第16 職員懲罰委員会からの2度目の呼出し(H23.9~H23.10.5)


「言うべきことを、言わないのは、臆病である!
 思い切って言わなければ、変わらない!
 皆が変革のための声を上げていく。堕落した幹部は厳しく正す。
 ここに、これからの長い未来に向けて、学会を盤石にしていく重大な一点がある。」
(名誉会長指導)

 職員懲罰委員会に3通目の追加書面を送る

 懲罰委員会の面談で求められた弁明書は、7月末に提出した。その後も、懲罰委員会に対して2回にわたり、学会本部が行なった制裁人事や懲罰委員会を使った不当なやり方に異議を唱える書面を追加提出する。
 しかし、懲罰委員会からは何の連絡もない。
 最初の弁明書提出から間もなく2か月が経つ。
 なぜ、ここまで懲罰委員会の結論に時間がかかるのか、事実の精査を丁寧にやっているからなのか、理由は全く分からなかった。とにかく、必死に祈り続けるしかなかった。
 祈り、考えれば考えるほど、公平厳正な監査とはかけ離れた懲罰委員会のやり方に、黙っていてはならないと感じてならなかった。
 人が行動を起こす時には必ず動機がある。それにもかかわらず、懲罰委員会は、私たちが原田会長を始め本部最高幹部に対話を求めた動機を一切調べない。初めから私たちの行為が「懲戒の対象」であると決め付け、懲罰にかけたのである。その決め付け方は、もはや本部指導監査委員会の時よりもひどくなっている。

 私たちが、原田会長を始めとする本部最高幹部に対話を求めた理由はただ一つ、本部指導監査委員会の問答無用な監査によって、本部職員の不正に声を上げた無実の会員が「反逆者」とされ、謹慎・役職解任となったからである。
 故郷の地元組織では、無実の会員同志たちが監査の誓約書に従えなかったことを理由に、未だに苦しめられている。
 会員同志への男子部からの連絡はなくなった。会館に行けば、知り合いの会員さんから白い目で見られ、挨拶すら返さなくなった人もいた。組織に蔓延した情報によって、もはや彼らは反逆者とのレッテルを貼られたのである。
 そうした中でも、彼らは負けなかった。題目をあげ、師匠の指導を必死に学びながら信仰を続けていたのである。

 そもそも、本部職員が会合の場で「前体制は間違っていた、暗黒時代だった。」と会員同志を名指しで誹謗中傷する行為を繰り返したことが、一連の問題の発端である。
 これは、本部職員による明らかな不正行為である。
 公の場で非難中傷され続けた私たちが、その職員に「話し合わなければならない」と対話を求めた行為を、本部指導監査委員会が取り上げたのだ。
 しかし、本部指導監査委員会の監査面談は、実に問答無用であった。密室で行われた監査は、弁護士を含めた4、5人の本部職員幹部がずらりと前に座っていた。そして、私たちは1人ずつ呼び出され部屋に入る。
 そして尋問が始まる。会員は懸命に誤解があることを伝えても、監査委員は「どうせお前がやったんだろ!」と怒鳴る。そして「ここは話を聞く場ではない。指導の場だ!」と話を聞くことはない。「しっかり調査をして頂けたのか」と尋ねると、「細かい事実関係なんかいちいち調べてられるか!」、「誰に向かって言っているんだ!」と、まるで犯罪者の取り調べのような監査だった。
 私たちと会員たちは、合計182ページに渡る陳述書を提出したが、精査をしてもらえることは皆無といってよかった。面談で誤解されていた点についても追加で証拠と陳述書を提出したが、全く聞き入れられることはなかった。
 結局、私たちが訴えた本部職員の青年部最高幹部らが行なった青年部人事委員会を通さない不正人事など、本部職員たちの不正は表沙汰にせず隠蔽され、本部職員の青年部最高幹部たちを守る形で監査が終えられたのである。
 反面、監査は、本部職員が会員を誹謗した不正行為に対し声を上げたに過ぎない私たちと会員たちの必死の弁明を、「いい加減な弁明を繰り返している」と全て否定した。そして私たちを「組織内組織(反逆グループ)である」と認定したのである。
 さらには、会合の場で私たちと会員への誹謗中傷を繰り返した本部職員や公明職員に対し、私たちが謝罪することまで要求し、誓約書への誓約を迫ったのである。滅茶苦茶な監査であった。
 監査で「組織内組織(反逆グループ)」であると貼られたレッテルは、誓約しない限り永久に付きまとうこととなった。それにより会員同志たちは、謹慎処分、謹慎延長処分、そして役職解任処分と3度に渡って処分され、組織から“本部の指導に従わない「反逆者」”のレッテルを貼られていった。本部指導監査委員会が行なったこの杜撰な監査の責任はあまりにも重大であると言わざるを得ない。

 しかしその後、こうした事実を本部最高幹部に伝えようと、「一度でいいので話を聞いて頂きたい」と懇願したことが、懲罰の対象とされたのである。

 私たちは、懲罰委員会宛に3通目の追加書面を作ることを決意する。
 毎日の仕事を終え、帰宅してから深夜までパソコンに向かい、必死に書面を作る。
 今こうしている間も、会員同志たちには不当な扱いを受けさせてしまい、苦しい思いをさせ続けてしまっている。
 絶対にここで負ける訳にはいかない!
 一分一秒でも早く、無実と正義を証明しなければならない!
 祈れば祈るほどに、決意は深まっていった。

 懲罰委員会への3通目の追加書面に以下のように記す。

 「会長や執行部に面談をお願いした理由はただ一つ、あまりにも問答無用の監査によってまじめに戦っていた無実の会員が冤罪で『反逆者』とされたからです。誤解された点はすべて証拠を出したにもかかわらず、すべての結論が大幹部を守る形で終えられたからなのです。」

 「懲罰委員会に調べていただきたいのです。本部指導監査委員会のむちゃくちゃな監査内容を知っていただきたいのです。あの本部職員が行った監査が公式に認められるならば、創価を守る懲罰委員会の役目はいったいどこにあるのでしょうか。あの監査を調べていただけるのは懲罰委員会しか無いのです。」
 さらに証拠として本部指導監査委員会の監査面談を録音したテープを同封した。
 そして、最後にこう綴った。

 「あまりにも一方的であり、具体的な根拠も説明もない本部指導監査委員会の監査内容を聞いて頂き、創価の重大な問題として調べて頂きたい」と。

 平成23年9月25日、私たちは、懲罰委員会に3通目の追加書面を郵送する。

 職員懲罰委員会から面談の呼び出し

 3通目の追加書面を提出した3日後、平成23年9月28日、ついに職員局人事部の担当部長で懲罰委員会事務局員の長崎氏から、小平、滝川、野口、茨城氏の各々に電話がかかってくる。
 “懲罰委員会として面談を行なうため、平成23年10月5日(水)の午後1時45分に信濃町の世界青年会館1階ロビーに集合するように”との呼び出しの連絡である。
 長崎氏は、前回、懲罰委員会の面談に私たちを呼び出した時と同じく、電話一本で日時と場所だけを伝え、面談の内容については一切説明をしない。
 野口に不安がよぎる。
 またしても、内容を伝えず面談への準備を事前にさせてもらえない呼び出しである。しかも今回は結論通知の場となり、その場で懲戒処分を言い渡される可能性が高い。むろん、解雇されることも考えられた。
 野口は呼び出される面談が弁明する場なのか、結論通知の場になるのか、それだけでも知りたかった。
 必死に、「どうか呼び出しの内容を教えて頂けないでしょうか」とお願いする。
 しかし、長崎氏は、「私は連絡だけですから、内容は知りません。熊本懲罰委員会委員長に聞いて下さい。では連絡しましたので。」とだけ言い、電話を切ってしまった。
 あまりに無情な対応である。
 野口は長崎氏の言葉をたよりに、すぐに熊本委員長に電話する。
 しかし、留守番電話に切り替わり、電話が繋がらない。その後も時間を置いて何度か架けるが、いずれもワンコールで切れてしまう。

 翌29日、やむなく野口は熊本委員長にメールを送る。
 「10月5日の召集の連絡がありましたが、出張命令ならば日時、場所、用件を書面にして頂きたいです。内容が分からない召集をされ、どれぐらい時間がかかるのか見当すらつかない呼び出しはいかがなものでしょうか。また、私の話を聞く場なら、どれだけ時間をとって頂けるのでしょうか。
 電話がワンコールで切れてしまいます。もし着信拒否しているならば不誠実過ぎます。これが本部のやり方だとおっしゃるならば、やはり問題です。
 一度連絡を下さい。待っています。無視は社会的に見ても問題です。」と。

 すると翌30日、熊本委員長からメールが送られてきた。
 「職員懲罰委員会は創価学会本部の法人機構の中の公式の機関です。法人職員の一員である野口さんへの呼び出しは、公式の呼び出しです。熊本個人が、野口個人を呼び出しているのではありません。
当日は、夕方5時以降の便でお帰りになれると思います。必要とあれば、事務局から貴方の上司に出張扱いにするように連絡しますが、そう望まれますか。」と。
 野口が最も知りたかった「面談の内容」については、一切触れられていない。
再び熊本委員長にメールを送る。
 「公式の機関からの公式な呼び出しであれば、なおさら呼び出しの理由を伝えるべきではないでしょうか。」と。
 しかしその後、熊本委員長からの返答が来ることは無かった。

 懲罰委員会の面談に臨む決意

 面談の日が近づく中、野口は、これまでの自分の半生を振り返っていた。
 自分はもともと、学会本部の方針や組織の秩序を最優先に考える典型的な本部職員でもあった。
 地元の会員同志とともに切磋琢磨していく中で、徐々に本部職員特有の役職や立場で人を見るような感覚や、師匠に近い存在だと錯覚する特別意識が、自分の中にもあると自覚していく。
 ある時、仕事で半月ほど組織活動に参加できない時があった。それでも、久しぶりに現場組織に出ても当然のように振る舞い、幹部として指導する自分がいた。
 その姿を見つめていた会員同志は、自分に真心を伝えてくれた。
 「先生のお近くで仕事をしているから、忙しいのは当然。そんな君の振る舞いが僕には許せない!信仰は心だよ!師匠は心だ!君のように師匠との距離で特別意識を持つ人間ならば、君は全会員の敵だ!!」

 特別意識をもった自分には、その言葉に一瞬怒りすら覚えた。
 しかし、声を震わせて叫ぶ同志の目には涙が浮かんでいたのである。唖然とする自分に、同志はさらに伝え抜いてくれた。

 「君が大事なんだ。職員の君が師匠の創価にするんだよ。民衆の創価にするんだよ。」
 同志の心に自然と涙がこぼれた。

 「深い慈愛と真心。そして誠実の行動こそが、人々の心を動かすのだ。」
(名誉会長指導)
 「人の心を打つのは、話術の巧みさではない。美辞麗句でもない。“君よ立て!”との、生命からほとばしる必死の思いが、友の心に働きかけるのだ。励ましとは、炎の一念がもたらす魂の触発なのである。」(名誉会長指導)

 どこか広宣流布の仕事をしているのだから、学会活動が出来ない時があっても仕方がないと思う自分がいた。民衆が師と共に泥まみれになって築いてきた創価であることを忘れ、どこか本部職員という英雄気取りが自分にはあった。野口は心からそう感じたのである。

 それから野口は自分の命の課題と向き合いながら、学会本部と本部職員の不正、それを隠す学会本部の実態と向き合い、声を上げ続けたのである。

 今、「懲罰」を目の前に突き付けられ、ここで一歩でも引いたならば学会本部の実態を見てきた自分の使命は無くなると思えた。
 しかし、もし解雇になれば収入は無くなる。
 結婚してすぐに夫が単身赴任となった妻にはさらに苦しい生活をさせることになる。
 妻のお腹には8か月になる子どもがいる。共働きできる状況でもない。家のローン、子どもの出産費用、おむつや子供服代だけでも、貯金はすぐになくなる。どれだけ節約しても家族を養い生活を続けていくには、別の仕事に就かなければならない。そもそも、解雇された自分を雇ってくれる会社などあるのだろうか。
 自分のことなら我慢できる。しかし、妻とお腹の子どもの事を思うと苦しくてならなかった。
 いろいろと考えても、正しいと思える具体的な答えは出ない。未来は全く見えない。弱い自分との葛藤が続いた。

 これまでも崖から飛び込むような選択を迫られたことは何度もあった。
 誓約書の提出を断った時、原田会長に手紙を渡しにいった時、四国への単身赴任を決断した時。一回一回が臆病な自分との戦いだった。
 それでも、ただただ師匠の仰せ通りに正しいことをしたいと、その時その時を必死に前に進んできた。
 「懲戒解雇」最悪な事態が頭をよぎる。
 しかし、創価を変える戦いだけは絶対に諦める訳にはいかない。
 そのためには、たとえアルバイト生活になっても家族を支えながら戦いを続けていくしかない。
 野口は御本尊の前に座り題目をあげ続けた。
 「御本尊様!!なんとかお腹の子どもと、妻を護って頂きたい!」

 面談、前日の夜、野口は四国から羽田空港に降り立つ。共に役職解任処分となった会員同志やその家族たちが温かく出迎えてくれた。地元の同志の家に皆で集まった。
 この同志たちとは、自分が学生部員の時から14年に渡って、共に苦難を乗り越えながら戦ってきた戦友である。一斉に役職解任された時には、生涯、広布の一兵卒として師のため、創価のために命を懸けることを誓い合った。
 四国に配転になってからも、上京するたびに「共に創価を変えるために、支え合うのは当然だ」と、毎回、毎回、羽田空港への車での送り迎えをして頂いた。
 こうした同じ思いに立つ同志の支えがあったからこそ、自分は創価を変える戦いを続けることができた。
 懲罰委員会の面談を前に、野口は同志に率直な思いを語った。
「明日の面談で僕は懲戒解雇になるかも知れません。解雇になったら、アルバイトをしてでも家族を支え戦います。」と。
 そう語る野口の姿は未来の見えない不安と緊張で、その表情はこわばっていた。当然と言えば当然である。
 それは集まった同志の誰もが感じていた不安だった。
 張りつめた空気が流れた。
 しかし、その静寂を破って同志は懸命に私を護ろうと、必死の形相で叱責したのである。

 「葬式のような暗い表情で何を恐れている!!やっと正義のために首をはねられるじゃないか!正しいことのために死ねるじゃないか!師匠の前で胸を張って死ねるじゃないか!それが学生部の時から共に戦ってきた僕らの夢だったじゃないか!!」
 同志の表情は、涙を流すまいと必死にこらえている。そして勇気を伝え抜こうと必死の形相で叫ぶのである。

 「のぐっちゃん!これだけ理不尽なことを本部で体験できるんだ!先生の本部で体験できるんだよ!難即安楽じゃないか!幸せじゃないか!これほどの幸せがあるかい!」
 そう語る同志の頬に涙がつたった。同志の皆がその真心に嗚咽した。
 そしてさらに涙ながらに伝え抜くのである。
 「いいかい、のぐっちゃん!僕は職員と誓った約束を一度も忘れたことはない!あの時、僕は職員に約束したはずだ!もし職員の皆が解雇になったならば、僕も仕事を辞める。そして、会社でも興そうじゃないかと。」

 野口は涙が溢れた。同志こそ忘れていなかったのである。あの時の誓いを自分ではなく同志が忘れていなかったのである。
 これまでずっと、同志はその心で共に戦ってきたのだ!

 あの神奈川文化で役職解任処分された日、目の前の山下公園に行った。そして同志は語った。「ここまできたら生きるも死ぬも一緒だよ。もしこの先、職員が解雇になったら自分も仕事を辞める。会社を興して生きようよ。そして最後まで、最後まで戦おう。」そう誓いあった。同志にとってはやっと叶えた、夢の職業である。それを失ってもいいと言う。
 その真心に野口は泣いた。そして同志が小さな声で、威風堂々の歌を口ずさむ声に合わせて、師を思い、心で歌ったことを覚えている。

 同志は涙を流しながらも、さらに力強い声で語り続けるのである。ただただ友を励ますために。
 「本部職員を解雇される。こんな有りがたい功徳に、もし心が引いたのであれば懲罰委員会に正義など叫べるわけがない!!やっと真実を伝えられるチャンスが来たじゃないか!やっと正義を為す時が来たじゃないか!」
 
 すると次々と会員同志が涙ながらに語り始めるのである。
 「僕はラーメンが大好きだから、みんなでラーメン屋でも始めようよ。みんな交替で店に立てば、創価を変える戦いも続けられる。」

 「皆で保育士の資格を取って保育園を開くのはどうかね。みんな子どもは好きだし。そして夜は創価変革の戦いだ。」
 なんだか涙が止まらなくなった。真心に涙が溢れてくる。
 そんな簡単に新たな仕事が興せるなど微塵も思っていない。ただただ、その同志の心が嬉しかったのだ。  
 そして、同志が諭すように語った。

 「一人で戦っているのではないよ。本部職員だけで戦っているのでもないよ。本部職員と会員とが共に戦い、共に支え合っていくんだよ。絶対に一人にはしない。それが、創価学会だよ。それが師匠の創られた、民衆のための創価学会だよ。」
 自分の人生、こんなに泣いたことはない。涙が止まらなかったことはない。

 同志は自分が解雇される不安と葛藤している微妙な一念を、敏感に感じとっていた。その一念では勝てない、なんとしても励ますのだと。先の見えない創価の不正との戦いに毛筋ほどでも臆す心があったならば、弟子の生き方を貫くことはできないのだと。
 野口は同志の真心に応えようと、決意を伝えようとするも、感謝の涙で言葉にならない。
 同志は野口を見つめ、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、それでも伝え抜くのである。
 「のぐっちゃん!聞こえない!これから戦場に行くんだもの!それじゃ聞こえないよ!絶対負けないよ!」
 同志皆のすすり泣く声が聞こえる。
 野口はさらに涙で頬を濡らしながら、肩を震わせ力の限りを尽くして叫んだ。

 「僕の師匠は池田先生です!ただただ、師匠のために!それが!それが!自分が望んだ人生なんです!本当なんです!だから、絶対に、絶対に、僕は正義を叫びます!!」

 同志はすぐに温かい言葉を語りかけた。
 「矢面に立つ一番苦しい職員に、本当に偉そうにごめんね。不安は当然だよ。僕だって不安だもの。とにかく、矢面に立つ職員を自分は命を懸けて護らせてもらいたい。この先何が起きても、師匠の仰せ通りに、共に生き、戦い続けたい。ずっとずっと一緒だよ。」
 野口は男泣きに泣き続けたのである。

 生涯忘れることはない、私の原点である。
 真実の同志に出会えたこと。それが、自分の人生にとって最高最大の誉れであり!最大の幸福である!自分はあまりにも幸せ者である。

 「いかなる迫害をも悠然と乗り越えながら、決意の目標に向かって、共々に戦い進みゆく真実の友との出会いは、一生の宝だ。胸襟を開いて、一生涯、正義のために戦い抜く、魂と魂の交流のある同志ほど、嬉しく尊いものはない。」
(名誉会長指導)

 師匠のおかげで、同志と出会わせて頂いた。
 ならば、我が身を師匠のために捧げ抜くことこそ、僅かながらの恩返しである!
 決意を新たにして、翌日、平成23年10月5日、職員懲罰委員会の面談に向かう。
 「師弟に生き抜く人生に職員も会員もない。立場も肩書きも関係ない。人生において大事なことは、誓願に生き抜く、我が勇気である!」








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※皆様から、連日、大変多くのメールを頂いております。本当にありがとうございます。本当に申し訳ありませんが、現在全てに返信が出来ない状況にあります。ご理解、ご容赦頂ければと思います。さらに全力で戦います。

※「ブログ小冊子」について多数ご希望をいただいております。本当にありがとうございます。こちらについても、28日の集会準備やブログ更新等に時間を要してしまい、28日の集会に間に合わない状況となってしまいました。本当に申し訳ありません。ご希望される方に対する受け渡し方法は、後日改めてご連絡させて頂きます。こちらの戦いも頑張ります。

























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第17 職員懲罰委員会から「譴責処分」の通知(H23.10.5)

「悪と戦わなければ、悪を容認し、悪に加担するのと同じである。それは、すでに師弟を忘れ、信心を食い破られた姿だ。その根底は、『臆病』であり、『保身』であり、『背信』である。その『心の毒気』は、いつしか蔓延し、尊き信心の和合を壊していく。
 『もう、これくらいでいいだろう』──そんな中途半端な心が毛筋ほどでもあれば、悪の根を断ち切ることなどできない。毒気は断じて一掃し、吹き払わねばならない。
 『戦う心』が清浄な伝統をつくる。最後の最後まで、邪悪をすべて根絶するまで、正義を叫び抜く。この戦う学会精神を、身をもって未来に継承していただきたい。」(名誉会長指導)

 職員懲罰委員会の面談

 懲罰委員会から招集された私たちは、平成23年10月5日、午後1時45分に創価学会世界青年会館1階のロビーに向かった。
 青年会館のロビーに着くと、私たちを呼び出した懲罰委員会事務局の長崎氏が待っている。野口は長崎氏に、「なぜ面談の日時しか伝えず、呼び出しの理由を教えて頂けないのか。この懲罰委員会のやり方を疑問に思わないのか」と尋ねる。しかし、長崎氏は、「俺は別に疑問に思わないな」と平然と答える。
 しばらくすると、懲罰委員会事務局の神戸氏が私たちを呼びに来た。
 「では小平さん、移動をお願いします」
 まず小平が会議室に案内される。
 中に入ると、前回6月30日の懲罰委員会の面談同様、懲罰委員7名が一列に並んで座っていた。真ん中には、懲罰委員長の熊本氏、そして一番左隅に、前回は出席していなかった婦人部最高幹部の松江女史が座っていた。
 懲罰委員が座る列の前に、テーブルを挟んで1つだけ椅子が用意されている。小平はそこに座るように指示される。
 小平が着席すると、熊本委員長が小平の名前を確認して面談は始まる。
 熊本委員長は、「えー本日は、懲罰委員会として審議し、出した結論について、懲戒処分の通知をこれから小平さんに行ないます。」と、処分の通知文を読み始めた。

「①平成21年11月2日の昼、貴殿は、茨城氏と2名で、食堂の出口において、谷川佳樹事務総長に対し面談を迫り、谷川事務総長が断っても、さらに面談を迫った。
 ②平成21年11月4日、貴殿は、職場朝礼終了後に、突然、原田稔会長に対し面談を迫った。
 ③・・・・・・・・・・」

 熊本委員長は淡々と懲戒対象行為を読み上げた。
 そして最後に、
「貴殿の上記①ないし⑨の所為は、職場の人間関係に軋轢を生じさせ、職場環境を悪化させるものであり、職場の秩序保持を定めた就業規則第33条(服務上の注意事項)第2号『互いに協力しあい、より完璧をめざして勤務に励むこと』に違反するものであり、・・・・・。
 よって、当法人は、職員懲罰委員会の審議を経たうえで、貴殿を就業規則第70条(懲戒の種類・方法)第1号の始末書を取り、反省を求める『譴責』処分とします。その旨ここに通知します。平成23年10月5日、創価学会理事長正木正明。」と、一気に読み上げた。
 そして、「はい、じゃあ、これをお渡ししますので。」と処分通知書が手渡される。
 小平は「譴責処分」との結論を聞き、怒りが込み上げてならなかった。
 むろん排除するための懲罰委員会からの呼び出しである。懲戒解雇という最悪の事態を覚悟していただけに、解雇ではなかったことに対する安堵もあった。
 しかし、そもそも本部職員の問題を報告、相談するために、然るべき最高幹部に「面談を求めた」、「手紙を渡した」というだけで懲戒解雇に出来ないことは当然と言えば当然である。
 小平は懲戒になるような行動は何一つしていない。
 職場での小平は、自分のやるべき業務を拒否した訳でもないし、勤務態度が怠慢であった訳でもない。むしろ任された業務を真剣に取り組み、同僚や上司から信頼され、愚直に業務に励んでいた。
 平成21年の年末には永年勤続10年表彰も受けている。職場の秩序を侵害するようなことを何もしていない。
 小平はただただ無実の会員に罪を着せ、役職解任にまで追い込んだ学会本部のやり方、そして本部職員の問題を隠蔽し続ける本部指導監査委員会と本部執行部の問題を看過できなかっただけである。
 だからこそ、最高幹部である本部執行部に相談したいと思い、声をかけたり、手紙を書いたりしてきたのである。
 むしろ建設的な意見を伝えることは創価学会の発展につながると信じ、一回一回、勇気の声を上げてきたのである。
 それにもかかわらず、「互いに協力しあい、より完璧をめざして勤務に励むこと」に反していると結論された。
 しかも、前回の面談で渡された「懲戒の対象となる言動」という書面に書かれた行為に対して、合計4通の弁明書を提出してきたが、結局、事実に基づいて詳細に書いた弁明内容に対して、懲罰委員会からは一度の確認もなかった。そして、小平が弁明書に書いた内容は一つも採用されなかったのである。このやり方はどう考えてもおかしいと思えてならなかった。

 小平は必死に訴えた。
 「処分をする上で今言われた文章の中に、嘘・捏造がありまして、どこが嘘・捏造かは前回の弁明書でも伝えさせて頂いています」
 「創価学会の公式機関として結論をする以上、どのように判断したのかを一つ一つ通知して頂かなければ、この処分自体、不当に当たるのではないかと感じております。」と。
 しかし、熊本委員長は、
 「お出し頂いた弁明書については、すべてそれぞれ読んで頂き、関係者にもきちんと調査をし、その上で、あなたの一つ一つの言動が職場の人間関係に軋轢を生じさせる言動であったときちんと判断した。」と。
 熊本委員長は“きちんと判断した”と言うのである。
 しかし、もしそうであるならば、小平が弁明書で書いた事実を排斥した理由をしっかり説明すべきではないのか。また、相手方に当たる最高幹部がどのように証言したのかを公表すべきではないのか。
 しかし、判断理由を一切説明せず、ただ結論だけが伝えられる。これでどうして納得出来るというのだろうか。

 小平は尋ねる。「軋轢を生じさせるというのは、具体的にどこの部分の事でしょうか」と。
 しかし熊本委員長は、「どこの部分じゃなくて、そこに書いてある言動すべてです。一つ一つ。そこに書いてあるでしょ。」と小平の質問に答えようとしない。
 熊本委員長は終始、「創価学会の機関として検討し、その所属の一員であるあなたに対して出した結論です。だから、この処分通知にきちんと従って下さい。」と、結論に従わせようとするばかりであった。

 このまま終わるわけにはいかない。懲罰委員会は師匠のご子息であり秘書でもある宮城氏に小平が手紙を渡してきた行為すらも懲罰に当たるとされているのである。しかし、宮城氏は小平が渡そうとした手紙を自分から受け取っている事実がある。これは間違いのない事実である。

 小平は尋ねる。「宮城さんにも確認されましたか?」
 熊本委員長「関係者には、確認しました。」
 小平「宮城さんは受け取って頂いているんですよ。受け取って頂いて、『分かりました。ありがとう』って。」
 すると熊本委員長はニヤニヤして小馬鹿にしたように笑うのである。
 小平は悔しさに体が震えた。
 小平は真剣に伝える。「笑わないで下さい、委員長!」
 するとさらに馬鹿にしたように笑いながら
 熊本委員長は言う。「笑うよ!」
 小平は必死に「嘘があるんですよ!」と訴え続ける。
 しかし、熊本委員長は「ふっ、そっ、それはあなたの意見。」と鼻で笑う。
 小平 「発起人はどなたが発起人なんですか?」
 委員長「そんなこと、答える必要はないんです。」
 小平 「こちらが、弁明して伝えた内容もあるじゃないですか?その内容については、どのように判断をされたんですか?」
 委員長「お答えする必要はありません。」
 小平 「何でですか!」
 委員長「非公開です。」
 都合が悪いことを問われれば全て「非公開」。こんな論理が通用するならば、いくらでも勝手な判断が出来る。
 小平 「それだったら、一方の言い分だけ聞いていれば、こういうこと出来ちゃうじゃないですか!」
 委員長「そんなことありません。両方きちんと聞いた上で、判断しています。」
 小平 「だからどのように、検討したのか教えて下さい」
 委員長「だからその検討した内容というのは、あなたにお答えする必要はないんです。それだけの『権威』を持っているんです!」
 最後は、『権威』と言うのである。権威を振りかざして終わらせたのである。

 まさに“懲罰委員会には権威があるから従え!”まさに問答無用である。
 
 結局、小平が聞きたかったことには一切答えず、1週間後の10月12日までに始末書の提出を求められ、通知は終えられた。
 
 次に野口が呼び出される。
 野口が会議室に入り席に着くと、熊本委員長は一気に処分内容を読み上げる。
 「①平成21年11月11日、貴殿は・・・」
 野口に対する懲戒対象行為として8項目が読み上げられた。そして最後に、「貴殿を、就業規則第70条第1号の〈始末書を取り、反省を求める譴責処分〉とします。」との結論が通知される。

 8項目の中には、原田会長の代理として本部指導監査委員会の問題の調査に動いていた本部連絡局の松山局次長が、突然野口に絡み、散々野口を罵倒した行為が、なぜか野口の責任となり懲戒の対象とされている項目もあった。

 かつて私たちの親が、私たちの役職解任処分を見るに見かねて原田会長に手紙を書いたことがあった。その時原田会長は、調査と対応を連絡局の那覇局長と松山次長に命じた。しかし、松山次長たちは一部の親にしか連絡をしなかったため、親たちは困惑し2通目の手紙を原田会長に出す。ところがそれに気分を害した松山次長と那覇局長は、「座談会週間で忙しかった」と言い訳を始め、なんと調査の打ち切りを原田会長に申し出たのである。さらには、原田会長もそれを容認してしまうという信じられないことがあった。
 それ以来、松山次長は何とか調査を続けてほしいと思う野口の挨拶を無視するようになった。
 そして、半年ほど過ぎたある日、突然、松山次長から野口に声をかけ、「茨城君は広島に行くらしいね。買ったばかりの家はどうするんだ?奥さんも広島に行くのかな?」と尋ねてきた。松山次長が調査を打ち切りにしなければ、滝川、小平、茨城氏が配置転換されずに済んだかもしれなかった。
 野口は丁寧に、「なぜ茨城さん本人ではなく僕に聞くのですか?」と尋ねた。
 すると松山次長は形相を変え、「お前は何なんだよ!聞いちゃいけないのかよ!なんかお前、開き直ってるな!ふざけてる。悪鬼入其身なんだよ!」と怒鳴り始めたのである。
 野口は、「松山さん、何でそんなことを言うんですか。」となだめる。
 しかし松山次長は、「お前は悪鬼入其身だ。この親不孝者。職員なんてよくやってられるな。それでお金をもらってるんだろ。職員辞めろよ。消えろ。俺の前に二度と顔を見せるな。」と散々罵倒したのである。
 さらには松山氏の部下がいる前で野口を指さし、「こいつおかしいんだよ!」「消えろ!邪魔なんだよ!職員辞めろ!帰れ!」と罵声を浴びせ続けた。本当にありえないパワハラの言動であった。
 野口は松山次長と一度しっかり話し合わなければならないと思った。そして、勇気を出して松山次長に電話し、謝罪と説明を求めたのである。
 しかし、懲罰委員会はその野口の行為に懲罰を下したのである。
 松山次長のパワハラは罰せられず、パワハラを受けたことに対して謝罪と説明を求めた野口の行為が逆に懲罰となったのである。

 野口は熊本委員長に必死に訴える。
 野口、「私としては、人間関係に軋轢を生じさせたくないからこそ、お話を聞いて頂きたいとお願いしました。そこは汲み取って頂けないのでしょうか。」と。
 しかし熊本委員長は、「これが職員懲罰委員会としての結論です。」「その審議内容については、これは非公開ですから、あなたにお答えする必要は無いんです。」と冷たく突き放す。
 野口は、弁明書に書いた内容がどのように判断されたのか、何度も説明を求める。
 しかし、熊本委員長は、「審議内容は非公開です。」「あなたにお伝えする必要はない。」と繰り返すのである。
 すると、書記の役割のはずの大分職員局長が突然、割り込んでくる。
 たった一人の懲罰対象者を排除しようと熊本委員長を必死に守るのである。

 「野口さん!いずれにしても、弁明書を2か月間かけて審議した結論で、今日は通知の場なんです。」と。

 そして、始末書を10月12日までに提出するように指示し、はやく面談を終えようとするのである。
 
 野口は思う。自分は職員として、組織の秩序を維持するために本部の決定に従うべきであるとの考えも承知している。しかし真に組織の秩序を守るとは、師匠の指導を実践することではないのか!
 「不正を見たならば、声を上げよ!」これが師匠の指導である!
 ならば、その実践こそが、真に創価を発展させ、組織の秩序を守ることになるのではないか!
 このまま始末書を提出すれば、松山次長のパワハラ行為をも容認することになる。それは、力を持った人間に従えば守られ、従わなければ排除されるという本部の「力の論理」を、結果的に認めることになる。
 それは師への裏切りである!
 しかし始末書の提出を拒めば、これまで以上に苦しい状況に置かれることは容易に想像がつく。
 野口は葛藤した。
 しかし、苦しい時にはいつも師匠の声が聞こえてくる。

「たとえどんなに小さなことであっても、同志を苦しめる悪を、絶対に見逃してはならない。放っておけば、その毒気が、いつしか全体に蔓延して、清浄な和合の世界が破壊されてしまう。」(名誉会長指導)
「沈黙は敗北である。悪に対して、おとなしいのは、悪である。正義を叫び抜くことだ。」(名誉会長指導)

 野口は意を決して話しはじめた「(始末書を)出さない場合はどうなるんでしょうか?」
 熊本委員長「それは別途、出さなかったということをどう対処するか。それはそれでまた検討することになります。」
 野口、「次の段階ということですか。」
 熊本委員長、「そうです。」

 監査のときと同じやり方である。またしても従うまで処分を下そうとするやり方である。
 ただ“本部の決定に従えばよい”という「対話の創価」とは真逆の考えに怒りが込み上げてくる。野口は怒りに体が震えた。

 そして、野口は委員長を見つめて語った。

 野口「話を聞いて頂けない懲罰委員会のやり方を、先生が正しいとおっしゃるんでしょうか。」
 すると熊本は、何の躊躇もなく平然と言いのけたのである。

 熊本「おっしゃります。」

 ここまでおかしなやり方をしておきながら、「師匠が正しいと仰る」と言えるのである。これが本部の公式機関である。
 もはや懲罰委員会には師匠のお心は一切ない。

 師匠の精神が蔑ろにされ、対話のない学会本部の深刻な実態を、野口は改めて感じたのである。

 懲罰委員会の杜撰な調査と面談

 最後に、滝川が呼び出された。
 熊本委員長は、滝川が席に着くなり淡々と通知書に書かれた各項目を読み上げ、最後に「始末書を取り、反省を求める譴責処分とします。」との結論を言い渡す。
 黙って聞いていた滝川は、受け取った『懲戒処分通知書』に目を落とし、懲戒の対象行為とされた項目をよくよく確認する。
 そこには、前回の6月30日の面談で渡された『懲戒の対象となる言動』という書面に書かれてあった項目が、一つ削られていたからである。

 6月30日の面談の際、滝川の『懲戒の対象となる言動』の第一項目には、滝川が小平、野口と一緒に学会本部の長谷川本部長(現・理事長)に手紙を渡しに行った場面が取り上げられていた。
 しかし、その日は平日であり、滝川はいつも通り職場である横浜池田講堂に出勤していたのである。つまり滝川はその場に行っていない。
 それにもかかわらず、滝川が平日の朝に学会本部の長谷川本部長を訪ねたことにされ、『懲戒の対象となる言動』に挙げられていたのである。
 一体、懲罰委員会はどのような調査をしているのか。
 確認すればすぐに分かるような嘘の供述で、懲罰にかけてしまうことは問題ではないのか。
 疑問に思った滝川は、熊本委員長に尋ねた。
 すると、熊本委員長は「提示された『懲戒の対象となる言動』に嘘があったならば、証言者がどんな立場であれ、懲罰委員会として問題にする」と明言したのである。

 “嘘があったならば懲罰委員会として問題にする”
 その言葉を聞いた滝川は、懲罰委員会宛の弁明書に以下のように書いた。
 「少し調べればすぐに虚偽と判明する内容にもかかわらず、懲罰にかけるためにあまりに杜撰な証言をもって職員懲罰委員会という創価学会本部の最重要機関を動かした人物こそ、懲罰委員会にかけるべきであると思うのです。
 虚偽の内容で一職員を懲罰にかけようとした責任はあまりに重大であり、一般職員には出来ない芸当であります。
 この権力の乱用を一度許してしまえば、組織において一部の特別な立場の人間に左右される創価学会になってしまう。」と。

 そして、今回の面談で、このことについてはどうしても確認しなければならないと思っていたのである。嘘の内容で懲罰にかけた発起人の責任問題を、懲罰委員会に取り上げてもらわなければならない。

 滝川は、「最後に一つ、お伺いしたいのは、僕はこの出された懲戒の対象に対して、第一項目で僕はいなかったにもかかわらず、なぜそこは・・・」と話を切り出す。
 しかし熊本委員長は、滝川が言い終わらないうちに、「そこは抜いてます」と言葉を被せる。
 そして、「それはあなたの言うとおり、その場にはいなかった。だから、その項目は外しています。」と必死に誤魔化し始めたのである。

 あまりにも言っていることとやっていることが違い過ぎると思った。
 前回の面談で、“嘘があったならば懲罰委員会として問題にする”と言っていた熊本委員長の言葉は嘘だったことになる。
 しかも懲罰委員会は、発起人を懲罰にかけるどころか、発起人が誰なのかさえ明かさないのである。
 滝川は、さらに話を続けようとする。
 しかし、咄嗟に、書記役の大分職員局長が割り込んでくる。
 「滝川さん、これ以上ちょっと時間がないんで、ね、あのー、10月の12日、提出して頂けることを待ってますから。」
 そして強引に通知は終了されてしまう。
 滝川は、悔しさに身体を震わせながら、目の前に並ぶ懲罰委員に向かって伝えた。
 滝川「僕はここに一人でも対話が出来る人がいると思っていました。」
 大分職員局長「ご苦労様。」

 こうして、懲罰委員会の審査は終えられる。

 審査後、受け取った通知書の内容をもう一度確認する。
 すると6月30日の段階で「懲戒の対象となる言動」とされた私たちの行為は、ほぼそのまま「懲戒の対象」として通知書に書かれている。まさに“コピペ通知書”である。「はじめから結論ありき」の審査であったことは明白であった。
 その審査に対し、懲罰委員会は、自己の非を認め謝罪するように迫る始末書の提出を要求してきたのである。

 間違っていないと思っていることに対して謝らせ、再発防止を誓わせる。
 そして、これに従わねば、「本部の決定に従わなかった」とレッテルが貼られ、そのレッテルは従うまで剥がされることはない。あの監査の時とまったく同じやり方である。
 審議内容を一切明かさない密室的なやり方。
 独善的であり、力と権威を振りかざすやり方。

 もはや、師匠の創価にあってこれを容認したならば、弟子として今世を生きる意味を失うことになる。
 負けられぬ!断じて負けられぬ!

「他人ではない。自分である。大事なのは、わが信念に生き抜くことだ。
 人がどう評価しようと、自分は正義のため、妙法のため、民衆のために生き抜いていく。これが学会精神である。真実の信仰なのである。」(名誉会長指導)

 私たちはこの不当な譴責処分と懲罰委員会のやり方に従うことは出来ないと思った。
 ゆえにその後、懲罰委員会に対して問い合わせをしていくことになる。

 そうした渦中に、聖教新聞社の前代未聞の金銭横領疑惑の関係者とされる水戸氏が、一会員の聖教新聞減部の申出を断り、さらに信仰心を否定するという事件が惹起していくのである。
 この明らかに狂った職員水戸氏の振る舞い、そして水戸氏を擁護する本部職員のやり方に対し、私たちは本部執行部に対応を求めて連絡をしていく。
 しかしそうした連絡行為を理由に、私たちは懲戒解雇を下されていくのである。





第18 職員懲罰委員会の譴責処分通知に対する私たちの行動(H23.10.5~H23.10.19)

<この度の4月14日から続く九州・熊本、大分地方を襲った大地震におきまして、犠牲になられた方々とご遺族の皆様にお悔やみ申し上げるとともに、被災されたすべての方々に心よりお見舞い申し上げます。
未だ余震が続いており、一日も早く地震がおさまることと、皆様のご無事を真剣にお祈り申し上げます。>


 職員懲罰委員会の譴責処分通知に対する私たちの行動

「平和の道も、友好の道も、すべては、勇気ある対話から始まる。
 初代会長・牧口常三郎は、獄中にあって、取り調べの予審判事にも、『さあ、討論しよう!』と言って、堂々と仏法を説いた。第二代会長・戸田城聖も、時の首相であろうが、いかなる権力者であろうが、恐れなく、仏法への大確信を語り抜いている。
 社交辞令の語らいにとどまっていれば、本当の友情は生まれない。勇気の対話があってこそ、魂の打ち合いと共鳴があり、相互理解も、深き友情も培われていくのだ。」(名誉会長指導)


 平成23年10月5日、懲罰委員会の結論通知の面談を終えた私たちは、平成20年の本部監査の時から共に苦難を乗り越えてきた故郷の同志のもとへ向かう。
 その日、同志は私たちの懲戒処分を案じ、ずっと題目を送ってくれていたのである。
 “生涯、創価のために命を懸けて戦い抜こう!生きるも死ぬも一緒だ!”と誓い合った不二の同志である。もし私たちが懲戒解雇されるようなことがあったならば、自らも仕事を辞め、皆で協力し合って働こうとまで伝えてくれていた。
 むろん、私たちはたとえ自分が解雇になったとしても、それは自分の問題であり、同志が夢を叶えて勝ち取った今の仕事を絶対に辞めてもらう訳にはいかない。
 しかし、本気で自身の職を懸けてでも、友の戦いを我が戦いとし、友の苦しみを我が苦しみとして戦う同志の真心に支えられ、今日まで戦ってくることが出来た。

 同志の家に到着すると、小平は懲罰委員会から通知された結果を伝えた。
 「皆さん、お題目を送って下さり本当にありがとうございました。結果は解雇ではなく、譴責処分という始末書の提出を求められる処分でした。」
 その報告に平成21年に共に役職解任となった会員の兵庫氏が「解雇ではなかった。本当に先生と御本尊が護って下さった。しかし始末書とは・・・」と、安堵の中にも懲戒処分が下されたことに皆、憤りが滲み出ていた。

 続いて滝川が怒りを込めて話す。
 「本当に問答無用の通知でした。本当にこれほどまでにと思うほど厳しい面談でした。事実と食い違ったおかしい箇所を指摘しても、全く聞き入れてくれません。こちらが幾ら説明を求めても『答える必要はない』の一点張りで、全く答えてくれない。あんな独裁的なやり方が許されていいはずがない!」

 野口も悔しさを噛みしめながら話す。
 「そもそも、僕が執行部に面談を求めたことが、『職場の人間関係に軋轢を生じさせ、職場環境を悪化させる』と言われたけれど、真逆の判断です。僕らは、レッテルを貼る執行部との間に軋轢を生じさせたくないから対話を求めたのに、そこを全く汲み取ってもらえない。全部、執行部寄りに判断されているとしか思えない!」
 さらに滝川が語る。
 「本当に無理のある結論だと思う。長谷川本部長(現理事長)は師匠への報告の窓口に命じられていた。だから師匠への報告をお願いしたのに、その行為まで懲罰の対象とされた。これでは執行部にとって不都合な報告を、誰も師匠にご報告することなんかできやしない!」

 すると平成21年に共に役職解任となった会員の木本秀信氏が口を開く。
 「本部執行部にとってよほど都合が悪いから、口封じをするために始末書を書かせて終わらせたい、そんな意図が見え見えだ。要は執行部が、自分たちの不正を隠したいがために下した処分じゃないか!」
 それを聞いた小平が憤りをあらわにする。
 「本当にその通りだよ!悪に加担する始末書なんか絶対に書けるはずはない!」

 すると、興奮する小平に、京都氏が冷静に伝える。
 「僕も今回の結論は明らかにおかしいと思うし、職員のみんなが始末書を書けない気持ちは当然だと思う。対話を求めたら懲罰なんて、一般の社会で考えたらあり得ない。でも、大事なことはすぐに一つの結論を出して他の選択肢を排除するのではなく、全ての選択を一つ一つ具体的に考えることではないだろうか。『師匠ならばどうなされるのか。』師を通して自分を見つめ、皆で何が正義の行動か悩み話し合うことではないだろうか。
 そのためには、本部が提示した始末書を書くという選択もしっかり入れながら具体的に考えたい。」

 同志の怒りは相当なはずである。
 地方に配転されることが決まった時、荷物をまとめ羽田空港に向かった。同志は車で羽田まで見送ってくれた。搭乗口に向かい、荷物のチェックを受け、見送る同志に挨拶をしようと振り返った時、皆が泣きながら手を振っていた。
 そしてこう叫んでくれたのである。
 「ダイラさん!!師のために!生きるも死ぬも一緒だ!!」
 同志の涙の叫びを自分は一生忘れることはない。

 同志は皆が怒りをあらわにする中、正しい選択をするために、冷静になって「師匠ならばどうされるのか」という弟子としての原点を忘れてはいけないことを改めて伝えてくれたのである。

 小平はその真心を感じながら伝える。
 「そうですね。確かに、師匠が居られる本部です。その本部が出した始末書の提出という選択肢がどういう選択なのか、自分の中では有り得ないと思い、具体的には考えてはいなかったです。ただ、事実じゃないことが事実と判断されてしまっている。反省しろって言われても。僕は上司から“役員に面談を求めてはいけない”なんて注意は本当に受けていないんです。」と、苦悶の表情を浮かべる。
 すると野口が話し始める。
 「僕も、職場の先輩からパワハラを受けたのに、こちらが反省しなければいけないというのがおかしいと思っています。僕が始末書を書けば、パワハラ発言をした松山次長の方が正しかったことになるのかと思うと、本当に書くことが正しいのかどうか。疑問でなりません。」
 皆が頷きながら聞いている。
 それでも皆で、始末書を書いた場合には師匠に何が違背し、何が裏切りとなるのかを考えて話し合う。結論ありきの話し合いではない。あらゆる選択を受け入れそして何が正義なのかを考え抜くのだ。

 木本氏が滝川に視線を向け、「タッキーはどうなの?面談ではどんな話をされたの?」と尋ねる。
 考え込んでいた滝川が答える。
 「そうだね、もし始末書を書いて出すとしたら、僕が原田会長に面談をお願いしたことも、間違っていたから反省しますってことになる。でも、僕は原田会長に手紙を差し出しただけで、いきなり『反省したのか!』って怒鳴られて、それでその周辺にいた人達がざわついたというのが事実だよ。それでも僕が職場環境を悪化させたことになるのかい?いや、それを認めたら僕は自分に嘘をつくことになる。師匠に嘘をつくことになる。」

 木本氏は深く頷きながら
 「いや確かにそうだね。むしろ職場環境を悪化させたのは原田会長の怒鳴り声の方だよね。」
 黙って聞いていた兵庫氏も「最初にきもっちゃんが言っていたように、相手が常軌を逸した行動をとったからこそ、口封じをするために始末書を書かせて終わらせたい。それが本質だ。」

 すると、一度冷静になって考えることを提案した京都氏も皆の話を聞き、小平に伝える。
 「実際に始末書を書こうと考えれば考えるほど、なぜ書けないのかという理由が具体的に出てくる。その理由も、極めて常識的な振る舞いであり、師の仰せを護る行動であったがゆえに、逆に懲罰になった。
 ならば、始末書を書けないと一蹴するより、始末書を書けない具体的な理由を、できる限り根拠を示しながら、さらに誠実に懲罰委員会に伝え抜く戦いが大事ではないだろうか。
 『懲罰委員会に伝えても何も変わらない。』そう思う気持ちは誰もが持っているかもしれない。でも、それでも師匠の本部だよ。最後の最後まで弟子として、馬鹿正直だと言われようが、本部を信じ、人を信じ抜いて誠実な戦いを最後までやり抜くことが弟子として正しい生き方ではないだろうか。」

 同志と話し合う中で、始末書を書きたくても書けない理由があり、それを伝え抜く戦いこそ、自身が納得できる弟子の戦いであることが明確になったのである。

「正義と真実を、厳然と言い切っていくことだ。人々の心を変えるのは、その勇気ある一念である。最後に勝つための力は、『忍耐』と『気迫』である。」(名誉会長指導)

 小平はあらためて、同じ思いを共有する同志の存在のありがたさを痛感し、感謝の気持ちを伝える。
 「本当に同志との語らいなくして、正しいものが何なのかは分からないですね。みんな本当にありがとう。」
 誰かが正しい答えを持っている訳ではない。これまでも一つ一つ皆で話し合いながら、正しい道を考え、見つけ出し、選択してきたのだ。
 私たちは、間違った懲罰委員会の結論に対して、始末書を書かないことが正しいと思った。しかし、「書かない」のではない。「書けない」のだ。ゆえにその理由を伝え抜こう。相手の仏性を、そして我が胸中に居られる師匠に嘘偽りなく。最後の最後まで師の仰せ通り、真実を伝え抜くんだ!

 懲罰委員の松江女史を信じて対話を求める決意をする

 さらに滝川が話し始める。
 「一つ気になったことがあったんだけど、懲罰委員の松江さんの挙動なんだけど、何かおかしくなかったかい?」と。

 滝川は自分の面談を振り返りながら話す。
 「松江さんは、前回の面談にはいなかったけど、今回の通知の場から懲罰委員として参加していたよね。
 僕が職場で受けたパワハラの事実について話し始めると、それまでただ黙ってうつむいていた松江さんが突然顔を上げ、横並びに座っていた熊本委員長にパッと視線を向けたんだ。その表情は初めて聞く話に困惑していたように見えた。
 僕は弁明書に、職場上司や本部職員の地元組織の最高幹部たちから、地方への配転を迫られたり、辞表を持ってこいと脅されたりしたパワハラを受けた事実を詳しく書いたんだ。
 だから松江さんが本当に僕の弁明書を読んでくれたのか気になっている。もし読んでいないのであれば、それこそ杜撰な委員会だよ。」と。

 通知の場に顔を出すだけで、一部の人間が決めた結論にただ盲目的に従うだけの懲罰委員であるならば、本当に茶番劇の懲罰委員会である。

 小平も結論通知の場を思い出しながら話す。
 「確かに松江さんは僕の面談でも終始下を向いていた。僕が『この判断に本当に納得されたのですか』と聞いたら、『はい、委員会で決まりました』と言っていたけど、その声と表情は暗かった。」
 続いて野口が語る。
 「今回、委員として初めて女性が入っていたから気にはなりました。先生は女性の意見が大事だと何度も仰っているし、松江さんは、本当は今回の結論をおかしいと思っているのかもしれない。」

 すると、私たちの話を聞いていた京都氏が話し始める。
 「松江さんが何を思い、どう考えていたのか実際のところ分からない。でも、もし皆が感じたように、松江さんが少しでも懲罰委員会のやり方に疑問を感じているのなら、松江さんに直接手紙を書いて一度話を聞いてもらうことはできないのか。」

 続いて、木本氏が語る。
 「懲罰委員会の判断に葛藤している人であれば、話を聞いてくれる可能性はあるかもしれない。」

 続けて兵庫氏が
 「僕も、松江さんに手紙を書くことは重要だと思う。松江さんの手紙と懲罰委員会への手紙、本当に大変な戦いになるが・・・」

 滝川が話す。
 「大変ではないです。命が喜んでいます!本当に確かにそうです。松江さんにはすべてを知って頂いた上で、弟子として判断してもらいたい。気になることは全部やりたい。」と思いを語る。

 一つのことを成し遂げるために、皆が話し合い納得して進む世界を、師匠は一人一人との対話によって築いて下さったのだとあらためて思う。

 私たちは、対話を通して弟子が弟子を折伏する思いで、松江女史に手紙を書くことを決意する。そして、「始末書を提出することが出来ない理由について」書面を作成するため、小平と野口は羽田空港からそれぞれ九州・四国のアパートに向かった。
 やはり同志がいつものように搭乗口まで送ってくれる。本当にただただ感謝しかない。もっともっと戦わねば!

 「始末書を提出することが出来ない理由について」を提出する

 小平は、さっそく譴責処分通知の内容について考える。

 その中には、私たちは就業規則の「服務上の注意事項」である「互いに協力しあい、より完璧をめざして勤務に励むこと」(就業規則第33条第2号)に違反したとされた。
 その理由は、私たちが本部執行部らに対話のアポイントを求めた行為や池田名誉会長秘書らに池田名誉会長への手紙を託した行為が、「職場の人間関係に軋轢を生じさせ、職場環境を悪化させるもの」だという。
 しかし、小平は職場の人間関係にむしろ軋轢を起こしてはならないと思ったからこそ、本部執行部たちに私たちに対する誤解と偏見を解きたいとの思いで対話の懇願をした。むしろ、人間関係を保つために行動してきたのである。
 
 さらに小平は、上司である管理局長から、「創価学会の役員に面談を要請するようなことはやめるように」との注意を受けたとされ、「勤務中は所属上長の指示に従い職務に専念し、責任ある仕事をすること」(就業規則第33条第1号)に違反したとされた。
 しかし、事実、小平は管理局長から、「創価学会の役員に面談を要請するようなことはやめるように」との注意を受けていないのである。
 小平は弁明書でそのことを記載していたが、全く看過され、小平は嘘の内容で懲罰を下された。
 そのため小平は結論通知の場でそのことを熊本委員長に説明を求めた。しかし、熊本委員長は「そこに書いてあります」「君に話す必要は無い!」と言い、全く具体的な説明を避けたのである。
 こんな結論で、こんなやり方で、どうして納得して「始末書」を提出できると言うのか。

 小平は、具体的に始末書を提出することが出来ない理由について書面を書く。

「池田先生が『どんな環境にあろうとも対話の旗だけはおろしてはならない』とご指導下さったように、嘘や批判をする相手に対し『話を聞いてほしい』と懇願することは、軋轢を生じさせることにはならず、むしろ、軋轢を生じさせないための、ただ唯一の方法なのではないでしょうか。」

 そして、事実誤認の箇所についても具体的に質問する。
「管理局長から受けた『指示』について、その『指示』は『宮城副会長に手紙を渡す行為』についての指示はありました。しかし、『他の創価学会の役員に面談を要請するようなことはやめるように』との指示は受けておりません。そのことは弁明書で、明確にお伝えしております。
 『指示』を受けていないにも関わらず、なぜ私の行為が『指示に従わなかったこと』になっているのでしょうか。」と。

 私たちは各々、“始末書を書けない理由”を書面に書き、10月11日付で懲罰委員会に郵送したのである。

 どこまでも創価の問題を自分の問題と捉える責任感があるかどうかが問われている。これだけのおかしな本部の実態を見ておいて、言うべき事を言わない事は弟子として最も卑怯な生き方である!

「自分(池田先生)が正論を言っても、聞いてもらえない局面は、いくらでもあった。
 だが『広布の責任感』においては、立場や役職の上下は関係ない。平等だ。
 自分(池田先生)がいれば『先生!』『先生!』と叫び抜き、いずこであれ、師弟一体の勝利の息吹を満々とみなぎらせてみせる!
 広宣流布の輝く大道を開いてみせる!
 この一人立つ勇気が、師恩に報いる第一の要件だ。」(名誉会長指導)


 小平は御本尊の前で真剣に祈った。
 「この問題に出会った意味と己の使命を果たさせて下さい!断じて我が身を、創価をより良くするために使わせて頂きたい!」

 婦人部最高幹部の松江懲罰委員に手紙を出す

 滝川は松江女史への手紙を書くために、毎日必死に祈り、考え続けていた。
 あらためて処分通知の面談を振り返る。
 あの日、ただ一人の婦人部で、懲罰委員として参加していた松江女史。
 男性の懲罰委員の誰もが押し黙り、能面のような表情でただ座っている中で、たった一人松江女史だけは滝川の話に、心が動揺するような反応を見せていた姿が印象的だった。
 滝川は松江女史との対話を断じて実現させる思いで、渾身の手紙を綴る。

「松江さん、私は思うのです。『組織の秩序を守るため』といって、本部職員の不正行為を知りながら本部が隠ぺいを重ねる行為を、黙って見過ごすことだけはどうしても出来ないのです。なぜならば、本部職員が無実の会員を犠牲にしている事実がある限り、そこと向き合わなければ、師匠が言われる『会員一人一人が創価学会である』との精神を本部職員が破壊し、創価そのものを破壊することになってしまうと確信するからです。
 三重全国男子部長の女性問題しかり、聖教職員らによる金銭使い込み事件しかり、これら師匠を裏切ってしまった弟子の不祥事は、すべて『不正を目の当たりにしたにもかかわらず声を上げるときに上げなかった弟子の保身』にあると思うのです。
『声を上げるべき時に上げなかった』命とは、結局師匠を守るよりも自分を守ろうとしているだけに過ぎません。
 この命こそが、昭和54年に師匠を会長辞任に追い込んだ弟子の裏切りの命であると私は感じるのです。だからこそ、弟子としてこの問題と戦い続けなければならないのです。職員の不正に対して、間違ったものは間違っていると声を上げ続ける以外に、弟子の勝利は無いと思っているのです。静岡青年部長が私に語った、『矛盾があっても、職員なんだから職員を守るんだ』との馴れ合いは、本部を権威化し、真実よりも利害を優先させる創価にしてしまうと感じるのです。
 師匠亡き後の創価において、民衆の創価を守り抜く本物の弟子がいるかどうか、私たち一人一人が権威によらぬ正義を求める本物の弟子かどうかが、今こそ問われていると思うのです。師匠との誓いを果たせなかった昭和54年の弟子の戦いは未だに続いていると感じるのです。私は終わっていないと思っています。」と。

 さらに、こう綴る。
「私は今回の懲罰委員会の処分を師匠が正しいと仰るとは到底思えません。むしろ、『始末書』を書くことは職員の不祥事を隠すための『嘘』を認める行為であり、間違いなく師匠が知られたならば激怒される問題だと確信するのです。
 本部職員の不正を知りながら『問題となることを師匠に知られる前に隠蔽する』行為に加担することは、師匠への反逆行為になると感じるからこそ、私は『始末書』を書くことが出来ないのです。
 松江さん、どうか真実を知って頂いてから判断をして頂きたいのです。
 松江さん、一度私たちの話を聞いて頂いてから判断して頂きたいのです。
 本部の公式機関である委員会が決めたから『正しいのではないか』と結論づける前に、一度直接、話を聞いて頂きたいのです。聞いて頂いた上で松江さんが私に懲戒処分を与えるならば、私は喜んで受ける覚悟です。
 決して松江さんにご迷惑が掛からないよう、あくまでも個人的にお会いさせて頂きたいと思っております。ご多忙を極める中、大変に恐縮ですが、どうかご連絡を頂けますようお願い致します。」
 と書き綴った。

 平成23年10月19日、私たちは松江女史に手紙を出す。

 目の前の一人の心を信じ抜き、その一人を大事にしていく。師匠から教わった仏法者の生き方である。
 自分に力があるなどとは微塵も思わない。しかし、どこまでも人間の可能性を信じ、師匠ならばどうなされるかを考えながら、ただただ悔いなくやり抜く以外に我が人生はないのだ!
 ならばこそ、対話を拒否する「力の論理」に一歩も引いてはならない!
 そして、対話を諦めようとする自分との戦いに断固として負けてはならない!
 私たちは、同志と共に、松江女史との対話が実現し、そこから希望の活路が開かれることを必死に祈り続けるのである。




第19 問答無用の職員懲罰委員会の対応(H23.10.20~H23.10.29)

「対話というのは、まず、相手の意見、考えを、よく聞くことから始まる。」
(名誉会長指導)

「誤解から、感情の行き違いを生むことも多いから、心を開いて、よく話し合うことです。勇気をもって、対話することです。
互いの根本の目的が、本当に、広宣流布のためであるならば、信心をしている人同士が、共鳴できないはずはありません。」(名誉会長指導)



 職員懲罰委員会から、始末書の提出を求められてから2週間が経つ。私たちは、「譴責処分」の通知書を何度も、何度も読み返していた。
 御本尊の前に座り、通知書に書かれた自分の行為を思い出しながら、題目を上げる日々が続く。
 原田会長、長谷川本部長(現理事長)、青森事務総長・・・。
 本部執行部に対話を求めたことがことごとく懲罰。そして学会本部は、私たちに反省を求め、始末書を提出するように通告する。
 どう考えても、理解も納得もすることができない。
 もちろん、自分の考えがすべて正しいなどとは微塵も思っていない。しかし、通知書に書かれた行為を振り返っても、反省すべき点があるとはどうしても思えない。
 この懲罰委員会の結論は、私たちが執行部に報告・相談しようとした職員の不正には一切触れず、対話を求めたこと自体が懲罰とされているのだ。
 まるで、私たちがクレーマーのような扱いをされている。

 この「始末書の提出」という結論を聞いた時、私たちは、平成20年の本部指導監査委員会から「誓約書の提出」を求められたことを思い出した。
 あの時も、善も悪もなく、力で従わせようとする学会本部のやり方は、師匠が仰る「対話の創価」とは真逆だと感じてならなかった。

 かつて本部指導監査委員会は、本部職員の不正に声を上げた私たちと無実の会員同志たちを、得体の知れない「組織内組織」(本部に反逆するグループ)であると認定する。そして、「本部の決定に従いなさい。従わなければ除名もあり得る」と言って、二度と職員の不正に声を上げなくさせる誓約書に誓約することを迫る。
 その威圧的な監査に、私たちと会員たちは苦しんだ。本部が認定したから「組織内組織」、しかしそう判断した理由は不明であった。
 どうしても納得することができない私たちと会員たちは、誓約書の提出を断った。すると、学会本部は、「本部の決定に従わなかった」として、一斉に役職解任処分したのである。
 言わば「誓約書の提出」は、学会本部という権威に従わせるための踏み絵のようであった。
 結論に従わなければ永遠に問題視され、最後は排除されてしまう。しかも、一度出された結論に対しては、不服や異議の申立ては一切許されない。
 もはや、本部が言うままの決定に従うしか、会員として生き残る道は存在しないのだ。
 実際に解任となった会員たちの地元では、組織中に反逆者のレッテルが流され、当然の如く会合にも呼ばれなくなり、まともに信仰活動する権利すら奪われていった。
 あの監査は、本部の意向に従わない人間、意見する人間を排除する「問答無用」のやり方であったのである。

 ゆえに私たちは、こうした本部指導監査委員会の問答無用なやり方のおかしさを執行部への手紙に綴り、何度も何度も訴え続けてきたのである。どこまでも「対話」にこだわり、「対話」によって問題の根本解決を図るために、然るべき幹部に「対話」を求め続けてきたのである。
 対話の旗を断じて降ろしてはならないと自らに言い聞かせながら、ただただ師匠の仰せを胸に戦ってきた。
 しかし今度は職員懲罰委員会が、「対話」を理由に「譴責処分」を下す。
 もはや、“信仰を捨てろ!対話を諦めろ!”と言わんばかりの問答無用の処分である。

「『対話拒否』『問答無用』--これもまた独裁の特徴である。今も、まったくこの通りである。
 (宗門による)学会に対する一連の“処分”も、対話など一切ない。すべて一方的な通告だけであった。
 『広宣流布』のため、『正法』のための、道理に基づいた『外護』の言葉でさえ、“自分に反対した”と逆うらみするだけ。ただ、やみくもに自分のわがままを通したいだけ--そして、何の対話もなく、一方的な処分に出たのである。」(名誉会長指導)


 しかも今回、懲罰委員会から問題とされた私たちの行為は、就業規則第33条(服務上の注意事項)「互いに協力しあい、より完璧をめざして勤務に励むこと」に違反するとされている。
 しかし、そもそも対話を基調とする創価の中で対話を求めたことが、なぜ、なぜ懲罰なのか!
 私たちが創価の発展に尽くす思いで、解任処分された会員達の無実を訴え、「対話なき創価」の問題点を本部執行部に呼び掛けようとした行動が、なぜ、「互いに協力しあい、より完璧をめざして勤務に励むこと」に違反するとされるのか!全く意味が分からない。

 そもそも、「服務上の注意事項」とは、法人の発展やより良い職場環境づくりなどの観点から、職員への注意事項を列挙し、法人秩序への侵害を防止するためのものである。
 ならば、私たちの行為は、法人の発展のために積極的な意見を伝えたり、潜在的な問題点を提言したりするものであって、むしろ法人秩序を維持・発展させるものである。違反したとするには無理がある。

 本来、私たちが書いた弁明書をしっかり読んでもらえれば、私たちが執行部に対話(話し合い)をお願いした目的、理由は分かるはずである。
 しかし、処分通知書には、「服務上の注意事項」違反と判断した理由が、ほとんど記載されていない。ゆえに、私たちは、処分通知の場で処分理由を尋ねる。すると、懲罰委員会は「あなたに説明する必要は無い」と一蹴するのである。
 「説明する必要がない」これでは、処分される意味が本当に分からない。
 何度考えても、このまま始末書を提出することは正しいと思えない。いや、間違っている。
 やはり、懲罰委員会のおかしなやり方とおかしな結論について明確に伝え、私たちが始末書を提出できない理由をしっかり分かってもらう以外にない。

 すでに私たちは10月11日付で、各々「始末書を提出できない理由」との書面を懲罰委員会に提出している。しかし、それから10日経ったが何の連絡も無く、“受領した”との返答すらない。
 「対話」の創価のはずが「無視」。
 完全に対話とは真逆であり、師の御心が全く感じられない本部となっている。
 処分理由が分からなくても、事実でないことが事実とされても「始末書は提出せよ」との職務命令なのか!なんと無慈悲な問答無用のやり方なのか!
 このままでは、始末書の不提出という形だけが既成事実として残り、「本部の指導に従わなかった職員」とのレッテルを貼られて終わってしまう。
 私たちは理由なく始末書を書きたくない訳ではない。書こうにも、内容がおかしすぎて「書けない」のである。
 ならば、始末書を書こうにも「書けない」理由をもう一度、伝え抜くしかない!

 “対話だ!対話こそ宗教の生命線である!!”

 私たちは連名で、もう一度、職員懲罰委員会の熊本委員長宛に書面を出すことを決意する。
 そして、書面に以下のように書き綴る。
「懲罰委員会が私たちに提示した『懲戒の対象となる言動』の通知文に、多くの捏造があったがゆえに、各々が30数ページにも及ぶ弁明書を提出したのです。にもかかわらず、弁明書で『事実でない』とお伝えした内容についても熊本委員長より『それはあなたの意見です!』と根拠なく一方的に決めつけられてしまったのです。ゆえに何が『事実』と認定され、何が『虚偽』と認定されたのかすら、わからない状況なのです。
 このような状況で、一体私はどう始末書を書けばよいのでしょうか。私は何を反省すればよいのでしょうか。
 何が事実とされ、何が虚偽とされたのか。どの行為がどの規則に違反するとされたのか。始末書を書くために、どうか教えて欲しいのです。創価学会の公式な機関であるからこそ、どこまでも常識的に、誰が見ても納得できるご返答を、書面にて早急に提示して頂きますようお願い致します。
 間違っていることを具体的に伝えて頂けたならば、反省すべきを反省させて頂きたいと思います。」

 私たちは、10月23日付けで郵送する。
 翌10月24日、滝川は、懲罰委員会の長崎氏に電話し、長崎氏宛に熊本委員長宛の書面を郵送したことを伝え、そして「『滝川が返答を待っている』と熊本委員長に伝えてほしい」と伝える。
 すると長崎氏は、「分かりました。」と返答する。
 今度こそ懲罰委員会からの返答をもらえるように、滝川は祈る思いで電話を切った。

 そのやり取りを滝川から聞いた小平も、自らの思いを懲罰委員会の長崎氏に伝えたいと思った。
 “懲罰委員会への書面は連名で出したが、毛筋ほどでも同志の戦いに乗っかる自分ではいけない。創価の問題はすべて自分の問題である!”
 小平は、25日、長崎氏に電話をする。
 そして、“始末書を書きたいから書面を出していること、早急に書面での返答をお願いしたいこと、この2点を熊本委員長に伝えてほしい”とお願いした。
 小平は長崎氏からの返答を祈り待つ。

 すると27日、長崎氏から小平に電話がかかってくる。
 小平、「熊本委員長に、私の要望を伝えて頂きましたでしょうか?」
 長崎氏、「伝えました。熊本委員長は『わかった』と言っていた。」と答える。
 小平、「いつ返答がありますか」と尋ねる。
 長崎氏、「わからない。今は待つしかない。俺ができることはもうない。」と。
 そのまま電話は切られる。

 熊本委員長が「書面での返答」の要望に対して「わかった」と言う以上、しばらく待つしかない。それでも返答が無ければ、丁寧に、また確認していきたい。
 諦めは、敗北である。小平は師を思い、現場で苦しめられている故郷の同志のことを思いながら、絶対に負ける訳にはいかないと唇を噛みしめる。どこまでも、人間を信じ抜く己の戦いだと決意して。


 山梨女史への手紙

 懲罰委員会に追加の書面を送った私たちは、あらためて、譴責処分について考える。
 「対話」を求めたら懲罰。
 懲罰委員会の結論は、師匠のご指導を真っ向から否定するものではないか。

「『対話第一』――これは、初代、二代、三代と継承してきた永遠の学会精神だ」(名誉会長指導)

 「対話」を求める行為が譴責処分とされた。
 私たちは、自分たちが懲戒処分を下されたこと以上に、学会本部が「師匠の仰せ(指導)」を蔑ろにしている危機的な状態にあることを感じてならない。

 この重大な創価の問題を、私たちは、師に常随給仕されている山梨女史に伝え、弟子として話し合わせて頂きたいと思った。
 師匠が最も信頼を寄せる婦人部の山梨女史に、わずかばかりでも対話の可能性がある限り、もう一度対話をお願いする手紙を書かせて頂きたい。

 山梨女史は、師匠の側近として、師匠と常に行動を共にされている第一庶務の婦人部であり、婦人部最高幹部の一人でもある。その山梨女史に一縷の希望を見いだし、これまで手紙を書き続けてきたのだ。
 「何とか一度でもいいから話を聞いて頂けないでしょうか」と。
 しかし、1年間かけて書いてきた手紙に、山梨女史からは一度も返事がない。もしかしたら、何か返答が出来ない理由があるのかもしれない。
 むろん私たちとしても、山梨女史にご迷惑をお掛けすることは本意ではない。一言でも、山梨女史が「応えることはできません」と言われるのであれば、私たちは今後手紙を出すこともない。

 ただ以前に小平が、山梨女史のご息女である埼玉さんとお会いして話した時に、「必ず母に伝えます。どんな結果であれ、必ずこちらから連絡します」と伝えてくれたことが、どうしても忘れられない。
 山梨女史は、ご息女の埼玉さんから話を聞いているはずである。それでもお返事を下さらないのは、本部執行部が関係する学会本部の重大な問題であるため、どうすべきか悩み、葛藤されているのかもしれない。
 しかし、創価においては「傍観は悪」である。そして、今、創価は師の仰せに違背し、「対話」を排除する危機的状況にある。
 ゆえに今、師が死に物狂いで築かれた創価を万代に渡り発展させられるか、もしくは弟子の手で滅ぼすかの重大な分かれ道であると思えてならない。
 ならば、創価の問題は私たちの問題でもあるが、山梨女史の問題でもあるのではないか。
 私たち弟子の手で師匠の仰せに適った創価を創らねばならない。

 師匠を思う同じ弟子として、そしてまた創価の偉大なる婦人部として、山梨女史に一度でいいから創価の問題について話をさせて頂きたい。

「婦人には、大地のごとく、物事を根底から揺り動かす強さがある。」
(名誉会長指導)


 どこまでも山梨女史を弟子として信じ抜き、自分達の思いを伝えさせて頂きたい。
 すぐにペンを握り、山梨女史への手紙を綴る。山梨女史へは実にこの手紙で10通目の手紙となる。

「私が恐れることは解任や解雇などではありません。『本部の指導』と言えば、事実でないことでさえ事実とされ、虚偽さえも許されてしまう官僚体質こそ問題だと思うのです。『本部の決定』と言えば、それが間違いであろうと『私の立場ではどうにもならない』と皆が口を揃えて言うのです。このあまりに権威的な本部の体質を憂いているのです。」

「山梨さん考えていただきたいのです。無実の会員を解任にしたのは会長です。にもかかわらず会長がそのことについて自分に対話を懇願してくる弟子を懲罰に掛け、対話から逃げる姿を師匠が知ったならば、師匠は大激怒されるでしょう。
 そしてまた私は思うのです。その行為を見て見ぬふりをする傍観の弟子にも大激怒されると。
 私は確信するのです。師匠の成仏は弟子の振る舞いにあり、いかなる迫害に遭おうが正義を貫かなければ師匠は守れないのです。創価は守れないのです。」

 そして最後に、
「仏法は、立場ではありません。何を為したか、その行動によって決まると思うのです。今が創価を万代に渡り発展させられるか、弟子の手で滅ぼすかの最後の分かれ道だと思っております。弟子の手で創価を創らねばならない時が来ているのです。
 そして、最後にお願いしたいことはただ一つです。どうか一度でいいので山梨様に、私たちの話を聞いて頂きたいということです。そして、師匠の弟子として本部の問題点について話し合い、創価の未来永劫の発展を話し合いたいのです。そして、それが無理であれば、無理だと、明確に伝えて頂きたいのです。」

 祈りを込めて書き上げた手紙を、10月29日、山梨女史に郵送した。
 手紙には、山梨女史に本部の実態を知って頂くため、問答無用の本部指導監査委員会の面談録音と譴責処分の懲戒処分通知書を同封した。
 ただただ山梨女史の仏性を信じ抜き、女史からの返答を祈り抜いて!

  人間を信じ抜き
  人間に希望を見
  人間に明日を見る
  それが
  信仰者であり
  弟子であると確信する

  裏切られ
  馬鹿にされ
  軽んじられても
  不軽のごとく!!

  ただただ
  対話の創価を拓かんと
  我が人生を捧げ抜く!

  師の創価を実現するために!
  真の同志の絆を築くために!
  それこそが
  先生と私の
  久遠の誓いであると
  心に信じて

第20 職員懲罰委員会が無視を続ける実態(H23.11.5~H23.11.8)

 平成23年11月、小平は福岡県福岡市にある九州文化会館事務所から、福岡県糸島市の九州多宝納骨堂へ異動となり、2か月が過ぎていた。
 もともと、小平が学会本部から九州文化へ異動する時、学会本部の青森事務総長は、「業務のスキルアップを目指すための業務交流人事だ」と説明した。
 しかし、そもそもこの時小平は、本部の管理第一部に異動となってから、まだ11カ月しか経っておらず、管理第一部の業務を習得中の身であった。
 青森事務総長が言う「業務のスキルアップを目指す」ことが目的であるならば、別の業務に配転するのではなく、本来、管理第一部でしっかり業務を習得させることが適切なことである。
 そして今回も、九州文化会館事務所には、まだ1年5か月しか所属しておらず、まだまだ業務を習得中の身であるにもかかわらず、さらにまた別の業種である九州多宝納骨堂へ異動となったのである。

 異動先の九州多宝納骨堂は、局長、部長、小平の3名体制で、火曜日が定休日だった。
 小平は、連休を取ることすら難しくなったため、共に本部指導監査委員会の誓約書を拒否し、苦闘を重ねてきた会員同志たちがいる故郷に戻ることが難しくなった。
 会員同志たちは、未だ地元組織で不当な仕打ちを受け続けている。それを思うと、胸が締め付けられ、居ても立ってもいられない。

 小平は、納骨堂の上司に、自らが学会本部で体験してきた「対話拒否」「問答無用」といった狂った実態を何度も語っていく。
 「本部指導監査委員会の偏狭な結論によって、故郷の会員同志たちは反逆者のレッテルを貼られ、苦しめられ続けています。しかし、本部執行部の方々は、一度も話を聞こうともしなかったのです。」
 「仕事はもちろん、全力でやります。必ず結果も出します。しかし、私の人事が一時的な業務交流人事であるならば、どうか一刻も早くそれを終えて頂き、元いた学会本部に戻して頂きたいのです。」と。
 小平は懸命に業務に勤しんだ。はじめは聞く耳を持たなかった上司も、そうした小平のありのままの姿を見て、少しずつ話を聞いてくれるようになる。
 そして、「小平君が学会本部に戻れないか、上に相談してみるよ。」と言ってもらうまでになったのである。
 やはり「対話」によって一歩ずつ切り開いていく戦いなのだと、小平は実感する。

「対話こそ人間の特権である。それは人間を隔てるあらゆる障壁を超え、心を結び、世界を結ぶ、最強の絆となる。」(名誉会長指導)

 野口は、そうした孤軍奮闘する小平の状況を聞き、少しでも力になれないかと思った。
 “コダさんの上司に会い、今の本部の官僚体質や硬直化の実態、地元故郷で無実の会員同志が苦しんでいる実態を話して、さらなる理解を得ることは出来ないだろうか”と。
 平成23年11月5日(土)、野口は、四国の香川県を出発し、車で2時間かけて広島県の茨城氏のもとへ向かい、そこから2人でさらに3時間半かけて福岡県の小平を訪ねる。
 その夜、野口、小平、茨城氏は小平宅の御本尊に真剣に祈る。誓願の題目に力がこもった。
 “断じて『師匠が仰せ通りの創価』『対話の創価』に変えていきます!師の思想を護る創価へと変革していきます!”と。

 翌日の夕方、野口は茨城氏とともに、筑紫富士と言われる可也山の麓にある九州多宝納骨堂を訪ねる。
 「遠くから本当によく来てくれたね」と、笑顔で小平が出迎える。
 どこに行っても使命の天地と捉えて戦う同志。その逞しさを感じ、野口は安心するとともに“我も断じて負けてはならぬ!”と自分を鼓舞する。
 事務所に行くと、野口らの訪問を小平から事前に聞いていた、小平の上司たちが温かく迎えてくれる。
 野口は、これまで自分たちが体験してきた本部職員の実態、学会本部の実態について語った。
 「たったの一度も、どなたも対話に応じて頂けることは無かったんです。本当に今の学会本部には、創価の生命線である『対話』が無くなっていると思うのです。」と。
 そして、現在、懲罰委員会から、「本部執行部に対話を求めた行為が懲罰にあたる」と判断され、始末書の提出を求められていることを語っていく。
 局長は、「信じられんな。もう、ありえんもん。」と、ため息をつきながら話を聞いている。
 野口は局長の目を見つめ、さらに真剣に語る。
 「僕たちは、今の『対話なき創価』を師匠の仰せ通りの創価に変革するために戦うことが、職員の不正に出会った意味であり、自身の使命だと思っています。絶対に執行部の方々との対話を諦めません!対話を通して、創価を変えていきたいんです!今後も小平さんを見守って頂けると嬉しいです!」と。
 局長と部長は深く頷き、笑顔で、「よくわかった。また来てよ。」と手を差し出して握手してくれたのである。
 野口は、局長の手を握りながら、“相手を信じて対話をすることが、どれほど大きな一歩前進となるのか。地道だが、やはりこれをやり続けることが正しいのだ!”と決意する。
 この日の対話により、局長と部長はこれまで小平が話してきたことが本当であるとの理解を深め、その後、小平を陰に陽に懸命に支えてくれるようになったのである。

 小平は野口たちを車まで見送る。野口は、これから6時間以上かけて香川県に帰るのだ。
 「今日は遠いところ、ここまで来てくれて本当にありがとう。のぐっちゃん達のお陰で、局長も部長もこれまで僕が話してきたことが本当であると感じてくれたと思う。本当にありがとう。」
 野口も小平と握手をしながら、
 「当然です。僕もいつもみんなに守られているから戦えるんです。でも、なぜか僕らみんな西日本に異動となって、こうして会えることが不思議ですね。僕も、本当に師匠に守られていることを実感させてもらいました。」
 小平は、同志の車が見えなくなるまで見送る。

「師とともに、同志とともに、学会とともに、苦楽を分かち合う人生ほど、
価値ある充実と栄光の道はない。」(名誉会長指導)

 楽な戦いなど一つもない。しかし、共に師匠を思い創価のために戦える同志がいる。これがどれだけ幸せなことか。
 師匠のお陰で出会わせて頂いたかけがえのない同志たち。苦難を共にし、生きるも死ぬも一緒だと誓い合った同志たち。
 ならば、この同志と共に、師の思想を護る創価に変えることこそが、我が使命であり、師への僅かばかりのご恩返しである!
 師のために、同志と共に、尊き我が命を捧げ抜く人生こそ、最高最大の喜びであり、無上の幸福である!

 無視を続ける職員懲罰委員会の実態

 10月23日付で懲罰委員会に、始末書を書くために質問する2通目の書面を提出した。
 その時、小平は熊本委員長に、“私たちの質問書面に対して、早急に書面での返答をお願いしたい”ことを要望した。そして、熊本委員長は懲罰委員会の窓口である長崎氏を介して、「わかった」と伝えていた。
 私たちは熊本委員長からの返答を祈りに祈る。
 しかし、10日待ったが、一切連絡はない。
 本部の公式機関として、なぜ「始末書を書くための疑問点」にすら答えて頂けないのか。対応できないならば、対応できない理由をなぜ教えてくれないのか、本当に意味が分からない。
 「わかった」と言いながら、10日間も「無視」できてしまう感覚は、あまりに非人間的であると感じてならない。
 師匠の精神は、どこまでも「対話」である。その「対話」とは対極にある「無視」が、本部の中で当然のように行なわれているのだ。
この状況が、果たして、師匠の仰せに照らして正しいと言えるのだろうか。

 今の状況で今回の「始末書」を提出することは、学会本部や最高幹部の権力の魔性の前に、屈服することと同じである。なぜなら、私たちが本部と執行部の問題を知っていながら「悪かった」と謝罪すれば、その問題を水に流すことになるからである。
 ゆえに、なぜ懲罰となるのかが分からない今のままでは、どうしても「始末書」を書くことは出来ない。
 ただ、「始末書」を提出しないだけで、何も行動しなければ、それもまた事実上、本部と執行部の問題に蓋をすることになってしまう。
 ここで私たちが妥協したならば、学会本部と本部職員はさらに腐敗・堕落していくように感じてならない。そしてそれは自分がその腐敗・堕落に加担することと同じである。

 私たちは、懲罰委員会の熊本委員長宛に3通目の書面を書くことを決意する。熊本委員長から、なんとか返答が来ることを信じて。

 「熊本委員長、始末書とは単なる形式なのでしょうか。私は、心から反省できなければ、始末書を書く意味はないと思っております。心から反省し、二度と行わないと誓うものでなければその始末書はただの形式であり、かえって懲罰委員会に対する不誠実な行為になってしまうと思うのです。
 法人の公式な機関に提出する公式な『始末書』です。一社会人として、また一法人の職員として、『始末書』を書く以上、重大な社会的責任が伴うことは当然のことだと思っております。」

 「なんどもお伝えしておりますが、何が事実とされ、何が虚偽とされたのか。どの行為がどの規則に違反するとされたのか。始末書を書くために、どうか教えて欲しいのです。創価学会の公式な機関であるからこそ、どこまでも常識的に、誰が見ても分かるご返答を、書面にて早急に提示して頂きますようお願い致します。」

 そして、平成23年11月6日、熊本委員長宛に郵送する。

 翌7日、小平は、熊本委員長に3通目となる書面を送ったことを伝えるため長崎氏に電話をした。しかし、長崎氏は電話に出ない。熊本委員長にも電話をしたがこちらも繋がらない。
 諦める訳にはいかないのだ!
 さらに翌日、小平は熊本委員長の職場である連絡局に電話をする。そして、熊本委員長をお願いする。
 ようやく熊本委員長が電話に出た。
 しかし、熊本委員長は、
 「書面は受け取ったがもうすべて伝えている。それが分からないのはあなたの問題だ!」と吐き捨てるように言い、電話を切ってしまったのである。
 小平は一瞬呆気に取られたが、すぐに我に返る。

 「書面で返答してほしい」とのこちらの要望に対して、「わかった」との返事は何だったのか。
 懲戒処分通知書に記載の内容が不明だから、私たちは具体的に質問している。しかも、あの処分通知書で「すべて伝えた」というには無理がある。懲罰委員会の委員長としてあまりに無責任であり、公式機関のやり方としても杜撰という他ない。
 小平は再度電話を掛けることを決意する。
 もう一度連絡局に電話を架け直す。
 電話がつながる。
 小平「話の途中で、熊本委員長に電話を切られてしまったのですが。熊本委員長をお願いできますでしょうか。」
 職員「ちょっと、待ってくださいね。」
 しばらく、待たされる。
 職員「あのですね、熊本委員長は、『もうすべて伝えて話すことはない』と言っています。」
 小平「えっ、ちょっと待ってください。熊本委員長が作った譴責の処分通知書に虚偽の内容があったんです。なので私は3通の質問の書面を出して返答を下さいとお願いをしました。何とか、返答が頂けるように熊本委員長にお伝え頂けないでしょうか。」
 その職員は、「はい。はい。はい。」と言って電話を終える。

 懲罰委員会は何がしたいのか。処分の理由を詳しく聞きたいと言っているのだから、説明してくれれば良いだけの話ではないか。しかし、処分を受ける側の話には全く耳を傾けず、処分理由・判断理由の詳しい説明はしない。そして、こちらが書面で質問をしても「無視」し続ける。
 こうしたやり方は明らかに問題である!
 懲罰委員会は、これまで原田会長が私たちを「無視」し続けている振る舞いに倣って、「無視」をしても良いと考えているのではないかと思えてならない。
 そもそも、本来、全職員に対して中立の立場であるべき公式機関の職員懲罰委員会が、原田会長を始めとする本部執行部側の言い分を鵜呑みにして、本部執行部を擁護するために動くこと自体がおかしいのだ!

「『魚は頭から腐る』と言われる。
トップが崩れるところから、組織も腐り、崩壊していく。それが道理である。
また、幹部が傲慢になり、威張って人の意見を聞かなくなると、そこに『魔』は付け入ってくるのだ。」(名誉会長指導)


 もはや上の腐敗、堕落を変えなければ、学会本部は変わらない。
 創価の頭である原田会長の振る舞いこそ、最大の悪に思えてならない。
 この悪を見ておきながら、もし黙って従うならば悪への傍観であり、加担ではなかろうか。
 偉大な師匠の弟子として、それだけは絶対にあってはならない。
 もはや、創価の「頭」は腐りかけている!
 今戦わねば、創価が滅んでしまう!
 創価は「対話」だ。やはり、創価学会の最高責任者である原田会長に今の創価の実態を直接訴え抜くしかない!




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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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