第6 本部職員である青年部最高幹部の不正を隠した「学会本部の問題」(H14.6以前~H22.5)

「幹部のための学会ではない。会員のための学会である。断じて学会員を苦しませてはいけない。そのためにも、おかしな幹部がいれば、皆で声をあげていくのである。『学会の指導と違うではないか!』『師匠の言っていることに反しているではないか!』と。
そうやって皆が強く叱咤・激励して、立派な指導者をつくっていけばいいのだ。」(名誉会長指導)

「学会をよくするためには、どんなことでも、勇気をもって上に言い切っていきなさい。そして上の人間は、そうした正しい意見をよく聞いていけ!」(名誉会長指導)

 師は仰った
 「幹部のための創価ではない。会員のための創価である」
 「絶対に会員を苦しめてはならない」

 会員を苦しめる幹部の振る舞いを見たならば
 勇気を出して声を上げることだ!
 師の心を我が心とし
 勇気の対話に挑むことだ!

 「そんなことは分かっている」
 「いつか時がきたら」
 「言っても変わらない」
 理由を並べればいくらでもある

 しかし、自身の幸福は、勇気なくしてはあり得ない!
 「勇気」こそが 困難を乗り越える力となり
 「勇気」こそが 自身の幸福を築く力となるのだ!
 「勇気」なくして 未来はないのだ!

 ならば友よ!
 一人の幸福こそが 創価の発展ならば
 「勇気」の声が 同志を守る慈悲となり
 「勇気」の声が 立派な幹部をつくる正義となるのだ!

 我が友よ!
 君自身の幸福のために
 師が願う「会員のための創価」を創るために
 同志と同志を真に結合させゆく正義の声を 
 君が上げるのだ!


 平成22年2月22日に東京・信濃町から広島県への異動を命じられた茨城氏。5月1日付の異動を目前に控え、聖教新聞社の上司である編集総局長のもとへ挨拶に行こうと考える。その上司とは、平成20年5月の本部指導監査委員会の中心者の岩手副会長である。半年前に学会本部から聖教新聞本社に異動となっていた。
 現場の地域組織では、本部職員から誹謗中傷された会員たちが、杜撰な監査の結論により「反逆者」のレッテルを貼られ、依然として会合の連絡すら来ない状況に置かれている。
 何としても会員を救済しなければならない。
 広島に異動となって聖教本社から離れる前に、自分が出来ることはすべてやらなければならないと深く決意。岩手副会長に、監査の偏頗な結論によって、未だに会員たちが不当に苦しめられている実情を伝え、何とか再監査をお願いできないか懇願しようと考えた。

 平成22年4月27日、茨城氏はアポイントを取って事務所内にある岩手副会長の席に行き、2年間、思い続けてきた監査委員会の話題を切り出す。
 「僕自身は聖教職員として、仕事の上では一切悔いはありません。しかし、一点大きな悔いがあります。それは2年前、岩手さんが行なった監査によって未だに会員さんが苦しんでいることです。」
 茨城氏は話を続けた。「皆、真剣に命をかけ先生のために戦っていた人たちです。その会員さんが犠牲となり、役職解任にされ、未だに組織でレッテルを貼られている。こんなことは創価において絶対に許されないと思うのです。なんとか、もう一度、再監査をして頂けないでしょうか。」
 岩手副会長の表情が一変し、厳しい口調になる。
 「その件ならば、話すことはありません!そんな話なら帰りなさい!」
 一切話が出来ずに終えられてしまいそうになった。
 茨城氏は必死に、「なぜですか。監査をやられたのは岩手さんです」と訴える。
 すると岩手副会長は、
 「私は会長に言われた通りにやりました。会長に言いなさい!」
 茨城氏は「会長には何度も伺いました。執行部の方全員に伺いました。しかし、どなたも一切話を聞いて頂けませんでした。」
 岩手副会長、「私が話すことはない!会長に言いなさいと言っているだろ!」
 茨城氏は必死に、「健気に戦っていた会員が解任となり、組織からも連絡がなくなりました。」と伝える。
 岩手副会長は声を荒げ「聞きません!!」
 最後は体を真横に向けてしまった。もはや対話をする状況ではなかった。
 茨城氏はその場をあとにせざるを得なかった。

 監査の話題に一切触れようとしない岩手副会長。自ら指揮を執った監査を「会長に言われた通りにやりました」と。そして自分ではなく「会長に言いなさい」と。本部に感じてきた、上の指示に従い、その責任を問われると上の責任だとして棚上げする。あまりに無責任なこの組織体質を改めて感じざるを得なかった。
 それだけではない。岩手副会長がここまで声を荒げて再監査を拒否する理由、それは2年前の本部指導監査委員会が「本部職員である青年部最高幹部の不正人事」を隠した問題をほじくり返されたくないからだと感じてならなかった。

 本部指導監査委員会が隠した「本部職員である青年部最高幹部の不正人事」

 平成20年3月30日、私たちは本部指導監査委員会に、計182頁に渡る陳述書を提出する。それは、本部職員である青年部最高幹部たちが、自分より役職が下の意見する人間を学生部から卒業させ、次々と排除していった不正人事について、事実と経緯を詳細にまとめたものとなった。

 平成14年6月、当時、地元組織の総県学生部長であった小平に対し、人事通達からわずか2日間で学生部を卒業し、男子部移行となる人事が行なわれる。その背景には、小平、滝川、野口が責任者であった総県学生部に対する、当時の学生部最高幹部たちの嫌悪があった。
 小平、滝川、野口は、新卒で本部職員として採用されたが、初めは学会本部の方針や組織の秩序を最優先に考える典型的な本部職員であった。しかし、学生部活動に全力を尽くし、現場の会員さんとともに切磋琢磨させて頂く中で、徐々に本部職員の中にある上下関係や対話が出来ない体質、会員を軽んじる特別意識が自分の中にもあることを自覚していった。そして、自身の人間革命をかけて地元学生部では、師匠の指導を活動の根本とし、対話の実践に力を注いだ。
 どこまでも相手のことを祈り、信じて、「正しいものは正しい」「間違っているものは間違っている」と勇気をもって伝え合う。そこには、互いに深い信頼が芽生え、共に真実を追求しようとする活気が満ちていった。
 慣れ合いを排して、意見をぶつけ合うことは日々の戦いの中では常に行われ、徹底した対話の後には真の納得が生まれた。皆が、その歓喜によって活動に励み、多くの学生部員が信仰体験を積んでいった。
 そして小平、滝川、野口は、上位幹部に対しても徐々に積極的な意見を伝えていくようになる。
 下から上に意見できないような硬直化した組織になれば、最も苦しむのは会員である。
 すると学生部最高幹部は、「小平は善悪をはっきりさせすぎる」「小平は学生部よりも男子部の方があっている」と周囲の幹部に漏らすようになる。

 小平は総県学生部長に就任してから9か月後の平成14年6月28日、突然、全国学生部長の千葉氏、全国学生部書記長の静岡氏から呼び出され、2日で学生部を卒業となるあまりに急な人事を命じられる。後任の総県学生部長は決まっていなかった。そして、残されたメンバーに引き継ぐ時間ももらえない。突然の通達に頭が真っ白になった。
 小平がいなくなった役職には、代行の総県学生部長が就くという人事がとられる。その代行の総県学生部長には、中央から全国副学生部長の長野氏が派遣されることになった。
 むろん現場は混乱していた。突然、組織の長がいなくなり、しかも代行で中央から派遣された総県学生部長が来る。
 小平は、「申しわけない。」「人事は師匠から頂くもの。分かって欲しい」と疑問を抱く会員さんに必死に説明するしかなかった。皆、受け入れようと懸命な様子だった。

 しかし、この長野全国副学生部長の“代行”人事は、千葉全国学生部長、静岡全国学生部書記長が、青年部人事委員会の正式な手続きを踏まずに恣意的に行なった手続違反の不正な人事だったのである(本部指導監査委員会は、長野全国副学生部長の総県学生部長代行期間を「空白の3カ月間」と認定し、正式な人事でないことを認めている)。

 さらに学生部の体制が変わった平成16年9月には、新たに全国学生部長となった岐阜氏と全国学生部書記長になった愛知氏も現場の混乱を無視する人事を行っていくのである。 
 茨城氏と滝川が地元の総県学生部長、書記長であった体制の総県幹部、県幹部の19名のうち、11名を学生部から一斉に卒業させるという人事を行なっていく。その際、滝川、野口、茨城氏は学生部を卒業となった。
 特に、野口はその時まだ25歳であり、当時全国男子部長の三重氏からも「青年部人事委員会では27歳が男子部移行の目安だ。野口は25歳だし、若い、これからだろ。」と言われる中での早すぎる卒業人事だった。

 当時、総県幹部であった滝川と茨城氏は、中央の学生部から伝えられる活動方針を、そのまま下位組織に落とすことはせず、より会員のための学会活動となるように考え、話し合った。その上で、上の幹部に対しても現場の意見を積極的に伝えるようにしていた。
 自分の意思や考えを持って活動に取り組むことから、「上からの打ち出しをそのまま実行すればよい」と考える学生部最高幹部から、陰で「独立国家」などと揶揄され始めたのである。
 上の幹部に対し、勇気をもって創価のために意見を伝えることができる人間は、卒業人事の対象となった。2年前の小平卒業人事と全く同じ構図だった。

 滝川、野口、茨城氏が卒業となり、いなくなったところに、岐阜全国学生部長は隣の総県に住んでいた本部職員の和歌山氏と他2名に派遣を命じる。そして、引っ越しをさせ、総県学生部長等に任命する人事を行なったのである(和歌山総県学生部長は、平成20年の監査委員会に対して、「岐阜全国学生部長から、総県学生部幹部の派閥化問題について説明を受け、組織の立て直し・正常化を託されました。」と証言している)。

 また、本部職員で当時方面学生部長の滋賀氏は、予定していた人事案を、面接当日の面接直前に取り消すことまで行なったのである。滋賀方面学生部長は、その理由を「幹部カードが届いていない」と説明した。予定した人事は白紙撤回となり、面接に赴いた学生部員は、自分の人事が突然なくなったことに呆然とするほかなかった(後日、本部職員の某元方面学生部書記長が、「幹部カードは届いていた」と証言している)。

 本部職員幹部が行なった不可解な人事が2年以上にわたって繰り返された。こうした人事を「御仏意」であり「師匠から頂くものだ」とするには限界があった。

 「人事と金銭は、絶対に正確にして、問題を起こしてはならない」(名誉会長指導)

 創価学会では、戸田第2代会長の時代から「人事の不正」は金銭問題、男女問題と同じく、厳格に処罰される問題である。
 しかし、本部指導監査委員会は、こうした事実を詳細に書いた陳述書を提出したにもかかわらず、こう結論したのである。
 「人事手続きには問題はなかった」
 むろんそう判断した理由は述べられていない。

 そして、この手続違反の人事を起こした本部職員の千葉全国学生部長、静岡全国学生部書記長や、岐阜全国学生部長、愛知全国学生部書記長に対しては、口頭注意で終え、誓約書の提出要請すらしなかった(監査当時、静岡氏は全国男子部長、千葉氏は全国牙城会委員長で青年部の中核であった)。
 本部指導監査委員会は、本部職員の青年部最高幹部が行なった再三に渡る「不正人事」を隠蔽したのである。

 「人事は、創価学会の生命線である。」(名誉会長指導)

 しかし、私たちの監査面談を行なった中心者の岩手副会長はこう語る。
 「千葉全国学生部長、静岡全国学生部書記長、某方面学生部長の3人がそう証言しているんだ!君は3人が言っていることが間違っていると言うのか。君が言っていることが間違っているんだ!」と。

 本部指導監査委員会は、役職で人間を見、役職で話の信用性を判断した。
 そして、本部指導監査委員会は、青年部最高幹部に対してお咎め無しも同然の判断を下したのである。

 問題の正邪を転倒させた学会本部の結論

 他方、本部職員の青年部最高幹部が起こした「不正人事」に対し、勇気の声を上げた会員たちは、“学会指導に反する組織内組織(グループ)である”と結論されたのである。
 さらに、その組織内組織(グループ)の中心者は会員の京都氏であるとされ、その京都氏が皆を扇動したと結論づけた。
 しかし、会員京都氏は、すでに学生部を卒業し、男子部で活動している中、面識もない本部職員の和歌山総県学生部長たちから突然誹謗中傷された被害者である。あまりに強引な結論であった。
(和歌山総県学生部長が岐阜全国学生部長から派遣された時点で、私たちはすでに中央学生部から「派閥(グループ)」とのレッテルが貼られていた。和歌山総県学生部長はすでに学生部を卒業していた小平・滝川・野口が中心者であった頃の総県幹部、県幹部を指して、「暗黒時代をつくった」などと会合の場で非難中傷を繰り返した。それによって、自身への求心力を強め、組織の団結を図るようになる。公の場での批判は、すでに地元組織で男子部として活動していた会員京都氏たちをも的とし始め、総県内の男子部組織にも広まりレッテルが貼られていった。)

 監査委員会は、私たちに、「グループを自主的に解散し、二度と組織内組織と認められる行動はとりません」との誓約書への誓約を迫る。
 しかし、この内容自体、極めて抽象的であり、「組織内組織と認められる行動」とは一体どのような行動なのか、具体性はない。
 まさに、組織内組織であるかどうかは、幹部のさじ加減なのである。本部の方針に従わない人間や上層の幹部のおかしな振る舞いに声を上げる人間を、「反逆する疑いのある人間の集まり」としてグループや派閥に仕立てあげ、そして排除するやり方である。

 さらに、監査委員会は、私たちに「今後今回の関係者に対する対話の要求は二度と行いません」との誓約内容を要請する。
 私たちが陳述書で訴えた、本部職員である青年部最高幹部が行なった手続違反の不正人事に対して、その後一切声を上げてはならないとの楔を打ち、職員の問題に蓋をするものであった。

 本部指導監査委員会の結論は、結果的に本部職員から誹謗中傷された会員たちを反逆グループとして括り、一会員をその中心者に仕立て上げ、不正人事を行なった本部職員である青年部最高幹部を護るものであった。
 問題の正邪を転倒させた結論であり、これ自体、「学会本部の不正」である。弟子として絶対に看過できない問題であった。

 「悪を傍観(ぼうかん)し、放置しておくことは、師匠に対する忘恩であり、裏切りである。また、たとえどんなに小さなことであっても、同志を苦しめる悪を、絶対に見逃してはならない。放っておけば、その毒気が、いつしか全体に蔓延(まんえん)して、清浄な和合の世界が破壊されてしまう。『悪』を滅してこそ『善』が生ずる。」(名誉会長指導)

 弟子として、“本部職員の不正を隠蔽する「学会本部の不正」である”と感じながら傍観し、誓約書に誓約してその不正を容認するならば、それは師匠に対する忘恩であり、裏切りである!
 今後どのようなことになろうが、ただただ師匠の仰せ通り生き抜いて見せる。「間違っているものは間違っている」と勇気の声を上げた会員を「悪」とすることは、創価の存在意義を失わせる結論になる。
 弟子として絶対に容認することは出来ない!

 本部の誤った結論により犠牲となった会員を守るため原田会長に面談を求める

 茨城氏も平成22年5月4日に、広島に発った。滝川は、その半年前の平成21年11月1日に学会本部から横浜池田講堂に異動となっていた。
 本部には、もう野口しかいなくなった。

 野口は、2年前に行なわれた監査を思い出しながら、岩手副会長が茨城氏に話した「私は会長に言われた通りにやりました。会長に言いなさい!」との発言に思いを巡らせる。
 2か月半前の平成22年2月8日にも、師匠の御子息である宮城副会長を訪ねて第一庶務に行ったが、第一庶務の最高責任者の群馬副会長から、「会長のところに行きなさい!いいから会長のところに行きなさい!」「会長のところに何度でも行きなさい、青年なんだから!」「会長が責任者なんだから会長のところに行きなさい」と繰り返し伝えられた。
 最高幹部が皆、原田会長に会いに行くように言うのである。

 師匠は原田会長に対して、「原田会長は『若さ』もある。『経験』もある。威張らない。否、絶対に、これからも威張ってはいけない。学会は、いよいよ『本門の時代』に入った。原田会長が同志を立派に育て上げ、同志に尽しに尽くし抜いて、後世に光る『広宣流布の指導者』となりゆくことを私は期待している」と仰せになられた。
 だからこそ、創価学会の責任者である会長に選ばれた人でもある。
 今回の問題は、本部指導監査委員会が、本部職員から誹謗中傷された会員を悪人に仕立て上げ、本部職員である青年部最高幹部の不正を隠した問題であり、「学会本部の問題」である。この問題は、原田会長に報告しなければならない。その報告を受けることは原田会長の責務のはずだ。
 しかし、原田会長は私たちの面談の申し入れをこれまでずっと断っていた。職場の会合で私たちを暗に非難したこともあった。

 師匠ならばどうなされるのか。何が正しい行動なのか。悩んだ。必死に祈り続け、師匠の言葉に何度も立ち返った。

 「途中で途絶しては対話とはいえず、真の対話は、間断なき持続的対話として貫徹されねばならない」(名誉会長指導)

 やはり、自分の中の諦める心に負けてはならない。師匠は原田会長を信頼されている。原田会長を信じ抜き、もう一度、話を聞いて頂くお願いをしよう。真実を知るために、会員の無実を証明するために、何度でも対話を求めていくことが弟子としての道のはずだ。
 題目をあげ勇気を奮い起こし、正しいと信じることをやり続けるしかない。何度断られようとも怒鳴られようとも、前に進む以外に道はない!

 滝川や小平、茨城氏の地方への異動を思うと、不安がないわけではない。最高幹部に会いに行くときには、いつも臆病の心が出てくる。自分は本当に弱い。しかし、自分は師匠の創られた創価を守るため、会員に尽くし抜くために本部職員になったのだ。自分の師匠は池田先生である。
 何としても、会員の正義を証明するために自分自身を使わせて頂きたい!断じて師匠への誓いを果たす!
 一人学会本部に残った野口は、原田会長宛に書き綴った再監査をお願いする手紙を携え、会長を訪ねるのである。


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第7 一度も話を聞かない原田会長の対応と学会本部の実態(H20.7~H22.7)

「人生とは、限りある命の時間との闘争である。使命を果たさずして、人生の価値はない。志をつらぬかずしては、いかに自分を正当化しようが、あとに残るのは空しさと悔恨である。」(名誉会長指導)

「何が確実といって、『死』ほど確実なものはない。だから、今、ただちに、三世永遠にわたる『心の財』を積むことです。その一番大事なことを『あと回し』にし、『先送り』して生きている人が人類の大半なのです。」(名誉会長指導)

命の時間には限りがある
誰人も死ぬことからは逃れられない

正義の使命を果たし抜いた人生なのか
志を貫かず、空しさと悔恨を残す人生なのか

いかなる人生を生きるかは
己次第である

死は 平等にすべてを明らかにし
正邪を明確にする
死は 生に光を与え
勇気と臆病をうつし出す

死の前では 
他人は誤魔化せても 己は誤魔化せない
己は誤魔化せても 妙法だけは絶対に誤魔化せない

ゆえに君よ!
生きるとは 
ひとたび立てた我が志を
貫けるかどうかという 
己との闘争なのだ!
間断なき己との闘争なのだ!!


 平成22年5月、小平、滝川、茨城氏はすでに地方に異動となり、一人学会本部に残った野口は、何としても原田会長に一度話を聞いて頂き、再監査をお願いしようと決意する。
 平成20年4月の本部指導監査委員会以降、これまで原田会長には3度に渡り手紙を書いてきた。しかし、話を聞いて下さることはなかった。

 これまでの原田会長の対応

 はじめて原田会長宛てに手紙を書いたのは、本部指導監査委員会の結論が出されてから約1か月後の平成20年7月2日である。
 本部指導監査委員会の面談では“誓約しなければ除名もある”と脅され、職員の不正を隠し会員を犠牲にする誓約書の提出を迫られていた。
 職場からは「誓約書を書かなければ辞表をもってこい」と辞職を迫られ、地元組織の職員である福井総県長からは、“監査委員会はそういう場所なんだ。とにかく誓約すれば終わるんだ”との理不尽な説得を繰り返されていた。
 しかし、諦める訳にはいかなかった。一度で良いから原田会長に話を聞いて頂き、そして何とか再監査をお願いしたい。その思いを手紙に綴り、職員である福井総県長経由で、原田会長にお渡ししたのである。
 その2日後、監査委員によって会長からの返答が伝えられた。
 「再監査の必要は無いと判断しました。」と。

 そして7月22日、名誉会長が不参加の職員全体会議で原田会長は、「最近、若手職員のなかで、組織の中心者の指導を聞かず、職場の上司の忠告も聞かない者がいます。」と発言する。暗に誓約しない私たちを非難する。
 その3日後の7月25日、本部人事委員会は、誓約しない私たちに対し、地域組織での活動の謹慎処分を下す。理由は、「経緯はどうあれ学会本部の提示した誓約書を書かなかった」であった。
 「誓約しないこと自体が問題」。もはや、誓約書の内容の当不当は関係なくなった。問題はすり替えられてしまい、地元組織では誓約しない会員たちが問題を起こしたかのような偏見が広がっていった。

 何とか原田会長に真実を理解してもらいたい。何よりも直接話を聞いて頂きたい。そして、何とかもう一度監査をして頂きたい。役職の高さで話の信用性を判断するのではなく、公平厳正に判断してもらいたい。
 原田会長からは、再監査の要望には応じないとの返答をすでにもらっている。しかし、もう一方で、7月22日の職員全体会議の中で会長は以下のように発言する。
 「誰もが何でも気兼ねなく意見する、意見できることは大事です。私にも何なりと自由に言っていただきたいと、心から思います。」と。
 この言葉を聞いた時、会長は現場で活動する若手職員の意見を汲み上げようとされているのだと感じた。
 原田会長が再監査を断られたのには何らかの誤解があるのではないか。その誤解を解くためには、自分が何を伝えたいのかをもっと具体的に書く必要があったのではないか。もう一度手紙を書いてお渡ししよう。

 2通目の手紙には、本部指導監査委員会の監査の進め方や結論、誓約書の内容に対し、自分たちがおかしいと感じていることを詳細に書面にまとめた。そして、会長が「間違っている」と思われたことがあれば率直に、その理由を聞かせて頂き、自身の人間革命に挑んでいく決意を綴ったのである。一度でいいので話を聞いて頂きたいと。

 平成20年9月19日の昼休み、学会本部前の通りで小平は原田会長に声を掛ける。緊張で声を震わせながら、「このたびは組織の問題で様々ご迷惑をおかけし申し訳ございません。」、「一度会長に直接、お話を聞いていただきたいとの思いで、お手紙と書面を作って参りました。よろしくお願いいたします。」と、2度目の手紙を差し出す。
 会長は、「了解、わかりました」と手紙を受け取ってくれた。
 本当に嬉しかった。手紙を読んで頂ければ、真実が伝わると思った。

 必死に祈りながら会長からの返答を待った。しかし1ヶ月待っても何の連絡もなかった。
 会長が多忙を極めていることはもちろん分かっている。
 しかし、地元の組織では不当な監査の結論を経て、謹慎処分の状態に置かれている会員たちがいる。何とか、一刻も早く、会長に話を聞いて頂きたい。
 もう一度手紙を書くかどうか悩んだ。2通目の手紙に対し返答が無い中で、3通目の手紙は厚かましいのではないかとも思った。
 しかし、会員たちに対する仕打ちを理解して頂くことがどこまでも最優先であると思った時、諦める訳にはいかなかった。もう一度、原田会長に手紙を書くことを決意する。
 3通目の手紙には、
 「もとより、誓約したくないなどという思いは毛頭ありません。間違った行いがあれば、誠意をもって謝罪したいと心から思っております。ただ、職員が組織の立場を使って多くの会員さんを傷つけてしまった出来事について、十分に話を聞いて頂けないまま判断がなされてしまったのです。『真実なんて分かるものじゃない』と話されるその判断に、どうしても誓約、すなわち生涯、誓い約することができないのです。どこまでも誠実に生きていきたいのです。」
と書き綴る。
 平成20年10月22日の昼休み、滝川と茨城氏は3通目の手紙を携え、原田会長に渡しに行く。普段、会長に接することはほとんどない。声を掛けるのも緊張する。
 滝川は、学会本部前の通りで原田会長に声をかける。
 そして手紙を差し出し、精一杯、「お時間を少しでも構わないので、一度お話を聞いて頂けないでしょうか。」と伝えたのである。
 原田会長は立ち止まらない。歩きながら手紙を受け取り、そしてこう言った。
 「こんなことばかりやってないで、先輩の言うことを聞きなさい。」と。
 そして足早に去っていった。
 滝川は、その会長の後ろ姿に向かって、勇気を振り絞り「宜しくお願いします!」とお伝えし、頭を下げた。
 
 苦言は呈されたが、手紙はしっかり受け取って下さった。
 家に帰るとすぐに題目をあげる日々が続く。何とか、何とか原田会長に真実を知って頂きたい。短時間でもいい。一度、話を聞いて頂き、誤解があるならば解かなければならない。
 しかしその10日後の11月2日、神奈川文化会館で私たちが謹慎処分の期間延長を言い渡される際、神奈川執行部は私たちが会長に渡した手紙を提示し、その内容について咎めてきたのである。
 私たちが原田会長に手渡したその手紙は神奈川幹部に回っていたのである。
 会長からの無言の返答であった。
 こんなことがあっていいのか。本当に苦しかった。
 会長が言っていた、「私にも何なりと自由に言っていただきたいと、心から思います。」との言葉を思い返し、悔しさに体が震えた。

 野口、滝川が原田会長へ面談のお願いに行く

 平成22年5月、私たちが原田会長に渡した手紙が神奈川幹部に回っていた出来事(平成20年11月2日)からすでに一年半が経っていた。
 この間、誓約できなかった会員4名は役職解任となり、謹慎の身ではなくなった。しかし、それぞれ地元組織でレッテルを貼られ、会合の連絡はなくなる等、不当な扱いを受け続けていた。
 京都氏は、監査の誓約書において「組織内組織」(グループ)の中心者であるとされ、地域組織では「会長に弓をひいた」人間であるとして反逆者扱いされていた。そして、会合の連絡はなくなっていた。
 兵庫氏は、地域の学会員から「地元の地区では上の幹部から、『彼ら(兵庫たちのこと)を励ましてはいけない、人材育成してはいけない、できれば声をかけてもいけない』と言われている」と驚くべきことを伝えられていた。そして、会合の場で発言させてはならないと徹底されていた。
 木本秀信氏は、未来部の担当や聖教新聞の代配、公明党員など積極的に活動に取り組んでいた。しかし解任後、所属男子部の部長から、「本部長と一緒であれば会合に参加してもよい」と伝えられ、男子部からの連絡は無くなった。
 島根氏は、職員の和歌山総県学生部長が会合の場で卒業していった先輩幹部等を誹謗中傷する行為に対し、最初に声を上げた会員である。しかし、その後、自分が折伏した友人から、「島根の話は半分聞いておけばいいと先輩から言われた」と伝えられ、無視をされるようになり、その無視は地元の男子部組織にも広がっていた。

 こうした問題を何とか解決するために、考えられ得る然るべき方々に話を聞いて頂きたいとお願いしてきた。しかし、どなたも話を聞くことはなかった。
 その中で最高幹部の方々は皆、口を揃えて「会長が責任者なんだから会長のところに行きなさい!」「何度でも行きなさい!」「会長に言いなさい」と繰り返すのである。

 野口は一人本部に残った意味を考え、悩み葛藤していた。原田会長はこれまで3度も自分たちの手紙を受け取りながら、話を聞くことを断っている。この期に及んで自分の話を聞いてくれる可能性は低いのではないか。
 原田会長にもう一度話を聞いて頂くことをお願いすることが本当に一番良い選択なのか。それよりも、会長の理解を得るためには、まずは仕事で信頼を得ていくべきではないか。いや、それはただ逃げている。必死に題目をあげた。

 その頃、本部を離れても九州や神奈川、広島で孤軍奮闘する同志は、日々、職場の信頼を勝ち取る地道な戦いをメールで伝えてくれていた。
 本部の食堂に一人で座る野口は、会長の後ろ姿を見ると、これまで感じたことのない恐怖を感じた。今まで共に題目をあげ、共に励まし合える同志の存在の大きさを、あらためて実感したのである。
 今、自分が、ここで一人立たなければ、不当な扱いに苦しむ会員たちの無実を証明することは絶対に出来ない。臆病で不甲斐ない自分を絶対に乗り越えたい。
 たった一度、たった一度でいい、原田会長に会員たちが不当に扱われている実態を聞いてほしい。
 原田会長に、偏頗な監査の結論により、純粋に地域組織で戦ってきた会員たちが反逆者扱いされている実態を知ってもらいたいと心から思った。一度も話を聞いてもらえない中で、原田会長に判断されることは、本当に苦しい。
 会長に誤解があるならば、真実をお伝えし、その誤解を解きたい。そして、学会本部の結論が、職員の不正を隠し、会員を犠牲にしている不正であることを、勇気を出して伝えなければならない。本部にいる意味を果たすんだ!

 野口は原田会長に手紙を書くことを決意する。本部の不正を隠す実態、そして話を一度も聞いてもらえない本部執行部の実態を手紙に書いたのである。

 平成22年5月6日、緊張で眠れぬまま朝を迎えた野口は、就業時間前、手書きした手紙を携え、一人事務所内の原田会長の席を訪ねた。
 足の震えをこらえながら会長の前に立ち、「会長にどうしてもお伝えしたい事があり、手紙をお渡ししにきました。お願いします。」と手紙を差し出した。
 すると原田会長は、表情を厳しく変えた。
 「あなたのしてきた事を振り返りなさい!今日は受け取りません!」と。
 そのまま野口に背を向ける。
 野口は、「会長、お願いします。」と呼びかける。
 しかし、会長は一切振り向かない。
 こちらを向かない会長に野口は立ち尽くす。結局、手紙は受け取ってもらえず、その場をあとにせざるを得なかった。

 原田会長が言う、「あなたのしてきた事を振り返りなさい!」とは、どの場面の、どの行為を指しているのかが分からなかった。
 本部指導監査委員会が取り上げた問題は、本部職員による不正人事から始まる一連の問題であり、約6年にも渡る出来事である。それを単に、「振り返りなさい」とだけ言う会長の対応に、理解ができなかった。
 しかし、自分は原田会長を前にして、その場ですぐに“どの行為を指しているのでしょうか”とは聞き返すことができなかった。その臆病さが情けない。
 帰宅後、必死に題目をあげた。あげればあげるほど、このままでは終わってはいけないと思えた。
 会長にお伝えしたいことも、会長から聞きたいことも、何一つできていないではないか。このまま終わりにしては本部にいられる意味がない。
 やはり、もう一度行き、まずは手紙を受け取ってもらわなければ何も進まない。野口はもう一度行くことを決意するのである。

 週が明けた5月11日の昼休み、野口は再び手紙を持って原田会長の席へと向かった。胸中で題目をあげながら前に進んでいく。
 会長の席で挨拶する。
 「会長すいません、今お時間よろしいでしょうか」
 その瞬間、原田会長の顔つきが変わった
 「反省の書面とかはあるのか!どうなんだ!」と突然声を荒げたのである。
 野口は逃げない。
 野口、「そのようなものはありません。」
 会長、「じゃあダメだ!帰りなさい!」
 野口は、手に持っていた会長宛の手紙を差し出しながら、
 「岩手さんから会長の所に行きなさいと言われ・・・」と用件を伝えようとする。
 会長はその言葉をかき消すかのように、
 「岩手君は関係ない!君の根本の信心の問題だ!枝葉末節は関係ない!」
 野口は一歩も引かない、
 「あの監査は間違っていると思います。」
 会長はフロアー中に響く怒鳴り声をあげた。
 「監査の話をしているのではない!!!君の今日までの男子部としての事を言っているんだ!!反省の書面が無いなら帰りなさい!!終わりだよ!帰りなさい!!」。
 野口は、原田会長が何について「反省」を求めているのか本当に分からなかった。ここで引き下がればまた後悔する。本部にいる意味も、師への誓いも、職員としての使命も自らが捨てることになる。自分はどうなっても良い、使命を、職員としての使命を果たすんだ。
 野口、「会長、どこがいけないのか話をしていただきたいのですが。」
 会長、「書いて持って来ないならダメだ!」
 野口、「手紙は受け取っていただけないのでしょうか?」
 会長、「反省がないならダメだ!帰りなさい!終わりだよ!」
 気が付くと、野口の後ろには会長秘書室の幹部職員3人が詰め寄っていた。事務所フロアーの30人近い職員は、原田会長の大声に驚き、皆、やり取りに注目していた。野口は詰め寄っていた幹部職員3人を見つめ、その場をあとにせざるを得なかった。

 悔しさと怒りが込み上げた。
 なぜ手紙すら受け取ってもらえないのか。反省する点があるならば教えて頂いても良いのではないか。しかし、反省文が無ければ質問すらできないと言われる。どうしても理解することができない。
 何度も何度も監査委員会から出された誓約書を振り返る。しかし、どう考えても、本部職員の不正を隠し、無実の会員に反逆のレッテルを貼った誓約書が正しいとは思えない。師に誓ってこの誓約書に誓約することは絶対に間違っている。己に負けてはならない。
 おかしい事を「おかしい」と声を上げないことこそが、弟子として絶対にあってはならい。何もせずに黙っていることは、不正を認めることと同じである。必死に祈った。どうすれば良いのか。どうすれば会長と話すことができるのか。
 祈り続け、野口はこう決意する。
 「もう一度会長に手紙を渡しに行くんだ」

 平成22年6月1日、野口は昼休みに原田会長の席を訪ねる。
 自然と足の震えはなかった。
 野口、「原田会長、1か月前にお訪ねしました事で来ました。」
 会長はすぐさま野口を指さし怒鳴り声を上げる。
 「反省が無いならダメだと言っただろ!帰りなさい!」、「反省文を書きなさい!話はそれからだ!反省文はあるのか!」
 さらに、「多くの先輩、学会に迷惑をかけているんだ!反省しているのか!どうなんだ!え!言ってみなさい!反省しているのか!」と、
 野口は引かない。「何を反省すればいいのいか分からないので、直接話を聞いて頂きたいのです。」
 会長、「そんなことも分からないのか!自分で考えなさい!」、「終わりだよ!帰りなさい!もっと題目あげなさい!」
 もはや問答無用の対応だった。会長の姿はもはや話せる状態になかった。野口はその場をあとにした。

 原田会長から、「迷惑をかけている」と言われることが苦しかった。もし、原田会長が、一度でも話を聞いてくれていたのであれば、多くの先輩職員に面談を求めることもなかった。
 原田会長の話に筋が通っているとはどうしても思えなかった。これだけお願いしてもなぜ話を聞いて下さろうとしないのか。悔しさが込み上げ、涙がでてきた。
 でも、絶対に自分に負けない、そう決めたはずだ、師に誓ったはずだ。これは、自らの信仰と師弟が試された試練なんだ。
 本部にくすぶる、問題を根本解決しない「事なかれ主義」の思想と絶対に戦う!

 その日の夜、野口から原田会長とのやり取りを聞いた滝川は、居ても立ってもいられなかった。
 なぜ、原田会長は一度も話を聞かず、手紙を受け取ることさえしないのか。この手紙は、会員たちが不当な扱いを受け続けている実態を会長に伝える、已むに已まれぬ声を綴った手紙である。
 滝川は思った。会員が不当に扱われる理由は、「会長の指導に従わないから」というものである。これを傍観すれば、会員のおかげで存在する、職員としての意味を自ら失うことになる。自分としても、原田会長に話を一度でいいから聞いてもらうお願いをしたい。自分の目と耳で原田会長の返答を確認しなければならない。

 平成22年6月2日、滝川は休暇を使い、学会本部に向かう。野口から手紙を受け取ると、昼休み、原田会長の席に行く。
 会長は青年部最高幹部と懇談中であった。話が終わったため、滝川は会長の前に進み出る。
 そして、「会長、お手紙を」と手紙を差し出したのである。
 会長は自然に手紙を受け取り、無言のまま顔を上げ滝川を見た。
 そして、今度は封筒の裏の差出人に視線を落とした。
 すると、次の瞬間、顔つきが変わり、受け取った手紙を机の上に叩きつけたのである。
 そして、大声を張り上げた。
 「反省しろ!反省文は持ってきたのか!」
 広い事務所フロアーの中は、翌日本部幹部会が開催されるため、全国から上京した壮年、婦人、男女青年部の幹部たちでごった返していた。皆の視線は突然怒鳴り声を上げる原田会長に集まった。
 すぐに滝川は静岡全国男子部長と千葉全国牙城会委員長たちに取り囲まれ、事務所フロアーから連れ出された。

 滝川は、原田会長の問答無用の対応を体感し、これ以上お願いしても話を聞いて頂ける可能性は低いのではないかと感じた。必死に祈り考え続けた。
 原田会長は手紙を手渡しただけで、怒鳴り始めてしまう。この状況でもう一度会長に手紙を届けに行っても、怒鳴られ追い出されて終わるだけではないか。会長を訪ねることで、会長の自分に対する印象をさらに悪くさせ、さらに要らぬ誤解を与えてしまうのであれば、それは本意ではない。
 「これ以上はやめた方が良い。」そんな思いが、頭をよぎった。
 しかし祈れば祈るほど、自分はこの「学会本部の不正」という問題を見て知ってしまった。会長に伝えることが出来るのは体験した自分しかいない。そして、現に会員たちが苦しんでいる。この問題を見過ごし、師匠の前に胸を張って立てる自分なのか。自分が知ってしまった本部の問題を一日でも先送りにすることは、自分の命を誤魔化し、自分で自分を裏切っていることと同じではないのか。それは断じて、生きているとは言えない!
 自分が師弟に生きることが出来ないのであれば、生きながらの死である。それは間違っている。
 ならば、原田会長を信じ抜き、正しいと信じることをやり続けるしかない。もう一度だ、もう一度だ。もう一度行くんだ。
 原田会長のもとへ。

 平成22年7月8日、仕事を終えた滝川は、祈り勇気を湧き立たせ、学会本部に向かったのである。
 原田会長の席に行くと、会長は「何?」と視線を向けた。
 滝川が、「お手紙を」と言い終わらないうちに、
 原田会長は、「受け取らないって言ってるでしょ!反省してないでしょ!ダメ!帰りなさい!帰りなさい!」と追い返そうとする。
 滝川、「何を反省すれば宜しいのでしょうか。本当に本当に教えて頂きたいのです。」
 会長、「今までいろいろ指導されてきただろ!自分の胸に聞いてみろ!」、「帰りなさい!帰りなさい!帰りなさい!」。
 怒声が何度もフロアーに響き渡る。
 さらにその瞬間、滝川は原田会長秘書にその場で羽交い絞めにされる。
 滝川は、会長秘書に抱えられ引きずり出されながらも、会長に向かって必死に叫んだ。
 「会長!会長!会長!最後に、最後に一つだけお伺いさせて下さい!池田先生は、先生は、このような話を聞こうとしない会長の振る舞いを正しいと仰ると思われますか!」
 引きずられ、必死に声を投げかけた滝川に対し、原田会長は叫んだ。
 「当然だ!!」

 会長は「当然だ!」と叫んだ。なぜ「当然だ」と言えるのか。ただ話を聞いて欲しいと懇願する一職員の話を何も聞かず、怒鳴り散らし、力ずくで排除する。この原田会長の振る舞いは、対話を根幹とする創価の会長としておかしいと感じてならなかった。そして師匠が原田会長の振る舞いを見たならば、絶対にお叱りになると思えてならなかった。
 この原田会長の問答無用の振る舞いによって、学会本部の中での対話が無くなり、権威主義、官僚主義へと堕していく実態を見る思いがした。

「まことの対話には、同苦があり、和気があり、共感がある。対話を忘れた指導者は、権威主義、官僚主義へと堕していくことを知らねばならない。」(名誉会長指導)

 この硬直化した学会本部を対話によって断じて変革していかなければならない。不当な扱いをされている会員の問題を解決するためには、最終決定を下した原田会長と対話をしなければならない。

 そして、こうした学会本部の体質を感じた時、全国には職員によって苦しめられている会員はまだまだいるのではないかと思えた。我々が出会った問題は、そのほんの一部分に過ぎないのではないか。
 原田会長との対話を諦めることはできない。師への誓いを守らぬ本部になれば、それは職員である己が師匠への誓いを破ったことになる。それだけはあってはならない。我が命を失っても師への誓いだけは守らねばならない。滝川は、深く決意を固めるのである。


第8 「先生に御迷惑をかけてはいけない」を口実に職員の不正を隠蔽する学会本部の体質(H22.4~H22.8)

「師匠の一言を、私は『その通りに』全力で実行してきたつもりです。
『その通り』に実行するから『師弟不二』なのです」(名誉会長指導)

    尊き我が人生を
    最極の「師弟不二」に生きると
    決めたならば
    師の指導を「その通りに」
    実行することだ!

    嘘と言い訳で己を誤魔化す
    偽善者に
    嘲笑され 馬鹿にされても
    師の仰せ通り
     「師子王は百獣におぢず」と
    一人、厳然と立ち上がるのだ!

    同志(とも)よ!
    立ち塞がる壁が
    強大であったとしても
    「不二にまさる強さはない!」
    「師弟とは『師子』である!」と
    真実の声をあげながら
    不二の心で 
    創価の未来を開くのだ!!


 小平の九州での戦い
 平成22年4月1日、小平は縁もゆかりもない九州・福岡県の九州文化会館事務所に赴任となる。友人、親類は一人もいない。
 九州文化会館の最初の全体朝礼。
 小平は「会員同志のために全力で戦わせて頂きます」と挨拶。今後、いかなる苦難があっても、絶対に自分に負けないとの決意を込めた。
 会館内にある食堂で、同会館に勤める九州青年部の最高責任者である某九州青年部長と初めて対面する。
 小平は、「九州の地で、全力で戦います」との決意を伝える。そこで、平成21年4月1日に男子部役職を全て解任になっていることを伝えた。
 すると九州青年部長はこう話した。
 「君の話は完璧に聞いている。」と。
 学会本部から、どのように九州幹部に伝えられているのかは分からない。しかし、小平は九州青年部長にこれまでの経緯を正確に知ってもらいたいと思った。
 小平、「一度私の話を聞いて頂けないでしょうか」
 青年部長、「まずは生活と仕事だ。時間はかかるが、信用されるようになれ。」と。対話の約束は叶わなかった。
 そして、九州で所属した現場組織の男子部幹部からは、「九州青年部長から話は聞いています」、「座談会と本幹だけ参加してください。・・・仕事を頑張ってください。」と言われ、男子部活動はさせてもらえないことになる。
 事実上、謹慎処分と変わらない状況であった。
 初対面で、一度も自分の話を聞いてもらっていない。しかし、すでに自分がどういう人間なのか判断されてしまっている。
 「認識せずして評価するなかれ」(牧口初代会長)

 これまで学会本部の職員の中で感じてきた、“認識しないで(話を一度も聞かないで)評価を下す”この体質を、この九州の地でも感じた。

 日中の職場では、新しい仕事を覚えることから始まった。会館備品などを購入、管理する業務を担当。地名も道も分からない。しかし、懸命に県内の20か所の会館を自分の車を使って走り回った。
 終業時間になると、同僚たちは組織の活動に駆け出していく。しかし、小平には活動がない。本部職員なのに、組織のために戦えない申し訳なさに、心が痛んだ。
 役職解任となった小平は、連日深夜22時過ぎまで働き、一人暮らしの部屋に帰る。家に戻ると、故郷の会員や同志を想い、深夜まで題目をあげる。

 そもそも、会員たちは「師匠ならばどうなされるか」という一点を考え抜き、本部職員の不正を隠蔽し、会員たちを反逆グループに仕立て上げた偏頗な監査の結論に誓約できなかっただけである。
 しかし、そのことで、組織で反逆者のレッテルが貼られ、会合の連絡すら来ないという不当な扱いを受け続けている。
 だがそれでも会員たちは、師の仰せ通りに行動しようと、題目を上げ抜きながら、必死に誤解や偏見と戦っている。折伏に挑み、 先生の指導を学び続けている。会員たちを思うと、いつでも胸が締め付けられた。
 何としても、純粋な会員たちの無実を証明したい。それが出来なければ、自分は職員でいる意味などない。
 一刻も早く、今の創価の現状を師匠にお伝えし、会員たちの正義を証明しなければならない。

 九州に来る直前、師匠の側近である山梨女史の娘埼玉さんと会った。そして、脅迫的な監査面談の録音テープを聞いてもらい、監査の実態、職員の不正を伏せる監査の結論、師匠に報告を届けない最高幹部たちの実態について、山梨女史に相談させて頂きたいことを伝えていた。
 埼玉さんは、「母には伝えます。どんな結果であれ、必ずこちらから連絡します。」と約束してくれていた。
 九州に来た小平は、埼玉さんから連絡の電話が来るのを今か今かと待つ。しかし、来る日も来る日も連絡は来なかった。

 1か月が経った。
 平成22年5月5日、小平は、埼玉さんに率直な思いを伝えようと手紙を書く。
 「師匠池田先生は一人の会員を護るために、弟子が勇気を出して声を上げることを、ずっと見守り、待たれています。勇気を出し、先生にありのままをお伝えしたならば、先生は必ず必ず喜んでくださると確信しています。」と。
 埼玉さんに直接関係のない話で埼玉さんを煩わせてしまっていることは重々承知している。簡単に解決する問題ではない。山梨女史への伝言を頼んでしまい、本当に申し訳ないという思いである。
 しかし、師匠と名も無い民衆によって築かれた麗しい創価の世界で、本部職員によって会員が苦しめられ、そのことを師匠に一切お伝えしないどころか、意図的に握りつぶしている現実を見てしまった。この師の仰せに反する創価の現状を何としても師匠にお伝しなければならない。
 「破壊は一瞬」である。
 このままでは師弟の創価が壊れてしまう。師匠に報告できるならば、自分はどんな仕打ちも受ける覚悟である。
 埼玉さんは「どんな結果であれ、必ずこちらから連絡します。」と真剣な眼差しで伝えてくれた。埼玉さんが山梨女史に何も伝えないことは考えられない。埼玉さんが返事をくれることを信じる以外にない。

 さらに1か月が経つ。しかし、埼玉さんからの返答は来なかった。
 埼玉さんは、山梨女史から良い返事をもらえず、こちらに連絡するかどうか葛藤しているのではないかと感じられた。
 しかし、埼玉さんは、監査面談での監査委員の脅迫的な言動のテープも聞いた時、明らかに顔を曇らせていた。そして、「必ずこちらから連絡します」と言ってくれた。埼玉さんを信じたい。
 平成22年5月30日、小平は、もう一度手紙を書く。
 「会員同志は、ただただ『先生のために』と毎日題目を上げながら必死に誤解や偏見と戦っています。それは当事者でなければわからないほどの、もの凄い重圧です。この現状に、私はいてもたってもいられないのです。もうこれ以上、創価の中で会員同志が苦しめられる状況を、何としても食い止めなければならないと思っているのです。」と。
 そして、「埼玉さん、先生の命である創価を、ともに護って頂けると嬉しいです。」と。

 それから約1か月半が経った。しかし、埼玉さんから返事が来ることはなかった。
 この頃、師匠は6月度の本部幹部会に対し、『弟子たちが、本気になり、一丸となって、不惜身命の祈りと行動を起こしてこそ、真実の勝利がある。』『私は、きょうは、あえて出席いたしません。』とメッセージを寄せ、欠席される。
 師匠は、あえて本部幹部会を欠席し、弟子一人一人が戦いの全責任を担って勝利できるよう厳然と指揮を執ってくださっている。 師は一人立つ弟子を待たれている。
 師匠の仰せどおりに正しいと信じることを諦めずに戦い抜くのか、それとも現状に追随し、諦めるのか。
 絶対に諦めてはならない!自分に言い聞かせた。

■ 名誉会長側近の鳥取副会長に相談
 平成22年8月、小平が九州に異動してから4か月が経っていた。埼玉さんからの連絡はなく、側近である山梨女史から師匠に報告してもらうことができずに時間が過ぎていく。
 学会本部では一人残った野口が、何度原田会長に面談を懇願しても追い返され、手紙すら受け取ってもらえない。滝川に至っては、原田会長から「帰りなさい!」と連呼される中で、会長秘書から羽交い絞めにされ、事務所を追い出される事態にまで及んでいた。
 どなたか、師匠に今の学会本部の実態を報告して頂ける人はいないのか。小平、滝川、野口、茨城氏の4人は、祈り、悩み、葛藤し続けていた。そして、皆で話し合う中で、師匠の秘書で信頼できる第一庶務室の鳥取副会長に思いが至った。

 鳥取副会長は、常に師匠に同行し師のそばで働く激務の人である。それでも時間を見つけては学生や若手職員に声をかけ、一緒に食事をしながら親身に話を聞いてくれる青年部職員にとって良き先輩であった。
 鳥取副会長を尊敬し、慕う人も多く、今後の創価学会にとって最も重要な人だという声もあった。学会本部の中では、皆が一目置く存在であった。
 鳥取副会長は、業務で体力を使うことが多い野口の健康を気遣い、新入職員の頃からよく励ましの声を掛けてくれた。ある時、食堂で同席した鳥取副会長は、野口の母親の体調が優れないことを聞き、すぐに護符を手配してくれた。そうした鳥取副会長の心遣いに野口は感激し、親近感を覚え、信頼を寄せていた。
 鳥取副会長であれば、組織のしがらみに惑わされることなく、正視眼で問題の本質を見て下さるに違いない。そして、自分たちが抱える創価の問題に対する苦悩を理解してくれるのではないか。
 私たちは、鳥取副会長宛てに、すぐに手紙を書く。
 「結局、本部指導監査委員会が誓約書で護っているのは、いち会員さんではなく、組織を使って同志誹謗を繰り返した本部職員および、それに連なり問題を伏せてきた多くの本部職員幹部であると感じたのです。その誓約書に誓約することは職員の不正を看過することであり、私たちの職員生命を自ら断つことと同じであると私たちは感じたのです。」と。
 そして、こう書き綴った。
 「私たちは自分たちがすべて正しいと思っているわけではありません。ただただ『先生であればどうなされるのか』を常に考え、真剣に祈り、行動するよう努めてきました。」、「話を聞いていただけるだけで構いません。私たちはただただ先生のため、創価のために戦う決意です。」と。

 平成22年8月11日の就業時間開始前、野口は手紙を携えて、学会本部の5階の広宣会館で行なわれる朝の勤行会に出席し、鳥取副会長に声を掛ける。
 「すでに聞いているとは思いますが、昨年の4月に全役職解任となり、今は一部員として戦っています。ただ地元組織では、未だに職員の不正に声を上げた純粋な会員さんが、無視をされていじめの様な状況が続いているのです。見過ごすことはどうしても出来ないのです。鳥取さんに是非一度、お話を聞いて頂きたいのですが。」と。
 すると、鳥取副会長は目をそむけ、「また今度にしよう。朝の仕事の準備もあるし。」と答えるだけでその場から去ろうとする。
 ご多忙な人だ。野口は、もともとその場で話ができるとは思っていない。
 事前に用意してきた手紙を差し出し、「お忙しいのは重々承知の上でお願いしています。どうか手紙を書いてきたので受け取ってください。なぜ鳥取さんに話を聞いて頂きたいのか、思いを書いてきました。」と伝える。
 すると、鳥取副会長は語気を強め、「受け取りません。君たちのやり方はフェアじゃない!はっきり言って破和合だ!」と態度を一変させる。
 普段の柔和な鳥取副会長からは想像もつかない姿だった。
 鳥取副会長には、一度も本部指導監査委員会が取り上げた一連の問題について、話を聞いてもらったことがない。それにも関わらず、突然「破和合」と非難されることが理解できない。野口は一瞬、頭の中が真っ白になった。

 野口はその場を去ろうとする鳥取副会長に向かって、必死に尋ねる。
 「どこがフェアじゃないか教えて下さい。なにが破和合か、教えていただきたいので一度話を聞いて下さい。」と。
 しかし鳥取副会長は、「ダメだ!破和合だ!師敵対なんだ!」と繰り返す。
  “師敵対”。師匠は自分の人生の中心軸である。いくら鳥取副会長でも、許せない言葉だった。
 野口は必死に、「師敵対とはどういう意味ですか。監査に誤解があったことを、話を聞いて欲しいのです。」と訴えかける。
 鳥取副会長は一瞬立ち止まり、険しい目つきで、
 「誤解なんかない!破和合だ!野口がそういう事をするとは私だって残念な気持ちなんだ!」と言い、階段を下り始める。
 このままでは終われない!
 野口は、階段を下りながら必死に「鳥取さん、手紙だけでもまずは読んでください。お願いします!受け取ってください!」と懇願する。
 しかし、鳥取副会長は2階に着いた所で、「受け取りません。はい、終わりです!」と付いて来る野口を制し、そのまま第一庶務室の事務所へと向かう。
 もはや、まともに話ができる状態ではなかった。
 野口は、手紙を握りしめたまま、「鳥取さん、鳥取さん、また宜しくお願いします!」と言って頭を下げた。

 野口は思った。“自分はいくら批判されても構わない。しかし、せめて「破和合」「師敵対」と批判する理由を伝えてくれても良いのではないか。”と。
 正しい指摘であれば真摯に受け止めて反省しなければならない。
 しかし、間違った批判ならばすぐに対話し認識を改めてもらい、真実を理解して頂きたい。
 しかし、その対話が出来ないこと自体に大きな問題があるのだ。
 学会本部の中に率直な対話がない。「分からないから教えてほしい」と話すと「指導に従わない」とされてしまう。その考えが、本部を硬直化させているのだ。

 その日、野口から鳥取副会長とのやり取りを聞いた茨城氏と滝川は、話を聞く前から、野口を「破和合」「師敵対」と批判する鳥取副会長に疑問を感じた。
 ここでも、“認識しないで(話を一度も聞かないで)評価を下す”という、これまで体験してきた職員の体質を感じてならなかった。
 話も聞かずに「君たちのやり方はフェアじゃない!はっきり言って破和合だ!」とまで言う鳥取副会長に、真意を聞かなければならない。

 平成22年8月20日の就業時間開始前、茨城氏と滝川は鳥取副会長宛ての手紙を握りしめ、学会本部の5階の広宣会館へと向かう。 朝の勤行会が終わり、会場を後にする鳥取副会長に声を掛ける。
 しかし、鳥取副会長は、茨城氏と滝川だと分かった途端に顔を背け、「話は聞かない。」、「会長のところへ行きなさい!これは執行部の問題だ。」と言って階段を下り始める。
 茨城氏が、「執行部の問題は鳥取さんの問題ではないのですか」と伝える。
 すると鳥取副会長は、「そうだ!私の問題ではない!」、「とにかく私は関係ない!」と、階段を駆け下りる。
 茨城氏、「鳥取さん、では手紙だけでもお願いします。」
 鳥取副会長、「受け取らない!」
 さらに興奮した鳥取副会長はこれまで見たことのない顔つきで、「攪乱だ!破和合だ!もういい!」と非難する。
 茨城氏と滝川も鳥取副会長の後から階段を駆け下りる。
 茨城氏、「なぜ、一度も話を聞かずにそんなことが言えるんですか」
 鳥取副会長、「話は聞いた!いろんなところから聞いた!」
 茨城氏、「私たちの話を、本人の話を一度も直接聞いて頂いてないではないですか」
 鳥取副会長、「聞く必要はない!聞かない!」
 話を全く聞こうとしない鳥取副会長に対し、茨城氏は、「なぜ、攪乱、破和合だと言えるのですか」と尋ねる。
 鳥取副会長は、階段を下りきった所で足を止め、茨城氏と滝川の方を振り返る。そして、沈黙の後、茨城氏の質問には答えず、突然滝川を指さし、「信頼していたんだぞ!滝川!学生時代から期待してきたのに、裏切られたんだぞ!」と責め立てる。
 滝川は、誤解があるならば解きたいと思った。
 そして、滝川は「鳥取さん、一度でいいんです。一度でいいので話を聞いて下さい!」と必死に懇願する。
 鳥取副会長は、「聞かない!あっちへ行け!2度と私に近づくな!」と、足早に執務場所の第一庶務室に入っていった。

 滝川は、鳥取副会長が私たちと関わること自体を必死に避けているように感じてならなかった。

 鳥取副会長に九州の小平が会いに行く
 小平は、野口、滝川、茨城氏から、鳥取副会長が全く話を聞かず、手紙も受け取って頂けず、さらに、「破和合」「師敵対」であると罵倒した様子を聞いた。しかし、信頼する鳥取副会長が全く話を聞かないということを、どうしても信じることが出来ない。小平は、自分の目と耳で真実を確かめねばならないと思った。
 小平は学生時代に学会本部の人材グループ「池田学校」に所属し、そこで鳥取副会長と知り合う。鳥取副会長は小平と会うといつも激励してくれ、海外短期留学に行く際には個人的に餞別までくれた。
 小平が職員となった後も、小平の父が病気となり、母、妹と共に師匠に報告するために学会本部を訪れた際、鳥取副会長は第一庶務として快く応対してくれた。多忙な中にもかかわらず、小平の家族を学会本部5階の広宣会館まで案内し、一緒に題目を唱え、護符を手配して励ましてくれた。
 小平は、鳥取副会長と10年以上にも渡るこうした関係があった。だからこそ、自分に対しては発言の真意を話してくれるのではないかと思った。

 鳥取副会長が、自分たちに反省するべき点があると感じているならば教えて頂きたい。また、そこに誤解があるのであれば、その誤解は何としても解きたい。そして、なによりも無実の会員が苦しみ続けている一連の問題について何とか相談に乗ってもらいたい。

 平成22年8月28日土曜日、九州から上京した小平は、就業時間開始前の8時15分頃、鳥取副会長に話を聞いてもらう約束を取るために、学会本部B1の常修室に赴く。
 しばらくすると、鳥取副会長が常修室に現れる。20分ほど一緒に題目をあげる。常修室から退出しようとする鳥取副会長に小平は後ろから声をかけ、常修室を出たところで挨拶する。

 小平、「鳥取さんお久しぶりです。鳥取さんにどうしてもご相談したいことがあり、九州から参りました。なんとかお時間をつくっていただき話を聞いていただけないでしょうか」
 しかし、鳥取副会長は小平を指さし、意を決したように、「私は話を聞きません。話はいろんな所から何度も聞いた。本部の決定に従いなさい。はっきり言う、本部の決定に従うんだ!」と言う。
 話を全く聞かずに、「本部の決定に従うんだ!」という鳥取副会長の言葉に、小平は一瞬言葉を失った。
 小平は必死に伝えた。「本部の決定に従うことが当然だと思っています。本部の決定に従いたいのです。しかしその本部の決定が間違っていたのです。本部指導監査委員会の判断に間違いがあったのです」
 鳥取副会長は目を見開き、「そんなことはない。君が間違っている」
 小平、「そうではありません。話を聞いて下さい。僕は先生に誓って間違ったことはしていません」
 すると鳥取副会長は、「そうだ君は先生の弟子だろ!本部職員だろ!だったら本部の指導に従いなさい!なぜ本部の決定に従わないんだ!弟子の行動ではないではないか!君は本部職員なんだろ!」と話す。

 小平は真逆であると思った。先生の弟子であるならば、本部が間違った結論を出した時には、たとえ一人であっても、声をあげることが重要だと師匠は仰っている。
 学会本部の最高幹部たちが話を一切聞かず、師を使い、問答無用に従わせようとするやり方を用いるのであれば、やがて組織は硬直化し、腐敗、堕落する。

 小平は必死に訴える。
 「先生の弟子だからこそです。本部職員だからこそです。先生は会員のために本部職員がいると言われています」と。
 鳥取副会長、「それが違うんだ!先生の弟子だったら本部の決定に従うのが当然なんだ!」
 小平、「僕はそうは思いません。先生はたとえ本部であれ、間違った結論を出せば声をあげろと言われると思います」
 Y副会長、「弟子として先生に迷惑をかけてはいけない!当然ではないか!なぜそれがわからないんだ!」
 小平はその言葉を聞き、学会本部の不正や本部職員の不正に声を上げた会員が不当に処分されている一連の事実が、師匠には伝わっていないのではないかと感じた。
 率直に尋ねる。
 「先生はこのことをご存知ないのですか?」と。
 すると鳥取副会長は、「当たり前だ!こんなことを先生に伝えようとすること自体が狂っているんだ!君がここまで狂うとは思わなかったぞ!師敵対だ!」と即答する。
 さらに鳥取副会長は、「私は君に裏切られたんだ!会長に行きなさい!私には関係ない」、「話は聞かない!何度でも会長に行け!」と連呼する。
 そして第一庶務室に通じる階段を上り始め、「ここからは第一庶務だ!入って来るな!帰れ!」と叫びながら第一庶務室のフロアーへ去っていく。

 やはり師匠には、一連の問題の報告が一切届いていない。師匠は平成14年6月26日の職員全体会議で、「次の百年のため、悪い職員がいたら報告しなさい」、「手紙をよこしない。真実の手紙を。間違っていたら絶対に信用しないよ。」と仰った。そのことは鳥取副会長が知らないはずがない。
 それにも関わらず、職員である多くの青年部最高幹部が起こした不正について、師匠にお伝えしないということが、師匠の秘書として許されて良いことなのか。

 「幹部は、自分の立場を守るために、悪い報告を握りつぶすようなことがあっては絶対にならない。その体質が最も危険なんです。」(名誉会長指導)

 会員と先生をつなぐべき第一庶務室の中でも、常に師匠の近くで師匠の秘書として仕事をする鳥取副会長が、職員の不正に関する手紙(内部通報)を受けたならば、師匠に報告すべきことは当然である。
 しかし、鳥取副会長は、その報告を受け付けることさえしない。
 師匠は、本部の中に兆す隠蔽体質を最も危惧されているのだ。

 本部執行部も、師匠の側近たちも、本部指導監査委員会が隠した職員の不正と、無実の会員が役職解任となり不当に扱われている実態を、監査から2年経っても師匠にご報告していない。
 この状況を師匠が正しいと仰るとは思えない。いや自分には、師匠が激怒されるようにしか思えない。
 学会本部の最高幹部たちは皆、「弟子として先生に迷惑をかけてはいけない」と言う。さも師を想うふりをして、自らの責任が問われる問題をただ隠したいだけではないか!
 自分はここまで学会本部の実態を見させて頂いた。たとえ身は九州の地にあっても、何としても、師匠に今の学会本部の実態を全て報告させて頂かなければならない。そして、自分が体験した学会本部の問題を改善していかなければならない。
 何としても対話の道を切り拓く!
 そうでなければ、どうして偉大な師匠の弟子であると言えるのか!

■ 小平が原田会長に会いに行く
 第一庶務室の鳥取副会長から、「これは執行部の問題だ」、「何度でも会長に行きなさい」と言われた小平は、原田会長に会いに行くべきか、祈り考えた。
 原田会長は、野口と滝川が面談のお願いをしに行った際、話を一切聞こうとしない。それだけでなく、「反省したのか!」「反省文を持ってこい!」と怒鳴りつけ、手紙すら受け取っていない。
 自分が原田会長に会いに行っても、野口、滝川と同様に、全く取り合ってもらえないのではないだろうか。
 いや、これまでも、たとえ話ができる可能性が低くても、然るべき人には勇気を出して当たってきた。自分が勇気を出して行動した分だけ、創価が前進すると信じ続けてきた。一度で駄目でも、二度、三度と懇願してきたんだ。

 「牧口先生は“下から上を変えていけ”と言われた。上に対しては、どんどん意見を言う。おかしいと思うことがあれば、正していくことだ。もちろん、単なる感情や、自己中心的な考えによるものであってはいけない。互いに建設的な意見を言い合えるところは伸びていく。一度で聞かなかったら、二度、三度と言っていくのだ。それは『ケンカ』ではないし、ただ『逆らっている』のとも違う。」(名誉会長指導)

 原田会長と一度でも話が出来れば、会長の誤解を解くことが出来るかもしれない。そうすれば、自分が見てきた学会本部の問題点、職員の問題点を伝え、解決の端緒としていくことが出来る。自分にやれることがあるのに、もしやらなければ、それこそが師敵対である。
 鳥取副会長の「何度でも会長に行きなさい」との言葉は、妙法が、自分が行なうべき正しい行為を指し示しているのではないかと思えた。
 必要なのは、勇気だ!たとえ拒否され、罵倒されたとしても、諦めずに二度、三度と正しいと信じる行動を貫くことだ!最大の敵は、諦めるという己の弱き一念だ!!
 断じて、原田会長に面談の約束を取りたい!
 小平は、学会本部の原田会長を訪ねるため、福岡空港に向かったのである。


第9 原田会長から「役員室で懇談のアポイントを取りなさい」との指示(H22.9~H22.12)

「人生も、仏道修行も、何の抵抗もない真空状態の中では、楽なように思えるかもしれないが、そのじつ、大空を飛翔することはできない。空気の抵抗のなか、飛行機が前へ前へと飛び続けてこそ、空気も味方し、持ち上げる力となるのである。前へ、ただ前へ—―広宣流布もまた、勢いある前進を続けるかぎり、苦難をも上昇の力に変えていける」(名誉会長指導)

「何らかの圧迫を受ける。その壁を破ろうと全力で抵抗する。そこに生命力は増大する。人間としての成長も、進歩もある。その意味で、圧迫は、自身の、新しい可能性を開いてくれる。圧迫ゆえの進歩—―それが生命の法則である」(名誉会長指導)

      順風満帆な人生が 最も幸福なのか
      平穏無事な人生が 真の勝利なのか
      いや、むしろ
      逆風によって 己は向上し
      圧迫の壁を破るなかで 己は成長する

      己をより強く、より高みへと
      進歩させゆく君の前には
      必ず障壁が立ちはだかる

      しかし、それは
      不二の道を歩む証明であり
      生命の道を歩む証である!

      ゆえに
      君の正しさの証明であり
      君の正義の証であるのだ!

      同志よ!
      勇んで 進むのだ!
      迷わず 進むのだ!
      歓喜をもって 破るのだ!
      もはや 君の前に立ちはだかる
      障壁は障壁にあらず!
      障魔は障魔にあらず!
      ただただ
      歓喜と飛躍の
      未来の扉なのだ!!


 
 平成22年9月26日日曜日の午前、九州から帰京した小平は、広島から帰京した茨城氏とともに学会本部へと向かう。原田会長との面談の約束を取るため、手紙を携え本部2階の事務所にある原田会長の席を訪れる。
 事務所には数人の職員しかいない中、席に座っている原田会長がおられた。
 小平と茨城氏は、会長の席の前まで進み、勇気を出して声を掛ける。

 小平、「おはようございます。失礼します。小平です。九州から参りました」
 原田会長は、一瞬、呆気に取られたような顔をする。
 会長、「業務はどうした。休んで来たのか?」と尋ねる。
 小平、「今日は日曜日なので、業務は休みです。原田会長すみません。一度話を聞く時間を取って頂けないでしょうか」と、単刀直入に要件を伝える。
 すると原田会長は一気に話す。
 「アポは取ったのか。アポ無しで来るのは社会的常識が無いんだ」、「九州から来てもらって悪いが、話すことはできません!役員室で懇談のアポイントを取りなさい。以上、終わりです」と。

 数カ月前に野口、滝川が訪問した際、原田会長は手紙すら受け取らず、野口、滝川に罵声を浴びせた。そのことを思うと、今回、原田会長から「役員室で懇談のアポイントを取りなさい」と具体的に伝えて頂いたことは、対話の扉を開く大きな一歩前進なのではないかと感じた。
 小平は、「分かりました。では、役員室を通してアポイントを取らせて頂きます」と頭を下げ、帰ろうとする。

 すると、原田会長の2つ隣の席に座っていた青森副会長が、突然立ち上がる。青森副会長は小平と茨城氏に向かって歩きながら、「ここは私の管理責任がある場所だ。」、「出ろよ!出ろよ!」と事務所の出口を指さしながら連呼する。
 小平は、「青森さん。落ち着いて下さい。興奮しないでください」と伝える。
 しかし、青森副会長の興奮は収まらない。出口を指さし続け、「興奮していない!出ろよ!出ろよ!出ろよ!」と何度も言い続ける。
 これまでも、青森副会長は、「一度話を聞いて頂けないでしょうか」と懇願する小平に対し、「行動に気を付けた方がいいぞ!」と睨むなど高圧的な対応を取ってきていた。
 小平と茨城氏は原田会長への要件が済んでいたため、速やかに事務所を退室する。

 事務所の外に出ると、原田会長秘書の山口主任が追いかけて来る。山口主任は、小平の高校の同級生の兄であり、面識があった。
 山口主任は目を丸くしながら、「あんな青森副会長を見るのは初めてだ。何があったの?」と事の次第を聞いてくる。
 小平は、端的にこれまでの経緯を説明する。そして、会長秘書の山口主任に、「どうやって原田会長と懇談のアポを取れば良いのですか?」と尋ねる。
 山口主任は丁寧に教えてくれた。「会長の担当は役員室総務第一部長の徳島部長です。なので、徳島部長に直接連絡をして下さい。懇談を希望する理由は、通常、書面で提出することになっています。書面で提出して下さい」と。

 微かな希望の光が見えた気がした。初めて、原田会長に話を聞いてもらえる可能性が出て来たと感じた。何としても原田会長との懇談のアポイントを取り、一度話を聞いて頂きたい。会長の誤解を解き、会員の無実を何としても証明したい。
 その後、小平、野口、滝川、茨城氏はすぐに、原田会長との懇談の機会を得るためのアポイント申請書の内容について話し合う。

 ちょうどこの頃、誓約書の不提出を理由に役職解任となった会員たちが、地元組織でさらなる不当な扱いを受けていた。
 平成22年9月中旬頃、会員兵庫氏の自宅に封筒が届く。差出人は兵庫氏の男子部の先輩で、最近壮年部に移行した本部職員の某支部長。中には、広布部員の申込用紙と切手付き返信封筒、そして、ワード文書で「広布部員を希望する場合は、申込用紙に記入し返信封筒で11日必着で返信してください」と書かれた書類が入っていた。これまで財務の申込書みは手渡しで、兵庫宅と某支部長の自宅は自転車で5分、携帯電話も知っている。それがすべて郵便。兵庫氏に対する、あからさまな差別的対応であった。
 さらに、会員木本秀信氏は、役職解任処分の通知の際に神奈川執行部から「一会員として、今後の活動については、しっかりと取り組んでいっていただきたい」と言われていたにもかかわらず、地元組織では、「一人一人が発言できるような会合に来ないでほしい」「座談会に参加しないでほしい」と言われるまでになっていた。
 師匠の弟子として、また職員として、この状況を知りながら何も行動しないことは絶対に出来ない。何としても、まずは原田会長に懇談の場を持って頂き、会員たちが不当な扱いを受けている実情を伝えたい。

 原田会長との懇談のアポイント申請書に書き綴った。
 「本部職員である私たちはどうなっても構いません。しかし、何の罪もない会員さん(木本氏、島根氏、京都氏、兵庫氏)が『全役職解任』という処分を受け、『反逆者』のレッテルを張られ、未だに組織から連絡をもらえず、理不尽な対応をされ続けているのです」と。
 そして、「私たちがすべて正しいと思っている訳ではありません。私たちに間違っている点があれば、原田会長に教えて頂きたいのです。その時は断じて自身を人間革命していきます。どうかお時間をとって頂けますよう、何卒、何卒、よろしくお願い致します」と。
 何としても、まずは一度、直接、原田会長に話を聞いて頂く必要がある。

 山梨女史に初めて手紙を出す
 平成22年も10月に入る。本部から九州に戻った小平は原田会長へのアポイント申請の書面を作成しながらも、名誉会長側近である山梨女史の娘埼玉さんから、一向に連絡が来ないことに思い悩み続けていた。埼玉さんとの約束から、はや半年が経つ。
 小平は考えた。“もう何度も埼玉さんに手紙を書き、返答のお願いをしてきた。しかし、埼玉さんからの返答はない。これまで半年間、埼玉さんを信じて待ち続けてきたが返事を頂ける可能性はないのではないか。”と。
 そして、“師匠の側近である山梨女史に直接手紙を出しても良いのではないか。”との考えが一瞬よぎる。しかしすぐに、“それは埼玉さんを信じないことになるのではないか。埼玉さんが「必ずこちらから連絡します」と言ってくれた真心を裏切ることになるのではないか。”との考えが浮かぶ。小平の葛藤は続く。
 しかし、絶対的に時間は無かった。故郷での会員たちへの不当な扱いは続いている。会員たちに対する「反逆者」のレッテルは広まり、どんどん取り返しのつかないことになると感じていた。

「たとえどんなに小さなことであっても、同志を苦しめる悪を、絶対に見逃してはならない。放っておけば、その毒気が、いつしか全体に蔓延して、清浄な和合の世界が破壊されてしまう」(名誉会長指導)
「時を逃せば、何事も成就しない。それまでの努力も、苦労も、すべては水泡に帰してしまう」(名誉会長指導)

 小平は、本部の野口、神奈川の滝川、広島の茨城氏に、山梨女史に手紙を書いても良いかどうか相談する。
 すると、同志たちは語った。「師匠は、『次の百年のため、悪い職員がいたら報告しなさい』と厳命されている。職員の不正を見ておきながらここで諦めてしまえば、自分は師匠の仰せを裏切る保身の弟子となってしまう。それは絶対に出来ない」、「このまま返答を待つだけでなく、一歩行動を起こすべきだと思う」「会員たちへの仕打ちを解決するために、師匠の側近である山梨女史に手紙を書くことが正しいと思う」と。
 私たちは、4名連名で、山梨女史に手紙を書くことを決めた。

 時系列に沿いながら、これまで自分たちが体験してきた「本部職員の不正」や、「会員を犠牲にして本部職員の不正を隠蔽する学会本部の体質」について手紙に書く。
 そして、本部の隠蔽体質に起因する職員の不正についても言及し、“三重全国男子部長の異性問題や聖教職員たちによる金銭問題など、本部職員の不祥事がなくならない原因が、「先生にご心配をおかけしない」という欺瞞で、師の耳にマイナス情報を入れない学会本部の隠蔽体質にあると感じている”と訴える。
 そして末尾には、「山梨様、私たちは決して自分達がすべて正しいと考えているわけではありません。ただ、私たちがこの8年間受けてきた出来事は、先生が『弟子に託すしかない』と仰られる今後の創価学会において、断じて繰り返されてはならないことだと強く感じたのです」、「一度私たちの話を直接聞いて頂くことはできないでしょうか」、「どうかお返事頂けますよう、よろしくお願い致します」と。
 平成22年10月19日、茨城氏が4人を代表して清書し、広島郵便局から郵送する。
 時間は有限だ。このまま絶対に負ける訳にはいかない!

 野口が四国・香川県への異動を内示される
 平成22年11月12日、原田会長との面談のアポイント申請書が完成した。小平が原田会長から「役員室で懇談のアポを取りなさい」と指示されてから、約1か月半が経っていた。小平は山口主任に電話し、学会本部にいる野口が申請書を持っていくことを伝える。
 山口主任は、快く返答してくれた。「わかりました。野口君が直接持ってきてもらえればいいと思います」、「そのように徳島部長に言っておきます。役員室の誰に渡してもらっても大丈夫です」と。
 11月16日の就業時間開始前、野口は役員室事務局の事務所を訪ね、山口主任に会長懇談の申請書を手渡す。
山口主任は、「それでは局長に渡します」と快く受け取ってくれた。
 ようやく、原田会長との懇談をお願いする書面を受け取ってもらえた。これまで半年間、会長に手紙の受け取りを拒否され続けてきたが、やっとここまで来た。
 野口は事務所を出ると、原田会長と短時間でも懇談する機会が得られればと、祈る思いで職場に戻っていった。

 6日後の平成22年11月22日12時頃、出先にいた野口は、上司である管財局長から突然、電話で呼び出される。
 すぐ事務所に戻ると、局長から、「人事異動の内示があるから12時30分に役員室へ行くように」と一言だけ伝えられる。
 一瞬、時間が止まった。地方へ異動した小平や滝川、茨城氏の顔が頭に浮かんだ。
 野口は、指定された通り役員室事務局に向かう。
 会議室へと案内され、内示の場となる。職員局の責任役員である青森副会長から人事異動が命じられる。
 「野口裕介、平成23年1月1日付けで四国池田文化会館へ異動」

 とうとう自分にも地方への配転命令が来た。東京・信濃町から、縁もゆかりもない四国・香川県への異動である。
 これまで何度も何度も、自分が地方へ異動することを想像してはきた。もちろん、全国どこに行っても、大恩ある師匠のため、創価のために戦う覚悟は変わらないつもりだ。すでに自分の腹は決まっている。
 しかし、いざ現実になってみると、4日前に入籍した妻にはどう伝えれば良いのか、苦しくなる。
 妻は、半年前に創価学会に入会。4日前の11月18日に入籍し、翌月12月25日には結婚式を控えている。
 妻にとって新たな出発となる結婚式のわずか1週間後に、野口は四国に引っ越さなければならないことになる。

 その日、帰宅した野口は、妻に四国の香川県への異動の内示があったことを伝える。妻は目を真っ赤にした。
 野口は、あらためて自分の思いを伝える。妻は、必死に不安をこらえながら聞いている。

 「自分は、本部職員の不正に勇気を出して声をあげた会員を犠牲にする本部指導監査委員会の不当な誓約書には絶対に誓約できない。
 今後、四国の地でさらなる苦しい状況が待っているとしても、自分は絶対に諦めない。一刻も早く師匠に全てをご報告し、勇気ある会員たちの真実と正義を必ず証明する。
 そして、必ず四国での使命を果たし抜き地元組織に戻ってくるから、四国には単身赴任で行こうと思っている。どうかこれだけは、自分のお願いを聞いてもらいたい」

 妻は黙って頷く。そして、意を決した力強い声で、「私に創価学会の素晴らしさを教えてくれた裕ちゃん(野口)や同志の皆さんは絶対に間違っていないと思っている。私は先生のお陰でこんなにも幸せな人生を教えて頂いた。生涯、先生の仰せ通りに正しいと信じることのために、裕ちゃんと共に戦う」と答えた。野口はその妻の心に涙が出た。
 そして、さらに妻は「正しい行動をすれば必ず向かい風は起こるものだからって。それが信心だって教えてくれたでしょ。大丈夫よ」と笑顔で覚悟の思いを伝えた。
 入会して6ヶ月、懸命に師匠の仰せ通りに生きようとする妻。その妻の心にただただ感謝しかなかった。
 見知らぬ四国の地であっても、どこまでも師匠のために命を投げ打って戦うことを決意する。

「広宣流布に生きる人の胸には、歓喜の火がある。どんな試練の烈風も、その火を消すことはできない。むしろ、その火は、風が激しさを増せば増すほど、いや増して燃え盛るのだ」(名誉会長指導)

 平成22年11月24日の午後、職員全体会議で人事発表が行なわれる。
 「平成23年1月1日付け人事。野口裕介、四国事務局総務部副主任」
 会合終了後、多くの職場の先輩や同僚が声を掛けてくる。
 「四国に奥さんの実家があるのか」、「管財局に来て1年半しか経っていないのに早すぎる」、「今、本部周辺の建設工事が最も忙しい時なのに、なぜ今、野口が異動なのか」と。
 周囲の眼から見ても、野口の四国行きは不自然であった(数日後、野口は、すでに決まっていた結婚式の準備と四国への引っ越しの準備が重なり時間的に厳しいことを理由に、青森副会長宛てに異動の延期を申請。1ヶ月の延期が認められる)。

 本部にいられる期間は、残り2か月である。
 野口は、管財局建設部の職員として、本部周辺の建設工事の現場に立ち会う機会があった。比較的、屋外に出ている時間も多い。本部周辺で、師匠といつ何時、お会いできるとも限らない。
 日中は、清書した師匠への手紙を常に胸ポケットに携帯し、師匠にお会いし、手紙をお渡しできることを祈り続ける。
 絶対に諦めるものか!今、本部にいる自分が出来ることは、全部、全部やるしかない!

 山梨女史に再び手紙を書く
 野口は、歩いていても、電車の中でも題目をあげながら、師匠にお会いした時のことばかり想像していた。
異動までの2か月のうちに、何としても師匠に手紙を届けたい。そのためには、考えつくことは全てやり抜かねばならない。何とか、 名誉会長側近の山梨女史から返事を頂けないものか。
 平成21年11月の滝川の神奈川異動、その半年後の小平の九州異動、茨城氏の広島異動に続いて、野口の四国への異動も決まり、わずか1年の間に本部指導監査委員会の誓約書に誓約しなかった4人全員が地方へ配置転換となった。
 この事実は、どう考えても不自然過ぎた。
 最高幹部に面談を求める自分たちを本部から遠方の会館に異動させ、一連の問題に蓋をしようとしているように感じてならない。

 12月に入った。山梨女史に初めて手紙を出してから1ヶ月半が経とうとしていた。必死に祈り待ち続けてきたが、山梨女史からの返事はない。
 山梨女史が多忙を極める方だということは重々承知している。しかし、時間がない。自分が本部にいる間に、何とか一度話をさせて頂きたい。

 もう一度山梨女史に手紙を書く。
 「日々、先生をお護りする常随給仕の戦いの中、山梨様に大変な御迷惑をおかけしていることを感じているつもりです。『組織の問題は執行部や会長に相談しなさい』とお叱りを受けることだと思います。しかし、やはり創価を護りたいのです。師の仰せのままに生き続けたいのです。一人の会員を徹して護る創価をさらに創らなければならないと思うのです」
 「丁寧に、誠実に懇談を求めても、問答無用で怒鳴り、対話を拒否し、言うことを聞かなければ人事で飛ばす。このようなことが創価にあるならば、断じてその心と誠実に対話をしなければならないと思ったのです。そこにこそ、『師匠の仰せを護り抜く振る舞い』があると思ったのです」
 手紙の最後には、「一度話を聞いて頂き間違っているところがあれば教えて頂きたいです」と書き綴った。

 平成22年12月12日、祈りを込めて山梨女史宛ての手紙を投函する。あとは必死に祈り、信じて待つしかない。
 山梨女史に話を聞いて頂き、真実を理解してもらえれば、師匠にご報告する機会が得られるかもしれない。その時こそ、自分が体験してきた一連の問題を師匠にお伝えし、原田会長と対話をさせて頂くお願いをしたい。
 決して、師匠に何か解決してもらおうとの思いではない。弟子同士が師匠の指導を根本に団結し、弟子が創価学会内の問題を解決することが今問われているのだ。

「若き諸君は、たとえ相手がどんな役職や立場であろうと、その行為が間違っていれば、『何をやっているんだ!』『先生の指導と違うではないか!』と、はっきりと言っていくべきである」(名誉会長指導)

 偉大なる師匠の弟子として、ひとたび掲げた「対話の旗」だけは絶対に降ろすわけにはいかない。
 会長と対話をさせて頂き、真実を明らかにすることは、一連の問題に出会った自らの使命である。断じて、断じて師匠に甘える弟子であってはならない。
 野口は、四国に行くまでの残り1か月半、さらにさらに原田会長との面談が実現することを強く祈っていくのである。



第10 制裁的な配置転換を行なう学会本部(H22.11~H23.1)

「“千里の道も一歩から”である。その“一歩”に“千里”が含まれている。次の“一歩”また“一歩”ごとに夢が現実に近づいていく。大事なのは足元である。歩みを止めないことである。」(名誉会長指導)

「人間、何が幸せか。一日一日、『きょうも、やり切った』『きょうも悔いがない』『きょうも、私は勝った』という行動を重ねることだ。毎日、自分として“これでよし”と言えるよう、精いっぱいの努力で生きる。その積み重ねが、大勝利の人生となる。平凡なようだけれども、これが人生の『王道』であり『王者の道』である。」(名誉会長指導)

人間の幸福は
小さな一歩から 目の前の一歩から
すべては始まる

始めの一歩を踏み出す勇気
次の一歩を進めようとする祈りと行動
その積み重ねこそ
夢と理想を叶える原動力なのだ!

歴史を創りゆく開拓者の人生もあれば
友のために生きゆく尊き青年の人生もある
子を立派に育てゆく偉大なる母の人生もある
いかなる人生も
悔いなく一日を勝つことから始まる
日々の努力の積み重ねの中に
人間王者としての 大勝利の人生があるのだ!

君よ!
自分らしく 自己の本分に生き抜くのだ!
胸中の師に「今日も勝った!」と報告しゆく
悔いなき日々を勝ち取るのだ!
師の理想とする創価を築きゆくのは
弛まず前進する あなた自身であることを
忘れてはならない!


 平成22年11月、野口の四国行きが決まる。
 異動日は、平成23年2月。これで本部指導監査委員会の提示した誓約書に誓約できなかった本部職員は学会本部から4人ともいなくなり、地元である神奈川に残るのは滝川だけになる。
 滝川は、会員たちが不当な目にあっている実態を目の当たりにし続ける自分の使命をいやが上にも自覚することになる。
 2年前、神奈川執行部で本部職員の福井総県長は、私たちが誓約できない理由を聞くと、「君たちは100%正しい」と言った。それにも関わらず、神奈川執行部は、「本部の決定だから」と会員たちに誓約を迫り、謹慎処分(さらに謹慎処分延長)、そして役職解任処分と3度の処分を決定、通知した。
 神奈川執行部は、会員たちが間違っていないことを知っている。しかし、最終的に「経緯はどうあれ、学会本部の決定に従わないことが問題」との理由で会員たちに非があると判断したのだ。
 そこには、学会の公式機関が下した判断だから、正しい(従うしかない)、との欺瞞に満ちた判断があった。これこそが本部職員に巣くう官僚主義の最たるものであると感じていた。

 神奈川に残る自分の戦いは、会員たちの真実を語ることである。
 自分が語らずして誰が語るのか!
 滝川は、会員たちが平成21年4月1日付けで全役職解任処分され、一会員として活動できるようになった以降も、地元組織でレッテルを貼られ、不当な扱いを受け続けていることを見聞きしてきた。
 会員兵庫氏は、地元組織から「創価学会の決めたことを守れない人だから、組織からは励ましてはいけない、人材育成してはいけない、できれば声をかけてもいけない」と徹底されていることを聞いた。
 時が流れれば、問題は過去のこととして忘れ去られる。そして、“連絡が無く学会活動に参加することができない”会員は、次第に“学会活動に参加しない会員”とされ、忘れ去られていく。犠牲になった会員は、闇に葬り去られる。

「誤解が誤解のままであれば、『真実』は葬り去られてしまう。誤解を放置しておくことは、『正義』の死を意味する。」(名誉会長指導)

 滝川は、神奈川創価学会の実質的な最高責任者である高知副会長に、誓約しなかったことで会員たちがすでに処分を受けたにも関わらず、その後も現場組織で不当な扱いを受けていることを相談しようと思った(会員たちは、謹慎処分、謹慎処分延長そして役職解任処分が下される際、「創価学会の機構では、会長と方面長(高知副会長)は同格です」との説明を受けている)。
 自分ができる一歩を踏み出す以外に道は開かれない。

 平成22年11月30日朝、滝川は高知副会長に電話し、「個人的に相談したいことがあり、是非一度、面談の場を持ってもらえないでしょうか」とお願いする。
 すると高知副会長は、「はい、分かりました」と二つ返事で快く面談を了承。平成22年12月17日14時から神奈川文化会館で、面談の予定が決定する。

 そして、高知副会長との面談当日の朝、滝川の職場に一本の電話が入る。高知副会長からだった。内容は一点、「今日の件ですが、本部指導監査委員会に関係する内容でしたら、その場で帰って頂きますので、その点宜しくお願いします。」と。
 言い終わるや否や、滝川が返答する間もなく電話はプツッと切られる。
 受話器を持ったまま滝川は唖然とする。
 高知副会長には、具体的に何を相談したいのかはまだ伝えていない。なぜ、ここまで監査の話が出ることを警戒するのか、理解できない。
 高知副会長が、対話する前から自分に対して警戒していることを思うと、残念に感じてならなかった。

 同日、指定された14時前、滝川は神奈川文化会館2階にある事務所に入り、席に座っている高知副会長のもとを訪れる。
 高知副会長は、事務所の中央にあるテーブルに滝川を案内する。
 滝川は、現場組織で、会員に座談会だけでなく本幹など会合の連絡が一切来ないこと、他の会員に「声をかけてもいけない」と徹底されていることを伝えた。
 すると高知副会長は、「当然だ!『解任』になった人間なんだから、皆怖がって会合の連絡なんか出来るわけがないだろ。当たり前のことだ!」と。

 滝川はその言葉に衝撃を受けた。そして怒りに体が震えた。
 なぜなら、高知副会長は、1年9ヶ月前の平成21年3月31日の役職解任処分の通知の際、以下のように話していたのだ。
 「一会員として、今後の活動については、しっかりと取り組んでいって頂きたい」と。
 その時の発言とはあまりに真逆な発言だった。副会長であり神奈川最高責任者という責任ある立場にありながら、あまりに無慈悲、そして無責任な言動ではないかと思ったのだ。

 滝川は尋ねた「高知さんは一度でも地元組織で不当な仕打ちにあっている当事者の話を聞いたことがあるのでしょうか。ないではないですか。高知さんが解任を決めたのではないですか。」と。
 高知副会長、「解任は私が決めたのではない。学会本部が決めたんだ。」
 会員に通知した責任者が責任回避。滝川はまさにこの思想、この体質と戦っているのだと感じてならなかった。
 滝川は高知副会長を見つめ語った。「解任通知の際、高知さんは『私は会長と同格の権限を持っている』と前置きして、『解任する』と仰っていました。」
 高知副会長、「委員会が解任を決めたんだ。私ではない。解任は人事委員会の皆で決めて、最後に本部が了承したんだ!本部に則ってやったんだ。」
 滝川は意を決して質問する。「高知さんは一度も話を聞いていないのに、なぜ解任を決めることが出来たんですか。責任者として高知さんが当事者の話を聞かずに解任を決めたことは果たして先生が正しいと仰るのでしょうか。」と。
 高知副会長は即答する。「正しいと仰るよ」
 滝川は高知副会長の何も感じていない言葉に困惑した。
 そして、伝え抜くんだと思い語り出した。「私はそうは思えません。会員が職員の問題により犠牲になっている事実がある限り、話を一度も聞かずに解任する行為は間違っていると思うのです。」と。
 すると高知副会長の顔つきが変わった。突然声を荒げ、「帰りなさい!業務命令だ!帰りなさい!」と、そのまま面談は終了となった。

 高知副会長が、一度も会員たちの話を聞かずに下した謹慎処分、役職解任処分によって、地元組織では会員を不当に扱う問題が発生している。会員は誓約しなかったことによる処分に、悔しさを抱えながらも、処分を受け入れ、そして罰を受けた。しかし、それでもなお、組織で不当に扱われている状況があるのだ。
 全く対応しようとしない高知副会長の姿は、あまりに無責任かつ無慈悲であり、あってはならないことである。興奮して話を終わらせられてしまう悔しさと、会員を救えない自身の力のなさに涙が込み上げた。

「無責任な人間は、敵よりも始末が悪い。」(名誉会長指導)
「無責任な傍観者、威張った官僚主義者が増えれば、学会の内側は滅びる。」
(名誉会長指導)

 みな自分の信仰者としての責任が問われると、都合よく「本部が決めた」、「委員会が決めた」と、責任の所在は曖昧になり、決定に関与した人間は組織の陰に隠れていく。
 そこにはもはや自分が決定したとの意思はなくなり、良心の呵責を感じることもなくなっている。まるで“自分は組織決定に従っているまでだ。だから自分は正しいのだ”とさえ言わんばかりである。
 今の本部職員の中に、こうした無責任体質が蔓延している。本部を変えたい。いや変えねばならない。一刻も早く変えねば、さらに多くの会員が犠牲になると思えてならなかった。
 やはり学会本部の最高責任者である原田会長と話をしなければ、学会本部と本部職員の問題の根本解決は難しいと痛感したのである。

 原田会長との懇談のアポイント申請に対する返答

 もう一方で、私たちは平成22年11月16日に出した原田会長との懇談のアポイント申請に対する返答を待っていた。原田会長に言われた通りに、懇談のアポイント申請をしたにも関わらず、3週間が過ぎても何の連絡もない。

 同年12月6日午後、小平は徳島部長に電話し、会長面談のアポイントの確認をする。
 すると徳島部長から、「調整はしたが年末年始で(原田会長の)スケジュールは一杯で厳しい」、「また改めて申し込んでほしい」との返答。
 小平は、先日学会本部を訪ねた際、原田会長から直接、「役員室でスケジュール調整をしているからアポイントをとってください」と言われた事情を話し、何とか年内にお願いできないかと必死に懇願する。
 しかし、徳島部長は、「だから調整したんだけど、調整がつかなかった」と話す。そして、「急ぎの内容なら会長に直接手紙を書いたらどうか」と提案した。
 小平は「会長宛に書けばいいのでしょうか?」、「徳島さんから会長に直接渡してもらうこともできますか?」と聞く。
 徳島部長は、「それは構いません。私宛に送ってもらえば私から会長に直接渡します」と答えてくれた。

 原田会長の年末年始のスケジュールが一杯ならば仕方がない。一刻も早く原田会長と面談したいという焦る気持ちを抑える。時に忍耐することもまた勇気だと思った。
 何とか、原田会長との懇談を実現させたい。年が明けたら、もう一度、懇談のお願いをさせて頂こうと決意する。
 歩みを止める訳にはいかない。止まっているように見えたとしても、着実に目の前のやるべきことを進めていくしかない。

 小平に対する九州の最高責任者である愛媛副理事長の対応

 平成22年12月、小平が九州に来て、8か月が経とうとしていた。
 小平は、職員局責任役員のB副会長から、「人事戦略プロジェクトで検討を重ねてきた方面との交流人事で、個人の業務スキルアップも目指す」と言われて九州に来た。
 しかし、九州青年部長からは「君の話は完璧に聞いている」、「まずは生活と仕事だ。時間はかかるが信用されるようになれ。」と言われ、事実上、謹慎処分状態となっていた。学会本部から言われていたことと、現場の扱いには食い違いがあるように感じてならなかった。
 信用を勝ち取るため、仕事を真剣にやってきたが、小平は学会活動ができない現状に悩んだ。そして、学会本部が方面の九州幹部に対し、自分のことをどのように伝えているのか気掛かりだった。
 もしかしたら、九州の最高責任者である愛媛副理事長は、小平が体験した一連の問題について何も知らない可能性がある。そしてもし、誤解をしている部分があるならば、その誤解を解きたいと思った。

 小平は、平成22年9月から愛媛副理事長に面談のお願いをし、3か月後の平成22年12月9日、愛媛副理事長から「12月15日10時から面談をしましょう」との連絡があった。

 同年12月15日10時前、小平は早めに九州文化2階の会議室に到着し、愛媛副理事長が来るのを待つ。
 しばらくして、愛媛副理事長が某九州方面長とともに入ってくる。
 小平、「ご挨拶もちゃんと出来ていませんでしたし、お話しもさせて頂きたいなと前から思っていまして。よろしくお願いします。」と丁重に挨拶する。
 そして率直に、「4月から九州に異動で来たんですが、学会本部からどのように伺ってらっしゃるのかなと思いまして」と尋ねる。
 愛媛副理事長は、「率直に言うと、学会本部からは当然、経緯のあらかたについては聞いています。君が今日まで監査委員会にかかって。もう数年前から君が地元の学生部長をしていた時代のころの史実だな。」と話す。
 そして愛媛副理事長は続けて話す「それと同時に、その前提で、君が九州で職員を続けるのであれば、再出発の道を歩む意思があるのであれば、君も未来ある青年だから、白紙で見守っていきたいという思いがあって、九州に受け入れたんだよ。」と。

 小平は耳を疑った。学会本部での配転内示と人事発表の際、青森副会長から聞いた話と明らかに違う内容である。
 本部では、青森副会長から、「人事戦略プロジェクトで検討された『人事交流』『業務交流』の異動である」と説明された。その後、職員人事委員会委員長の大分職員局長に確認しに行った際も、「一連の組織の問題とは一切関係ない人事」だと伝えられていた。
 しかし、愛媛副理事長の話では、小平の九州配転は、“小平には、九州で「再出発」をしなければならない理由(問題事由)があり、小平が「再出発」することを望んだからこそ、九州が白紙で受け入れた”ことになっていた。
 まるで、流罪者のような扱いである。
 青森副会長の「個人の業務のスキルアップを目指す業務交流人事」との説明は、ただ表面を取り繕った後付けの理由であった。
 小平の配置転換は、“制裁人事”であったことが明らかとなったのである。

 さらに愛媛副理事長は話を続ける。
 「むしろ僕の方から君に聞きたい。これまでの経緯を。一度も聞いたことねえから。」と。
 小平は懸命に事の経緯を話す。しかし、愛媛副理事長にはなかなか伝わらない。先入観が強いように感じてならなかった。
 しばらくすると、愛媛副理事長はこれから来客があるから、面談を終わりにするという。そして、小平の思いを書面にしてもらえれば、それを読むと。
 小平は、「わかりました。書面を書かせて頂きます。その書面をもとに懇談をお願いします。」と伝える。
 愛媛副理事長、「わかった。またやろう。書面はゆっくりでいいよ」と。

 小平は九州の住まいに戻り、愛媛副理事長との面談を振り返る。
 方面組織(幹部)が、中央本部(幹部)の意見をすべて鵜呑みにしてしまう体質をいやが上にも感じる。だからこそ、率直な対話が大事になってくる。胸襟を開いた対話でしか道は開けない。
 勇気だ!すべて勇気をもって語るんだ!
 早速、愛媛副理事長への書面の作成に取り掛かる。何とか、愛媛副理事長に真実を知ってもらわなければならない。
 小平は、これまで本部指導監査委員会や原田会長に提出してきた書面の内容を見返し、連日連夜、必死になって書面作成に取り組む。

 愛媛副理事長への書面にはこれまでの経緯とともに自分の思いを書き綴った。
 「私は自身の解任処分について、後悔は一切ありません。問題が起こってからのこの9年間の戦いを通し、師匠と法に守っていただいたことに感謝の思いしかありません。しかし、未だに無実の会員が、あの監査の結論によって反逆者のように扱われ苦しめられ、犠牲になっている現状があるのです。先生は『師匠を守るということは具体的に会員を守るということだ』と教えて下さいました。無実の会員を苦しめる事だけは、断じてあってはならないと思うのです。どんなに組織が大きくなろうとも、一人の会員を徹して守ってこそ創価が守られると思うのです。会員に尽くしぬくことが職員の使命だと思うのです。」と。

 平成23年1月11日夜、九州文化2階事務所の愛媛副理事長に書面を届ける。愛媛副理事長は書面を受け取り、その場でざっと目を通す。
 しばらくすると、愛媛副理事長は小平が渡した書面から一旦目を離し、机から、おもむろに「2枚の書面」を取り出す。
 そして、「私は本当に客観的な内容しか聞いてないんだよ」と言いながら、小平にその書面を手渡す。
 そこには、“公平厳正に監査が行われたが一部の人間が納得せず、結論である誓約書に誓約しなかった。その後、何度も指導したが、聞き入れなかったため謹慎処分となり、2回勧告したが聞き入れなかったため、解任処分となった”と書かれていた。
 小平が九州文化会館に異動してきた時に、学会本部から愛媛副理事長に通知されたものであったのだ。
 小平はその書面に動揺した。
 “公平厳正な監査”ならば間違いなく会員たちは、誓約書に誓約し、平穏無事に終われた。しかし、誓約を拒否し、その拒否による罰を受けることを望んだ。そのやむにやまれぬ会員たちの決断は一体なんだったのか。「自分の人生を作ってくださった師匠だけは絶対に裏切らぬ」と涙を浮かべ、処分通知に臨んだ会員たちの判断は、一体なんだったのか!!
 小平は動揺しながらも、その「2枚の書面」を見終わると、愛媛副理事長に返し、「私の書面を読んで頂き、また面談をよろしくお願いします」と頭を下げ、その場を後にした。

 本部の結論が正しいとの前提で書かれた「2枚の書面」。何としても、愛媛副理事長に事実を知ってもらうしかない。書面を読んでもらい、再度の面談を実現するんだ。正義は誰か、弟子は誰なのか、絶対に語り抜くんだ。創価は断じて会員のためにある!!
 小平は、愛媛副理事長からの連絡を待つことになる。

 野口が四国へ異動

 野口は、平成22年12月15日、小平から愛媛副理事長との面談の様子を聞き、自分の四国への配置転換が制裁的人事であることは、ほぼ間違いないと感じた。
 学会本部は、自分を四国に異動させ、本部の決定に従わない限りは本部に戻さないつもりだ。
 しかし、自分が出会ったこの問題から逃げるつもりはない。不当な扱いを受け続けている会員たちを、裏切ることは我が命をかけてもすることはない。これまで以上に声を大にして叫ばなければ、自分が体験してきた一連の問題は風化され、師匠の耳に届かず蓋をされてしまうことを感じてならなかった。

 師匠に繋がる道は側近である山梨女史しかいないと思った。野口は平成22年12月12日に、2通目の手紙を出していたが、返事はなかなか来なかった。
 野口は必死に祈り、待つ。しかし、1週間が経ち、2週間が経っても連絡はない。山梨女史への手紙には、本部職員による人事の不正、その不正を隠す学会本部の不正、そして、それらの問題について一度も話を聞かない本部執行部の問題について書いてある。
 山梨女史は、どう対応するべきか、悩み葛藤されているのではないかと感じられた。
 平成22年12月末、野口は、小平、滝川、茨城氏の3人に相談をする。
 「小平の愛媛副理事長との面談から、自分たちに対する地方への配転命令が、制裁的人事であることは明らかだと感じる。ならば、一刻も早く師匠にご報告できる道を切り開くためにも、師匠の側近である山梨女史に制裁的人事のことをお伝えした方が良いのではないか。」と。
 同志たちは、賛同した。

 必死に祈り、山梨女史に3通目の手紙を書くのである。

「人生は戦いである。断じて、あきらめない。断じて、立ち止まらない。
どこまでも走り続けた人が勝つ。執念を燃やし続けた人が勝つのだ。」
(名誉会長指導)

 山梨女史への3通目の手紙には以下のように書き綴った。
 「会員が苦しんでいるのです。職員の姿勢を指摘し解任となった会員さんは本当に悪くないのです。創価学会は会員のためにあるはずだと思うのです。会員が苦しんでいるにも関わらず、なぜ一度も話を聞いて頂けないどころか、人事というやり方で無かったことにしてしまおうとするのか。」と。
 そして、「どうか、私たちの手紙に対してお返事を頂くことはできないでしょうか。無理ならば無理と一言でもお伝えして頂きたいのです。師匠は、私たち弟子の一人ひとりがどう行動するのかじっと見られていると思うのです。
 山梨様、私たちの思いを汲み取って頂ければこれほど、これほど嬉しい事はありません。何卒、何卒、宜しくお願い致します。」と。
 平成23年1月19日、山梨女史宛ての手紙を郵送する。
 
 それとともに、原田会長との懇談のアポイントを何としても取りたい。1度目は、年末のスケジュール調整がつかず、叶わなかった。必死に2度目のアポイント申請の手紙を書き進める。
 何とか2月1日付けで四国へ発つ前に、アポイント申請書を徳島部長に手渡したい。
 対話が閉ざされた本部では、組織の硬直化が進む一方だと感じてならない。師の築かれた会員のための創価を護りたい、何とか原田会長との対話を実現し、誤解があるならば解かせて頂きたい。不当な扱いを受けている会員たちの無実をお伝えしたい。

 率直な思いを原田会長宛ての手紙に書き綴った。
 「私たちがお願いしたいのは、ただただ話を聞いて頂きたいということなのです。一度でいいから話を聞いて頂きたいのです。話を聞いて頂いた上で『主張だけをする人間の話は聞けない』という判断になってしまったのであれば仕方のないことだと思っております。ただ、一度も話を聞いていただけていない中で『対話はできない』とすることが、どうしても理解できないのです。」
 「真剣に祈り、振り返れば、振り返るほど、自身の至らなさはあったとしても、この問題について『話を聞いて頂きたい』と懇願することが間違っていることだと思えないのです。会員の幸福を目的とする創価の世界にあって、会員が解任となった経緯を会長に聞いて頂きたいと懇願することが間違っていることだと思えないのです。」
 そして、手紙の最後には、
 「原田会長、どうかたった一度でいいのです。真っさらな状態でお話を聞いて頂くことはできないでしょうか。何を反省すべきかをお伝えして頂くことはできないでしょうか。師匠は、私たち弟子の一人ひとりがどう行動するのかじっと見られていると思うのです。」と。

 平成23年1月28日金曜日、野口が学会本部に出勤する最後の日。原田会長宛の手紙を携えて、役員室事務局がある本部別館へと向かう。
 すぐに徳島部長は1階ロビーまで降りてくる。
 椅子に座り、野口が「今日が最後の本部出勤です」、「四国に異動になりますので、今日どうしてもお願いしたくてきました。なんとか会長にお願いします」と手紙を差し出す。
 徳島部長は、「分かりました。これは会長に届けます」と約束する。
 野口は、「宜しくお願いします。四国に行っても全力で戦います!」と伝え、エレベーターに乗る徳島部長を見送った。

 職場に戻り、最後の仕事をやり終えた野口は、事務所に置いてあった自分の荷物を段ボールに詰め込むと、上司や同僚に最後の挨拶をして回る。同僚の女性職員からは、「新婚なのに、あり得ない人事ですね」と言われ、前の職場の先輩からは、「青森副会長もひどい事をする。絶対におかしいよ」と伝えられる。
 皆、本心では分かっている。しかし、表立って声をあげることはしない。
 自分は自分が正しいと信じる事を一歩ずつ続ければ良いのだ。師匠に喜んで頂ければ、それでいいのだ。師匠さえ分かって頂ければ。
 約10年勤めた学会本部の最終出勤日。野口は、師が居られるであろう本部を見つめながら思いを馳せた。「正義のために勝て!」師から頂いた言葉が蘇ってくる。苦しい時も辛い時も支えて頂いた師匠の御心に涙が込み上げた。感謝に涙が止まらなかった。そして、野口は「断じて正しいと信じることを貫きます!」と心で叫び信濃町を後にした。
 
 平成23年1月30日の夜、野口は羽田空港に向かう。見送りに駆け付けてくれた会員同志や家族の顔には、怒りと悔しさが溢れていた。自分の問題を我が事のように捉えてくれる、その同志の心に涙が込み上げて来る。
 「自分は絶対に負けません!断じて本部の実態を師匠にお伝えし、必ず勝って戻ってきます!」と伝え、搭乗口へと向かう。ずっとずっと手を振ってくれた。涙を流す会員同志もいた。本当に、本当にただただ感謝しかない。
 自分は師匠と会員同志のお陰で生きている。師の築かれた創価を護るため、会員の無実を証明するために前に進むのだ!
 野口は、本部職員の不正人事によって苦しめられた学生部の時に、師から「正義のために勝て!」との言葉を頂いた。この師の叫びを我が誓いとし、野口は故郷の神奈川から新たな四国の地へと発ったのである。






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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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