第11 原田会長からアポイント申請に対する返答がないこと(H23.1~H23.3)

「真の仏法者とは、自らが本来、仏であると確信している人である。一切衆生が仏であると信じる人である。仏法で説く、生命の因果の法則を、わが信念としている人である。それゆえに何ものをも恐れず、それゆえに人を敬い、それゆえに喜々として労苦を担い、信心は即人格となって輝きを放つ。」(名誉会長指導)

「広宣流布」
それは私があなたを信じること
「人間革命」
それは私があなたを信じる自分になること

人間を信じ
人間の可能性を信じ
人間の正義と勇気を信じ抜く
それはまた
宇宙を信じ
法を信じ
生命を信じ抜くこと
 
「信じること」
それは正義であるがゆえに
深ければ深いほど
信じて騙され
信じて馬鹿にされ
信じて裏切られ 傷ついていく
そして
信じたことに疲れ
信じたことに後悔し
信じることをやめていく

人生はあくまでも自由だ
富を信じ
利害を信じる人もいる
地位を信じ
立場を信じる人もいる
でも私は
一人の名もなき庶民を信じ抜き
命をかけた師に出会った
ならば私も
一人の名もなき会員を信じ
命をかけて戦い抜きたい
それが
師が示した弟子の正義の道だと
私は信じて


 九州、愛媛副理事長の偏見

 平成23年1月11日、小平は愛媛副理事長にこれまで体験してきたことを綴った書面を提出した。そして2週間が経過した。しかし、愛媛副理事長からその書面や面談日程についての連絡は来なかった。
 前年12月の愛媛副理事長との面談は、話したいことをほとんど話せないで終えられてしまった。故郷の会員同志たちが平成21年4月に役職解任となってから、実に2年が経とうとしている。その間、会員同志たちは、不当なレッテルを貼られ、多くの会員から白い目で見られている。地元組織の男子部メンバーや地区の方々からの音沙汰は無くなり、両親には「息子さんたちは会長に弓を引いている」と幹部から伝えられ、家族との絆をも断たれた会員もいた。
 しかし、それでも偉大なる師匠の弟子であると頭を上げ、社会で戦い続け、組織のメンバーに会えば笑顔で挨拶をして友好を広げていた。
 そのような、会員同志たちこそ、先生の模範の弟子であると思った。その正しき同志たちが不当に苦しめられているのを見殺しにして、どうして自分が本部職員として生きる意味があろうか。
 師匠は、会員こそ、同志こそ、師匠の命であると叫ばれ続けている!
 一刻も早く学会本部に戻り、会員たちの無実と正義を証明しなければならない!

 愛媛副理事長からの連絡はなかったが、小平は懇談を諦める訳にはいかなかった。平成23年1月24日の昼休み、小平は再度懇談のアポイントをお願いしに行く。
 愛媛副理事長は、席に座り書類を書いていた。
 小平が、「副理事長、すみません。」と声をかけると、
 愛媛副理事長は、「んん、ああ。」と言って、席の前にあった椅子を指差して座るように指示した。
 愛媛副理事長は、「東京に帰った時に集まっているのか?」と尋ねてくる。
 小平は、一瞬、何を言われたのか意味が分からない。しかしすぐに、“本部指導監査委員会が、「組織内組織」とのレッテルを貼った会員や職員の同志たちと会っていること”を指しているのではないかとよぎった。
 小平は、「(会員や職員の同志たちと)会うことはあります」と答える。
 すると、愛媛副理事長は、「九州に来てから、これまで何回会っているんだ?」、「最近では何回あった?」、「一番最近はいつだ?」と立て続けに質問し始める。
 解任となった会員や職員たちと会うことが、まるで悪いことであるかのような話しぶりであった。
 小平は尋ねる、「なぜ、会ったらいけないのですか?」、「何がいけないのでしょうか?」と。
 すると、愛媛副理事長は、「徒党を組むな!」と吐き捨てるように言う。
 あたかも悪事を働いている人間に対する言いようである。そして続けて言った。「不正に対しては、“一人で”声を上げるべきである」と。
 そして「本部指導監査委員会から言われているんだろ!」、「そういうのが学会の行き方とは違うんだよ!」、「学会のシステムが気に入らないのなら、辞めればいい、学会を辞めればいい!」と、事務所中に聞こえる大声で話した。
 小平は、“本部指導監査委員会の結論に従え”と、間接的に言われているように感じてならなかった。しかし、なぜ、「学会を辞めればいい」との飛躍した話になるのか。愛媛副理事長の言っていることがどうしても理解できない。愛媛副理事長は自分に対し、強い偏見があり、それは去年12月の面談の時以上に強くなっていると感じられてならなかった。
 誤解があるならば、誤解を解かなければならない。小平は必死に、「なぜ、そのような事を言われなければならないのでしょうか。私は学会を辞める気はありません。」と伝える。

 その時突然、愛媛副理事長の電話が鳴った。小平は、その場に座ったまま、電話が終わるのを待つ。周りの職員は、皆、小平と愛媛副理事長のやり取りを、固唾を飲んで見守っている。
 電話が終わると愛媛副理事長は、「まあ、とやかく言いたくないから、そんな細かい事に捉われないで。前を向いて行くんだ。君のお父さんだったらそう言うと思うよ」と落ち着いた口調で話し始める。
 小平は必死に、「細かい事などではないのです。無実の会員さんが、未だに苦しんでいるんです」と伝える。
 すると愛媛副理事長は、一瞬嘲笑い、小平に冷ややかな視線を向ける。そして、「『会員が苦しんでいる、会員が苦しんでいる』って、おかしくなっていった連中は、皆そう言うんだ」と話す。
 小平、「先生は“本部職員は、会員を守り、奉仕するためにいる”と言われています!」
 愛媛副理事長、「そうだけど、皆会員なんだ、君たちだけが会員じゃない!」
 小平、「先生は『間違っていれば、相手がどんな立場の人間であれ、声を上げろ』と言われています」
 愛媛副理事長は、「だから一人でやればいいんだよ。一人でやりなさい!!」とフロアー中に響く大声で叫ぶ。
 そして最後に愛媛副理事長は、「大概にせい!!」と言い、席から離れてしまった。
 結局、小平の手紙を読んでもらえたのか、小平の手紙を読んで何を感じたのか、一切分からなかった。むしろ、愛媛副理事長の話は、小平が手紙に書いた内容とは明らかに違い、真逆の内容であった。小平の手紙は、全く無視されてしまっている。
 悔しくてならなかった。自分の言っていることと、学会本部の言っていることには食い違いがあるのだろう、それは理解できる。しかし、そうであるならば、どちらが真実なのか、率直に聞いて欲しかった。それが、創価の「対話の精神」ではないのか。片一方の本部の話を聞いただけで、どうしてここまで断言できるのか。
 小平は、自分たちだけが会員であるなど、全く思っていない。ただ職員の不正に勇気を出して声を上げた会員たちが不当に苦しめられている。
 職員として正しい会員の正義を証明することは、当たり前である。いやそれ以上に、職員の不正に対しては、そもそも職員自身が断固たる姿勢で正すべきである。しかし、それを伏せ、会員に犠牲を強いていること自体が問題なのだ。
 “会員に奉仕するため”に、職員は存在している。しかし、会員の真実を語ろうと必死に対話を懇願すると、反発的な態度として受け取られる。ついには“職員を、学会を辞めればいい”とまで言われる。
 師匠の仰せとは真逆であると感じてならなかった。目の前の会員に尽くさずして、創価学会を守れるはずがないのだ。

 そうした中、平成23年2月9日、小平は九州で所属した現場組織の婦人部の方と話す機会があった。
 生立ちや家族のこと、九州に来ることになった経緯などを話すうちに、自然と平成14年から9年間の粗方を話すことになる。ご婦人は小平の話にじっと耳を傾ける。小平が話し終わるとご婦人は話し始める。
 「最初に小平さんが来た時に、『批判をして解任になっている人間が来る。どうしようか』と話になった。そして、『批判をして解任になるくらいなら先生の批判をしたんだろう。でも最初から色メガネで接するのではなく、本人に接していこう。まして創価家族なんだから変な言動があれば、その場で毅然と伝えていこう』と話し合いでなった。そうしたら全く真逆で弁解がましい話もしないし、誠実な青年で皆驚いていた。街頭演説の時に小平さんから笑顔で爽やかに声をかけてもらい、私はその時に小平さんへの見方が完全に変わった」と。
 さらにご婦人は語る。「主人とも『聞いている話と全く違う、本当にいい青年なのになぜ解任になり、九州に来ているのか。』と話していた。主人は、『批判をしたというが、幹部に対して苦言を呈して九州に異動させられたのではないか。そういう話はどこの社会にもある』と言っていた。私は“まさか創価学会の中にそんなことがあるなんて”思ってもみなかった。」と。
 小平は、学会組織から役職解任処分となった人間である。普通であれば、その人間を色メガネで見てしまうのが当然であろう。しかし、そのご婦人は、小平に率直に忌憚なく話してくれた。そのご婦人のお心に、感動で涙が出る思いだった。
 会員の皆様があって、学会本部があり、本部職員がいることを改めて実感した。本部職員は絶対に、自分に力があるなどと勘違いをし、調子に乗ってはならない。断じて、特別意識、エリート意識に侵されてはならない。小平は、心ある最前線の会員同志の方々の手駒となれる自分に成長しなければならないと固く誓った。

 とにかく、自分自身に誠実に正しいと思うことを一つ一つやっていくしかない。まずは目の前の問題から逃げないことである。地道に一つ一つ取り組むしか道はないのだ。
 1月24日の昼休みに懇談のアポイントをお願いしに行き「大概にせい!」と言われてから、愛媛副理事長から連絡が来ることはなかった。愛媛副理事長は学会本部から入った情報を鵜呑みにし、誤解していると思えてならなかった。

 何としても愛媛副理事長の誤解と偏見を解かなければならない。時が経てば、誤解という毒はどんどん広がっていく。早急に、何とか一度、腰を据えて話を聞いてもらいたい。
 平成23年2月14日の朝の勤行会の後、小平は再び勇気を出して愛媛副理事長に声を掛けるのである。
 小平、「副理事長、何とか懇談の時間を取ってもらいたいのですが」と伝える。
 しかし、副理事長は「懇談はしない!決めた!」
 小平、「それはどうしてですか?」
 愛媛副理事長、「自分の胸に聞きなさい!しない!」と言い、背中を向けその場を去って行く。
 小平は、その姿に動揺した。いつも、こうした対応に、苦しさを感じてしまう。情けなく弱い自分だと反省するも、毎回なぜなのだと悩み考える。
 しかし、悩み仏壇の前に座り、題目をあげ、師匠のお言葉を振り返る度に、話を聞いてもらえない理由は何度振り返っても思い当たるところは無いと思う。
 昼休み、祈れば祈るほど、このままでは良くないと思った。愛媛副理事長に真意を確かめるんだ。もう一度会いに行こう。

 その日の夜、小平は九州文化1階の食堂で夕食を終えた愛媛副理事長に勇気を出して話しかける。
 小平、「書面は読んで頂けましたでしょうか」
 愛媛副理事長、「読んだよ」
 小平、「去年、書面を読んでから話を聞いて頂けると言われていたと思うのですが」
 すると、愛媛副理事長は突然、「会長に私の事を伝えているだろ。そういうことをする人間とは話さない!」と。

 小平は平成23年1月27日付けで原田会長宛に手紙を出していた。
 その原田会長への手紙には、九州への配置転換について愛媛副理事長から、「職員としての再出発しなければならない問題事由があったために行なわれた制裁人事であり、小平が再出発を望んだため九州が受け入れたお情け人事である」との旨、聞いたことを書いていた。
 おそらく、そのことについて愛媛副理事長は、学会本部から咎められるようなことを言われたのであろう。
 だが、小平にとっては、九州配転が業務交流人事なのか、制裁人事なのかは、重大な問題である。当事者として、何が真実なのか知りたいと思うのは普通である。そもそも職員規律委員会からは「職員として問題なし」「職場でどうのこうのする問題ではない。」との結論が出ている。制裁人事となれば明らかに不当な人事と言わざるを得ない。

 学会本部で聞いた人事異動の理由と、異動先の九州で聞いた異動理由が異なっていた。そのことを原田会長に率直に伝え、この異動人事には問題があると伝えることの何がいけないのか。
 愛媛副理事長の、原田会長をはじめとする本部執行部の顔色を窺おうとする姿勢に、物事を曖昧にして終わらせたいという妥協の心と、執行部からの批判を避けたいという保身の心を感じてならなかった。

 「組織はどうしても腐敗しやすく、官僚化していく傾向をもっている。その場合、つねに現実に活動している大衆のなかに偉大な真理と正義があるという観点が必要となる。この精神を失ったならば、いかなる組織といえども、膠着化をまぬかれないであろう。」(名誉会長指導)

 話も聞かずに力で排除していくならば、組織の権威化、硬直化は加速度を増して進むことになる。
 小平の脳裏に、神奈川で歯を食い縛って戦う会員同志たちがよぎる。自分は真面目な父、一途な母、そして温かい創価家族の中で育てて頂いたからこそ、本部職員となることができた。また、自分は池田先生の弟子であり、偉大なる庶民である。自分は、絶対に、エリート意識と特別意識の本部職員の命には染まらない!そのためにはどうすればいいのか。
 戦い続ける以外に道はない!!
 師匠の指導に照らし、自分が正しいと信じることを貫くしかない。職場からどのような扱いを受けたとしても己心の師匠を裏切ることだけはできない。最後に、ただ師匠に喜んでさえいただければ、それで良いのだ。

 四国・香川県へ異動した野口の仕事がない日々

 平成23年2月1日、野口は四国・香川県へ単身赴任し、1K8畳のアパートでの生活が始まる。
 新たな職場となる四国池田文化会館に初出勤し、朝礼で挨拶。
 「本部から異動してきました野口と申します。新たな地で師匠のため会員さんのために一兵卒として何でもさせて頂きます。地域組織の活動では一男子部員として戦って参ります。」と。
 配属された四国総務部では、入社2年目の女性職員が担当していた業務を引き継いだ。
 毎朝の職員の出勤状況、毎週月曜の朝礼の内容、毎月1回の職員全体会議の状況を、それぞれ報告書1枚にまとめて本部職員局にメールで報告するのが主な業務である。しかし、いずれも10分程度で終わる。
 その他、週に1~2回ほど行なう会議や朝礼の準備として部屋の換気、冷暖房の運転、机の水拭きなどが業務である。しかしそれも、10~15分もあれば済んでしまう。
 どれも入社間もない職員が他の仕事を抱えながらするような内容であり、本来、入社10年目を迎える野口のような中堅職員が担当する業務ではない。
 むろん、仕事に優劣はない。職員の根本精神は会員への奉仕であり、いかなる雑用でも何でもさせて頂きたいと思っている。しかし、どう考えても仕事量は絶対的に少なく、一日の業務に費やす時間は平均すると30分あるかどうかであった。

 野口は、勤務時間の大半を自分の席で黙って過ごす日々が続く。周りの職員から声をかけてくることはほとんどない。野口は部屋の中央の席で、ただじっと座っている。野口は仕事がしたかった。
 野口は上司に「何か仕事はありますか?」と率直に尋ねる。しかし「考えます・・・」との返答で会話が終えられてしまう。
 本部職員の給料は会員の浄財によって支えられている。会員の浄財とは、会員が毎日必死に働き、生活費を切り詰めて財務して下さったものだ。自分はその会員さんの心にお応えする仕事ができているとは、到底思えない。
 職員として、給料泥棒とも言える状況に置かれ、罪悪感に苛まれる。この仕事が与えてもらえない苦しみは、日が経つにつれ増していく。

 終業時間になると、野口は毎日定時に職場を出てアパートに帰宅する。四国青年部の幹部からは、「職員でありながら役職がない野口の存在が、会員に誤解を与えないため」との理由で会合への参加は自粛するよう言い渡されていた。
 唯一、月1回の座談会と本部幹部会中継への参加は許されたが、それ以外は事実上謹慎状態とする判断を下され、地域組織での活動を禁止された。
 友人も家族も誰も知人がいない四国でのアパート生活。師匠の指導を学び、必死に題目をあげるしかなかった。組織に出られない以上、自分にできることは、故郷で不当な扱いを受けている会員がいることを師匠にお伝えすることしかない。
 どうすれば師匠に手紙が届くのか、原田会長との面談を実現できるのか、祈り悩み、考え続けた。

 今の自分の使命は、師匠に本部の実態をお伝えすることであり、一刻も早く地元に戻って会員たちの無実を証明しなくてはならない。まずは、一度、職場の最高責任者である宮崎方面総合長に、配置転換の理由を確認したい。
 平成23年2月14日、四国創価学会の最高責任者である宮崎方面総合長に面談のアポイントをお願いする。
 すると宮崎総合長は一言、「いち男子部員として、信心根本に」と。
 宮崎総合長とは、ほぼ初対面であったが、一度も自分のことを話してもいないのに、自身の信心を心配されている。小平と同様、学会本部から、“野口は誓約書に誓約せず本部の決定に従わなかった職員である”との説明を伝え聞いているように感じてならなかった。宮崎総合長に話を聞いてもらい、誤解があるならば解かねばならない。
 また、中央の学会本部の影響は強いと感じた。やはり、何としても原田会長との面談を実現しなければ、会員たちに対する不当な仕打ちを止めることは出来ない。
 遠く離れた四国の地で黙っている訳にはいかない!自分が体験してきた問題を闇に隠されてなるものか!

 同日2月14日、野口は原田会長宛のアポイント申請の手紙を託した会長秘書の徳島部長に電話する。野口が本部から四国へ発つ前に、会長手紙を託したのが徳島部長である。
 野口は徳島部長に尋ねる。「先日の会長宛の手紙に対して何の反応も頂けていないのですが、手紙は渡して頂けましたでしょうか?」と。
 徳島部長、「渡しました。会長は読んだと思います」
 野口、「話を聞いて頂きたいとの内容の手紙なので、対応いただけるか待っています。返事は頂けるのでしょうか?」
 徳島部長、「会長も忙しいので、全てに返事をしている訳ではありません」

 野口はおかしいと思った。そもそも原田会長の「役員室で懇談のアポイントを取りなさい」との指示によって、役員室を通して手続きを取っている。しかし、役員室の原田会長の担当秘書である徳島部長は「原田会長から返事が無いかもしれない」と言う。
 野口は不安に思い、「では、どうしたら現状は分かるのでしょうか?」と尋ねる。
 徳島部長、「もう少し待って頂くしかないと思います」
 野口、「どれくらい待てば良いのでしょうか。何とかご返事を頂きたいのですが」
 すると徳島部長は、「返答が欲しいのであれば、その内容の手紙をまた書いてもらっても構いません」と。
 野口、「確認や手紙の窓口は徳島部長なんですか?」
 徳島部長は、「私でいいです。待っていて下さい」と。野口は電話を終える。

 またも徳島部長から、原田会長宛に手紙を書くことを提案される。しかも、返答の無い原田会長に対して、もう一度、「返答が欲しい」との内容の手紙を書いた方がいいと言う。しかも待っていても、原田会長からは連絡しないこともあると言う。
 滅茶苦茶である。あまりにも不誠実である。
 一体何のための手紙なのか。何のための担当窓口なのか。
 しかし、いくらおかしいと思っても、今は手紙を書く以外に、原田会長と懇談をしてもらえる方法はない。
 もう一度、もう一度「返答が欲しい」との内容の手紙を書くんだ!

 「勝つか、負けるか――戦うことをやめれば、すぐに敗北が待っている。」(名誉会長指導)
 
 平成23年3月21日、原田会長宛てに懇談を求める2度目の手紙を出す。
 「何かしらの反応を頂きたいと、必死に祈ってきました。しかし『返答しない事もある』との話を聞き、無かった事になってしまうのではないかと不安になりました。ご返事を催促するような形になってしまうのは本当に不本意ながらも、どうしても会長から直接、私たちの手紙へのご返事を頂きたいと思い、再び手紙を書かせて頂きました。」
 「どうか公平な目で、私たちの話を聞いて頂けないでしょうか。話を聞き、認識して頂いた上で、評価されるのであれば、その評価を真摯に受け止めて参ります。私たち自身が振り返るべきことがあるならば、必ず自身を振り返り、人間革命して参ります。」と。

 翌日3月22日、野口は徳島部長に電話し、「先日、お話を頂きました会長宛の手紙を書かせて頂きました。徳島部長宛に郵送いたしましたので、どうか会長にお渡し頂きますよう、よろしくお願いします」と伝える。
 徳島部長は、「はい分かりました。ご苦労さまです」と了承する。
 野口は、四国から、徳島部長に宛てて手紙を送り、連絡が来ることを祈り待ち続けるのである。

スポンサーサイト

第12 池田名誉会長への手紙を山梨女史に託す(H23.3~H23.6)

「信仰は、観念論ではない。『行動』こそ、真実の信仰の証である」(名誉会長指導)

「大事なのは行動だ。あれこれと考え、議論をしていても、それだけでは何も変わらない。『深き祈り』と『勇気の行動』。この不断の積み重ねが、一切の壁を打ち破る原動力となるのである」(名誉会長指導)

 真実の信仰とは行動である 
 行動にこそ
 人間の人間たる真実の価値がある
 しかし
 行動には常に悩みと葛藤が生じる
 「今、行動を起こす時なのか」
 「理解は得られるのか」
 「他に良い方法があるのではないか」

 頭で考え悩み抜くことも良い
 友と議論を重ねることも良い
 また
 深き祈りに向かうことも重要だ

 しかし最後は
 「正義の行動」
 そして
 「勇気の行動」を起せる
 私でありたい
 そのための悩みであり 祈りでありたい

 ゆえに
 私は今日も
 師と共に
 たとえ小さくても
 勇気の一歩を踏み出すための
 1日を生き抜きたい


 平成23年2月、私たちは、何としても師匠に学会本部と本部職員の問題を伝えるために、師匠の側近である山梨女史に出すための手紙を書き進めていた。
 前回、平成23年1月19日に出した山梨女史への手紙には、本部の決定に従わない人間に対しては、地方への配置転換という制裁人事を行使してでも排除するという学会本部の強権的な実態について書いていた。さらに、今、本物の弟子が立ち上がらなければ、万代にわたる創価の発展は途絶えてしまうと訴えた。創価は刻一刻と血が通わない硬直化した組織になってきている。時間は無かった。
 そして、その手紙の最後には、「無理ならば無理と一言でもお伝えして頂きたい」と書き記したのである。しかし、1か月以上過ぎても返事は無かった。
 しかし、簡単な問題ではない。相談できる人もいないのかもしれない。山梨女史が本部の実態の深刻さを認識すればするほど、一人悶々と葛藤されているのではないかと思えたのである。
 山梨女史から返事を頂くことは難しいかもしれない、との考えが一瞬頭をよぎる。しかし、はっきりと「無理」と伝えられているわけでもない。可能性がある限り、山梨女史を信じ、手紙を書き続けることが大切なのではないか。
 官僚的で硬直化した今の学会本部の体質を考えた時、やはり今の創価学会の最高責任者である執行部、特に原田会長と対話をしなければ、創価の変革は始まらないと感じた。しかし、何度懇願しても原田会長と対話ができない。だからこそ、師匠に全てをご報告し「原田会長と対話させて頂きたい」とお願いできないか。
 “甘えている”と師匠に叱られるかもしれない。しかし、どれだけ自分が師匠に叱られようとも、それは弟子として受け止める覚悟である。今の学会本部の現状を看過するならば、それこそ師匠に対する忘恩の行為であり、間違っている。
 師匠への御報告を諦めることは絶対にできない。それは、己が創価の問題から逃げることであり、己が立てた師への誓いを裏切る行為である。そして、それは自分にとって“生きながらの死”である。

「学会内に起こった事件を私に対して、先生にかくしておれという事は、私に先生の敵になれというのか、私が先生に学会の事を『かくし事』をしたならば、その日から私は弟子だという事ができるものか、そんな考え方は私の境涯には無い」(名誉会長が引用された戸田先生の指導)

 もっとも苦しい今こそ、自分が試されているのではないかと思えた。師匠への扉を開くのは自身の一念であり、勇気の一歩で切り開くしかないと思えた。
 せめて、山梨女史が自分たちに返事をすることや、会って頂くことが難しかったとしても、山梨女史から師匠に学会本部と本部職員の問題を書いた手紙を渡してもらうことはできないだろうか。むろん渡して頂けない可能性もある。
 しかし、いくら考えても結論は出ない。ならば、行動するしかない。
 今自分が出来る唯一の行動は、山梨女史への手紙の中に師匠宛ての手紙を同封し、山梨女史に師匠に届けて頂けるよう、誠心誠意お願いすることではないか。
 
 私たちは、山梨女史宛の手紙に、師匠への手紙を同封して出すことを決める。四国の野口、九州の小平、神奈川の滝川、広島の茨城氏は、必死に師匠と山梨女史への手紙の内容について話し合う。
 「師匠は、私たちの想像も及ばないほど、多忙を極めておられるはず。その激務の中で、師匠に手紙を読んで頂く時間を取らせてしまって良いのだろうか」、「本来ならば、弟子である職員が、師匠の手を煩わせることなく解決すべき問題であり、本部職員の問題をお伝えする手紙を送る事自体、世界広布の指揮を執られている師匠の戦いを止めてしまうのではないだろうか」、「それでも、会員の正義を証明しようとする行動が、師匠の仰せに照らして間違っているとは思えない」、「行動を起こさなければ、師との誓いを破ることになるのではないか」
 何度も何度も話し合い、葛藤しながら推敲を重ねる。
 そして紡ぎ出した師匠への手紙は、自分たちが9年に渡って体験してきた経緯(時系列)と、師匠に手紙を書かせて頂いた想いを綴った内容と、あわせて58頁に渡る内容となった。
 祈りを込めて、一文字一文字、書き綴った。

 「先生のお時間を頂戴しこの手紙をお渡しすることは、先生の戦いを阻む破和合の行為ではないかと悩みました。この問題に出会ってから2年半、先生にお伝えすることは弟子として甘えがあるのではないかと悩み抜きました。偉大なる師匠の弟子として正義の行動がしたいと真剣に祈り続けて参りました。
 祈る中、創価万代の発展に尽くす祈りと行動こそが、正義の人生であると心から思いました。そう思った時、今この時を外して先生との誓いを果たすことは出来ないと思ったのです。大好きな創価のために、弟子の誓いを果たすため、弟子が乗り越えなければならない創価の問題点を先生にお伝えし、必ず必ず乗り越える決意をお伝えさせて頂きたいと思いました」

 「誰よりも師匠を求め戦っていた民間の青年部4名(兵庫、京都、木本秀信、島根)は、解任処分後も、『彼らが解任となった理由については一切聞いてはいけない』『会合等の連絡を積極的にする必要はない』と耳を疑うような内容が組織で徹底され、まともに会合の連絡すら頂けない状況です。解任通達の際に『一会員として全力で戦うように』と伝えられたにも関わらず、組織の活動すらまともに参加できない状況なのです。
 この9年を振り返る時、解任のきっかけとなった、9年前に学生部で起こった出来事は、今の創価の問題点を知るきっかけに過ぎませんでした。未熟な自身ではありましたが、ただただ『現場の会員さんのために』との思いで戦い続けて参りました。その私たちが、一連の問題に出会い、創価学会の現状、学会本部の問題点、執行部の対応を知ることになりました」

 「先生、お願いがあります。会長と対話をさせて頂きたいのです。本来、師匠にお願いをすること自体、弟子として負けの姿であると思っています。しかし、会長に20回以上懇願してきましたが、一度も話を聞いて頂けることはありませんでした。この本部職員の問題を通し、現場で感じ体験してきた職員が乗り越えるべき課題をお伝えさせて頂きたいのです。『対話』こそ、組織の生命線であることを伝えさせて頂きたいのです。ありがたくも、こうした問題に出会えた意味を果たさせて頂きたいのです」と。

 そして、山梨女史への手紙にはこう書き綴る。

 「山梨様、どうかたった一度でいいのです。私たちの話を聞いて頂くことはできないでしょうか。そして、もしそれが難しいのであれば、創価の為に命を削られている池田先生に私たちの先生宛てのお手紙をお渡しして頂けないでしょうか。師匠に、原田会長はじめ執行部の方々と対話をする機会を頂きたいとの思いをお伝えさせて頂きたいのです」

 「このまま、創価の世界にあって『対話』が閉ざされ続ければ、先生が命を懸けて築きあげた『対話の創価』を、弟子の手で壊すことは免れないと思うのです。師の創価を守りたいと祈り抜く中で、なんとか私たちの思いを手紙に書かせて頂き、そのお手紙を先生にお渡しして頂けないものかと思ったのです。なんとか、なんとかお渡しして頂けますようお願い致します」

 平成23年3月27日、師匠への手紙を同封し、山梨女史へ手紙を郵送する。
 その日から、私たちは手紙が師匠のもとに届くことを真剣に祈り続けた。
 師匠は職員全体会議の席上、仰っていた。「手紙をよこしなさい。真実の手紙を。間違っていたら絶対に信用しないよ」、「嘘があったら厳しくするよ」と。
 師匠に手紙が届くならば、いかなる結果であろうともすべて受け止める覚悟である。自分がすべて正しいなどとは微塵も思っていない。師の仰せ通りに生き、師匠と民衆によって築き上げられた創価を護るために己の命を使わせて頂けるならば本望である!

 野口の妻、そして野口の戦い
 
 地元組織では、野口の妻・桃子が入会して初めての折伏に挑戦していた。
 桃子は言う。「裕ちゃん(野口)や同志の皆さんに出会って、創価学会は素晴らしいところだと感じることができた。『目の前の友を救う』という最高に幸せな人生を教えて頂いた。今度は私が、目の前で悩んでいる友だちに信仰の偉大さを伝えていきたい。」と。そして、自らの体験を元職場の友人に語っていく。
 同じ地区には、平成20年の監査の誓約書に従えないことを理由に役職解任処分となった会員京都氏やその妻もいた。同志たちは、丁寧に桃子の友人に信仰を伝え、親身になって友人の悩みを聞き、共に題目を上げ、折伏を応援してくれる。友人は次第に、同志たちへの信頼を深めていく。そして、それはそのまま創価学会に対する理解に繋がっていった。
 友人は語る。「私のことを真剣に思ってくれて嬉しい」、「皆さんから勇気をもらった。私も強くなりたい」と。
 平成23年3月20日、友人は、桃子や会員同志たちの真心と熱意に触れて入会を決意。毎日真剣に題目に挑戦する。そして4月21日、桃子はその友人に、晴れて御本尊を流布することが出来た。

 同日、四国の野口は、以前から面談をお願いしていた四国の最高責任者である宮崎方面総合長に妻の折伏が実ったことを報告する。
 そして、「選挙が終わったら懇談を宜しくお願いします」と。
 宮崎総合長は、「ああそうだったね」と答え、面談の日時は平成23年4月27日の昼に決定する。
 野口は面談に向けて必死に祈り始める。
 地元に残された会員同志たちは、役職解任処分にされ反逆者のレッテルを貼られ、会合の連絡さえ来ない状況に置かれている。それでも懸命に、折伏・弘教、選挙支援活動と、出来得る限りの信仰活動に取り組んでいる。
 この会員同志たちの正義を自分は絶対に証明するんだ!師匠の仰る“会員のための創価”、“対話の創価”を断じて取り戻すんだ!

 「会員に尽くすことが、御本尊に尽くすことになる。それが広宣流布に尽くすことになるのである。自分は偉くない。偉いのは、広布へ戦う同志である」(名誉会長指導)

 面談当日、野口は、自分の配置転換の理由を、本部からどのように聞いているのか尋ねる。
 宮崎総合長は、「そんなに詳しいことは聞いていないんだよ」、「本部指導監査委員会にかかって役職解任になっていることは聞いている」と。
 野口は、学会本部から四国最高幹部に伝えられていない事実を、自分の口から説明したいと思った。しかし、宮崎総合長は、その後自らの青年時代の信仰体験を語り続ける。
 その間、野口は何度か、自分と会員が役職解任処分を受けた経緯、そして学会本部の問題を話そうとするが、話題はそらされ、結局30分ほどで面談は終了となる。
 宮崎総合長は席を立ち、応接室を出ようとする。
 野口は、「本部で実際にあった出来事を聞いてもらいたいので、今後もまた話をさせて頂きたいです。よろしくお願いします」と伝え、一礼した。

 野口は懇談の様子を振り返る。
 宮崎総合長は、野口の話を真っさらな状態で聞く状況ではないように感じた。学会本部から“本部の指導に従わず誓約しなかった職員”との偏見が植え付けられているように思えた。
 やはり学会本部という根元が変わらなければ、四国幹部の自分に対する認識も変わらないと感じるのである。
 自分は、本部から四国へ発つ時、共に解任処分にあいながらも懸命に戦う会員同志の正義を証明すると師に誓った。その誓いを果たすには、己の断じて諦めない一念と行動である!一刻も早く本部に戻り、何としても原田会長との面談を実現させ、会員同志の正義を証明しなければならない!
 野口は、山梨女史と原田会長からの返事が来ることを必死に祈り、待ち続けた。

 滝川が会員島根氏と会う

 平成23年5月、滝川は、共に役職解任処分となった会員島根氏と会う。会員島根氏は滝川の4つ下の学生部時代の後輩である。
 各々近況を伝え合い、師匠のことを語り合った。そして、自然と島根氏が学生部時代に体験したことを改めて詳細に聞くこととなった。

 島根氏が学生部員だった平成16年9月、本部職員の和歌山氏は、当時の岐阜全国学生部長の指示で隣の総県から派遣され、島根氏の所属する総県の学生部長に就任する。
 そして和歌山総県学生部長は、平成16年から18年にかけ、300人から1000人の学生部員が参加する会合の場で、その時すでに学生部を卒業していた京都氏や私たちなど和歌山氏が来る以前の総県、分県幹部たちを指して、「京都は暗黒時代をつくった人間だ!」「前体制(私たちや京都氏が学生部幹部の体制)は暗黒時代だった」と繰り返し誹謗中傷し続ける。
 島根氏は、自分が信仰するきっかけを作ってくれた先輩たちを批判する本部職員の和歌山総県学生部長の言動に悩み苦しんだ。
 島根氏は、来る日も、来る日も題目を上げ続ける。そして、和歌山総県学生部長に先輩たちを非難する理由を聞こうと決意する。

 島根氏は和歌山総県学生部長に質問した。「なぜそんなことを言うのでしょうか?」、「何を根拠に先輩方が間違っていると言うのでしょうか?」と尋ねる。
 和歌山総県学生部長は、「京都らは派閥を作っていた。」、「部員さんを傷つけた。」と。
 島根氏は信じることができない。絶対にそんなことをするような先輩たちではない。
 島根氏は、「そもそも本人に確認したのですか?」と尋ねる。
 和歌山総県学生部長、「していない。」
 島根氏、「なぜ当事者に確認してないことを言えるのですか?」
 和歌山総県学生部長、「情報は間違いない。」
 島根氏、「傷ついた部員さんとは誰のことですか?」
 和歌山総県学生部長、「それは答えられない」

 島根氏は、和歌山総県学生部長が“認識せずに評価をしている”のではないかと感じてならなかった。しかし、「前体制は間違っていた、暗黒時代だった」との話は学生部員までにも広がりどんどん不信が植え付けられていく。
 さらに、和歌山総県学生部長のもとにいた学生部幹部たちも、徐々に和歌山氏の影響を受け、会合で「過去の暗黒時代はひどいと思いませんか?皆さんいかがでしょうか~?」と、参加する学生部員に同意の拍手を求める行動を取るようになっていく。
 次第に全く関係ない純粋な学生部員までも、“前体制(私たちや京都氏が学生部幹部の体制)は間違っていた”との認識に染まっていく。そう認識しなければ幹部からの「指導」という名の説得が待っていた。
 島根氏は、前体制が間違っているとは思えなかった。むしろ和歌山総県学生部長時代の学生部の方が苦しく、理解し難い組織に感じていた。
 会合は深夜1時をこえる非常識な時間まで行われ、言葉遣いは乱雑になっていった。総県学生部幹部会等の大きな会合では、和歌山総県学生部長が登壇する際にはアニメの曲を流し、必ずといっていいほど、壇上から食べ物を投げるパフォーマンスが行なわれる。そして、本部職員の和歌山氏(総県学生部長)は他の幹部と共に、頻繁に個人会館で飲酒や寝泊りを繰り返し、そこから聖教新聞社に出勤していた。
 平成17年9月の国政選挙の投票日前日には、会合後、前夜祭と称して個人会館を使い、飲み会が行なわれた。後輩の学生部員に酒を買いに行かせ、さらにバイクで来ている学生部員に対しても飲酒を勧めるなど、その振る舞いは創価学会の幹部として、また本部職員として逸脱していた。
 さらに、島根氏が参加したある会合では、滝川の職場の後輩である本部職員の学生部幹部が参加していた。その学生部幹部は滝川の職場パソコンのデータを滝川に無断で印刷した書面を持参し、その場にいた別の幹部がその書面を使って、滝川を非難していたのである。本部職員である幹部が、学会本部の職場内の情報を本人に無断で持ち出し、さらに会合で平然と語る姿に、島根氏は衝撃を受けた。

 島根氏は、日に日に会合に行くのが苦しくなる。眠れない日が続く。しかしどんなに苦しくても“先輩・同志、そして師匠に守られてきた感謝を忘れずに戦おう”、“若輩者であっても、一生涯、同志の為、師匠の為に命を懸けて戦おう”と決意し続けたのである。

 さらにその後、和歌山氏の後任として、総県学生部長になった公明党職員の佐賀総県学生部長も、和歌山氏同様、会合の場で、前体制(和歌山氏以前の総県幹部たち)への非難を繰り返すことになる。
 佐賀総県学生部長は、前体制への批判に同調しない島根氏らに対して、嫌悪感をむき出しにした。「君は“前体制の命”が残っている。病気だ」と。
 島根氏は勇気を出して、佐賀総県学生部長に質問する。「『前体制の命』とはどんな命ですか?」、「なぜ先輩方を間違っていると言うのですか?」と。
 すると佐賀総県学生部長は、「君の話はもう聞かない。分からないならそれでいい。今度、『前体制の命』を出したら君を切る(学生部を卒業させるとの意)」と言い、「今後『前体制の命』を出さない」との誓約書への誓約を迫る。
 島根氏は、絶望的な気持ちになる。脅し以外の何ものでもない。
 島根氏が誓約書の提出を断ると、佐賀総県学生部長は他の幹部や学生部員に、「島根の話すことは聞かないように」と徹底し始める。
 島根氏は学生部の皆から無視をされるようになり、共に人間革命に挑んできた同志たちとの信頼関係は一気に破壊された。自分が折伏した友人からも、「先輩から、『島根の話は半分聞いておけばいい』と言われた」と伝えられ、無視されるようになったのである。完全に“組織的ないじめ”であった。
 最後は、佐賀総県学生部長から、「前体制の命を出したね。君は学生部を卒業だ」と言われ、学生部から卒業となるのである。

 滝川は、あらためて島根氏の話を聞きながら、当時を思い返していた。
 やはり何度考えても、本部職員のおかしな行動に苦しみ、勇気を出して声を上げた会員を犠牲にし、本部職員の不正行為を隠蔽する監査の結論は間違っていると感じてならなかった。
 当時を振り返れば振り返るほど、滝川は怒りが沸き起こってきた。絶対に、健気に戦う会員を犠牲にした本部の問題を風化させてはならない!
 一刻も早く真実を明らかにしたい!そして犠牲になった会員が、本部職員の不正に対して声を上げた勇気ある会員であり、師匠の仰せを守る弟子であることを明らかにしなければならない!

 山梨女史と原田会長に、会員島根氏が犠牲となった問題について手紙を書く

 滝川は島根氏が学生部時代に本部職員から被った数々の出来事は、師匠が“創価学会のために会員がいるのではない。会員のために創価学会があるのである”と言われる創価の組織において、決してあってはならないことの連続であると改めて思った。
 そして、今現在も島根氏は反逆者のような扱いをされ続けている。何としても自身が体験してきた創価学会の実態と問題点を師匠にお伝えし、変革していかなければならない。
 何としても師匠にお伝えしなければならない。
 師匠の側近である山梨女史には、平成23年3月27日に山梨女史宛ての手紙と師匠への手紙を同封し郵送した。しかし未だに連絡はない。
 滝川は、職場の昼休みも、歩いている時も題目をあげ続けた。何とか、山梨女史から師匠に届けて頂けないものか。無理な場合は、“無理だ”と伝えて頂きたいと、手紙に書いている。
 しかし、山梨女史から“無理だ”という返事もない。何度考えても山梨女史以外に師匠への手紙を届けて頂ける可能性のある人はいない。
 山梨女史がどのように考えておられるのか、繰り返し考えたが結局は分からない。
 ならば、山梨女史にお願いするしかない。自分で「多分、ダメだろう」と諦めることこそ、自分で自分の生き方を曲げることになる。信仰とは行動である。
 もう一度、もう一度山梨女史を信じて、手紙を書くんだ!

 滝川は、山梨女史宛ての手紙に、本部職員の不正に声を上げた会員島根氏が役職解任された事実について書き綴った。
 「島根君は明らかにおかしな言動を繰り返した本部職員幹部に対し、師の仰せのままに『おかしい』と叫び、その結果組織を使ったいじめを受け続けてきたのです。『経緯はどうあれ』と全てを切り離してしまうには、島根君の苦しんできた過程はあまりにも重要すぎるものだと思うのです」
 「何の罪もない会員さんが『解任』となっているこの事実をなんとかしなければならないのです。原田会長にお伝えさせて頂きたいのです。なぜ島根君の解任を会長が了承したのか。会長は本当にこうした事実を知っていたのか知りたいのです。
私は自分の解任を解いて欲しいと微塵も思っておりません。ただ、いじめを受け続けてきた会員が『解任』となった事実を知りながら、何も手を講じることなく生きることは、師匠への大反逆行為であると感じるのです」と。
 平成23年6月9日、山梨女史宛てに郵送した。

 山梨女史に手紙を出す一方で、私たちは、原田会長との懇談のアポイント申請に対して、原田会長から返答が来るのを待ち続けていた。

 原田会長がご多忙であることは重々承知している。会長秘書の徳島部長からは、「会長がすべての手紙に返答している訳ではない。だから、返答をお願いする手紙を書いたらどうか」と提案され、返答をお願いする手紙もこれまで2通出した。
 しかし、一度も返答は無い。
 本当に一度でいい。何とか、原田会長と話をさせて頂きたい。会員同志は反逆者のレッテルを貼られたままである。こんなところで弟子としての生き方を諦める訳にはいかないのだ!

「人生は、地に足をつけて、一歩一歩進んでいくことだ。一度に頂上には登れない。一歩一歩、忍耐強く歩む人が、最後に必ず勝つのである」(名誉会長指導)

 師匠のお言葉には素直に涙が出てくる。涙が止まらなくなる。御本尊様、己の命はお願いですから、先生のために使わせて下さい。自分の願いは本当にそれだけなんです。

 目の前のやれることを一歩一歩やっていく以外に、前進も問題解決もない。今できることを、一つ一つやっていく以外に道はない。
 原田会長宛ての手紙に、山梨女史に書いた手紙と同様に、島根氏が体験してきた本部職員の振る舞いについて具体的に書く。
 そして、「何の罪もない会員さんが『解任』となっているこの事実だけはなんとかしなければならないのです。原田会長はここまでの事実があったことをご存じないのではないかと思ったのです。だからこそ、原田会長に直接話しを聞いて頂きたいと思っているのです。
 私たちは自分の解任を解いて欲しいと微塵も思っておりません。ただ、いじめを受け続けてきた会員が『解任』となった事実を知りながら、何も手を講じることなく生きることは、師匠への大反逆行為であると感じるのです」
 「原田会長、お願いします。一度でいいので話を聞いていただけないでしょうか。どうかどうかお願い申し上げます。何卒、何卒宜しくお願い致します」と、一度話を聞いてもらうことを必死に懇願する。
 そして、平成23年6月11日、郵便局から、原田会長宛てに懇談を求める3度目の手紙を祈る思いで出すのである。

 職員懲罰委員会からの呼び出し

 それから2週間が過ぎた平成23年6月27日、私たちそれぞれに、職員局人事部の長崎氏から電話が来る。
 「職員懲罰委員会からの呼び出しにより、6月30日に信濃町の世界青年会館ロビーに来て下さい。」と。
 職員懲罰委員会とは、創価学会職員就業規則に基づいて、法人職員に対して懲戒の審議・決定を行なう委員会である。
 その職員懲罰委員会からの呼び出しである。
 しかし、私たちは、職務上の行為で懲罰に問われるようなことをした覚えは無かった。一体、何を審査されるのか。
 この一本の電話から、私たちが平成24年10月12日に懲戒解雇処分されるに至るまでの約1年4か月に渡る戦いが始まるのである。



第13 職員懲罰委員会の面談の実態(H23.6.27~H23.6.30)

「苦難に遭うことが、不幸なのではない。苦難に負けることが不幸なのだ。ゆえに、何ものにも負けない強さこそが、信心の極意であり、永遠の勝利と幸福の土台となるのだ。」(名誉会長指導)

「瞬間」と「永遠」
「今世」と「来世」
三世を貫く 我が生命

その命を見つめる時
真の幸福とは何かを考える

勇気・勝利・努力・忍耐

何が重要か
考え抜けば抜くほど

むしろ
そのすべては
苦難に負けず
逆境に負けず
宿命に負けない
あなたを創るため

「負けない」それが強さ
「負けない」それが信仰
「負けない」それが幸福

「負けない」あなたに太陽が昇り
「負けない」あなたに師が微笑む

私は今日も永遠なる命をみつめ
「負けない」一歩を踏み出す


 平成23年6月27日、職員局人事部で職員懲罰委員会事務局の長崎担当部長から、小平、滝川、野口、茨城氏に突然、電話があった。電話の内容は“3日後の6月30日に信濃町の創価学会世界青年会館に来るように”と、職員懲罰委員会から招集がかかったというものである。
 私たちは各々、懲罰委員会が取り上げた自分の行為が何なのか、確認した。しかし、長崎氏は、「内容については私には分かりませんが、来て頂ければ分かると思います。」と、それ以上の説明は断わる。

 平日の業務時間中、突然電話一本での呼び出し。わずか3日後に学会本部に上京して来るように言い渡される。むろん呼び出す理由の説明はない。「懲罰委員会」からの理由も分からない呼び出し。実に恐ろしいものである。
 また、九州や四国から東京の本部まで行くとなると、1日職場を空けなければならない。それぞれの業務の都合は全く聞かれない。
 「懲罰」という名目で呼び出すならば、せめて懲罰にかけられている内容を書面等で説明するのが社会通念ではなかろうか。「いつ」、「何の行為」が問題になっているのか、懲罰事由が事前に分からなければ、そもそも弁明の準備すらできない。たとえ事実関係を問われても正確な返答すら出来ないではないか。
 平成20年に行われた本部指導監査委員会では、一回の面談だけで結論が出されている。そう考えると、懲罰委員会も一回の面談で懲罰が決まる可能性は否定できない。最低でも何が問題とされたのか、何について質問されるのかだけは知った上で、懲罰されるか、されないかという面談の場に臨みたい。

 6月28日、小平は長崎担当部長から、職員懲罰委員会の委員長が本部連絡局主事で副会長の熊本氏であることを聞き、熊本委員長に電話をする。
 小平が招集の理由、内容を確認すると、熊本委員長は「来て頂ければ分かります。今は答えられません」と返答する。
 小平は訴えた「事前に懲戒の嫌疑がかけられている内容を通知して頂くことは当然の事ではないでしょうか。そうでなければ、懲罰委員会規程に書かれている『弁明の機会を与える』ということにはならないのではないのでしょうか」と。
 しかし、熊本委員長は、「これは業務命令です。職場からの業務命令です。今までもそうしてきました。」と。
 熊本委員長の返答は、小平の質問に対する答えになっていない。
 小平は焦る。そして必死に訴える。「これはパワハラではないでしょうか。処分のために呼びつけ内容すら知らせない、精神的苦痛は相当なものです。」と。
 しかし、熊本委員長は笑いながら、「大丈夫です。大丈夫です。心配なさらないでお出で下さい」と。直後「ツーツーツー」と電話が切れる。

 同日、滝川も、長崎担当部長に「招集理由」の問い合わせ先について相談する。すると、職員局が懲罰委員会事務局であり、問い合わせ先は職員局長であると伝えられる。小平の時は熊本委員長を伝えられたが、滝川は職員局長で副会長の大分氏を問い合わせ場所として紹介される。
 滝川は、大分職員局長に電話し、懲罰委員会の招集理由を尋ねる。
 すると大分職員局長は、語気を強め「だからこれは業務命令なんだ!時間と場所は聞いたでしょ!あとはそこに行くだけでしょ!業務命令なんだから、一方的なものなんだよ!」と言い終わると、電話を切ってしまった。
 電話をかけ直すが出ない。
 ただでさえ「懲罰」と名の付く委員会からの突然の呼び出しである。しかも呼び出される理由は問い合わせても教えてくれない。その理由を尋ねたならば、「業務命令なんだから一方的なものなんだ」との一言で冷たく切り捨てられる。

 滝川は、無慈悲な対応に苦しんだ。なぜ懲罰にかけられた内容すら教えてくれないのだ。緊張で、仕事が手につかない。絶対におかしい。
 一晩中題目をあげ続けた。

「何があっても、負けない。その人は勝っているのだ。なかんずく、自らが青春時代に誓い定めた信念のために負けない一生を貫き通す人は、最も強く偉大である。」(名誉会長指導)

 負けられない!どんな内容かを確認し、準備をしたい!もう一度電話をするんだ!
 翌6月29日昼、滝川は再び大分職員局長に連絡をするのである。
 しかし、連絡が付かない。
 どうすれば良いか熊本委員長に電話をした。しかし、今度は熊本委員長も繋がらない。留守電を残し、折り返し連絡を待つ。しかし、電話は来なかった。

 滝川は題目をあげる。当日までにできる限りのことをしたい。悔いなく、悔いなく生きるんだ。
 滝川は熊本委員長にメールを送ろうと考える。そしてメールを送信する。

 “「懲罰」と聞き非常に驚き、招集理由も教えてもらえず、眠れない。「業務命令」とは言え、社会的にも懲戒理由を通知書なりで明示するのが常識なのではないか。”と。
 しかし、熊本委員長からの返信は無かった。

 小平、滝川、野口、茨城氏の4人は最悪の場合は首を覚悟した。眠れぬ不安の中で平成23年6月30日の職員懲罰委員会の面談の場に臨む。

 職員懲罰委員会の面談内容

 平成23年6月30日、STKビル地下1階大会議室にて、私たち4人に対し、各々約30分の面談が行なわれる。対面した職員懲罰委員会のメンバーは、本部連絡局主事で副会長の熊本委員長の他、聖教新聞社編集主幹で副会長の鹿児島副委員長、事務センター長で副会長の沖縄懲罰委員、組織総局長で副会長の札幌懲罰委員、の責任役員3名、そして聖教新聞社事業総局長で副会長の盛岡懲罰委員の計5名であった。さらに職員局長で副会長の大分懲罰委員会事務局長も書記として同席していた。
面談会場は、6名の懲罰委員会関係者が横一列に座り、真ん中に熊本委員長が座っている。机を挟んで対面するように席が一つ用意されている。
 午後2時30分、1人目となる小平の面談が始まる。やはり緊張で体が震えた。
 大分職員局長は、「議事録として残します」と録音を開始する。
 熊本委員長が冒頭説明する。
 「6月22日に懲罰委員会が開かれ、小平秀一さんの言動について、懲戒事由に該当し処分すべきではないかとの意見が出されました。」
 そして、以下の説明がある。
 「懲罰委員会としてはすでに一定の事実調査をした。その事実調査を踏まえ、今後職員懲罰委員会規程第7条に基づき、小平に対して弁明を求める。本日はその前提として、問題となっている事実の有無について確認する。本日の手続きは事実確認のみであり、各言動についての経緯や理由を聞くためのものではない。確認した事実関係について、それが事実どおりか、事実と異なっているか、異なっているのであればどのように異なっているのかという点についてのみ答えて頂きたい。各言動についての経緯や理由等については、別途弁明書を提出することが出来るので、そちらでお願いをしたい。」と。

 小平はまず、伝えるべきは伝えようと話しはじめた。「懲罰委員会という職員の懲戒を検討する公式機関が、3日前に電話一本で、『業務命令だ』といって理由を伝えず招集する方法は、最も人権的かつ民主的であるべき創価学会においてどうなのか。本当に夜も眠れぬほどの苦しい思いをした。」と。
 熊本委員長はそれには答えずに、淡々と小平に告げる。「これから、懲罰の対象となる言動について、今から一つ一つ申し上げますから、それについて先ほど申し上げたようにあなたから、それが事実どおりなのか、事実と異なっているのか、また、異なっているならばどのように異なっているのか、答えて下さい。それを聞くために今日はお呼びしたんです。」と。
 そして、懲罰対象行為を一つ一つ読み上げ始める。
 熊本委員長、「平成21年11月2日の昼、いいですか? 貴殿が茨城氏と2名で、食堂の出口において、青森事務総長(副会長)に対し面談を迫り、青森事務総長が断ってもさらに面談を迫ってきたこと。こういう事実はありましたですね?」
 小平、「『迫る』というか、お願いをさせて頂きました。」と答える。
 すると熊本委員長は、「お願いであろうが、なんであろうとね」と冷たく言う。
 小平は、「この事実認識は、青森事務総長がそう言われている訳だと思うんですけども、その青森さんの話だけで、終わらせてほしくないんです」と訴える。

 この青森事務総長とのやり取りは1年半も前のことだ。突然聞かれても返答に窮する。小平は、日時までは正確に記憶していなかったが、概ね外形的な事実は存在しているとの認識はあった。しかし、小平は至極丁重に「一度話を聞いて頂けないでしょうか」とお願いをしていた認識であった。また、断られた際に青森事務総長に食い下がった記憶もない。自分(小平)の話を聞く前に、初めから「迫る」と評価されていること自体、公平性を感じられなかった。

 すると突然、書記として参加していた懲罰委員会事務局の大分職員局長が話しに割って入る。
 「それじゃあね、小平さんね、ちょっとこの後もあるからさ。今、喋っている内容をあなたには渡すから。」と、書面が手渡される。
 そこには、『懲戒の対象となる言動』との題名で、“小平の言動”なるものが12項目に渡って書かれている。
 大分職員局長は淡々と話し続ける。「一つ一つ確認するので、弁明がある場合は、弁明書を7月の15日までに出してもらうようになる。」と。

 熊本委員長は再び『懲戒の対象となる言動』を読み上げる。
 「3点目、・・・。4点目、・・・。・・・」
 どの項目も事実が歪められている。
 小平は、「これすごい、事実じゃないですよ。」と弁明しようとする。
 しかし、大分職員局長、「だから全部弁明は、弁明は書類で。」と制する。

 おかしい!面談の冒頭で熊本委員長は、「確認した事実関係について、それが事実どおりなのかどうか、事実と異なっているのか、異なっているのであればどのように異なっているのかという点を答えて頂きたい」と言っていた。だから、事実でないことに対し、「事実ではない」と言っている。それにもかかわらず、事実と異なっている点を話す前に、「弁明は書類で」と。
 話が違う。懲罰委員会は、まったく話を聞こうとしていないではないか!

 小平は必死に訴える。「ほんとに、信じて下さい。ほんとに。なんでこうなっちゃうんですか?これ、誰がこの『懲戒の対象となる言動』という書面を作ったんですか?この文。」
 熊本委員長、「何がですか?」、「これは懲罰委員会で、事情調査をして、作りました。」と何食わぬ顔で答える。
 小平、「すごいですね。これすごいですよ。先生怒られますよ。事実じゃないですから、本当に。」と。
 熊本委員長、「分かった、分かった。そんならそれで、文書で提出しなさい。」
 そして熊本委員長が、『懲戒の対象となる言動』を読み終える。

 小平は質問する。「どなたがこれを、僕がこういうことをやったっていう風に、どなたが訴えているんですか?」
 熊本委員長、「それぞれの方々から全部、あった話だよ。」

 小平は、“『懲戒の対象となる言動』の書面に書かれた人物が小平を訴えた”と聞き、衝撃を受ける。その人物とは、原田会長、長谷川学会本部長(現・理事長)、青森事務総長(副会長)、宮城第一庶務室次長(副会長)、鳥取第一庶務局次長(副会長)など学会本部の最高幹部たちである。また、「対象となる言動」は、約1年半の間に起ったバラバラの出来事を、箇条書きで列挙されている。そして今、いきなり一括りにされて懲罰事由とされているのである。

 小平は焦った。「それぞれの方々が、いきなり全員で、いきなり懲罰委員会の委員長に訴えたんですか?」
 熊本委員長、「そんなことをね、別にあなたに申し上げる必要はない。こういう事実がありましたかと、これは事実ですかと。事実でないと言うなら『事実でない』、それは事実とちょっと違うって言うなら、『違う』と弁明すればいい。」
 熊本委員長は小平の質問には全く答えない。
 小平は必死だった。自分に負ける訳にはいかないのだ。何もせずにいたならば全てが事実になってしまう。懲罰を与えられ、解雇になる可能性すらある。

 小平は必死に尋ねる。「これを突き付けられて、もし弁明書を出さないとなるとどうなっちゃうんですか?」
 大分職員局長、「認めたっていうことになる」
 小平、「これを認めたっていうことになっちゃうんですか!?」
 大分職員局長、「当然。だから弁明の機会を与えている、一方的にならないように。それが民主主義でしょ。」

 こうして私たちは、平成23年7月末までに、『懲戒の対象となる言動』との書面に対して弁明書を作成し、提出することになる。
 このような懲罰委員会のやり方は、小平だけでなく滝川、野口、茨城氏に対しても全く同様のものであった。

 懲罰委員会は、懲戒対象者である私たちから事実確認をする前に、既に『懲戒の対象となる言動』との書面を作成していた。「調査」の段階であれば「懲戒の対象となる疑い」があるに過ぎない。なぜ、すでに「懲戒の対象となる言動」とされているのか。事前の調査などまともに行なっていないことを感じてならなかった。
 懲戒対象者である私たちに何も確認をせず、もう一方の当事者のみ話を聞き、私たちに“懲戒の対象行為がある”と決めつけていたのである。しかも、その内容を面談の前に知りたいと要請したにも関わらず拒否。そして面談当日に不意打ち的に突き付け、事実の有無の言質のみを取ろうとする。
 初めから“結論ありき”であると感じてならなかった。もはや、私たちを辞めさせようとしている。

 懲罰委員会が作成した『懲戒の対象となる言動』の実態

 面談を終えた私たちは、懲罰委員会から渡された『懲戒の対象となる言動』を何度も読み返した。明らかに事実を歪められている。明らかに不当な評価をされている。なぜこのような書かれ方をされ、懲罰に掛けられなければならないのか、不思議でならなかった。
 懲罰委員会は、この『懲戒の対象となる言動』に対し、私たちが弁明しなければ事実として認定すると明言した。事実が全くのウソか、著しく捻じ曲げられた懲戒事由について、私たちは、懲罰委員会を納得させる効果的な弁明をしなければ、それだけで何らかの懲戒処分を受けなければならない状態に置かれた。伝わる弁明でなければ解雇という最悪の事態も考えられる。

 『懲戒の対象となる言動』には、私たちが役職解任処分を受けた以降の平成21年11月から平成23年5月までの約1年半の間に、私たちが池田名誉会長の秘書たち(長谷川学会本部長、宮城第一庶務室次長、栃木副理事長、鳥取第一庶務局次長)に対して、池田名誉会長宛の手紙の受渡しを懇願した行為が取り上げられている。その他、原田会長をはじめとする本部執行部や最高幹部の方々(原田会長、正木理事長、青森事務総長、岩手聖教新聞社編集総局長(本部指導監査委員会副委員長)、高知副会長)に対して“一度話を聞いて頂きたい”と懇談をお願いした行為もあった。
 しかし、本部執行部に一言声を掛けたことが「面談を迫った」とされ、名誉会長秘書からの叱責を謹聴していたことが「口論になった」とされた。そして名誉会長秘書にただ手紙を渡そうとした行為を「手紙の受け取りを執拗に迫る」と記載され、事実が著しく歪曲されていた。
 さらに、『懲戒の対象となる言動』に記載された内容は、日付が特定されていないものや間違えたものまであり、極めて杜撰なものであった。その場に居ない滝川が居たとされる項目もあった。何を根拠に、誰の証言で、この書面が作られたのかが一切不明の信用性に欠ける内容だったのである。

 そもそも私たちが、名誉会長秘書を介して師匠に手紙でご報告する行動を貫いてきたのは、平成14年から23年にかけて、総勢数十人に及ぶこととなった本部職員が関与する「一連の本部職員の問題」を、本部執行部が隠蔽しようとしている実態があったからである。
 平成20年、本部指導監査委員会は、「一連の本部職員の問題」の発端となった、平成14年6月当時に学生部全国幹部であった本部職員の千葉氏と静岡氏が青年部人事委員会を通さず、恣意的に行なった“長野全国副学生部長の総県学生部長代行人事”などの不正人事を隠蔽した。
 他方で、平成16年9月から平成19年9月の3年に渡り、本部職員の和歌山氏や公明党職員の佐賀氏が会合の場で会員京都氏や茨城氏を実名で誹謗中傷し、名誉毀損する行為を繰り返したことに対し、勇気を出して声を上げた会員(京都氏、兵庫氏、木本秀信氏、島根氏)や職員(小平、滝川、野口、茨城氏)を「問題グループ」と認定し、互いに連絡を取り合ってはならないと徹底するとともに「一連の本部職員の問題」に対して以後一切声を上げてはならないとの誓約書を書かせようとしたのである。そうすることで、「一連の本部職員の問題」に蓋をしようとしたのである。
 会員たち(京都氏、兵庫氏、木本秀信氏、島根氏)や私たち職員(小平、滝川、野口、茨城氏)は、こうした本部指導監査委員会の結論には従えなかった。
 会員同志たちは、不当な誓約書ゆえに誓約出来ないことで役職解任処分とされ、さらに不当な仕打ちを受け続け、それでもなお、己に負けず純粋に信仰を貫いていた。しかし、地元組織の対応は、その会員たちのレッテルを剥がすことなく、村八分の状態にし続けた。
 本部職員である私たちは、そうした状態が師匠の命である創価学会の中で絶対にあってはならないことだと思い続けてきたのである。だからこそ、考えられ得る限りの本部職員の幹部の方々に相談してきた。しかし、本部職員の幹部は私たちの相談に対して、対応するどころか、ことごとく拒否か無視であった。
 こうした経緯から私たちは、已むに已まれず、師匠に手紙で報告することを決意し、罰を覚悟で行動してきたのである。
 それとともに、私たちは原田会長を始めとする本部執行部や最高幹部の方々とも対話をしなければならないと考えた。対話をし、本部職員と学会本部の問題点をお伝えし、官僚的かつ硬直化した本部を変革していく端緒としていきたいとの思いであった。そして、自分たちに誤りがあれば指摘して頂き、人間革命していくことも伝えさせて頂きながら、真実を追求するための対話をお願いしてきたのである。
 しかし、原田会長を始めとする本部執行部や最高幹部の方々は、私たちの懇談のお願いに対して、拒否か無視をし続けたのである。さらには、懲罰委員会が動き、私たちの行為は懲罰に掛けられたのである。
 懲罰委員会は、私たちの行為の動機や目的は度外視し、『懲戒の対象となる言動』に私たちの行為の態様が問題であるかのように記載した。そして、まるで私たちが本部最高幹部たちに迷惑行為を行い続けたかのようなストーリーを作出したのである。

 本部の最高幹部たちは、私たちが九州や四国に配置転換されても名誉会長秘書らに手紙を書き続け、面談を求め続ける行動を目の当たりにし、いつしか師匠に報告が届いてしまうことを危惧したのではないか。そして、懲罰委員会を動かし、懲罰委員会という権力を使って私たちの行為を抑えつけようとしたのではないか。

「一つ言われたら、十を言い返せ!相手が十を言ってきたら、百を言い返すのだ!卑劣なデマや嘘に対しては、痛烈に打ち返せ!この破折精神こそ、正義を守る根本である。」(名誉会長指導)

 師匠の仰せ通り、会員同志に尽くし抜き、間違っているものは間違っていると叫ぶのは、今しかない。
 4人は各々、配置転換先の地方に戻ると、連日連夜、必死の弁明書作成の作業に取り掛かるのである。



第14 職員懲罰委員会が作成した『懲戒の対象となる言動』に対する弁明(H23.6.30~H23.8.16)

「不幸の源を塞げ!世の濁乱の根を断て!『破邪』なくして『立正』はない。心の底から民衆の幸福を思うからこそ、勇敢に邪悪と戦うのだ。戦わないのは無慈悲であり、戦えないのは臆病である。」(名誉会長指導)

己の「力」を何に使うのか
暴力なのか 武力なのか

私は
私の「力」の全てを
平和のため
人間の幸福のために尽くしたい
邪悪を破り
正義を貫き
人間の信頼を結ぶために
勇気を出して対話する

自分が自分を支配し
正しく生き抜くこと
そこに
私の
私にしかできない挑戦がある

他人との戦いではない
己の弱き心との戦いである
悪を見たならば 断固戦い抜く
権力の抑圧にも 断固屈しない
ここに
創価三代の師匠の精神がある
ならば
私は
いよいよ勇気を出し
命をかけて声を上げゆく!


 平成23年6月30日の懲罰委員会の面談が終わり、私たちは各々地方に戻り、毎晩、弁明書の作成に取り掛かった。手渡された『懲戒の対象となる言動』と向き合い、必死に題目をあげる。
 懲罰委員会を動かした本部最高幹部たちの意図は、はっきりとは分からない。しかし、「懲罰」を与えることで、本部職員や学会本部の不正に対して声を上げる私たちを威圧し、口を封じようとしているように感じてならない。
 振り返れば振り返るほど、本当におかしな面談であった。

 あまりにも、こちらの話を聞こうとしない問答無用の面談のやり方に、小平は尋ねた。
 「池田先生は(この懲罰委員会の動きを)ご存じなんですか?」と。
 しかし熊本懲罰委員会委員長は、「あの、あなたとね、今は別に論争する場じゃないから。」と言って小平の質問には答えない。
 小平にはその熊本委員長の様子が、ただ話を誤魔化しているように感じられた。
 この熊本委員長の振る舞いから、師匠には何も伝わっていないことを感じる。本部の最高幹部たちが、重大な本部の問題を師匠には何も報告せず、逆に懲罰委員会を使って隠そうとする。今や本部は、一部の幹部のやりたい放題になっていることを感じてならない。

 『懲戒の対象となる言動』には、私たちが本部最高幹部に懇談をお願いしたり、師匠の秘書に手紙を渡そうとしたりする行為が、1年半も前のものまで遡って列記されている。小平は原田会長以下最高幹部ら6名に対する行為を12項目、滝川は5名に対する行為を6項目、野口は4名に対する行為を8項目取り上げられている。
 懲罰委員会は、これらの『懲戒の対象となる言動』の各項目は、“書面に記載されている相手方最高幹部の証言をもとに、懲罰委員会が作った”と説明していた。しかし、私たちに対しては、事前には一言も事実確認をしてもらえることはなかった。一方当事者の話だけを聞いて作成した項目である。
 あり得ないと思った。このようなやり方は、不公平な手続きであると感じざるを得ない。
 また、処分の対象となった各項目は、全ての項目において事実が間違っているか、または“原田会長に対し面談を迫った”、“長谷川本部長(現・理事長)と口論となった”、“青森事務総長に面談を迫った”など、私たちの行為が誇張・歪曲化され、不当な評価がなされている。

 例えば『懲戒の対象となる言動』には、平成21年11月24日の出来事が取り上げられている。
 同日朝8時20分頃、小平、野口、茨城氏の3人は、長谷川本部長の執務場所である創価文化会館2階の総合センターを訪ねた。そして、朝の勤行会が終り、席へ戻ろうとしていた長谷川本部長に声を掛け、事前に用意してきた面談の約束を取るための手紙を渡し、速やかに退出しようとした。しかし、長谷川本部長から「何で今ごろ来たんだ」と叱責され、その場で10分ほど長谷川本部長の話をお聞きすることとなった。
 まず、この日、滝川はその場に行っていない。しかし、『懲戒の対象となる言動』では、この日、滝川もその場にいたこととされているのである。平日の朝であり、滝川は勤務先の横浜池田講堂に通常通り出勤しており、明らかに「嘘」であった。滝川は、「嘘」の事実によって懲罰を受ける危険にさらされてしまっているのである。
 また、この出来事について、小平に対する『懲戒の対象となる言動』には、
「貴殿が,茨城氏,滝川清志氏,野口裕介氏と4人で事前の約束なく,役員室を訪問して,執務中の長谷川本部長に対し面談を迫った結果,長谷川本部長と口論になった」と記載されていた。
 しかし、これは長谷川本部長とのやり取りの事実を著しく歪曲するものであった。

 まず「事前の約束なく」とあり、事前に約束していないことが問題であるかのように書かれている。しかし、この日の3人の行為は、そもそも「面談をして頂けるよう、事前に約束を取るために席まで伺った」行為だった。最高幹部の一人である長谷川本部長に対し、自らが足を運ばずに、最初から電話やメールで面談のアポイントを取るようなことは、明らかに社会常識に反する行動である。だからこそ、直接、席に伺ったのである。それも、多忙な長谷川本部長に時間を取らせないよう、事前に面談をして欲しい理由を手紙に書き、その手紙を渡せれば退室する予定であった。長谷川本部長に手紙を読んでもらった上で、話を聞いて頂けるかどうかを判断して頂きたいと考えていたのである。
 その「事前の約束をお願いする行為」すら、懲罰対象行為とされていたのである。この行為で懲罰を受けるならば、長谷川本部長に懇談をお願いする方法は無い。

 また、「執務中の長谷川本部長に対し面談を迫った」と記載されている。しかし、訪問した時間帯は朝の勤行会後の就業時間開始前である。長谷川本部長が着席する以前に立ち話で終わっており、長谷川本部長が「執務に入る」前に私たちは退室している。「執務中」であったとするには無理がある。
 3人は、ただ長谷川本部長に面談の約束を取るための手紙を渡そうとしただけであり、“その時”、“その場で”長谷川本部長に“面談を迫った”事実はない。

 そのうえ、「長谷川本部長と口論になった」事実もない。3人は長谷川本部長に手紙を渡そうとしたところ、長谷川本部長が叱責し始めたのである。3人は長谷川本部長の話を聞きつつ、誤解がある箇所については誤解を解こうと応答したに過ぎない。そもそも手紙を渡そうとし、その手紙を最後に受け取って下さった一連の流れが、懲罰の対象となるような「口論」に発展するはずがない。

 このように、『懲戒の対象となる言動』には事実が著しく歪曲されていたため、私たちは必死に弁明書に経緯と事実を記載した。書かなければ、懲罰が下される。

 連日夜遅くまで弁明書を書きながら思った。そもそも、長谷川本部長は、師匠から職員の不正を報告する窓口(ヘルプライン)として全職員の前で指名された人物である。私たちが罰を覚悟で師匠に内部通報する行為に対して拒否すること自体、師匠の仰せに真っ向から反しているではないか。
 師匠は全職員に向けて、「次の百年のため、悪い職員がいたら報告しなさい」、「何かあれば、長谷川本部長に言いなさい。そうすれば私の所にくるから。ちゃんと調査します。でも嘘があったら厳しくするよ。そうじゃないと公平じゃないからね。」と明確に指示をされていた。
 懲罰委員会が、3人が平成21年11月24日に長谷川本部長のもとを訪れた行為を懲罰の対象行為に挙げた理由は、3人の行為を懲戒処分にあたるとすることで、“長谷川本部長が師匠の指示に反して、学会本部の問題を師匠に報告しなかった事実”を正当化するためではないか。絶対におかしい。

 また、野口に対する『懲戒の対象となる言動』には、師匠の秘書であり御子息の宮城第一庶務室次長(副会長)との平成22年3月8日のやり取りが取り上げられている。
 同日の本部全体朝礼前の8時45分頃、野口は、学会本部のエレベーター内で、宮城副会長に対し、同月1日に渡していた師匠宛ての手紙を、師匠にお渡ししてもらえたかを尋ねた。
 しかし、宮城副会長は、「渡せるわけがない。」、「そんなことばかりやっているから反逆者のように見られるんだ。」と野口を叱責するという出来事があった。

 ところが、野口の『懲戒の対象となる言動』には、
「平成22年3月8日の朝,貴殿は,宮城副会長に対して,池田名誉会長に手紙を渡したかどうか執拗に食い下がったこと。」と記載されている。
 しかし、このとき野口は1階から5階に上がるエレベーター内で、宮城副会長とわずか1分弱のヒソヒソ話のようなやり取りをしたに過ぎない。「執拗に食い下がった」事実はないのである。

 師匠の御子息であり、秘書でもある宮城副会長に私たちの報告(本部の問題)が伝われば、宮城副会長の判断を通じて、師匠に私たちの報告(本部の問題)が届く可能性がある。
 ゆえに、懲罰委員会は私たちが宮城副会長に接触したことを罰することで、私たちが宮城副会長に近づく行為自体を禁止し、私たちの報告(本部の問題)が師匠に届くことを防ごうとしたのであろう。問題行為として取り上げるには、あまりに強引なやり方であると感じてならなかった。

 懲罰委員会は、『懲戒の対象となる言動』のすべての項目で虚偽や誇張・歪曲化した事実を書き綴り、私たちが問題行動を取っていたかのように作出している。私たちの正当な行為(内部通報)を封じようとしていると感じてならない。

 私たちは、必死に題目をあげながら、弁明書に向き合い続けた。
 自分がいかなる懲罰を受けようとも、弟子として“間違っているものは間違っていると叫ぶこと”が出来なくなったならば、自分は職員である資格は無い。
 本部職員の根本は、師の仰せに照らし正しいのか間違っているのかである。それが行動の基準、規範として問われるべきである。懲罰委員会の審査であってもそれは例外ではない。

 「後世のために申し上げておくが、幹部が威張ったり、堕落して、そのために会員が犠牲になるような組織だけはつくってはいけない。
 どこまでも、人間性あふれる幹部であり、組織であり、普遍の法に則った学会であらねばならない。
 もしも、仏法に違背するような幹部が出れば、きっぱりと正しい意見を言い切っていくべきである。その人が本当に学会を守る人である。」(名誉会長指導)

 私たちは、懲罰委員会に余すことなく真実を伝えるため、自分たちが師匠の仰せを胸に必死に行動してきたこと、そして本部最高幹部が師匠の仰せに反する言動を繰り返してきた事実を書き綴る。
 そして、約1か月かけて弁明書を書き上げ、平成23年7月26日から31日にかけて、各々職員局の長崎氏宛に送付したのである。

 懲罰委員会へ追加の書面を書く

 弁明書を出してから、私たちは毎日必死に御本尊に祈り続けた。題目をあげれば上げるほど、職場の権力を恣意的に使い、「本部職員の不正」、そして「不正を隠蔽しようとする本部の不正」に声を上げる人間の口を封じようとするような、学会本部の強圧的なやり方に疑問を感じてならなかった。しかも、その方法は「嘘」や「事実を誇張・歪曲化」し、人を陥れるやり方であって、悪意を感じざるを得ない。そもそも対話ができないのだ。対話さえできれば何の問題もない。しかしそれができないことが問題なのだ。
 また、私たちは自分たちを懲罰委員会にかけた人間(発起人)が誰なのかさえ、知らされていない。見えない相手に懲戒を与えられる状況となり、見えないその相手に応戦している。それ自体、明らかにおかしい。
 私たちは、“誰から「懲罰の対象にすべきである」という話があったのか”を面談の場で熊本懲罰委員長に尋ねた。しかし、熊本委員長から、「どこからということをあなたに申し上げる必要はございません。」と言われ、私たちを懲罰委員会にかけた発起人さえ教えてもらえなかったのである。

 こうした面談のやり方は、私たちが平成20年の本部指導監査委員会から受けた扱いと同じであるように感じてならなかった。
 「誰が私たちを訴え(発起人)、それはどのような内容(証言)なのか」を説明せずに、抽象的な事柄で陳述書の提出を要求する。そして、「誰が委員会のメンバー(審判)なのか」、「一体何を問題視しているのか(争点)」についてさえ、一切説明されることなく、密室的に進められてしまう。
 さらに、私たちが陳述書に書いた事実や質問項目に対して、まったく回答も説明もなされない。そして結論だけ伝えられて終えられてしまうのである。

 何度題目をあげて考えてみても、このような本部のやり方は公平厳正ではないと感じざるを得ない。
 自分たちがすべて正しいなどとは思っていない。しかし、公正に判断するための公式機関が、弱い立場の人間の話を聞かずに、本部の最高幹部にとって都合がよい結論に偏ってしまうのであれば、それはおかしいと声を上げなければならない。
 たとえ本部の公式機関であっても、師匠の御指導に照らし、間違っていることは間違っていると伝えなければならない。“本部が決めたことだから”、と問題を曖昧にして終えてしまえば、それこそ組織の硬直化、官僚化はまぬがれないと感じてならない。

 私たちは、懲罰委員会に対し、追加で書面を提出することを考える。
 その書面に記載した内容は、以下の4点である。
 (内容を簡単にまとめる)

 1点目、『「嘘」を使って私たちを懲罰にかけた発起人に対する厳格なる「処罰」を要望すること』
 「発起人の行為」は嘘と誇張を持って私たちを懲罰にかけようとするものであり、もはや犯罪行為である。したがって、私たちを懲罰にかけた「発起人」こそ、懲罰委員会にかけるべきである。また「発起人」が誰であるのかを私たちは知る権利がある。

 2点目、『原田会長と対話をさせて頂きたいこと』
 これまで原田会長には合計9回にわたって手紙を書いてきた。原田会長から「役員室で面談のアポイントを取るように」と指示された以降だけでも、面談の希望を役員室の徳島部長に相談しながら4回にわたって提出してきた。しかし、一度も話を聞いていただける機会はなく、原田会長とのやり取り自体が懲罰の対象行為とされている。
 創価学会は、「対話の創価」である。私たちに間違っている点があるならば、率直な対話によって具体的に伝えて頂きたい。

 3点目、『不当な異動人事の撤回を求めること』
 私たちに対する地方への配置転換は、青森事務総長が説明した「業務交流人事」ではない。
 これまでに、小平は九州最高幹部の愛媛副理事長から、「前提として君(小平)が職員を続けるのであれば、僕は白紙で見守っていきたいとの思いがあって九州に受け入れた」と伝えられ、野口は某管理第一部長から、「今回の人事異動は組織の問題が理由です。会長、先輩の指導を聞けない人間に、池田先生周りの仕事をさせられないと上が判断した」と伝えられた。
 これらの言葉から、私たちに対して行なわれた異動人事は、“私たちを本部から、そして師匠から遠ざけようとする目的で行なわれた”と言わざるを得ないものである。
 また、平成21年4月の職員規律委員会の結論では、本部指導監査委員会が取り上げた私たちの行為について、「職員として問題なし。」、「職場でどうのこうのする問題ではない。」としていた。それにも関わらず、監査が取り上げた私たちの行為を理由に職員人事を行なうことは不当であり、今すぐ撤回すべきである。

 4点目、『会員に対する「役職解任」について、撤回を要望すること』
 本部指導監査委員会の誓約書に誓約しなかった会員4名(京都氏、兵庫氏、木本秀信氏、島根氏)は、役職解任になった。その決定について、本部指導監査委員会の岩手副委員長(副会長)からは、「解任は会長が決めたんだから会長に行け」と言われ、会員に処分を通知した高知副会長からは、「解任は本部が決め、会長が了承したんだ」と言われた。
 しかし、原田会長に処分を了承した理由を聞こうとしても、原田会長は一度も対話に応じて頂けない。本来、処分理由について説明をしない理由はないはずである。
 そもそも、会員4名は、本部職員である和歌山氏、公明党職員の佐賀氏に誹謗中傷された被害者であり、本来、役職解任される理由などない。原田会長をはじめとする最高幹部の対応から、会員4名の役職解任は不当なものであったと言わざるを得ない。

 以上の4点について明確な回答と処罰、処分撤回を要望した。また、今回の懲罰委員会における私たちへの「懲罰」についても、その根拠を書面で示して頂き、内容を明確にして頂くことをお願いした。

 滝川は4人を代表し、平成23年8月16日付けで職員懲罰委員会宛てに、追加の弁明書を郵送する。
 今回、懲罰委員会が自分に対して下そうとしている結論は、私たちを学会本部から排除する目的があるように感じてならない。今の本部は、師匠のお心とあまりに違いすぎる。
 そう感じれば感じるほど、師匠の仰せに反すると思うことは、断固言い切っていかなければならない。我が身を守れば、創価が護れぬ。我が身を守れば、師匠が護れぬ。
 御本尊様、どうか我が身を守ろうとする僅かな命も絶ち切らせてほしい。弱き自分を乗り越えたい。
 祈れば祈るほど、師匠への感謝に自然と涙がこぼれてくる。正義のために、正義のために死んでやる!我が命を断じて捧げぬいて!!



第15 懲罰や人事を使って制裁を与える学会本部の実態(H23.7~H23.9.19)

『師弟とは、人間の究極の道である。
命がけの決心でなければ、継ぐことはできない。勇気があるのか、正義が燃えているのか、分からない──そんな中途半端な姿ではいけない。
観念ではない。明確な「行動」がなければならない。
小さな自分をなげうって、人生の最後の瞬間まで、師匠の正義を叫び、大恩に報いていく──これが弟子の道である。
今、新しい創価学会を築く時である。後継のリーダーは「師弟なくして仏法はない」という一点を、わが生命に刻みつけていただきたい。』
(名誉会長指導)

師がいたからこそ
 苦難を越えられた
師がいたからこそ
 幸福になれた
師がいたからこそ
 人生の価値が生まれた
 
師弟を深めるために組織があり
民衆の幸福のために創価がある

決して
組織のための師弟でもなければ
創価のための人間ではない

「正義」と「創価」とは
「一人の人間のために」
 この一点にある
ならば
 我が人生
 人間のための創価を築くことが
 師恩に報いる 正義の道ではあるまいか!
 師恩に報いる 弟子の道ではあるまいか! 

 師のお心を 我が心とし
 師の叫びを 我が叫びとし
 尊き我が命を尽くし抜き
 断固として正義を叫び抜く!

 今こそ!三代の精神を護り抜け!!
 今こそ!人間のための創価に帰れ!
そして 我が生命よ!
 今こそ!師恩に報いる 苦難の弟子たれ!!


 懲罰の対象行為に唯一取り上げられなかった山梨女史に手紙を書く

 職員懲罰委員会から提示された『懲戒の対象となる言動』には驚くべき内容が記載されていた。それは、私たちが原田会長を始めとする本部執行部に対し、懇談をお願いした行為や名誉会長秘書に手紙を渡そうとしただけの行為が、懲罰の対象となる行為として列記されていたのである。
 本部執行部は、本部の決めたことに従わず声を上げる人間に対して容赦なく権力を行使し、その言動を封じようとしている。私たちの話を一度も聞かないまま、半年ごとに地方へ異動させる制裁人事を繰り返し、さらには自らが証言者となって懲罰委員会を動かす。
 もはや、私たちの必死の声は全て本部執行部に対する非違行為と判断され、そして初めから加害者であると決めつけられたのである。
 しかし、ただ一つ不思議なことがあった。
 それは懲罰委員会の『懲戒の対象となる言動』には、私たちが山梨女史に対して手紙を書いていることについては、一切取り上げられていなかったことだった。
 これまで私たちは、山梨女史に対して合計8通の手紙を書いて面談を懇願し続け、師匠への報告のお願いもしてきた。しかし、『懲戒の対象となる言動』の記載事項には、山梨女史の名前すらなかったのである。
 師匠の御子息の宮城第一庶務室次長(副会長)に手紙を渡そうとした行為は取り上げられている。しかし、師匠の側近中の側近である山梨女史に手紙を送付した行為は、一つも問題とされていない。実に不思議なことだった。

 私たちは考えた。
 “山梨女史は、私たちから手紙が送られてきていることを本部執行部に伝えていないのではないか。”
 “山梨女史は、私たちが報告した本部職員と本部執行部の不正、そしてそれを隠す学会本部の不正を師匠に報告すべきかどうか、誰にも相談できずに悩み、葛藤を続けておられるのではないか。”
 ほんのかすかな光である。しかし、私たちにとってはそんな光も大きな希望だった。
 “山梨女史から師匠に報告を届けてもらえる可能性が無いとは言えないのではないか。”
 私たちが無実の会員同志たちの正義を証明するために出来ることは、山梨女史から師匠に手紙を届けて頂けることを祈り信じ抜き、山梨女史に手紙を書き続ける以外にない。
 私たちは毎晩、山梨女史への手紙の内容を考えては話し合い、何度も何度も推敲を重ね、山梨女史へ9通目の手紙を作成する。もう山梨女史への手紙は9通73ページに渡っていた。

 私たちは山梨女史への手紙に大要以下の通り記した。

「平成23年6月に懲罰委員会から呼び出しを受けました。渡された『懲戒の対象となる言動』には、私たちがこれまで本部執行部の方々に『面談を懇願』してきた行為が取り上げられ、『面談を迫った』、『口論になった』と、事実を著しく誇張・歪曲されて書かれていました。
 私たちの話を一度も聞く事無く、すでに『懲戒の対象となる問題行為』をした人間として、私たちを処罰する方向に進んでおり、その場にいない人がいるとされたり、事務所を退出していたのに事務所に居座ったとされたり、事実とまったくかけ離れた『嘘』の内容が書かれていました。」

「自分達は、決して自身への懲戒を恐れているのではありません。会長や執行部に『面談を懇願した』ことが『懲戒の対象』となってしまう事実を恐れているのです。『対話』という、ごく自然で、創価において最も大事であるこの行為が、『懲罰の対象』とされていることに強い危機感を感じているのです。
 これは師匠の『「対話」「話し合い」を無視した一方通行のやり方は、明らかに大聖人の教えに反する。師への反逆という謗法なのである』との仰せの通り、師匠への反逆行為だと思うのです。」

「懲罰委員会からの呼び出しを受けて思うことは、先生の手の届かない所で、力を悪用し始めた人間がいるのではないかということです。本部の公式機関である懲罰委員会を私的に利用してしまうほど、権力を悪用する人間が出てきたように感じるのです。その人間が、今回懲罰委員会に『問題として依頼した人間』であるように感じてなりません。
 池田先生は『万が一にも、師弟をないがしろにし、学会を自分の思う通りにしようというような人間が出たら、皆で戦うことだ。こうした悪人を絶対に許してはならない』と御指導されています。
 私利私欲の為に学会の公式機関を動かし、学会を個人的感情で利用する人間がいることが、創価の存続に関わる大問題だと思うのです。だからこそ、師匠にお伝えしたいのです。取り返しのつかない事になってしまうことを恐れるのです。」と。

 そして最後に、平成23年3月の山梨女史宛の手紙に同封した、師匠宛の手紙を師匠に渡して頂きたいことと、一言でも原田会長と対話を懇願している青年がいることを師匠にお伝えして頂きたいことを書き、手紙を締めくくった。

 さらに山梨女史宛の手紙には、少しでも山梨女史に本部の実態を知って頂きたいとの思いを込め、私たちが懲罰委員会に提出した弁明書の一部を同封し、平成23年8月21日、山梨女史宛に郵送したのである。

 野口の四国への配置転換も制裁人事であったこと

 平成23年7月から9月にかけて、毎年恒例となっている、全職員を対象に行なわれる職員面談が実施された。
 野口は、学会本部の職員局に提出する『職員面談シート』に、四国へ異動する前の職場である本部管財局への異動を要望する旨を記入した。
 野口は平成23年2月1日に学会本部から四国池田文化会館に赴任して以来、異動先の四国総務部では、約半年間、ほとんど仕事は与えられない。一日の仕事量は30分にも満たなかった。フロアの真ん中のデスクにただ座り続ける日々。苦痛以外なかった。
 そもそも野口が学会本部から四国への配転を命じられた際には、小平や茨城氏のように「業務交流人事である」といった異動理由の説明すらなかった。
 何のために学会本部から、縁もゆかりもない四国へ配転となるのかが、一切不明であったのである。
 異動した当初から、どう考えても本部指導監査委員会の誓約書に誓約しないことに対する制裁的人事以外、考えられなかった。

 本部職員として、いかなる場所であっても業務に精励し会員の方々に奉仕することは当然だと思っている。しかし、このまま四国にいたならば、故郷の地元組織で役職解任処分となった会員同志が不当な仕打ちを受け続けている問題は風化されていってしまう。
 一刻も早く本部に戻り原田会長を始めとする本部執行部に対話の場を持って頂き、不正を隠蔽する学会本部の実態をお伝えし、学会本部を変革していく端緒としていかなければならない。
 そのためには、何とか四国最高幹部に、四国への異動が不当な制裁人事であることを伝え、元いた職場である本部に戻してもらうことを訴えるしかない。

 平成23年8月19日、四国の最高責任者の一人である宇都宮事務局長との職員面談が行なわれる。
 宇都宮事務局長は、野口の『職員面談シート』を見ながら話す中で、「ゆくゆくは本部に戻りたいという要望なんですね。」と尋ねてくる。
 野口は、自身が体験してきた一連の本部の問題と、本部への異動を要望する理由を伝える。
 平成21年4月に職員規律委員会が「職員として問題なし」、「職場でどうのこうのしてはならない」との結論を通知したにも関わらず、職場の上司である某管理第一部長から「今回の人事異動は組織の問題が理由です。会長、先輩の指導を聞けない人間に、池田先生周りの仕事をさせられないと上が判断した。」と言われ、本部管財局に異動となる不当な人事が行なわれたこと。
 さらに、同じく役職解任となった滝川は神奈川に、小平は九州に、茨城氏は広島に配置転換となり、異動先の最高責任者から「白紙で見守る」「九州で受け入れてあげた」などと言われていることを伝え、これらの経緯からすると、自分の四国への異動人事も、誓約書を提出しないことに対する制裁人事ではないかと、思っていることを伝えたのである。
 すると、宇都宮事務局長は、「それは、そうだと思う。」と、野口に対する四国への異動人事が制裁人事であることをあっさりと認めたのである。

 不当な動機・理由による配置転換は、社会的にも問題であり、学会本部の社会的信用に関わる重大な問題である。しかし、宇都宮事務局長にそうした問題意識は全く無かった。むしろ宇都宮事務局長は、「理由はどうあれ本部の決定には従うべき」と、当然のことのように話すのである。
 この方面組織の盲目的な“理由はどうあれ、従うべき”との思考が、ますます学会本部の官僚体質を増長させているように思えてならなかった。

 九州の小平に対するさらなる配置転換

 九州の小平に対して、平成23年7月26日、突然、某九州総務部長から「7月29日に職員人事内示式を行なう」とのメールが来た。小平が平成22年4月1日付で九州文化会館に赴任してから、約1年4か月が経過していた。
 指定された7月29日11時、小平は人事対象者の集合場所である九州文化会館3階第2会議に行くと、10名以上の人事対象者が集合していた。一人ずつ別室に呼ばれていき、小平の順番は最後であった。名前を呼ばれて別室に入ると、九州最高幹部の愛媛副理事長(総九州長)、某九州長、前橋事務総局長が並んで座っている。

 冒頭、前橋事務総局長から伝えられる。
「平成23年9月1日付けで、九州納骨堂事務局の九州多宝納骨堂に異動。」

 小平は一瞬頭の中が真っ白になる。
 小平は、平成22年4月に「業務交流人事」との名目で九州に来て以来、九州文化会館1階にある事務局で働き、担当した管理、管財、購買業務に全力を注いでいた。
 それとともに、故郷の地元組織で会員同志が不当に苦しめられている問題の解決に苦心し、毎晩、家に帰ると、山梨女史や原田会長に手紙を書き続けていた。
 本部職員の不正を隠蔽し、会員を犠牲にし続ける学会本部の問題を師匠に隠し続ける実態、そして対話が出来ない学会本部の実態を一刻も早く解決すべく全力を注いでいたのである。
 しかし、平成22年12月15日に、小平は九州の最高責任者である愛媛副理事長から、「九州で再出発の道を歩む意思があるのであれば、白紙で見守っていきたいという思いがあって、君を受け入れた」と伝えられた。愛媛副理事長は、小平の九州への異動が「業務交流」などというのは表向きの理由に過ぎず、小平に対する「制裁人事」であることを知っていたのである。
 しかし、今回の職員人事では、さらに九州文化会館から離れて福岡県の最西端である糸島市の、「九州多宝納骨堂」への配転命令が下されたのである。共に地方への制裁人事を受けている職員同士での話し合いや、不当に扱われている会員同志の話を聞くために飛行機で故郷に駆けつける時間も制約される。さらに厳しい状況に置かれる人事に悔しさが込み上げてきた。
 それでも、それでも諦める訳にはいかないのである。師匠に誓った約束がある!!
 小平は、自分に対する配置転換の真実を明らかにしなければならないと思った。九州納骨堂事務局に異動となる前に、何とか愛媛副理事長(総九州長)に懇談の場を持って頂きたいと思ったのである。
 小平は必死に愛媛副理事長に懇願した。
 「私はどんな職場であっても全力でやっていくことは変わりません。ただ去年からお願いさせて頂いていますが、どうか一度、しっかりと時間を取って話を聞いて頂けないでしょうか。」、「何とか、私が糸島市の納骨堂に行く前の8月中に、ご多忙とは思いますが、何とか、お願いできないでしょうか。お願いします。」と。
 愛媛副理事長は表情を変えることなく一言、「検討します」とだけ答える。

 九州方面の中心会館から、福岡県の最西端の納骨堂への異動。どんどん学会本部から遠ざけられていく。
 いかなる場所に異動となっても絶対に諦めない。どんな状況になろうとも、また、いかなる環境であっても、絶対に負けない!師匠の仰せ通りに生き抜くこと、それ以外に今世に生を受けた意味はないのだ!
 自分のやるべきことは、真実を伝え抜き、不当な会員への処分を撤回させること。また、こうした制裁人事が不当・無効であることをはっきりさせる以外にない。そして、一刻も早く本部に戻り、硬直化した組織を変えねばならない。そうしなければ、さらに多くの会員さんが傷つくことになる。

 平成23年9月1日、小平は九州多宝納骨堂へ配転となる。自宅から高速道路を使って1時間近くかけて車での通勤が始まった。毎日夜を徹して手紙を書き、また共に制裁人事を受けている職員同志で手紙の内容等について話し合う生活が続く中、新たに一から業務を覚えなければならないない。一刻も早く会員同志の無実を明らかにし、創価の変革を進めて行かなければならないにも関わらず、時間だけが無情に過ぎていく。実に苦しかった。

 翌9月2日、愛媛副理事長(総九州長)との懇談の機会が得られないまま、九州多宝納骨堂で前橋事務総局長との全職員対象となる職員面談が行なわれる。
 小平は、九州への配置転換が「業務交流人事」などではなく不当な制裁人事であることを必死に訴える。そして、その旨学会本部の大分職員局長に伝えてもらうことを前橋事務総局長に要望した。
 2週間後の9月16日の昼過ぎ、小平は九州文化の前橋事務総局長に確認の電話をする。
 小平、「本部の大分職員局長に、“交流人事は不当であり、小平が早急に本部に戻ることを要望している”ことを伝えてもらう件はどうなりましたでしょうか」と。
 すると、前橋事務総局長は「その件は本部局長会で上京した時に伝えました。大分職員局長は『わかりました』と言っていました。」と返答した。

 大分職員局長の「わかりました」との返答の意味は全く不明である。本部執行部が、こうした暖簾に腕押し的な対応をし続け、一連の本部の問題に対して全く取り合わずにいたため、今の学会本部の状況があるのだ。学会本部の無責任体質がここにあるのだ。
 自分が我慢すれば何か問題は解決するのか。いや違う。問題は一切対話をせず、懲罰までかけ、配置転換を繰り返してまで、問題を隠し、学会本部の体裁を守ろうとする体質なんだ。力ずくで立場の弱い者を抑えつける学会本部のやり方にあるんだ。本部執行部は、対話によって問題の根本解決をしていくのではなく、保身と妥協から、懲罰や配置転換といった外圧的な方法で問題を安易に処理しているのだ。
 しかしそうしたやり方は、師匠の仰せとは違う。対話を根幹とする創価の思想とは相反するものである。
 自分は奇しくもこうした学会本部の問題に出合った。
 ならば、この問題と徹底して向き合わねば、自身の使命を自ら失うことになる。我が使命を失えば、本部が改善されることはない。排除・隠蔽といった力の論理で物事を終わらせようとする本部の体質が変わることはない。声を上げ続けることが、この問題に出合った自身の果たすべき使命であると小平は思ったのである。
 環境が苦しくなればなるほど、師匠のお心を感じてならなかった。

「皆がおかしいと思っても、それを口に出せないような特別な存在を、つくってはならない。学会は、峻厳な師弟の精神に貫かれた、平等な同志の世界である。悪に対しては、勇敢に声を上げることだ。徹して強く責めることだ。臆病ではいけない。臆病は、ずるい。ずるいのは『悪』である。
 悪を見ながら、放っておいて戦わないと、自分が悪と同じになってしまう。」
(名誉会長指導)

「創価学会の決めたことだから正しい」「本部が決めたことだから正しい」
「師匠の近くにいる幹部だから正しい」
 この師匠の存在を利用する本部職員の慢心、堕落、独善は学会本部を根底から崩す原因になると思えてならなかった。
 今、声を上げなければ絶対に創価を守れないと感じてならなかった。

 職員懲罰委員会宛に2通目の追加書面を送る

 私たちは、平成23年6月30日に懲罰委員会にかけられたことから、平成23年7月末に、各々懲罰委員会宛の弁明書を提出した。
 その後8月16日には、懲罰委員会に対して「私たちを懲罰にかけた『発起人』に対する処罰を要望すること」や、「不当な制裁人事の撤回を求めること」などを訴える追加書面を提出する。さらなる難を受けようが、間違っているものは間違っている!

「言うべきことを、断固として言い切る。正しいことを『正しい』と言い切る。間違っていることを『間違っている』と言い切る。そこに、本来の仏法者の生き方がある。」(名誉会長指導)

 しかし、懲罰委員会からの反応は無かった。
 そうしたところ、同年9月1日付けの聖教新聞にオリンパス株式会社を相手取った一社員の裁判記事が掲載される。それは、社内の不正を告発した社員が不当な配置転換を受けたことに対して賠償と配転無効を求めて裁判を起こし、東京高裁で逆転勝訴したとの記事であった。
 裁判所が下した判決は、上司が「内部通報に反感を抱いて、必要のない配転命令をした」、「人事権の濫用」があったと判断し配置転換を無効とする、というものである。
 私たちは、この「配置転換の無効」を認めた判決を、懲罰委員会にかけられている最中に聖教新聞で知ることになり、その不思議な意味を感じてならなかった。
 私たちは本部職員の不正とそれを隠す学会本部の問題を知り得た職員として、師匠の側近や御子息を介して師匠に報告しようとしたところ、次々と地方へ配置転換された。
 そして小平は、学会本部から九州に異動となり、愛媛副理事長(総九州長)から「前提として君(小平)が職員を続けるのであれば、僕は白紙で見守っていきたいとの思いがあって九州に受けいれた」と伝えられている。
 野口も四国の最高責任者との懇談の際、四国への異動は組織の問題(本部指導監査委員会が下した誓約書に従わなかったこと)が理由であることを認められている。
 これらの配置転換は、“内部通報者に対する学会本部の仕打ち”であり、社会的にも法律違反とされる人事権の濫用のように感じてならなかった。

 さらに、懲罰委員会が取り上げた『懲戒の対象となる言動』には、原田会長が小平と茨城氏に対し、「役員室に面談のアポイントを取りなさい」と指示した時のやり取りがあった。しかし、これも明らかに原田会長の立場を利用した処罰のように思えてならない。
 私たちは原田会長の指示した「役員室に面談のアポイントを取りなさい」との言葉を信じて、平成22年11月16日に面談の要望書を提出した。そして、平成23年1月28日、3月21日、6月11日と4度に渡り、アポイントをとるために会長に手紙を出している。しかし、一度もアポイントが取れることはなかった。
 その会長の「言行不一致」の振る舞いを隠すかのように、原田会長本人の証言によって、その日のやり取りが「懲戒の対象となる言動」であるとされていたのである。

 そもそも、私たちは、本部執行部も了承した本部指導監査委員会の誓約書に誓約しなかったことから、謹慎処分、謹慎延長処分、役職解任処分と3度に渡る処分を受けている。
 しかも、その後の職員規律委員会は、本部指導監査委員会が取り上げた「一連の問題」について職務審査を行なった結果、「職員として問題なし」、「職員規律への抵触なし」との結論を下しているのである。
 ゆえに本来、学会本部が私たちに対して、誓約書に誓約しないことを理由に職務上の処罰を与えることは、本部執行部自らが決定に関与した職員規律委員会の結論に矛盾する問題である。
 それにも関わらず、小平と茨城氏は、「交流人事」との名目で地方への異動を命じられ、その異動先の最高責任者からは「制裁人事」であることを伝えられているのである。
 その後、原田会長の指示通り、アポイントを取ろうと4度に渡り申請や確認の手紙を役員室に提出するが、一切返答はない。それどころか、私たちが原田会長からの返答を待つ中、原田会長の証言によって懲罰に掛けられ、懲罰委員会から召集されることになっている。
 こんなことがあっていいのか!創価学会本部がこんな不正をしていいのか!絶対にあってはならない!!
 師匠が命を削り築き上げてきたのは、社会の模範であるべき創価学会ではないのか!会員の方々は、社会で創価の看板を背負いながら実証を示そうと奮闘されている。そうした会員によって成り立つ創価学会で、このような違法な行為を正当化させることなど絶対にあってはならない。断じて、揉み消されてしまうことがあってはならない!
 弁明書の提出期限からは一か月以上が経過していた。
 私たちは、懲罰委員会に、あらためて追加の書面を書くことを決意する。
 そして以下のような内容を記した。

「一般社会ですら許されない人事権の濫用、人権侵害が、師匠の命である『会員のための公平な創価の組織』にあって、絶対に許されて良いはずがないのです。もし懲罰委員会が執行部と癒着があり、こんなことが許されてしまうならば、創価学会を守るためにも、また、誰が師匠に反逆しているのかを明確にするためにも、司法の場で全てを明らかにし、創価を守らなければならないと感じております。
 誰が師匠に違背しているのか。誰が反逆者なのか。誰が師匠の言葉を建前として軽んじているのか。明確にしなければ、真に創価を護ることはできないと感じているのです。」

「池田先生は『もしも将来、創価学会において、会長が上、会員が下となったならば、そのときは創価学会も邪教です』と言われているのです。本部職員の不祥事が師匠に届かないよう、会員の声を無視し、さらには指摘した会員が反逆者とのレッテルを貼られ続けるならば、正しき創価を取り戻すために命を懸けて戦わなければならないと覚悟しています。
 どうか、職員懲罰委員会の一刻も早い判断をお待ちしております。公平厳正な判断をお待ちしております。」と。

 平成23年9月11日、私たちは4人連名で、祈りながら懲罰委員会宛てに追加の書面を郵送する。

 懲罰委員会に証言した原田会長への手紙

 私たちは諦めない。懲罰委員会に証言した原田会長にも手紙を書くことを決意する。
 原田会長は、創価学会の運営上の最高責任者である。しかし、その原田会長は、自らが小平と茨城氏に対して「役員室に面談のアポイントを取りなさい」と伝えていたにも関わらず、私たちのアポイント申請に対して一切返答がないだけでなく、その時のやり取り(小平と茨城氏の行為)を懲罰委員会にかけたのである。
 そもそも、一度でいい、たった一度でも会長と話をすることが出来れば、私たちが本部最高幹部たちに懇談をお願いすることも無かった。
 師匠の指導に照らして絶対に正しいとは思えない。いや、断じて間違っているのだ!!
 師匠の弟子として、たとえ創価学会の最高責任者である原田会長であっても伝えるべきは伝えなければならない!もし、懲罰委員会が本部執行部と癒着し、私たちに不当な結論を出すのであれば、本意ではないが公平厳正に正邪をはっきりさせるため司法の場においてすべてを明確にする覚悟であることを伝えなければならない!
 
 私たちは、勇気を持って原田会長への手紙を書いた。
「会長、こんなことがあっていいのでしょうか。こんな懲罰を了承していいのでしょうか。『面談の懇願』が懲罰の対象。私はあまりのおかしさに『この通知文の内容は誰が証言したのですか』と質問しました。すると懲罰委員会の熊本委員長は『この通知文は、(通知文に)書かれている人の証言をもとに作りました』と伝えられたのです。さらに衝撃を受けました。証言者が会長だというのです。私は本当にこんなことが許されていいのかと思いました。」

「『対話』ができないならば、なぜできない理由を伝えて頂けないのでしょうか。なぜ、私たちから一度も話を聞くことなく、最後は面談を求めたから『懲罰』になってしまうのでしょうか。私は全く理解できません。こうしたやり方は師匠のご指導からあまりにもかけ離れている。
 私たちの『交流人事』も嘘でした。九州に異動となった小平は、愛媛総九州長から、『君(小平)が職員を続け、九州で再出発の道を歩む意思があるのであれば、僕は白紙で見守っていきたいとの思いがあって九州に受け入れた』と。そして、今年の7月、さらに九州多宝納骨堂へ異動となったのです。全部『嘘』でした。本部から伝えられていた『交流人事』は『本部の指導に従わないことへの制裁』でした。もはやこれは明確な法律違反です。」と。

 そして、続けて
「私は先生の弟子として誠実に生き、死んでいきたいと願ってきました。いかなる誤解があろうとも、創価の為に私は自身の人生をかけて真実を叫びます。師匠が『話を聞かないやり方』を正しいと仰ることは絶対にありません。私は創価を護るために生き続けます。こうしたやり方が『正義』として通用するならば、誰が創価を破壊する人間か、師匠に違背する反逆者は一体誰なのか、真実を明確にし、満天下にしめさなければならない。すべてを明らかにし、創価を護らなければならないと考えています。
 会長が証言した『懲罰』の結論によっては、司法の場ですべてを明確にしていきたいと考えています。」と書き綴った。

 最後は、「原田会長、最後に懇願させて頂きます。今一度対話をして頂けますよう。何卒お願い申し上げます。」と締め括った。
 平成23年9月19日、私たちは原田会長に手紙を郵送する。

 これまで原田会長には9通110ページに渡る手紙を書いてきた。しかしすべて無視。それどころかそうした懇談をお願いする行為が懲罰にかけられてしまう。これ以上対話を求めればさらに厳しい状況になるだろう。職を失い、創価の会員としての資格を失うかもしれない。
 九州多宝納骨堂に異動になった時、それを知った地域の会員さんが心配をしてくれた。「もうこれ以上対話を求めることはやめて欲しい!創価学会にとって大切な人です!これ以上対話を求めれば取り返しのつかないことになる!」
 今でもその言葉が蘇ってくる。本当に嬉しかった。力のない自分である。そんな自分を護ろうと必死に伝えてくれた。自然と涙がでた。ただただ、ありがたかった。やはり、これで良い。これで良いのだと心から思った。一人の会員のために。そのために命を捧げられる自分でありたい。一人のために喜んで我が命を捧げる。
 それが、師が命をかけて教えて下さった弟子の道だと信じて。

 創価は断じて会員のためにある!その創価を社会的な不法行為まで正当化するような組織にだけは絶対にしてはならない!それは師匠への忘恩であり、裏切りである!!
 小平は自分に言い聞かせた。
 すべては勇気だ!全部勇気なんだ!そして勇気は自分が出すんだ!
 何ものも恐れる必要はないではないか!!
 なぜなら
 師匠は我が胸中に厳然とおられる!!
 我が命に厳然とおられるのだ!!



リンク
プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールのやり取りを希望される方は以下の3名共有のアドレスにお願いします。
harunokoimejapan20150831@yahoo.co.jp
最新記事
カテゴリ
カウンター
月別アーカイブ
プライバシーに配慮し、登場人物は会長・理事長を除き、地名を使って仮名にしています
検索フォーム
RSSリンクの表示