部職員の不正に勇気を出して声をあげた会員を犠牲にする本部指導監査委員会の不当な誓約書には絶対に誓約できない。
 今後、四国の地でさらなる苦しい状況が待っているとしても、自分は絶対に諦めない。一刻も早く師匠に全てをご報告し、勇気ある会員たちの真実と正義を必ず証明する。
 そして、必ず四国での使命を果たし抜き地元組織に戻ってくるから、四国には単身赴任で行こうと思っている。どうかこれだけは、自分のお願いを聞いてもらいたい」

 妻は黙って頷く。そして、意を決した力強い声で、「私に創価学会の素晴らしさを教えてくれた裕ちゃん(野口)や同志の皆さんは絶対に間違っていないと思っている。私は先生のお陰でこんなにも幸せな人生を教えて頂いた。生涯、先生の仰せ通りに正しいと信じることのために、裕ちゃんと共に戦う」と答えた。野口はその妻の心に涙が出た。
 そして、さらに妻は「正しい行動をすれば必ず向かい風は起こるものだからって。それが信心だって教えてくれたでしょ。大丈夫よ」と笑顔で覚悟の思いを伝えた。
 入会して6ヶ月、懸命に師匠の仰せ通りに生きようとする妻。その妻の心にただただ感謝しかなかった。
 見知らぬ四国の地であっても、どこまでも師匠のために命を投げ打って戦うことを決意する。

「広宣流布に生きる人の胸には、歓喜の火がある。どんな試練の烈風も、その火を消すことはできない。むしろ、その火は、風が激しさを増せば増すほど、いや増して燃え盛るのだ」(名誉会長指導)

 平成22年11月24日の午後、職員全体会議で人事発表が行なわれる。
 「平成23年1月1日付け人事。野口裕介、四国事務局総務部副主任」
 会合終了後、多くの職場の先輩や同僚が声を掛けてくる。
 「四国に奥さんの実家があるのか」、「管財局に来て1年半しか経っていないのに早すぎる」、「今、本部周辺の建設工事が最も忙しい時なのに、なぜ今、野口が異動なのか」と。
 周囲の眼から見ても、野口の四国行きは不自然であった(数日後、野口は、すでに決まっていた結婚式の準備と四国への引っ越しの準備が重なり時間的に厳しいことを理由に、青森副会長宛てに異動の延期を申請。1ヶ月の延期が認められる)。

 本部にいられる期間は、残り2か月である。
 野口は、管財局建設部の職員として、本部周辺の建設工事の現場に立ち会う機会があった。比較的、屋外に出ている時間も多い。本部周辺で、師匠といつ何時、お会いできるとも限らない。
 日中は、清書した師匠への手紙を常に胸ポケットに携帯し、師匠にお会いし、手紙をお渡しできることを祈り続ける。
 絶対に諦めるものか!今、本部にいる自分が出来ることは、全部、全部やるしかない!

 山梨女史に再び手紙を書く
 野口は、歩いていても、電車の中でも題目をあげながら、師匠にお会いした時のことばかり想像していた。
異動までの2か月のうちに、何としても師匠に手紙を届けたい。そのためには、考えつくことは全てやり抜かねばならない。何とか、 名誉会長側近の山梨女史から返事を頂けないものか。
 平成21年11月の滝川の神奈川異動、その半年後の小平の九州異動、茨城氏の広島異動に続いて、野口の四国への異動も決まり、わずか1年の間に本部指導監査委員会の誓約書に誓約しなかった4人全員が地方へ配置転換となった。
 この事実は、どう考えても不自然過ぎた。
 最高幹部に面談を求める自分たちを本部から遠方の会館に異動させ、一連の問題に蓋をしようとしているように感じてならない。

 12月に入った。山梨女史に初めて手紙を出してから1ヶ月半が経とうとしていた。必死に祈り待ち続けてきたが、山梨女史からの返事はない。
 山梨女史が多忙を極める方だということは重々承知している。しかし、時間がない。自分が本部にいる間に、何とか一度話をさせて頂きたい。

 もう一度山梨女史に手紙を書く。
 「日々、先生をお護りする常随給仕の戦いの中、山梨様に大変な御迷惑をおかけしていることを感じているつもりです。『組織の問題は執行部や会長に相談しなさい』とお叱りを受けることだと思います。しかし、やはり創価を護りたいのです。師の仰せのままに生き続けたいのです。一人の会員を徹して護る創価をさらに創らなければならないと思うのです」
 「丁寧に、誠実に懇談を求めても、問答無用で怒鳴り、対話を拒否し、言うことを聞かなければ人事で飛ばす。このようなことが創価にあるならば、断じてその心と誠実に対話をしなければならないと思ったのです。そこにこそ、『師匠の仰せを護り抜く振る舞い』があると思ったのです」
 手紙の最後には、「一度話を聞いて頂き間違っているところがあれば教えて頂きたいです」と書き綴った。

 平成22年12月12日、祈りを込めて山梨女史宛ての手紙を投函する。あとは必死に祈り、信じて待つしかない。
 山梨女史に話を聞いて頂き、真実を理解してもらえれば、師匠にご報告する機会が得られるかもしれない。その時こそ、自分が体験してきた一連の問題を師匠にお伝えし、原田会長と対話をさせて頂くお願いをしたい。
 決して、師匠に何か解決してもらおうとの思いではない。弟子同士が師匠の指導を根本に団結し、弟子が創価学会内の問題を解決することが今問われているのだ。

「若き諸君は、たとえ相手がどんな役職や立場であろうと、その行為が間違っていれば、『何をやっているんだ!』『先生の指導と違うではないか!』と、はっきりと言っていくべきである」(名誉会長指導)

 偉大なる師匠の弟子として、ひとたび掲げた「対話の旗」だけは絶対に降ろすわけにはいかない。
 会長と対話をさせて頂き、真実を明らかにすることは、一連の問題に出会った自らの使命である。断じて、断じて師匠に甘える弟子であってはならない。
 野口は、四国に行くまでの残り1か月半、さらにさらに原田会長との面談が実現することを強く祈っていくのである。



第8 「先生に御迷惑をかけてはいけない」を口実に職員の不正を隠蔽する学会本部の体質(H22.4~H22.8)

「師匠の一言を、私は『その通りに』全力で実行してきたつもりです。
『その通り』に実行するから『師弟不二』なのです」(名誉会長指導)

    尊き我が人生を
    最極の「師弟不二」に生きると
    決めたならば
    師の指導を「その通りに」
    実行することだ!

    嘘と言い訳で己を誤魔化す
    偽善者に
    嘲笑され 馬鹿にされても
    師の仰せ通り
     「師子王は百獣におぢず」と
    一人、厳然と立ち上がるのだ!

    同志(とも)よ!
    立ち塞がる壁が
    強大であったとしても
    「不二にまさる強さはない!」
    「師弟とは『師子』である!」と
    真実の声をあげながら
    不二の心で 
    創価の未来を開くのだ!!


 小平の九州での戦い
 平成22年4月1日、小平は縁もゆかりもない九州・福岡県の九州文化会館事務所に赴任となる。友人、親類は一人もいない。
 九州文化会館の最初の全体朝礼。
 小平は「会員同志のために全力で戦わせて頂きます」と挨拶。今後、いかなる苦難があっても、絶対に自分に負けないとの決意を込めた。
 会館内にある食堂で、同会館に勤める九州青年部の最高責任者である某九州青年部長と初めて対面する。
 小平は、「九州の地で、全力で戦います」との決意を伝える。そこで、平成21年4月1日に男子部役職を全て解任になっていることを伝えた。
 すると九州青年部長はこう話した。
 「君の話は完璧に聞いている。」と。
 学会本部から、どのように九州幹部に伝えられているのかは分からない。しかし、小平は九州青年部長にこれまでの経緯を正確に知ってもらいたいと思った。
 小平、「一度私の話を聞いて頂けないでしょうか」
 青年部長、「まずは生活と仕事だ。時間はかかるが、信用されるようになれ。」と。対話の約束は叶わなかった。
 そして、九州で所属した現場組織の男子部幹部からは、「九州青年部長から話は聞いています」、「座談会と本幹だけ参加してください。・・・仕事を頑張ってください。」と言われ、男子部活動はさせてもらえないことになる。
 事実上、謹慎処分と変わらない状況であった。
 初対面で、一度も自分の話を聞いてもらっていない。しかし、すでに自分がどういう人間なのか判断されてしまっている。
 「認識せずして評価するなかれ」(牧口初代会長)

 これまで学会本部の職員の中で感じてきた、“認識しないで(話を一度も聞かないで)評価を下す”この体質を、この九州の地でも感じた。

 日中の職場では、新しい仕事を覚えることから始まった。会館備品などを購入、管理する業務を担当。地名も道も分からない。しかし、懸命に県内の20か所の会館を自分の車を使って走り回った。
 終業時間になると、同僚たちは組織の活動に駆け出していく。しかし、小平には活動がない。本部職員なのに、組織のために戦えない申し訳なさに、心が痛んだ。
 役職解任となった小平は、連日深夜22時過ぎまで働き、一人暮らしの部屋に帰る。家に戻ると、故郷の会員や同志を想い、深夜まで題目をあげる。

 そもそも、会員たちは「師匠ならばどうなされるか」という一点を考え抜き、本部職員の不正を隠蔽し、会員たちを反逆グループに仕立て上げた偏頗な監査の結論に誓約できなかっただけである。
 しかし、そのことで、組織で反逆者のレッテルが貼られ、会合の連絡すら来ないという不当な扱いを受け続けている。
 だがそれでも会員たちは、師の仰せ通りに行動しようと、題目を上げ抜きながら、必死に誤解や偏見と戦っている。折伏に挑み、 先生の指導を学び続けている。会員たちを思うと、いつでも胸が締め付けられた。
 何としても、純粋な会員たちの無実を証明したい。それが出来なければ、自分は職員でいる意味などない。
 一刻も早く、今の創価の現状を師匠にお伝えし、会員たちの正義を証明しなければならない。

 九州に来る直前、師匠の側近である山梨女史の娘埼玉さんと会った。そして、脅迫的な監査面談の録音テープを聞いてもらい、監査の実態、職員の不正を伏せる監査の結論、師匠に報告を届けない最高幹部たちの実態について、山梨女史に相談させて頂きたいことを伝えていた。
 埼玉さんは、「母には伝えます。どんな結果であれ、必ずこちらから連絡します。」と約束してくれていた。
 九州に来た小平は、埼玉さんから連絡の電話が来るのを今か今かと待つ。しかし、来る日も来る日も連絡は来なかった。

 1か月が経った。
 平成22年5月5日、小平は、埼玉さんに率直な思いを伝えようと手紙を書く。
 「師匠池田先生は一人の会員を護るために、弟子が勇気を出して声を上げることを、ずっと見守り、待たれています。勇気を出し、先生にありのままをお伝えしたならば、先生は必ず必ず喜んでくださると確信しています。」と。
 埼玉さんに直接関係のない話で埼玉さんを煩わせてしまっていることは重々承知している。簡単に解決する問題ではない。山梨女史への伝言を頼んでしまい、本当に申し訳ないという思いである。
 しかし、師匠と名も無い民衆によって築かれた麗しい創価の世界で、本部職員によって会員が苦しめられ、そのことを師匠に一切お伝えしないどころか、意図的に握りつぶしている現実を見てしまった。この師の仰せに反する創価の現状を何としても師匠にお伝しなければならない。
 「破壊は一瞬」である。
 このままでは師弟の創価が壊れてしまう。師匠に報告できるならば、自分はどんな仕打ちも受ける覚悟である。
 埼玉さんは「どんな結果であれ、必ずこちらから連絡します。」と真剣な眼差しで伝えてくれた。埼玉さんが山梨女史に何も伝えないことは考えられない。埼玉さんが返事をくれることを信じる以外にない。

 さらに1か月が経つ。しかし、埼玉さんからの返答は来なかった。
 埼玉さんは、山梨女史から良い返事をもらえず、こちらに連絡するかどうか葛藤しているのではないかと感じられた。
 しかし、埼玉さんは、監査面談での監査委員の脅迫的な言動のテープも聞いた時、明らかに顔を曇らせていた。そして、「必ずこちらから連絡します」と言ってくれた。埼玉さんを信じたい。
 平成22年5月30日、小平は、もう一度手紙を書く。
 「会員同志は、ただただ『先生のために』と毎日題目を上げながら必死に誤解や偏見と戦っています。それは当事者でなければわからないほどの、もの凄い重圧です。この現状に、私はいてもたってもいられないのです。もうこれ以上、創価の中で会員同志が苦しめられる状況を、何としても食い止めなければならないと思っているのです。」と。
 そして、「埼玉さん、先生の命である創価を、ともに護って頂けると嬉しいです。」と。

 それから約1か月半が経った。しかし、埼玉さんから返事が来ることはなかった。
 この頃、師匠は6月度の本部幹部会に対し、『弟子たちが、本気になり、一丸となって、不惜身命の祈りと行動を起こしてこそ、真実の勝利がある。』『私は、きょうは、あえて出席いたしません。』とメッセージを寄せ、欠席される。
 師匠は、あえて本部幹部会を欠席し、弟子一人一人が戦いの全責任を担って勝利できるよう厳然と指揮を執ってくださっている。 師は一人立つ弟子を待たれている。
 師匠の仰せどおりに正しいと信じることを諦めずに戦い抜くのか、それとも現状に追随し、諦めるのか。
 絶対に諦めてはならない!自分に言い聞かせた。

■ 名誉会長側近の鳥取副会長に相談
 平成22年8月、小平が九州に異動してから4か月が経っていた。埼玉さんからの連絡はなく、側近である山梨女史から師匠に報告してもらうことができずに時間が過ぎていく。
 学会本部では一人残った野口が、何度原田会長に面談を懇願しても追い返され、手紙すら受け取ってもらえない。滝川に至っては、原田会長から「帰りなさい!」と連呼される中で、会長秘書から羽交い絞めにされ、事務所を追い出される事態にまで及んでいた。
 どなたか、師匠に今の学会本部の実態を報告して頂ける人はいないのか。小平、滝川、野口、茨城氏の4人は、祈り、悩み、葛藤し続けていた。そして、皆で話し合う中で、師匠の秘書で信頼できる第一庶務室の鳥取副会長に思いが至った。

 鳥取副会長は、常に師匠に同行し師のそばで働く激務の人である。それでも時間を見つけては学生や若手職員に声をかけ、一緒に食事をしながら親身に話を聞いてくれる青年部職員にとって良き先輩であった。
 鳥取副会長を尊敬し、慕う人も多く、今後の創価学会にとって最も重要な人だという声もあった。学会本部の中では、皆が一目置く存在であった。
 鳥取副会長は、業務で体力を使うことが多い野口の健康を気遣い、新入職員の頃からよく励ましの声を掛けてくれた。ある時、食堂で同席した鳥取副会長は、野口の母親の体調が優れないことを聞き、すぐに護符を手配してくれた。そうした鳥取副会長の心遣いに野口は感激し、親近感を覚え、信頼を寄せていた。
 鳥取副会長であれば、組織のしがらみに惑わされることなく、正視眼で問題の本質を見て下さるに違いない。そして、自分たちが抱える創価の問題に対する苦悩を理解してくれるのではないか。
 私たちは、鳥取副会長宛てに、すぐに手紙を書く。
 「結局、本部指導監査委員会が誓約書で護っているのは、いち会員さんではなく、組織を使って同志誹謗を繰り返した本部職員および、それに連なり問題を伏せてきた多くの本部職員幹部であると感じたのです。その誓約書に誓約することは職員の不正を看過することであり、私たちの職員生命を自ら断つことと同じであると私たちは感じたのです。」と。
 そして、こう書き綴った。
 「私たちは自分たちがすべて正しいと思っているわけではありません。ただただ『先生であればどうなされるのか』を常に考え、真剣に祈り、行動するよう努めてきました。」、「話を聞いていただけるだけで構いません。私たちはただただ先生のため、創価のために戦う決意です。」と。

 平成22年8月11日の就業時間開始前、野口は手紙を携えて、学会本部の5階の広宣会館で行なわれる朝の勤行会に出席し、鳥取副会長に声を掛ける。
 「すでに聞いているとは思いますが、昨年の4月に全役職解任となり、今は一部員として戦っています。ただ地元組織では、未だに職員の不正に声を上げた純粋な会員さんが、無視をされていじめの様な状況が続いているのです。見過ごすことはどうしても出来ないのです。鳥取さんに是非一度、お話を聞いて頂きたいのですが。」と。
 すると、鳥取副会長は目をそむけ、「また今度にしよう。朝の仕事の準備もあるし。」と答えるだけでその場から去ろうとする。
 ご多忙な人だ。野口は、もともとその場で話ができるとは思っていない。
 事前に用意してきた手紙を差し出し、「お忙しいのは重々承知の上でお願いしています。どうか手紙を書いてきたので受け取ってください。なぜ鳥取さんに話を聞いて頂きたいのか、思いを書いてきました。」と伝える。
 すると、鳥取副会長は語気を強め、「受け取りません。君たちのやり方はフェアじゃない!はっきり言って破和合だ!」と態度を一変させる。
 普段の柔和な鳥取副会長からは想像もつかない姿だった。
 鳥取副会長には、一度も本部指導監査委員会が取り上げた一連の問題について、話を聞いてもらったことがない。それにも関わらず、突然「破和合」と非難されることが理解できない。野口は一瞬、頭の中が真っ白になった。

 野口はその場を去ろうとする鳥取副会長に向かって、必死に尋ねる。
 「どこがフェアじゃないか教えて下さい。なにが破和合か、教えていただきたいので一度話を聞いて下さい。」と。
 しかし鳥取副会長は、「ダメだ!破和合だ!師敵対なんだ!」と繰り返す。
  “師敵対”。師匠は自分の人生の中心軸である。いくら鳥取副会長でも、許せない言葉だった。
 野口は必死に、「師敵対とはどういう意味ですか。監査に誤解があったことを、話を聞いて欲しいのです。」と訴えかける。
 鳥取副会長は一瞬立ち止まり、険しい目つきで、
 「誤解なんかない!破和合だ!野口がそういう事をするとは私だって残念な気持ちなんだ!」と言い、階段を下り始める。
 このままでは終われない!
 野口は、階段を下りながら必死に「鳥取さん、手紙だけでもまずは読んでください。お願いします!受け取ってください!」と懇願する。
 しかし、鳥取副会長は2階に着いた所で、「受け取りません。はい、終わりです!」と付いて来る野口を制し、そのまま第一庶務室の事務所へと向かう。
 もはや、まともに話ができる状態ではなかった。
 野口は、手紙を握りしめたまま、「鳥取さん、鳥取さん、また宜しくお願いします!」と言って頭を下げた。

 野口は思った。“自分はいくら批判されても構わない。しかし、せめて「破和合」「師敵対」と批判する理由を伝えてくれても良いのではないか。”と。
 正しい指摘であれば真摯に受け止めて反省しなければならない。
 しかし、間違った批判ならばすぐに対話し認識を改めてもらい、真実を理解して頂きたい。
 しかし、その対話が出来ないこと自体に大きな問題があるのだ。
 学会本部の中に率直な対話がない。「分からないから教えてほしい」と話すと「指導に従わない」とされてしまう。その考えが、本部を硬直化させているのだ。

 その日、野口から鳥取副会長とのやり取りを聞いた茨城氏と滝川は、話を聞く前から、野口を「破和合」「師敵対」と批判する鳥取副会長に疑問を感じた。
 ここでも、“認識しないで(話を一度も聞かないで)評価を下す”という、これまで体験してきた職員の体質を感じてならなかった。
 話も聞かずに「君たちのやり方はフェアじゃない!はっきり言って破和合だ!」とまで言う鳥取副会長に、真意を聞かなければならない。

 平成22年8月20日の就業時間開始前、茨城氏と滝川は鳥取副会長宛ての手紙を握りしめ、学会本部の5階の広宣会館へと向かう。 朝の勤行会が終わり、会場を後にする鳥取副会長に声を掛ける。
 しかし、鳥取副会長は、茨城氏と滝川だと分かった途端に顔を背け、「話は聞かない。」、「会長のところへ行きなさい!これは執行部の問題だ。」と言って階段を下り始める。
 茨城氏が、「執行部の問題は鳥取さんの問題ではないのですか」と伝える。
 すると鳥取副会長は、「そうだ!私の問題ではない!」、「とにかく私は関係ない!」と、階段を駆け下りる。
 茨城氏、「鳥取さん、では手紙だけでもお願いします。」
 鳥取副会長、「受け取らない!」
 さらに興奮した鳥取副会長はこれまで見たことのない顔つきで、「攪乱だ!破和合だ!もういい!」と非難する。
 茨城氏と滝川も鳥取副会長の後から階段を駆け下りる。
 茨城氏、「なぜ、一度も話を聞かずにそんなことが言えるんですか」
 鳥取副会長、「話は聞いた!いろんなところから聞いた!」
 茨城氏、「私たちの話を、本人の話を一度も直接聞いて頂いてないではないですか」
 鳥取副会長、「聞く必要はない!聞かない!」
 話を全く聞こうとしない鳥取副会長に対し、茨城氏は、「なぜ、攪乱、破和合だと言えるのですか」と尋ねる。
 鳥取副会長は、階段を下りきった所で足を止め、茨城氏と滝川の方を振り返る。そして、沈黙の後、茨城氏の質問には答えず、突然滝川を指さし、「信頼していたんだぞ!滝川!学生時代から期待してきたのに、裏切られたんだぞ!」と責め立てる。
 滝川は、誤解があるならば解きたいと思った。
 そして、滝川は「鳥取さん、一度でいいんです。一度でいいので話を聞いて下さい!」と必死に懇願する。
 鳥取副会長は、「聞かない!あっちへ行け!2度と私に近づくな!」と、足早に執務場所の第一庶務室に入っていった。

 滝川は、鳥取副会長が私たちと関わること自体を必死に避けているように感じてならなかった。

 鳥取副会長に九州の小平が会いに行く
 小平は、野口、滝川、茨城氏から、鳥取副会長が全く話を聞かず、手紙も受け取って頂けず、さらに、「破和合」「師敵対」であると罵倒した様子を聞いた。しかし、信頼する鳥取副会長が全く話を聞かないということを、どうしても信じることが出来ない。小平は、自分の目と耳で真実を確かめねばならないと思った。
 小平は学生時代に学会本部の人材グループ「池田学校」に所属し、そこで鳥取副会長と知り合う。鳥取副会長は小平と会うといつも激励してくれ、海外短期留学に行く際には個人的に餞別までくれた。
 小平が職員となった後も、小平の父が病気となり、母、妹と共に師匠に報告するために学会本部を訪れた際、鳥取副会長は第一庶務として快く応対してくれた。多忙な中にもかかわらず、小平の家族を学会本部5階の広宣会館まで案内し、一緒に題目を唱え、護符を手配して励ましてくれた。
 小平は、鳥取副会長と10年以上にも渡るこうした関係があった。だからこそ、自分に対しては発言の真意を話してくれるのではないかと思った。

 鳥取副会長が、自分たちに反省するべき点があると感じているならば教えて頂きたい。また、そこに誤解があるのであれば、その誤解は何としても解きたい。そして、なによりも無実の会員が苦しみ続けている一連の問題について何とか相談に乗ってもらいたい。

 平成22年8月28日土曜日、九州から上京した小平は、就業時間開始前の8時15分頃、鳥取副会長に話を聞いてもらう約束を取るために、学会本部B1の常修室に赴く。
 しばらくすると、鳥取副会長が常修室に現れる。20分ほど一緒に題目をあげる。常修室から退出しようとする鳥取副会長に小平は後ろから声をかけ、常修室を出たところで挨拶する。

 小平、「鳥取さんお久しぶりです。鳥取さんにどうしてもご相談したいことがあり、九州から参りました。なんとかお時間をつくっていただき話を聞いていただけないでしょうか」
 しかし、鳥取副会長は小平を指さし、意を決したように、「私は話を聞きません。話はいろんな所から何度も聞いた。本部の決定に従いなさい。はっきり言う、本部の決定に従うんだ!」と言う。
 話を全く聞かずに、「本部の決定に従うんだ!」という鳥取副会長の言葉に、小平は一瞬言葉を失った。
 小平は必死に伝えた。「本部の決定に従うことが当然だと思っています。本部の決定に従いたいのです。しかしその本部の決定が間違っていたのです。本部指導監査委員会の判断に間違いがあったのです」
 鳥取副会長は目を見開き、「そんなことはない。君が間違っている」
 小平、「そうではありません。話を聞いて下さい。僕は先生に誓って間違ったことはしていません」
 すると鳥取副会長は、「そうだ君は先生の弟子だろ!本部職員だろ!だったら本部の指導に従いなさい!なぜ本部の決定に従わないんだ!弟子の行動ではないではないか!君は本部職員なんだろ!」と話す。

 小平は真逆であると思った。先生の弟子であるならば、本部が間違った結論を出した時には、たとえ一人であっても、声をあげることが重要だと師匠は仰っている。
 学会本部の最高幹部たちが話を一切聞かず、師を使い、問答無用に従わせようとするやり方を用いるのであれば、やがて組織は硬直化し、腐敗、堕落する。

 小平は必死に訴える。
 「先生の弟子だからこそです。本部職員だからこそです。先生は会員のために本部職員がいると言われています」と。
 鳥取副会長、「それが違うんだ!先生の弟子だったら本部の決定に従うのが当然なんだ!」
 小平、「僕はそうは思いません。先生はたとえ本部であれ、間違った結論を出せば声をあげろと言われると思います」
 Y副会長、「弟子として先生に迷惑をかけてはいけない!当然ではないか!なぜそれがわからないんだ!」
 小平はその言葉を聞き、学会本部の不正や本部職員の不正に声を上げた会員が不当に処分されている一連の事実が、師匠には伝わっていないのではないかと感じた。
 率直に尋ねる。
 「先生はこのことをご存知ないのですか?」と。
 すると鳥取副会長は、「当たり前だ!こんなことを先生に伝えようとすること自体が狂っているんだ!君がここまで狂うとは思わなかったぞ!師敵対だ!」と即答する。
 さらに鳥取副会長は、「私は君に裏切られたんだ!会長に行きなさい!私には関係ない」、「話は聞かない!何度でも会長に行け!」と連呼する。
 そして第一庶務室に通じる階段を上り始め、「ここからは第一庶務だ!入って来るな!帰れ!」と叫びながら第一庶務室のフロアーへ去っていく。

 やはり師匠には、一連の問題の報告が一切届いていない。師匠は平成14年6月26日の職員全体会議で、「次の百年のため、悪い職員がいたら報告しなさい」、「手紙をよこしない。真実の手紙を。間違っていたら絶対に信用しないよ。」と仰った。そのことは鳥取副会長が知らないはずがない。
 それにも関わらず、職員である多くの青年部最高幹部が起こした不正について、師匠にお伝えしないということが、師匠の秘書として許されて良いことなのか。

 「幹部は、自分の立場を守るために、悪い報告を握りつぶすようなことがあっては絶対にならない。その体質が最も危険なんです。」(名誉会長指導)

 会員と先生をつなぐべき第一庶務室の中でも、常に師匠の近くで師匠の秘書として仕事をする鳥取副会長が、職員の不正に関する手紙(内部通報)を受けたならば、師匠に報告すべきことは当然である。
 しかし、鳥取副会長は、その報告を受け付けることさえしない。
 師匠は、本部の中に兆す隠蔽体質を最も危惧されているのだ。

 本部執行部も、師匠の側近たちも、本部指導監査委員会が隠した職員の不正と、無実の会員が役職解任となり不当に扱われている実態を、監査から2年経っても師匠にご報告していない。
 この状況を師匠が正しいと仰るとは思えない。いや自分には、師匠が激怒されるようにしか思えない。
 学会本部の最高幹部たちは皆、「弟子として先生に迷惑をかけてはいけない」と言う。さも師を想うふりをして、自らの責任が問われる問題をただ隠したいだけではないか!
 自分はここまで学会本部の実態を見させて頂いた。たとえ身は九州の地にあっても、何としても、師匠に今の学会本部の実態を全て報告させて頂かなければならない。そして、自分が体験した学会本部の問題を改善していかなければならない。
 何としても対話の道を切り拓く!
 そうでなければ、どうして偉大な師匠の弟子であると言えるのか!

■ 小平が原田会長に会いに行く
 第一庶務室の鳥取副会長から、「これは執行部の問題だ」、「何度でも会長に行きなさい」と言われた小平は、原田会長に会いに行くべきか、祈り考えた。
 原田会長は、野口と滝川が面談のお願いをしに行った際、話を一切聞こうとしない。それだけでなく、「反省したのか!」「反省文を持ってこい!」と怒鳴りつけ、手紙すら受け取っていない。
 自分が原田会長に会いに行っても、野口、滝川と同様に、全く取り合ってもらえないのではないだろうか。
 いや、これまでも、たとえ話ができる可能性が低くても、然るべき人には勇気を出して当たってきた。自分が勇気を出して行動した分だけ、創価が前進すると信じ続けてきた。一度で駄目でも、二度、三度と懇願してきたんだ。

 「牧口先生は“下から上を変えていけ”と言われた。上に対しては、どんどん意見を言う。おかしいと思うことがあれば、正していくことだ。もちろん、単なる感情や、自己中心的な考えによるものであってはいけない。互いに建設的な意見を言い合えるところは伸びていく。一度で聞かなかったら、二度、三度と言っていくのだ。それは『ケンカ』ではないし、ただ『逆らっている』のとも違う。」(名誉会長指導)

 原田会長と一度でも話が出来れば、会長の誤解を解くことが出来るかもしれない。そうすれば、自分が見てきた学会本部の問題点、職員の問題点を伝え、解決の端緒としていくことが出来る。自分にやれることがあるのに、もしやらなければ、それこそが師敵対である。
 鳥取副会長の「何度でも会長に行きなさい」との言葉は、妙法が、自分が行なうべき正しい行為を指し示しているのではないかと思えた。
 必要なのは、勇気だ!たとえ拒否され、罵倒されたとしても、諦めずに二度、三度と正しいと信じる行動を貫くことだ!最大の敵は、諦めるという己の弱き一念だ!!
 断じて、原田会長に面談の約束を取りたい!
 小平は、学会本部の原田会長を訪ねるため、福岡空港に向かったのである。


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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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