第7 一度も話を聞かない原田会長の対応と学会本部の実態(H20.7~H22.7)

「人生とは、限りある命の時間との闘争である。使命を果たさずして、人生の価値はない。志をつらぬかずしては、いかに自分を正当化しようが、あとに残るのは空しさと悔恨である。」(名誉会長指導)

「何が確実といって、『死』ほど確実なものはない。だから、今、ただちに、三世永遠にわたる『心の財』を積むことです。その一番大事なことを『あと回し』にし、『先送り』して生きている人が人類の大半なのです。」(名誉会長指導)

命の時間には限りがある
誰人も死ぬことからは逃れられない

正義の使命を果たし抜いた人生なのか
志を貫かず、空しさと悔恨を残す人生なのか

いかなる人生を生きるかは
己次第である

死は 平等にすべてを明らかにし
正邪を明確にする
死は 生に光を与え
勇気と臆病をうつし出す

死の前では 
他人は誤魔化せても 己は誤魔化せない
己は誤魔化せても 妙法だけは絶対に誤魔化せない

ゆえに君よ!
生きるとは 
ひとたび立てた我が志を
貫けるかどうかという 
己との闘争なのだ!
間断なき己との闘争なのだ!!


 平成22年5月、小平、滝川、茨城氏はすでに地方に異動となり、一人学会本部に残った野口は、何としても原田会長に一度話を聞いて頂き、再監査をお願いしようと決意する。
 平成20年4月の本部指導監査委員会以降、これまで原田会長には3度に渡り手紙を書いてきた。しかし、話を聞いて下さることはなかった。

 これまでの原田会長の対応

 はじめて原田会長宛てに手紙を書いたのは、本部指導監査委員会の結論が出されてから約1か月後の平成20年7月2日である。
 本部指導監査委員会の面談では“誓約しなければ除名もある”と脅され、職員の不正を隠し会員を犠牲にする誓約書の提出を迫られていた。
 職場からは「誓約書を書かなければ辞表をもってこい」と辞職を迫られ、地元組織の職員である福井総県長からは、“監査委員会はそういう場所なんだ。とにかく誓約すれば終わるんだ”との理不尽な説得を繰り返されていた。
 しかし、諦める訳にはいかなかった。一度で良いから原田会長に話を聞いて頂き、そして何とか再監査をお願いしたい。その思いを手紙に綴り、職員である福井総県長経由で、原田会長にお渡ししたのである。
 その2日後、監査委員によって会長からの返答が伝えられた。
 「再監査の必要は無いと判断しました。」と。

 そして7月22日、名誉会長が不参加の職員全体会議で原田会長は、「最近、若手職員のなかで、組織の中心者の指導を聞かず、職場の上司の忠告も聞かない者がいます。」と発言する。暗に誓約しない私たちを非難する。
 その3日後の7月25日、本部人事委員会は、誓約しない私たちに対し、地域組織での活動の謹慎処分を下す。理由は、「経緯はどうあれ学会本部の提示した誓約書を書かなかった」であった。
 「誓約しないこと自体が問題」。もはや、誓約書の内容の当不当は関係なくなった。問題はすり替えられてしまい、地元組織では誓約しない会員たちが問題を起こしたかのような偏見が広がっていった。

 何とか原田会長に真実を理解してもらいたい。何よりも直接話を聞いて頂きたい。そして、何とかもう一度監査をして頂きたい。役職の高さで話の信用性を判断するのではなく、公平厳正に判断してもらいたい。
 原田会長からは、再監査の要望には応じないとの返答をすでにもらっている。しかし、もう一方で、7月22日の職員全体会議の中で会長は以下のように発言する。
 「誰もが何でも気兼ねなく意見する、意見できることは大事です。私にも何なりと自由に言っていただきたいと、心から思います。」と。
 この言葉を聞いた時、会長は現場で活動する若手職員の意見を汲み上げようとされているのだと感じた。
 原田会長が再監査を断られたのには何らかの誤解があるのではないか。その誤解を解くためには、自分が何を伝えたいのかをもっと具体的に書く必要があったのではないか。もう一度手紙を書いてお渡ししよう。

 2通目の手紙には、本部指導監査委員会の監査の進め方や結論、誓約書の内容に対し、自分たちがおかしいと感じていることを詳細に書面にまとめた。そして、会長が「間違っている」と思われたことがあれば率直に、その理由を聞かせて頂き、自身の人間革命に挑んでいく決意を綴ったのである。一度でいいので話を聞いて頂きたいと。

 平成20年9月19日の昼休み、学会本部前の通りで小平は原田会長に声を掛ける。緊張で声を震わせながら、「このたびは組織の問題で様々ご迷惑をおかけし申し訳ございません。」、「一度会長に直接、お話を聞いていただきたいとの思いで、お手紙と書面を作って参りました。よろしくお願いいたします。」と、2度目の手紙を差し出す。
 会長は、「了解、わかりました」と手紙を受け取ってくれた。
 本当に嬉しかった。手紙を読んで頂ければ、真実が伝わると思った。

 必死に祈りながら会長からの返答を待った。しかし1ヶ月待っても何の連絡もなかった。
 会長が多忙を極めていることはもちろん分かっている。
 しかし、地元の組織では不当な監査の結論を経て、謹慎処分の状態に置かれている会員たちがいる。何とか、一刻も早く、会長に話を聞いて頂きたい。
 もう一度手紙を書くかどうか悩んだ。2通目の手紙に対し返答が無い中で、3通目の手紙は厚かましいのではないかとも思った。
 しかし、会員たちに対する仕打ちを理解して頂くことがどこまでも最優先であると思った時、諦める訳にはいかなかった。もう一度、原田会長に手紙を書くことを決意する。
 3通目の手紙には、
 「もとより、誓約したくないなどという思いは毛頭ありません。間違った行いがあれば、誠意をもって謝罪したいと心から思っております。ただ、職員が組織の立場を使って多くの会員さんを傷つけてしまった出来事について、十分に話を聞いて頂けないまま判断がなされてしまったのです。『真実なんて分かるものじゃない』と話されるその判断に、どうしても誓約、すなわち生涯、誓い約することができないのです。どこまでも誠実に生きていきたいのです。」
と書き綴る。
 平成20年10月22日の昼休み、滝川と茨城氏は3通目の手紙を携え、原田会長に渡しに行く。普段、会長に接することはほとんどない。声を掛けるのも緊張する。
 滝川は、学会本部前の通りで原田会長に声をかける。
 そして手紙を差し出し、精一杯、「お時間を少しでも構わないので、一度お話を聞いて頂けないでしょうか。」と伝えたのである。
 原田会長は立ち止まらない。歩きながら手紙を受け取り、そしてこう言った。
 「こんなことばかりやってないで、先輩の言うことを聞きなさい。」と。
 そして足早に去っていった。
 滝川は、その会長の後ろ姿に向かって、勇気を振り絞り「宜しくお願いします!」とお伝えし、頭を下げた。
 
 苦言は呈されたが、手紙はしっかり受け取って下さった。
 家に帰るとすぐに題目をあげる日々が続く。何とか、何とか原田会長に真実を知って頂きたい。短時間でもいい。一度、話を聞いて頂き、誤解があるならば解かなければならない。
 しかしその10日後の11月2日、神奈川文化会館で私たちが謹慎処分の期間延長を言い渡される際、神奈川執行部は私たちが会長に渡した手紙を提示し、その内容について咎めてきたのである。
 私たちが原田会長に手渡したその手紙は神奈川幹部に回っていたのである。
 会長からの無言の返答であった。
 こんなことがあっていいのか。本当に苦しかった。
 会長が言っていた、「私にも何なりと自由に言っていただきたいと、心から思います。」との言葉を思い返し、悔しさに体が震えた。

 野口、滝川が原田会長へ面談のお願いに行く

 平成22年5月、私たちが原田会長に渡した手紙が神奈川幹部に回っていた出来事(平成20年11月2日)からすでに一年半が経っていた。
 この間、誓約できなかった会員4名は役職解任となり、謹慎の身ではなくなった。しかし、それぞれ地元組織でレッテルを貼られ、会合の連絡はなくなる等、不当な扱いを受け続けていた。
 京都氏は、監査の誓約書において「組織内組織」(グループ)の中心者であるとされ、地域組織では「会長に弓をひいた」人間であるとして反逆者扱いされていた。そして、会合の連絡はなくなっていた。
 兵庫氏は、地域の学会員から「地元の地区では上の幹部から、『彼ら(兵庫たちのこと)を励ましてはいけない、人材育成してはいけない、できれば声をかけてもいけない』と言われている」と驚くべきことを伝えられていた。そして、会合の場で発言させてはならないと徹底されていた。
 木本秀信氏は、未来部の担当や聖教新聞の代配、公明党員など積極的に活動に取り組んでいた。しかし解任後、所属男子部の部長から、「本部長と一緒であれば会合に参加してもよい」と伝えられ、男子部からの連絡は無くなった。
 島根氏は、職員の和歌山総県学生部長が会合の場で卒業していった先輩幹部等を誹謗中傷する行為に対し、最初に声を上げた会員である。しかし、その後、自分が折伏した友人から、「島根の話は半分聞いておけばいいと先輩から言われた」と伝えられ、無視をされるようになり、その無視は地元の男子部組織にも広がっていた。

 こうした問題を何とか解決するために、考えられ得る然るべき方々に話を聞いて頂きたいとお願いしてきた。しかし、どなたも話を聞くことはなかった。
 その中で最高幹部の方々は皆、口を揃えて「会長が責任者なんだから会長のところに行きなさい!」「何度でも行きなさい!」「会長に言いなさい」と繰り返すのである。

 野口は一人本部に残った意味を考え、悩み葛藤していた。原田会長はこれまで3度も自分たちの手紙を受け取りながら、話を聞くことを断っている。この期に及んで自分の話を聞いてくれる可能性は低いのではないか。
 原田会長にもう一度話を聞いて頂くことをお願いすることが本当に一番良い選択なのか。それよりも、会長の理解を得るためには、まずは仕事で信頼を得ていくべきではないか。いや、それはただ逃げている。必死に題目をあげた。

 その頃、本部を離れても九州や神奈川、広島で孤軍奮闘する同志は、日々、職場の信頼を勝ち取る地道な戦いをメールで伝えてくれていた。
 本部の食堂に一人で座る野口は、会長の後ろ姿を見ると、これまで感じたことのない恐怖を感じた。今まで共に題目をあげ、共に励まし合える同志の存在の大きさを、あらためて実感したのである。
 今、自分が、ここで一人立たなければ、不当な扱いに苦しむ会員たちの無実を証明することは絶対に出来ない。臆病で不甲斐ない自分を絶対に乗り越えたい。
 たった一度、たった一度でいい、原田会長に会員たちが不当に扱われている実態を聞いてほしい。
 原田会長に、偏頗な監査の結論により、純粋に地域組織で戦ってきた会員たちが反逆者扱いされている実態を知ってもらいたいと心から思った。一度も話を聞いてもらえない中で、原田会長に判断されることは、本当に苦しい。
 会長に誤解があるならば、真実をお伝えし、その誤解を解きたい。そして、学会本部の結論が、職員の不正を隠し、会員を犠牲にしている不正であることを、勇気を出して伝えなければならない。本部にいる意味を果たすんだ!

 野口は原田会長に手紙を書くことを決意する。本部の不正を隠す実態、そして話を一度も聞いてもらえない本部執行部の実態を手紙に書いたのである。

 平成22年5月6日、緊張で眠れぬまま朝を迎えた野口は、就業時間前、手書きした手紙を携え、一人事務所内の原田会長の席を訪ねた。
 足の震えをこらえながら会長の前に立ち、「会長にどうしてもお伝えしたい事があり、手紙をお渡ししにきました。お願いします。」と手紙を差し出した。
 すると原田会長は、表情を厳しく変えた。
 「あなたのしてきた事を振り返りなさい!今日は受け取りません!」と。
 そのまま野口に背を向ける。
 野口は、「会長、お願いします。」と呼びかける。
 しかし、会長は一切振り向かない。
 こちらを向かない会長に野口は立ち尽くす。結局、手紙は受け取ってもらえず、その場をあとにせざるを得なかった。

 原田会長が言う、「あなたのしてきた事を振り返りなさい!」とは、どの場面の、どの行為を指しているのかが分からなかった。
 本部指導監査委員会が取り上げた問題は、本部職員による不正人事から始まる一連の問題であり、約6年にも渡る出来事である。それを単に、「振り返りなさい」とだけ言う会長の対応に、理解ができなかった。
 しかし、自分は原田会長を前にして、その場ですぐに“どの行為を指しているのでしょうか”とは聞き返すことができなかった。その臆病さが情けない。
 帰宅後、必死に題目をあげた。あげればあげるほど、このままでは終わってはいけないと思えた。
 会長にお伝えしたいことも、会長から聞きたいことも、何一つできていないではないか。このまま終わりにしては本部にいられる意味がない。
 やはり、もう一度行き、まずは手紙を受け取ってもらわなければ何も進まない。野口はもう一度行くことを決意するのである。

 週が明けた5月11日の昼休み、野口は再び手紙を持って原田会長の席へと向かった。胸中で題目をあげながら前に進んでいく。
 会長の席で挨拶する。
 「会長すいません、今お時間よろしいでしょうか」
 その瞬間、原田会長の顔つきが変わった
 「反省の書面とかはあるのか!どうなんだ!」と突然声を荒げたのである。
 野口は逃げない。
 野口、「そのようなものはありません。」
 会長、「じゃあダメだ!帰りなさい!」
 野口は、手に持っていた会長宛の手紙を差し出しながら、
 「岩手さんから会長の所に行きなさいと言われ・・・」と用件を伝えようとする。
 会長はその言葉をかき消すかのように、
 「岩手君は関係ない!君の根本の信心の問題だ!枝葉末節は関係ない!」
 野口は一歩も引かない、
 「あの監査は間違っていると思います。」
 会長はフロアー中に響く怒鳴り声をあげた。
 「監査の話をしているのではない!!!君の今日までの男子部としての事を言っているんだ!!反省の書面が無いなら帰りなさい!!終わりだよ!帰りなさい!!」。
 野口は、原田会長が何について「反省」を求めているのか本当に分からなかった。ここで引き下がればまた後悔する。本部にいる意味も、師への誓いも、職員としての使命も自らが捨てることになる。自分はどうなっても良い、使命を、職員としての使命を果たすんだ。
 野口、「会長、どこがいけないのか話をしていただきたいのですが。」
 会長、「書いて持って来ないならダメだ!」
 野口、「手紙は受け取っていただけないのでしょうか?」
 会長、「反省がないならダメだ!帰りなさい!終わりだよ!」
 気が付くと、野口の後ろには会長秘書室の幹部職員3人が詰め寄っていた。事務所フロアーの30人近い職員は、原田会長の大声に驚き、皆、やり取りに注目していた。野口は詰め寄っていた幹部職員3人を見つめ、その場をあとにせざるを得なかった。

 悔しさと怒りが込み上げた。
 なぜ手紙すら受け取ってもらえないのか。反省する点があるならば教えて頂いても良いのではないか。しかし、反省文が無ければ質問すらできないと言われる。どうしても理解することができない。
 何度も何度も監査委員会から出された誓約書を振り返る。しかし、どう考えても、本部職員の不正を隠し、無実の会員に反逆のレッテルを貼った誓約書が正しいとは思えない。師に誓ってこの誓約書に誓約することは絶対に間違っている。己に負けてはならない。
 おかしい事を「おかしい」と声を上げないことこそが、弟子として絶対にあってはならい。何もせずに黙っていることは、不正を認めることと同じである。必死に祈った。どうすれば良いのか。どうすれば会長と話すことができるのか。
 祈り続け、野口はこう決意する。
 「もう一度会長に手紙を渡しに行くんだ」

 平成22年6月1日、野口は昼休みに原田会長の席を訪ねる。
 自然と足の震えはなかった。
 野口、「原田会長、1か月前にお訪ねしました事で来ました。」
 会長はすぐさま野口を指さし怒鳴り声を上げる。
 「反省が無いならダメだと言っただろ!帰りなさい!」、「反省文を書きなさい!話はそれからだ!反省文はあるのか!」
 さらに、「多くの先輩、学会に迷惑をかけているんだ!反省しているのか!どうなんだ!え!言ってみなさい!反省しているのか!」と、
 野口は引かない。「何を反省すればいいのいか分からないので、直接話を聞いて頂きたいのです。」
 会長、「そんなことも分からないのか!自分で考えなさい!」、「終わりだよ!帰りなさい!もっと題目あげなさい!」
 もはや問答無用の対応だった。会長の姿はもはや話せる状態になかった。野口はその場をあとにした。

 原田会長から、「迷惑をかけている」と言われることが苦しかった。もし、原田会長が、一度でも話を聞いてくれていたのであれば、多くの先輩職員に面談を求めることもなかった。
 原田会長の話に筋が通っているとはどうしても思えなかった。これだけお願いしてもなぜ話を聞いて下さろうとしないのか。悔しさが込み上げ、涙がでてきた。
 でも、絶対に自分に負けない、そう決めたはずだ、師に誓ったはずだ。これは、自らの信仰と師弟が試された試練なんだ。
 本部にくすぶる、問題を根本解決しない「事なかれ主義」の思想と絶対に戦う!

 その日の夜、野口から原田会長とのやり取りを聞いた滝川は、居ても立ってもいられなかった。
 なぜ、原田会長は一度も話を聞かず、手紙を受け取ることさえしないのか。この手紙は、会員たちが不当な扱いを受け続けている実態を会長に伝える、已むに已まれぬ声を綴った手紙である。
 滝川は思った。会員が不当に扱われる理由は、「会長の指導に従わないから」というものである。これを傍観すれば、会員のおかげで存在する、職員としての意味を自ら失うことになる。自分としても、原田会長に話を一度でいいから聞いてもらうお願いをしたい。自分の目と耳で原田会長の返答を確認しなければならない。

 平成22年6月2日、滝川は休暇を使い、学会本部に向かう。野口から手紙を受け取ると、昼休み、原田会長の席に行く。
 会長は青年部最高幹部と懇談中であった。話が終わったため、滝川は会長の前に進み出る。
 そして、「会長、お手紙を」と手紙を差し出したのである。
 会長は自然に手紙を受け取り、無言のまま顔を上げ滝川を見た。
 そして、今度は封筒の裏の差出人に視線を落とした。
 すると、次の瞬間、顔つきが変わり、受け取った手紙を机の上に叩きつけたのである。
 そして、大声を張り上げた。
 「反省しろ!反省文は持ってきたのか!」
 広い事務所フロアーの中は、翌日本部幹部会が開催されるため、全国から上京した壮年、婦人、男女青年部の幹部たちでごった返していた。皆の視線は突然怒鳴り声を上げる原田会長に集まった。
 すぐに滝川は静岡全国男子部長と千葉全国牙城会委員長たちに取り囲まれ、事務所フロアーから連れ出された。

 滝川は、原田会長の問答無用の対応を体感し、これ以上お願いしても話を聞いて頂ける可能性は低いのではないかと感じた。必死に祈り考え続けた。
 原田会長は手紙を手渡しただけで、怒鳴り始めてしまう。この状況でもう一度会長に手紙を届けに行っても、怒鳴られ追い出されて終わるだけではないか。会長を訪ねることで、会長の自分に対する印象をさらに悪くさせ、さらに要らぬ誤解を与えてしまうのであれば、それは本意ではない。
 「これ以上はやめた方が良い。」そんな思いが、頭をよぎった。
 しかし祈れば祈るほど、自分はこの「学会本部の不正」という問題を見て知ってしまった。会長に伝えることが出来るのは体験した自分しかいない。そして、現に会員たちが苦しんでいる。この問題を見過ごし、師匠の前に胸を張って立てる自分なのか。自分が知ってしまった本部の問題を一日でも先送りにすることは、自分の命を誤魔化し、自分で自分を裏切っていることと同じではないのか。それは断じて、生きているとは言えない!
 自分が師弟に生きることが出来ないのであれば、生きながらの死である。それは間違っている。
 ならば、原田会長を信じ抜き、正しいと信じることをやり続けるしかない。もう一度だ、もう一度だ。もう一度行くんだ。
 原田会長のもとへ。

 平成22年7月8日、仕事を終えた滝川は、祈り勇気を湧き立たせ、学会本部に向かったのである。
 原田会長の席に行くと、会長は「何?」と視線を向けた。
 滝川が、「お手紙を」と言い終わらないうちに、
 原田会長は、「受け取らないって言ってるでしょ!反省してないでしょ!ダメ!帰りなさい!帰りなさい!」と追い返そうとする。
 滝川、「何を反省すれば宜しいのでしょうか。本当に本当に教えて頂きたいのです。」
 会長、「今までいろいろ指導されてきただろ!自分の胸に聞いてみろ!」、「帰りなさい!帰りなさい!帰りなさい!」。
 怒声が何度もフロアーに響き渡る。
 さらにその瞬間、滝川は原田会長秘書にその場で羽交い絞めにされる。
 滝川は、会長秘書に抱えられ引きずり出されながらも、会長に向かって必死に叫んだ。
 「会長!会長!会長!最後に、最後に一つだけお伺いさせて下さい!池田先生は、先生は、このような話を聞こうとしない会長の振る舞いを正しいと仰ると思われますか!」
 引きずられ、必死に声を投げかけた滝川に対し、原田会長は叫んだ。
 「当然だ!!」

 会長は「当然だ!」と叫んだ。なぜ「当然だ」と言えるのか。ただ話を聞いて欲しいと懇願する一職員の話を何も聞かず、怒鳴り散らし、力ずくで排除する。この原田会長の振る舞いは、対話を根幹とする創価の会長としておかしいと感じてならなかった。そして師匠が原田会長の振る舞いを見たならば、絶対にお叱りになると思えてならなかった。
 この原田会長の問答無用の振る舞いによって、学会本部の中での対話が無くなり、権威主義、官僚主義へと堕していく実態を見る思いがした。

「まことの対話には、同苦があり、和気があり、共感がある。対話を忘れた指導者は、権威主義、官僚主義へと堕していくことを知らねばならない。」(名誉会長指導)

 この硬直化した学会本部を対話によって断じて変革していかなければならない。不当な扱いをされている会員の問題を解決するためには、最終決定を下した原田会長と対話をしなければならない。

 そして、こうした学会本部の体質を感じた時、全国には職員によって苦しめられている会員はまだまだいるのではないかと思えた。我々が出会った問題は、そのほんの一部分に過ぎないのではないか。
 原田会長との対話を諦めることはできない。師への誓いを守らぬ本部になれば、それは職員である己が師匠への誓いを破ったことになる。それだけはあってはならない。我が命を失っても師への誓いだけは守らねばならない。滝川は、深く決意を固めるのである。


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第6 本部職員である青年部最高幹部の不正を隠した「学会本部の問題」(H14.6以前~H22.5)

「幹部のための学会ではない。会員のための学会である。断じて学会員を苦しませてはいけない。そのためにも、おかしな幹部がいれば、皆で声をあげていくのである。『学会の指導と違うではないか!』『師匠の言っていることに反しているではないか!』と。
そうやって皆が強く叱咤・激励して、立派な指導者をつくっていけばいいのだ。」(名誉会長指導)

「学会をよくするためには、どんなことでも、勇気をもって上に言い切っていきなさい。そして上の人間は、そうした正しい意見をよく聞いていけ!」(名誉会長指導)

 師は仰った
 「幹部のための創価ではない。会員のための創価である」
 「絶対に会員を苦しめてはならない」

 会員を苦しめる幹部の振る舞いを見たならば
 勇気を出して声を上げることだ!
 師の心を我が心とし
 勇気の対話に挑むことだ!

 「そんなことは分かっている」
 「いつか時がきたら」
 「言っても変わらない」
 理由を並べればいくらでもある

 しかし、自身の幸福は、勇気なくしてはあり得ない!
 「勇気」こそが 困難を乗り越える力となり
 「勇気」こそが 自身の幸福を築く力となるのだ!
 「勇気」なくして 未来はないのだ!

 ならば友よ!
 一人の幸福こそが 創価の発展ならば
 「勇気」の声が 同志を守る慈悲となり
 「勇気」の声が 立派な幹部をつくる正義となるのだ!

 我が友よ!
 君自身の幸福のために
 師が願う「会員のための創価」を創るために
 同志と同志を真に結合させゆく正義の声を 
 君が上げるのだ!


 平成22年2月22日に東京・信濃町から広島県への異動を命じられた茨城氏。5月1日付の異動を目前に控え、聖教新聞社の上司である編集総局長のもとへ挨拶に行こうと考える。その上司とは、平成20年5月の本部指導監査委員会の中心者の岩手副会長である。半年前に学会本部から聖教新聞本社に異動となっていた。
 現場の地域組織では、本部職員から誹謗中傷された会員たちが、杜撰な監査の結論により「反逆者」のレッテルを貼られ、依然として会合の連絡すら来ない状況に置かれている。
 何としても会員を救済しなければならない。
 広島に異動となって聖教本社から離れる前に、自分が出来ることはすべてやらなければならないと深く決意。岩手副会長に、監査の偏頗な結論によって、未だに会員たちが不当に苦しめられている実情を伝え、何とか再監査をお願いできないか懇願しようと考えた。

 平成22年4月27日、茨城氏はアポイントを取って事務所内にある岩手副会長の席に行き、2年間、思い続けてきた監査委員会の話題を切り出す。
 「僕自身は聖教職員として、仕事の上では一切悔いはありません。しかし、一点大きな悔いがあります。それは2年前、岩手さんが行なった監査によって未だに会員さんが苦しんでいることです。」
 茨城氏は話を続けた。「皆、真剣に命をかけ先生のために戦っていた人たちです。その会員さんが犠牲となり、役職解任にされ、未だに組織でレッテルを貼られている。こんなことは創価において絶対に許されないと思うのです。なんとか、もう一度、再監査をして頂けないでしょうか。」
 岩手副会長の表情が一変し、厳しい口調になる。
 「その件ならば、話すことはありません!そんな話なら帰りなさい!」
 一切話が出来ずに終えられてしまいそうになった。
 茨城氏は必死に、「なぜですか。監査をやられたのは岩手さんです」と訴える。
 すると岩手副会長は、
 「私は会長に言われた通りにやりました。会長に言いなさい!」
 茨城氏は「会長には何度も伺いました。執行部の方全員に伺いました。しかし、どなたも一切話を聞いて頂けませんでした。」
 岩手副会長、「私が話すことはない!会長に言いなさいと言っているだろ!」
 茨城氏は必死に、「健気に戦っていた会員が解任となり、組織からも連絡がなくなりました。」と伝える。
 岩手副会長は声を荒げ「聞きません!!」
 最後は体を真横に向けてしまった。もはや対話をする状況ではなかった。
 茨城氏はその場をあとにせざるを得なかった。

 監査の話題に一切触れようとしない岩手副会長。自ら指揮を執った監査を「会長に言われた通りにやりました」と。そして自分ではなく「会長に言いなさい」と。本部に感じてきた、上の指示に従い、その責任を問われると上の責任だとして棚上げする。あまりに無責任なこの組織体質を改めて感じざるを得なかった。
 それだけではない。岩手副会長がここまで声を荒げて再監査を拒否する理由、それは2年前の本部指導監査委員会が「本部職員である青年部最高幹部の不正人事」を隠した問題をほじくり返されたくないからだと感じてならなかった。

 本部指導監査委員会が隠した「本部職員である青年部最高幹部の不正人事」

 平成20年3月30日、私たちは本部指導監査委員会に、計182頁に渡る陳述書を提出する。それは、本部職員である青年部最高幹部たちが、自分より役職が下の意見する人間を学生部から卒業させ、次々と排除していった不正人事について、事実と経緯を詳細にまとめたものとなった。

 平成14年6月、当時、地元組織の総県学生部長であった小平に対し、人事通達からわずか2日間で学生部を卒業し、男子部移行となる人事が行なわれる。その背景には、小平、滝川、野口が責任者であった総県学生部に対する、当時の学生部最高幹部たちの嫌悪があった。
 小平、滝川、野口は、新卒で本部職員として採用されたが、初めは学会本部の方針や組織の秩序を最優先に考える典型的な本部職員であった。しかし、学生部活動に全力を尽くし、現場の会員さんとともに切磋琢磨させて頂く中で、徐々に本部職員の中にある上下関係や対話が出来ない体質、会員を軽んじる特別意識が自分の中にもあることを自覚していった。そして、自身の人間革命をかけて地元学生部では、師匠の指導を活動の根本とし、対話の実践に力を注いだ。
 どこまでも相手のことを祈り、信じて、「正しいものは正しい」「間違っているものは間違っている」と勇気をもって伝え合う。そこには、互いに深い信頼が芽生え、共に真実を追求しようとする活気が満ちていった。
 慣れ合いを排して、意見をぶつけ合うことは日々の戦いの中では常に行われ、徹底した対話の後には真の納得が生まれた。皆が、その歓喜によって活動に励み、多くの学生部員が信仰体験を積んでいった。
 そして小平、滝川、野口は、上位幹部に対しても徐々に積極的な意見を伝えていくようになる。
 下から上に意見できないような硬直化した組織になれば、最も苦しむのは会員である。
 すると学生部最高幹部は、「小平は善悪をはっきりさせすぎる」「小平は学生部よりも男子部の方があっている」と周囲の幹部に漏らすようになる。

 小平は総県学生部長に就任してから9か月後の平成14年6月28日、突然、全国学生部長の千葉氏、全国学生部書記長の静岡氏から呼び出され、2日で学生部を卒業となるあまりに急な人事を命じられる。後任の総県学生部長は決まっていなかった。そして、残されたメンバーに引き継ぐ時間ももらえない。突然の通達に頭が真っ白になった。
 小平がいなくなった役職には、代行の総県学生部長が就くという人事がとられる。その代行の総県学生部長には、中央から全国副学生部長の長野氏が派遣されることになった。
 むろん現場は混乱していた。突然、組織の長がいなくなり、しかも代行で中央から派遣された総県学生部長が来る。
 小平は、「申しわけない。」「人事は師匠から頂くもの。分かって欲しい」と疑問を抱く会員さんに必死に説明するしかなかった。皆、受け入れようと懸命な様子だった。

 しかし、この長野全国副学生部長の“代行”人事は、千葉全国学生部長、静岡全国学生部書記長が、青年部人事委員会の正式な手続きを踏まずに恣意的に行なった手続違反の不正な人事だったのである(本部指導監査委員会は、長野全国副学生部長の総県学生部長代行期間を「空白の3カ月間」と認定し、正式な人事でないことを認めている)。

 さらに学生部の体制が変わった平成16年9月には、新たに全国学生部長となった岐阜氏と全国学生部書記長になった愛知氏も現場の混乱を無視する人事を行っていくのである。 
 茨城氏と滝川が地元の総県学生部長、書記長であった体制の総県幹部、県幹部の19名のうち、11名を学生部から一斉に卒業させるという人事を行なっていく。その際、滝川、野口、茨城氏は学生部を卒業となった。
 特に、野口はその時まだ25歳であり、当時全国男子部長の三重氏からも「青年部人事委員会では27歳が男子部移行の目安だ。野口は25歳だし、若い、これからだろ。」と言われる中での早すぎる卒業人事だった。

 当時、総県幹部であった滝川と茨城氏は、中央の学生部から伝えられる活動方針を、そのまま下位組織に落とすことはせず、より会員のための学会活動となるように考え、話し合った。その上で、上の幹部に対しても現場の意見を積極的に伝えるようにしていた。
 自分の意思や考えを持って活動に取り組むことから、「上からの打ち出しをそのまま実行すればよい」と考える学生部最高幹部から、陰で「独立国家」などと揶揄され始めたのである。
 上の幹部に対し、勇気をもって創価のために意見を伝えることができる人間は、卒業人事の対象となった。2年前の小平卒業人事と全く同じ構図だった。

 滝川、野口、茨城氏が卒業となり、いなくなったところに、岐阜全国学生部長は隣の総県に住んでいた本部職員の和歌山氏と他2名に派遣を命じる。そして、引っ越しをさせ、総県学生部長等に任命する人事を行なったのである(和歌山総県学生部長は、平成20年の監査委員会に対して、「岐阜全国学生部長から、総県学生部幹部の派閥化問題について説明を受け、組織の立て直し・正常化を託されました。」と証言している)。

 また、本部職員で当時方面学生部長の滋賀氏は、予定していた人事案を、面接当日の面接直前に取り消すことまで行なったのである。滋賀方面学生部長は、その理由を「幹部カードが届いていない」と説明した。予定した人事は白紙撤回となり、面接に赴いた学生部員は、自分の人事が突然なくなったことに呆然とするほかなかった(後日、本部職員の某元方面学生部書記長が、「幹部カードは届いていた」と証言している)。

 本部職員幹部が行なった不可解な人事が2年以上にわたって繰り返された。こうした人事を「御仏意」であり「師匠から頂くものだ」とするには限界があった。

 「人事と金銭は、絶対に正確にして、問題を起こしてはならない」(名誉会長指導)

 創価学会では、戸田第2代会長の時代から「人事の不正」は金銭問題、男女問題と同じく、厳格に処罰される問題である。
 しかし、本部指導監査委員会は、こうした事実を詳細に書いた陳述書を提出したにもかかわらず、こう結論したのである。
 「人事手続きには問題はなかった」
 むろんそう判断した理由は述べられていない。

 そして、この手続違反の人事を起こした本部職員の千葉全国学生部長、静岡全国学生部書記長や、岐阜全国学生部長、愛知全国学生部書記長に対しては、口頭注意で終え、誓約書の提出要請すらしなかった(監査当時、静岡氏は全国男子部長、千葉氏は全国牙城会委員長で青年部の中核であった)。
 本部指導監査委員会は、本部職員の青年部最高幹部が行なった再三に渡る「不正人事」を隠蔽したのである。

 「人事は、創価学会の生命線である。」(名誉会長指導)

 しかし、私たちの監査面談を行なった中心者の岩手副会長はこう語る。
 「千葉全国学生部長、静岡全国学生部書記長、某方面学生部長の3人がそう証言しているんだ!君は3人が言っていることが間違っていると言うのか。君が言っていることが間違っているんだ!」と。

 本部指導監査委員会は、役職で人間を見、役職で話の信用性を判断した。
 そして、本部指導監査委員会は、青年部最高幹部に対してお咎め無しも同然の判断を下したのである。

 問題の正邪を転倒させた学会本部の結論

 他方、本部職員の青年部最高幹部が起こした「不正人事」に対し、勇気の声を上げた会員たちは、“学会指導に反する組織内組織(グループ)である”と結論されたのである。
 さらに、その組織内組織(グループ)の中心者は会員の京都氏であるとされ、その京都氏が皆を扇動したと結論づけた。
 しかし、会員京都氏は、すでに学生部を卒業し、男子部で活動している中、面識もない本部職員の和歌山総県学生部長たちから突然誹謗中傷された被害者である。あまりに強引な結論であった。
(和歌山総県学生部長が岐阜全国学生部長から派遣された時点で、私たちはすでに中央学生部から「派閥(グループ)」とのレッテルが貼られていた。和歌山総県学生部長はすでに学生部を卒業していた小平・滝川・野口が中心者であった頃の総県幹部、県幹部を指して、「暗黒時代をつくった」などと会合の場で非難中傷を繰り返した。それによって、自身への求心力を強め、組織の団結を図るようになる。公の場での批判は、すでに地元組織で男子部として活動していた会員京都氏たちをも的とし始め、総県内の男子部組織にも広まりレッテルが貼られていった。)

 監査委員会は、私たちに、「グループを自主的に解散し、二度と組織内組織と認められる行動はとりません」との誓約書への誓約を迫る。
 しかし、この内容自体、極めて抽象的であり、「組織内組織と認められる行動」とは一体どのような行動なのか、具体性はない。
 まさに、組織内組織であるかどうかは、幹部のさじ加減なのである。本部の方針に従わない人間や上層の幹部のおかしな振る舞いに声を上げる人間を、「反逆する疑いのある人間の集まり」としてグループや派閥に仕立てあげ、そして排除するやり方である。

 さらに、監査委員会は、私たちに「今後今回の関係者に対する対話の要求は二度と行いません」との誓約内容を要請する。
 私たちが陳述書で訴えた、本部職員である青年部最高幹部が行なった手続違反の不正人事に対して、その後一切声を上げてはならないとの楔を打ち、職員の問題に蓋をするものであった。

 本部指導監査委員会の結論は、結果的に本部職員から誹謗中傷された会員たちを反逆グループとして括り、一会員をその中心者に仕立て上げ、不正人事を行なった本部職員である青年部最高幹部を護るものであった。
 問題の正邪を転倒させた結論であり、これ自体、「学会本部の不正」である。弟子として絶対に看過できない問題であった。

 「悪を傍観(ぼうかん)し、放置しておくことは、師匠に対する忘恩であり、裏切りである。また、たとえどんなに小さなことであっても、同志を苦しめる悪を、絶対に見逃してはならない。放っておけば、その毒気が、いつしか全体に蔓延(まんえん)して、清浄な和合の世界が破壊されてしまう。『悪』を滅してこそ『善』が生ずる。」(名誉会長指導)

 弟子として、“本部職員の不正を隠蔽する「学会本部の不正」である”と感じながら傍観し、誓約書に誓約してその不正を容認するならば、それは師匠に対する忘恩であり、裏切りである!
 今後どのようなことになろうが、ただただ師匠の仰せ通り生き抜いて見せる。「間違っているものは間違っている」と勇気の声を上げた会員を「悪」とすることは、創価の存在意義を失わせる結論になる。
 弟子として絶対に容認することは出来ない!

 本部の誤った結論により犠牲となった会員を守るため原田会長に面談を求める

 茨城氏も平成22年5月4日に、広島に発った。滝川は、その半年前の平成21年11月1日に学会本部から横浜池田講堂に異動となっていた。
 本部には、もう野口しかいなくなった。

 野口は、2年前に行なわれた監査を思い出しながら、岩手副会長が茨城氏に話した「私は会長に言われた通りにやりました。会長に言いなさい!」との発言に思いを巡らせる。
 2か月半前の平成22年2月8日にも、師匠の御子息である宮城副会長を訪ねて第一庶務に行ったが、第一庶務の最高責任者の群馬副会長から、「会長のところに行きなさい!いいから会長のところに行きなさい!」「会長のところに何度でも行きなさい、青年なんだから!」「会長が責任者なんだから会長のところに行きなさい」と繰り返し伝えられた。
 最高幹部が皆、原田会長に会いに行くように言うのである。

 師匠は原田会長に対して、「原田会長は『若さ』もある。『経験』もある。威張らない。否、絶対に、これからも威張ってはいけない。学会は、いよいよ『本門の時代』に入った。原田会長が同志を立派に育て上げ、同志に尽しに尽くし抜いて、後世に光る『広宣流布の指導者』となりゆくことを私は期待している」と仰せになられた。
 だからこそ、創価学会の責任者である会長に選ばれた人でもある。
 今回の問題は、本部指導監査委員会が、本部職員から誹謗中傷された会員を悪人に仕立て上げ、本部職員である青年部最高幹部の不正を隠した問題であり、「学会本部の問題」である。この問題は、原田会長に報告しなければならない。その報告を受けることは原田会長の責務のはずだ。
 しかし、原田会長は私たちの面談の申し入れをこれまでずっと断っていた。職場の会合で私たちを暗に非難したこともあった。

 師匠ならばどうなされるのか。何が正しい行動なのか。悩んだ。必死に祈り続け、師匠の言葉に何度も立ち返った。

 「途中で途絶しては対話とはいえず、真の対話は、間断なき持続的対話として貫徹されねばならない」(名誉会長指導)

 やはり、自分の中の諦める心に負けてはならない。師匠は原田会長を信頼されている。原田会長を信じ抜き、もう一度、話を聞いて頂くお願いをしよう。真実を知るために、会員の無実を証明するために、何度でも対話を求めていくことが弟子としての道のはずだ。
 題目をあげ勇気を奮い起こし、正しいと信じることをやり続けるしかない。何度断られようとも怒鳴られようとも、前に進む以外に道はない!

 滝川や小平、茨城氏の地方への異動を思うと、不安がないわけではない。最高幹部に会いに行くときには、いつも臆病の心が出てくる。自分は本当に弱い。しかし、自分は師匠の創られた創価を守るため、会員に尽くし抜くために本部職員になったのだ。自分の師匠は池田先生である。
 何としても、会員の正義を証明するために自分自身を使わせて頂きたい!断じて師匠への誓いを果たす!
 一人学会本部に残った野口は、原田会長宛に書き綴った再監査をお願いする手紙を携え、会長を訪ねるのである。


第5 対話なき学会本部の実態(H22.2~H22.3)

「“対話”“言論”の停滞、それは『広布』の停滞につながる。『正義』は『正義』、『真実』は『真実』と、どこまでも叫びきっていくことである。
沈黙する必要はない。恐れる必要もない。―その強き一念と行動の大風に、立ちこめた暗雲もいつしか晴れ、勝利の太陽が輝く。そして相手の対応がどうであれ、また一時の状況がどうであれ、正義を叫びきったという事実は、厳然と歴史に残る。」
(名誉会長指導)

  師は叫ばれた
  「対話」の停滞は 「広宣流布」の停滞であり 
  「対話」の停滞は 「創価学会」の停滞であると。
  ゆえに、
  「対話」こそが正義であり 「対話」こそが師弟なのだ
  「対話」こそが創価であり 「対話」こそが勇気なのだ
 
  ならば君よ!
   真実を追求する対話を 絶対に諦めてはならない!

   偉大なる師の仰せを根本とし
   真実の対話によって 創価の未来を築くのだ!

   臆病に支配された
   狂った嫉妬の心によって
   馬鹿にされ、足蹴にされても

   対話の旗を 勇気の力で
   掲げゆくことだ!
   人間の心を信じ抜き、
   可能性を信じ抜く 勇気の対話に徹することだ!

   対話があるところに、創価の発展がある
   対話があるところに、広布の発展がある
   ゆえに 君よ!
   対話への挑戦にこそ 
   師弟の歴史が
   我が生命に刻まれることを 
   忘れてはならない


 平成22年2月25日、職員全体会議の席上、小平は、4月1日付での九州・福岡への人事異動を発表される。
 どんな苦難も受け切る覚悟は決めていた。しかし、地域組織では、本部職員の不正に勇気の声をあげた会員が、不当な扱いを受け続けている。何としても、九州に発つ前に、師匠に報告しなければならない。時間が無かった。必死に祈り続けた。
 翌週3月1日に茨城氏が宮城副会長に師匠宛ての手紙を手渡すことができた。しかし、その直後、小平は職場上長である管理局長から、突然、個室に呼ばれる。
 管理局長は静かに話し始めた。
 「青森副会長から、『君の局員である小平君が御子息の宮城さんのところへ手紙を渡しに行っているので、注意するように』と言われた」と。(青森副会長は小平が所属する管理局の最高責任者(責任役員)であり、管理局長の上司でもあった。)
 小平は管理局長に率直に尋ねた。
 「なぜ、宮城副会長に手紙を渡してはいけないのでしょうか。なぜ、上司の青森副会長や管理局長から注意を受けなければならなのでしょうか」と。
 自分の業務上の行為が問題とされるのであれば理解できる。しかし、本部職員の問題を宮城副会長に相談しようと手紙を渡すことは、管理局の業務とは一切関係ない。手紙を渡しに行った時間も、業務時間に入らないように配慮し、始業時間の前に行っている。
 管理局長は小平の質問に窮したように黙る。管理局長自身、宮城副会長に本部職員の問題を相談しようと手紙を渡すことがなぜいけないのか、理由が分からず説明できないように見えた。
 沈黙が流れる。
 小平は、「局長からお答え頂けないのであれば、私が直接、青森副会長からお話を伺うことはできないのでしょうか」とお願いした。
 管理局長は、「青森副会長に聞いてみる」と話した。

 翌3月2日、小平は管理局長に、青森副会長に聞いて頂けたかどうか尋ねた。
 すると管理局長は、「(話すことは)『無理』と言っていた」と返答した。
 小平は必死に説明した。
 「青森副会長を始め本部執行部が話を一度も聞いて頂けないので、やむなく宮城副会長にお手紙を渡したんです。」「宮城副会長に手紙を渡してはいけない理由がどうしても分かりません。“宮城副会長に手紙を渡さない”との約束をすることはできません」と。
 すると、管理局長は、「君は約束できないんだね。君の言ったことを(青森副会長に)そのまま伝えるよ!それにより、さらに職員懲罰委員会にかかるかもしれない」と声を詰まらせながら言った。
 小平は、宮城副会長に本部職員の問題を相談する手紙を渡す行為が、それだけで職員として懲罰の対象となることはどうしても、理解できなかった。(しかし、宮城副会長に手紙を渡す行為がその後懲罰の対象となる。)
 また、小平は管理局長に対し、自身が体験してきた一連の問題について詳しく説明をしていなかった。だからこそ、自身の目と耳で真実を知ってもらいと感じた。青森副会長から言われたままを伝えてくる、上の言うことに黙って従う本部職員の傾向とは向き合わなければならない。

 3月13日、小平は管理局長に時間を取ってもらい、一連の問題について2時間半に渡り説明する。
 管理局長は小平から一連の職員の問題を聞き、ただ頷くのみであった。そして、宮城副会長に手紙を渡してはいけない理由について、最終的に、「青森副会長に直接聞いて下さい」と言った。
 青森副会長は、管理局長に指示してまで、小平が宮城副会長に手紙を渡す行為を止めようとした。これまでも、職員規律委員会に職務規律違反として提起したり、職場の会合の場で私たちを暗に非難したりしていた。
 誤解があるならば、解かねばならない。一度、青森副会長と話をさせて頂く以外にない。

 九州への異動まで1週間を切った平成22年3月25日、就業開始時間前、小平は青森副会長の席を訪ねた。
 小平は尋ねた。「宮城さんに手紙をお渡しすることの何がいけないのでしょうか」と。
 すると青森副会長は「宮城さんは大事な人なんだ。煩わせてはいけない。」「本人の立場になれば分かるだろ!迷惑してるんだ!第一庶務もみんな迷惑しているんだ!」と。
 手紙を渡してはいけない理由は、以前第一庶務から言われたのと同じく「宮城さんは大事な人だから」であった。そして、「本人が迷惑している」と言う。
 小平は、「宮城さんは自分から手紙を受け取って頂いたんです。どうして宮城さんが迷惑していると言われるのでしょうか。宮城さんがそう言われたのですか」と尋ねる。
 しかし、青森副会長は「それは君に言う必要ないだろ!」と言葉を濁す。
 一瞬間があり、さらに、「アポなしでやっているだろ、失礼だろ!普通アポを取ってやるんだ!君は社会的常識がないんだ!非常識なんだ!」と語気を強めて話し始める。
 宮城副会長に手紙を渡してはいけない理由は「アポ無しだから」ということであった。

 さらに、青森副会長は「今だって君はアポなしで訪ねてきて、私の業務の時間を潰しているんだ!私は8時半から業務の予定が入っているんだ。それは悪いと思わないのか!自分の主張を通すためなら何でもありか!」と。
 小平は、「業務の時間を潰してしまっているのであれば、申し訳ありません」と謝り、「一度話を聞いて頂きたいのですが」とお願いする。業務に迷惑を及ぼすつもりは毛頭ない、話をするためのアポイントをとってもらいたいとの思いだった。
 しかし、青森副会長は続けざまに、「君は私の業務を止めているんだぞ!創価学会の業務を止めているんだぞ!」「君はどんどん学会に迷惑をかける方向に行っているぞ!業務を止めていることは悪いと思わないのか!自分はすべて正しいのか!」と声を荒げた。小平の声は、青森副会長の声にかき消される。
 必死に小平は、「そんなことは全く思っていません」と伝える。
 青森副会長は「だったらしっかり謝れ!」と言い、小平は「それに関しては申し訳ありません」と深々と頭を下げた。そして、「業務のお邪魔にならないよう、後日アポを取らせて頂いてまた伺います」と伝える。
 しかし、青森副会長は、小平の顔を何度も指さしながら、「会わないと言っているだろ!早く帰れ!帰れ!」と連呼。小平は、その場をあとにせざるを得なかった。

 小平は一切話を聞いてもらえない青森副会長の対応に悩み、苦しんだ。誤解があるのであれば解きたいとの思いで後日のアポも懇願した。しかし、「会わないと言っているだろ!早く帰れ!帰れ!」と完全に拒否。
 宮城副会長に本部職員の問題を相談する手紙を渡すことが間違っている、との理由があれば受け止めねばならない。
 しかし、青森副会長が話す、宮城副会長に本部職員の問題を相談する手紙を渡してはいけない理由は、「宮城さんは大事な人だから」→「本人が迷惑しているから」→「アポ無しだから」としている。この理由は曖昧であった。また、理由そのものが変遷している。小平は業務上の権限を使って注意する理由にはなっていないと思った。
 幹部職員が、自分より役職が下の職員や会員の話を聞かずに無視。
 一度も話を聞かないまま注意。さらに、「懲罰にかかる」と。
 学会本部の中にある、対話が出来ない実態を改めて痛切に感じた。

 「対話こそが宗教の生命線であり黄金律である」(名誉会長指導)
 「仏法を基調とする人間主義を推し進めるにあたって、いかに狂信や独善、不信といった問答無用(原理主義)の壁が立ちはだかろうと、この、対話こそ人間主義の"黄金律"であるという旗だけは、断じて降ろしてはならない」(名誉会長指導)

 対話なき本部の実態を見ておいて、自分自身、本部職員として見て見ぬ振りをしたならば、師匠に対する裏切りだと心から思った。

 名誉会長側近の婦人部最高幹部へのアプローチ

 何としても、師匠に「対話なき創価」「対話なき本部」の実態を伝え、弟子が師の理想とする創価へと変革し続けなければならない。
 本部の中の思いつく限りの方々すべてに当たってきた。長谷川副理事長(現・理事長)、宮城副会長、栃木副理事長と。しかし、誰一人として師匠へ報告して頂くことは叶わなかった。
 自分たちが間違っているのであれば、一からやり直す。しかし、対話することすら叶わない。
 4月からは九州に行かねばならない。身体は、本部から1000km以上も離れた土地に行くことになる。しかし、ここで諦めるわけにはいかなかった。
 今、この瞬間も職員の不正に声を上げた勇気ある会員たちが、地域組織で不当な扱いを受け続けている。一刻も早く、この問題を師匠に伝えなければならない。
 小平は、必死に祈り、考えた。そうした中、師匠の側近として第一庶務業務を担われている婦人部最高幹部の山梨女史に思いが至った。小平は創価大学在学中に学会本部のお手伝いをさせて頂き、その後も本部職員として働いていたため、常に師匠と行動を共にされる山梨女史を知っていた。
 山梨女史の娘の埼玉さんは元本部職員で面識があった。その夫は小平の友人であった。
 師に報告出来る可能性のあることはすべてやりきろうと決意した。

 小平は必死に祈り、九州・福岡県へ移動する直前の平成22年3月30日、信濃町の銀舞会館で埼玉さんと会うことができた。
 埼玉さんに、滝川に対する威圧的な本部指導監査委員会の面談の録音テープも聞いてもらう。埼玉さんは、顔を曇らせ、首をかしげた。
 小平は、会員を犠牲にして職員の問題を伏せる本部の実態、師匠に報告が届かぬ本部の実態を山梨女史に相談させて頂きたいとお願いする。
 埼玉さんは言った。
 「わかりました。母には伝えます。どんな結果であれ、必ずこちらから連絡します。」と。
 嬉しかった。涙が出た。山梨女史から師匠に届くかもしれない。
 小平はかすかな希望を胸に羽田空港に向かった。搭乗口には、共に戦う同志、反逆者とレッテルを貼られた会員やその妻もいた。小平は皆に伝えた。「本当にありがとう!戦いはこれからだよ」。
 会員や同志の目には涙があった。その姿に、二度と純粋な会員に悔しい涙を流させてはならないと誓った。最後の最後まで手を振りつづけてくれる会員に、何としても師匠に創価の実態をお伝えすると誓った。そして小平は33年間、自分を育ててくれた地元を離れ、九州へと発った。

第4 池田名誉会長の御子息からも手紙が届かない実態(H20.5~H22.3)

「私は、今も、胸中の戸田先生と対話をしながら、世界広布への指揮を執っている。皆様も、この『師弟の大道』をまっすぐに進み抜いていただきたい。断じて勝利の人生を飾っていただきたい。『君よ、生涯、わが誓いに生き抜け!』」(名誉会長指導)

 『師弟の大道』を生き抜くために
 弟子は師と胸中で対話をしている。
 苦悩うずまく人間世界にあって
 弟子は常に胸中におられる師と対話をしながら
 戦い抜いてきたのだ。
 ならば友よ!
 師は本部におられるのか。
 いや、
 君の胸中だ!
 我が胸中なのだ!

 混迷の時代にあって、
 己の内なる正義を信じ
 己の内なる師と対話をしながら
 命の限り叫びたまえ!

 「不正は不正である!」
 「師の仰せを護りたまえ!」と。

 師は必ずや君の勇姿を見つめている。
 師は必ずや弟子の心を見つめている。 
 
 地位・財産・名誉、消えゆくものは
 何もいらぬ。

 ただ望むのは、
 「在在諸仏土 常与師倶生」
 我が命に刻まれた、久遠の誓いに生き抜く
 生命(自身)であることを忘れまい!


 誓約書にサインしなかった私たちは、学会本部から「本部の指導に従わない人間」として問題視された。
 平成20年7月25日、本部人事委員会は、「経緯はどうあれ本部の指導に従わないことが問題だ」との理由で、私たちに対して組織活動の謹慎処分を下す。
 学会員と一切連絡を取ってはならないと徹底され、男子部活動はもとより、本部幹部会同中で師匠とお会いすることも許されなかった。共に活動をしていた同じ組織の会員の方々には、「本人の体調が悪い」「仕事が忙しい」との嘘の理由が伝えられ、私たちに連絡をしない体制が取られた。
 職員である私たちはどう言われても良い。しかし、謹慎となり、苦しい状況に置かれる会員をそのままにすることはこの上なく苦しいものがあった。社会の荒波の中で必死に戦う会員にとって、師匠と共に創価の組織で戦えることは生きる意味である。それが奪われているのだ。会員の苦しみは計り知れない。
 原田会長に対し、“何とか一度話を聞いてもらえないか”、“何とか再監査をお願いできないか”と3度手紙を書いた。しかし、すべて断られた。
 謹慎処分は平成21年3月31日まで延長。さらに本部幹部会同中で師匠とお会いすることが許されない日々は続いた。師匠の指導を求め、聖教新聞をむさぼるように読んだ。
 謹慎処分が延長されても誓約しない私たちに対し、平成21年4月1日、本部人事委員会は組織役職の解任処分を下す。創価班・牙城会も卒業。
 会員たちへの地域組織の対応はさらに厳しいものになっていく。会合の連絡すら来ない。嘘の作り話が飛び交い、「日顕・山友」と揶揄され、組織の同志との信頼関係も失われていった。中には、家族からも非難されるようになった会員もいた。

 麗しい創価の世界を護り、創価を未来永劫に発展させゆくためには、“本部が職員の問題を伏せる体質”、“職員の世界で対話(話し合い)が出来ないという重大な問題”、そして、そうした問題によって“常に純粋な会員が犠牲となる”ことを、何としても師匠にお伝えしなければならない。
 しかし、原田会長や、名誉会長の報告窓口である長谷川副理事長(現・理事長)などの本部執行部は一度も話を聞こうとしなかった。
 何としても今の創価の現状を師匠に伝えたい。どなたか、師匠に伝えて下さる方はいないか。そう祈る中で、名誉会長の御子息である宮城副会長が思い当たった。
 しかし、宮城副会長は名誉会長と行動をともにされている側近であり、ご多忙な方である。会って話を聞いてもらえる時間を取って頂けるとは限らない。それでも、何とか話を聞いてもらいたいとの思いで、手紙を書いた。
 「決して私たちがすべて正しいと考えているわけではありません。」
 「もし自身に過ちがあるならば、人間革命して参ります。」と。
 自分たちは、ただただ正しいことをしたい、師匠の仰せ通りの生き方をしたい。
 平成21年12月28日、宮城副会長の席に赴く。緊張で心臓を高鳴らせながらも、勇気を出し、「どうしてもお伝えしたいことがあり、お手紙を書いて参りましたので読んで頂けますでしょうか。お願いします」と手紙を差し出す。
 宮城副会長は、「そうですか。はい。分かりました。ご苦労様です」と笑顔で手紙を受け取ってくれた。
 これまでの最高幹部とは全く違う対応だった。話を聞いて下さるかもしれない。希望に胸が高鳴った。

 宮城副会長からの返事を待った。何とか話が出来るように祈り続けた。しかし、一向に返事は無い。突然の相談の手紙にどうするべきか考えて下さっているのかもしれない。題目をあげ続けた。
 そして、一か月が経った。なんの返答もなかった。
 しかし、諦める訳にはいかなかった。自分には師匠への誓いがある。そして不当な扱いを受け続ける会員たちがいる。
 そして、“もう一度手紙を書こう”と決意する。
 平成22年2月8日、書き綴った手紙を携え宮城副会長の席のある事務所に入る。すると、宮城副会長の部下が行く手をふさいだ。
 「なになになに、何しに来たの?(宮城副会長は)いないよ、いない!」と、私たちは事務所の外に力づくで押し出された。
 部下は語った。
 「池田家に組織の問題でご迷惑を掛けてはならない。」
 「宮城さんは特別な人だから煩わせてはいけない。」と。

 言いたいことは分からなくはない。
 多忙を極める宮城副会長を煩わせることは本当に心苦しい思いだった。しかし、地域組織では、誓約しなかった会員たちがまるで反逆者のような扱いをされ続けている。師匠に誓って会員に罪はない。この状況を打破するために何とかしなければならなかった。
 むろん弟子として、師匠を守り支える御家族を敬い、礼を尽くしていくことは当然だと思っている。しかし、創価は民衆(会員)のためにあり、師匠は民衆(会員)のために戦い、民衆(会員)こそが主役であることを教えて下さった。その名もなき、罪なき会員が最も苦しい状況にある。
 ならば、伝え抜くしかないのだ!それが職員である意味だ!会員こそ命なのだ!

「特権階級ができれば組織は権力化し、腐敗する。指導者は、第一にも第二にも公平でなければならない。いかなる意味でも“閥”ができれば、崇高な目的に進む団結は不可能である。」(名誉会長指導)
「一切衆生が平等です。血のつながった親族だからといって、特別扱いするわけではない。」(名誉会長指導)

 師匠は無名の一会員であろうとも、国の要人であろうとも、どんな立場であろうと、一人の人間として対等に対話をされ続けてきた。それが創価の真実の歴史である。
 「池田家だから」「特別な人だから」煩わせてはならない。この思想を師匠が許されるとは到底思えなかった。

 平成22年2月15日朝、本部の大広間での自由唱題時間。小平は宮城副会長の隣に座り、手紙を渡そうと「宮城副会長」と声を掛けた。
 すると突然、2名の職員が背後から小平の両脇を抱え込み、後方に組み伏せた。一瞬小平は何が起きているのか理解できなかった。そのまま場外に引きずり出されていた。
 おかしい!手紙を渡すだけだ!なぜ、暴力を使ってまで阻止するのか!あまりの理不尽さに、怒りが込み上げてきた。小平への監視は日増しに強くなっていった。

 さらに2月22日、本部の朝礼終了後。小平は職場に戻る宮城副会長に後方から声を掛けた。すると、一人の職員が興奮して肩をぶつけてくる。
 小平が、「ちょっと待ってください。何をするんですか。お手紙を渡そうとしているだけじゃないですか。」と伝えると、その職員は我に返ったような顔をした。
 もう一度、宮城副会長に声をかけた。宮城副会長は自分の周りを囲んでいた職員たちに「いいじゃないか。私宛の手紙なんでしょ」と話し、自ら手を伸ばして手紙を受け取った。嬉しかった。周りに集まる職員の表情は実に苦い顔をしていた。

 手紙を渡した後、小平は職場に戻り、いつも通り業務を開始した。すると、しばらくして突然、局長に呼ばれた。
 要件は短かった。「2月人事で異動。詳しくは夕方に通知する」と。
 夕方の内示通知の場。青森副会長から、「小平秀一、4月1日より、九州文化会館に異動」と説明される。理由は、「人事戦略プロジェクトで検討を重ねてきた方面との交流人事で、個人の業務スキルアップも目指す」と。
 東京信濃町の学会本部から、縁もゆかりもない九州・福岡県への配置転換。覚悟はしていたが、頭の中が真っ白になった。
 同日、私たちと同じく誓約しなかった職員の茨城氏も、東京信濃町の聖教新聞本社から広島県にある広島池田平和記念会館への異動を内示される。理由は小平と同じく「方面との交流人事」との説明であった。

名誉会長御子息からの返答

 宮城副会長の周囲の職員は、「池田家を守ることが職務である」と語る。実力を行使してでも宮城副会長と接触させまいとする。しかし、当の宮城副会長本人は、それを制して手紙を受け取ってくれた。その心に涙がでる思いだった。
 宮城副会長ならば、私たちの手紙を師匠にお渡しして頂けるのではないかと思えた。対話をして下さり話を聞いて下さるのではないか。
 師匠は、我々弟子に、“次の百年のため悪い職員がいたら真実の手紙をよこしなさい。間違っていたら絶対に信用しないよ。”と厳命されている。
 宮城副会長に師匠への手紙を託そうと思った。宮城副会長宛の手紙を書くと共に、自らを懸け、師匠へ報告するための手紙を書き、同封した。

 平成22年3月1日、茨城氏が手紙を差し出すと、宮城副会長はそれを受け取る。
 しかし、一言。
 「こういうことばかりしているから先生に敵対していると思われるんだよ!」と。
 さらに3月8日、野口が宮城副会長に「先生に手紙を渡して頂けましたでしょうか」と尋ねる。
 宮城副会長は、「渡せるわけがない」「こんなことばかりやっているから反逆者のように見られるんだ」と。
 正直、本当に苦しかった。自分たちが全部正しいと思っている訳ではない。しかし、会員の声を、真実の声を何一つ聞いていない。なぜ判断できるのか。ただただ悔しかった。
 御子息も師に届けて頂けないのか。なぜ誰一人として、一度たりとも話を聞こうとしないのか!
 そもそも明らかにおかしい監査があった。しかし、私たちは誓約書にサインしないことによる謹慎処分・謹慎延長・役職解任、すべての処分を受けてきた。誓約できない理由は、職員規律委員会に50ページに渡って書き伝え抜いた。その結果「職員として問題なし」との結論がでたのだ。
 それでも、原田会長、正木理事長、青森副会長は、職場の会合を使って私たちを批判する。名誉会長への窓口である長谷川副理事長も、師の指示に反して、報告を拒否。だから御子息に手紙を書いて師匠への報告をお願いした。それが、なぜ、なぜ師敵対になるのか!なぜ反逆者になるのか!

「いかなる困難の壁にも屈せぬ負けじ魂だ。ひとたび、正義を叫んだら、相手の心に伝わるまであきらめぬ忍耐だ。」(名誉会長指導)

 絶対に負けない!断じて負けない!
 ただ、ただ必死に祈った。師匠が2月の職員全体会議で、もう一人の御子息である栃木副理事長を厳しく薫陶されている姿を思い返した。師の期待を受けられる栃木副理事長に行くしかない。
 平成22年3月17日、野口は、栃木副理事長に会いに行く。
 本部職員としてずっと生きてきた。自分の行動が職員の常識を破っていることは重々承知している。しかし、職員として最も守らねばならぬ常識は、会員のための職員、会員のための本部、会員のための創価ということだ。
 栃木副理事長に手紙を渡し、師匠への報告を懇願する。
 すぐに返事はなかった。師匠への報告を真剣に考えて下さっていると信じた。

「人間を信じ、対話に徹し抜いていくところに、仏法の人間主義の真髄がある」(名誉会長指導)

 同年3月29日、野口は栃木副理事長に尋ねる。
 「先生に手紙を渡して頂けましたでしょうか」と。
 しかし、返事は「私から先生には手紙を渡せない。第一庶務に渡しました。」と。
 第一庶務(名誉会長秘書室)からでは師匠に手紙が届かない。そのことは、栃木副理事長への手紙に書いている。失礼を承知で栃木副理事長まで懇願しにきた経緯も書いている。
 以前、小平が役職解任となっても戦い続ける決意を師匠に報告するため、第一庶務に報告書を届けたことがあった。しかし、最高責任者の群馬副会長は、「解任になったことを先生に報告するなんて失礼だ!」と受け取りを拒否した。さらに、第一庶務の最高幹部である長谷川副理事長や宮城副会長も、私たちの手紙を師匠に渡せないと拒否していた。それらの事情は全て手紙に書いている。
 それにも関わらず、なぜ「第一庶務に渡しました」と。
 野口は呆然とその場に立ち尽くし、足早に去っていく栃木副理事長の姿を見つめた。

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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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