第1 池田名誉会長に報告が届かない学会本部の実態(H14.6~H24.10)

 現在、師匠の教えを守ろうと懸命に安保反対の声を上げる全国の学会員がいる。
 そんな中、先月末の創価学会本部の安保に対するコメントは、
 「法案をめぐる会員の集会や動きは関知せず、公認したものではありません。当会の名前と三色旗が政治的に利用されることは大変遺憾です。」と。
 公明の議員を当選させたのは師匠と共に戦う会員ではないのか!その会員が必死に声を上げている!
 あまりに無慈悲ではなかろうか。今の創価には師匠のお心が、はるか遠くへいってしまったのか。
 いや、絶対に違う!
 必ずや師匠は見守られている!今も、そして未来も!
 我々弟子が、どう正義を為すのか、その戦う姿を!!未来永劫に渡り弟子の姿を見守られているのだ!!
 我は戦う!師との誓いを果たすために!!


 創価学会本部の実態の中で一番の問題であると感じているのは、師匠である池田名誉会長に手紙が届かない(報告が届かない)という一点だった。
 池田名誉会長は、平成14年6月26日の全職員が参加する会議(職員全体会議)の席上、全職員に向かって指導する。
 「次の百年のため、悪い職員がいたら報告しなさい」、「今は学会は事務屋。官庁だ。女子部は手厳しく言いなさい。手紙をよこしなさい。真実の手紙を。間違っていたら絶対に信用しないよ。」と。
 さらに、その後の職員全体会議でも、職員の不正に関しては、
 「何かあれば長谷川副理事長(現・理事長)に言いなさい。そうすれば私の所にくるから。ちゃんと調査します。でも嘘があったら厳しくするよ。そうじゃないと公平じゃないからね。」と指示する。
 その会場にいた私たちは、指名された長谷川副理事長が、「はい」と返事をし、立ち上がる姿を見ていた。
 名誉会長は、最高幹部が大事な情報を隠し、名誉会長に報告しないという組織体質を危惧され(そのことが現実になったのが、女性問題を起こした某男子部最高幹部の更迭事件)、本部職員一人一人に対して、何かあれば直接、名誉会長に報告するよう命じた。
 こうした名誉会長の言葉によって、学会本部の中に、職員の不正を報告する窓口(ヘルプライン)が自然と開かれることになる。
 しかし、池田名誉会長への報告は、“報告内容に嘘があれば報告者に対して厳しく処罰する”とある通り、自らを懸けて学会に尽くす覚悟がなければできない、真剣勝負のメッセージだった。
 私たちは、見過ごせない職員の問題に出会った。しかし、いざ名誉会長に報告しようとの決断に至るまでには、眠れぬほどの葛藤がつきまとう。題目をあげねばその葛藤に押しつぶされそうになった。
 しかし、その問題を看過すれば、名誉会長の弟子としての誓いを破ることになる。苦しさにいくらでも題目はあがった。
 そして、自らの信仰・そして弟子としての生き方を懸け、震える足で長谷川副理事長を訪ねた。
 しかし、窓口の長谷川副理事長は、私たちの池田名誉会長に報告してもらいたいとの懇願を、「先生を利用したら駄目だ」「こうやって君たちと話しているところを見られるとダメなんだ。今はたまたま青森副会長や会長が隣にいないからいいけど、いたらこうやって話すこともダメなんだ」と自らの体裁を語り、報告を拒否した。
 諦めることは、死を選ぶことと同じである。
 さらに、師匠に届けようと動いた。本部の懲罰委員会は、その行為を理由に、我々に懲戒解雇を下していく。

 池田名誉会長に報告しようとした学会本部の問題点

 名誉会長に手紙で報告しようとした本部職員の問題。それは、私たちが平成20年4月29日(監査面談の場)、5月22~24日(通知の場)に体験した、会長直轄の本部指導監査委員会による監査面談の実態についてである。
 私たちは、本部職員が会合の場で1000人近い参加者を前に、特定の会員を名指しで「●●は暗黒時代を作った」「前体制は暗黒時代だった」と誹謗中傷したことがきっかけで起きた学会組織上の問題について、本部指導監査委員会から監査を受けることになった。
 約2週間、仕事が終わってから深夜までパソコンに向かい、監査委員会に提出する書面を作り提出。その後、監査委員会が「提出した書面を基に話を聞かせてもらいたい」と面談の日を指定した。むろん面談の場では話を公平に聞いてもらえると期待し、その場に臨んだ。
 面談室に入ると、私たち当事者1人に対して、副会長など4名の監査委員が囲むように座っている。全員、本部職員の幹部であった。その威圧的な雰囲気に圧倒された。もはや罪人である。震える声を絞り出し、「よろしくお願いします」との言葉で監査が始まる。
 ところが、事情を詳しく説明しようとした途端、監査委員は、「ここは議論する場ではない!」と話を遮った。さらに、「つい最近も神奈川で問題を起こした中心者を除名処分にした」と、除名処分をちらつかせるのである。
 面談に臨んだある会員に対しては、弁護士も加わり、副会長など5人の監査委員が取り囲み、冒頭で「池田先生とつながりがあるのか」と確認する。繋がりがないと分かるや、「君が問題を起こしたんだろ。」と責め立てた。あまりに結論ありきの、偏見に満ちた高圧的な監査面談に我々は衝撃を受けた。

 そして、監査結果の通知。
 その場で小平が、事実の正確な理解を求めて弁明すると、監査委員は、「言い訳聞くんじゃないよ」「誓約するかしないかを聞いているんだ。本部が決めたことなんだから。」「誓約できないんでしょ?」「じゃあ以上です。本部の指導に従わないという風に受け取りました。結構です。」と。
 さらに、「重く受け止めろよ。」「それだけの権威あるんだよ、本部指導監査委員会。わかる?」「私たちの認めた学会指導を君が反するんだったら、それなりの処分にせざるを得ないぞ。」「もういいよ帰れよ。」と。面談は終了。
 監査委員は滝川に対し、「君が『受け入れるか、受け入れないか』なんだよ、通知っていうのは。」「誰に文句言ってるんだよ!」「何が聞いて下さいだ!」「認めろ!まず!」「ここは聞く話じゃないんだよ!通知してんだよ!」と。
 そして、
監「このままいけば、派閥で反逆するよ。」、滝「反逆は絶対にしないです」
監「そんな事は、お前分かんないよ」、滝「絶対ないです!」
監「だってもう反逆してんじゃない!」、滝「してません」
監「いいよじゃあ。書けよ、じゃあ誓約書を!」
 最後は、「本部の指導を聞かなかったらもう、それは学会員としても無理でしょ。それだけの腹決めといて。」と告げられ面談は終了。

 監査委員会が出した結論は、会長以下執行部が了承したという誓約書に誓約して提出すること。誓約内容は、今回の問題に二度と触れてはならないとするものだった。 
 問題が隠されてしまうと思った。しかも本部職員から誹謗中傷された犠牲者の会員にまで誓約を迫るという、顛倒した結論には従えないと思った。従えば、師匠を裏切ることになる。しかし、そうは言っても、創価学会の職員として、学会本部の公式機関が出した結論に従うべきではないかという葛藤が無かった訳ではない。
 もし誓約しなければ、懲罰委員会から処罰されるか、もしくは除名処分が下されるか、先の見えない未来が待つことになる。不安だらけだ。
 誓約書を提出するかどうかは、私たち一人一人にとって、信仰を懸けた苦渋の選択になった。正直、誓約する方が楽だった。楽になろうと何度も思った。
 しかし、祈れば祈るほど、数々の罵声や非難、除名や懲罰といった処分をちらつかせ、問題の本質は何も解決されぬまま、強引に誓約書に従わせようとする監査の実態を認めてはならないと思えた。
 学会本部が真剣に考えなければならない本部職員の根深い問題が、地元組織の中にまで広がっているのだ。
 “誓約書を提出させて問題を収める”なんの意味もないこの誓約書に誓約することは、出会った問題の意味から逃げることになる。

 『信仰の世界にあっては清濁併せ呑んではならない!(名誉会長指導)』

 解雇、除名になり、馬鹿にされ、笑われても、師匠にだけは嘘はつきたくない。いかなる処分も受けようと、不甲斐なくもやっとの思いで覚悟し、誓約書を提出しないことを決めた。

 監査委員会の通知の場で誓約しなかった人間は10人。
 その後、学会組織、職場、家族に対する圧力により、一人一人誓約させられていくことになる。



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第2 誓約しない会員に対する学会本部の動き(H20.5~H20.12)

『まことの「誓い」の種は、必ず花と咲いてゆく。 大事なのは、絶対にあきらめることなき執念と、前進ヘの戦闘を続けゆく負けじ魂だ。』 (名誉会長指導)

『「勝つ」とは、決して「あきらめない」ということだ。 烈風に、いや増して燃え盛る、炎のごとき不撓不屈の闘魂が、勝利を開くのだ。』 (名誉会長指導)

 「師匠に報告が届かない本部の体質」絶対に、絶対にあってはならない。
 しかし、それ以上に
 「報告が届かぬ本部の実態を見て、まことの誓いを捨て、あきらめる己の心」
こそ、最もあってはならない!!
  「今の創価」はその心が創ったのだ。
  「今の創価」は己自身が創ったのだ。
   ゆえに、
   断じて負けてはならぬ!
   断じて負けてはならぬのだ!
   未来の創価のために!
   君が変わるのだ!
   君よ頭を上げよ!
   師の理想とする「創価」を創るのは己自身だ!
   創価の正義を!師匠の正義を!
   命ある限り!我は断じて叫んでみせる!!


 本部指導監査委員会の結論通知の場。私たち3名を含む5名の本部職員は誓約を拒否した。
 監査委員の中心者であった岩手副会長は、当時会長の側近でもあった。
 岩手副会長は私たちの職場の上司に対し、私たちに誓約させるよう働きかける。
 地域組織の問題である。職場の人間には関係がない。どんな罰も受ける覚悟はあったが、お世話になってきた職場の上司から説得されることは、この上なく苦しいものがあった。
 誓約しなかった本部職員5名のうちの一人である秋田氏。
 「誓約書は断じて受け入れられない」と語っていた。しかし、度重なる上司の説得に誓約することになる。
 圧力は日を増すごとに強くなった。
 そして、7月22日、名誉会長が不参加の職員全体会議の席上、原田会長は以下のように語りはじめた。

 「最近、若手職員のなかで、組織の中心者の指導を聞かず、職場の上司の忠告も聞かない者がいます。それで殊更に自分の正義を主張する。それは『学会の指導を守り組織の秩序を守る』という学会員としての最低限のルールさえ逸脱した、職員にあるまじき姿勢であると言わざるを得ません。しかも、その己の正当性を主張するために、あろうことか池田先生のご指導を、切り文的、教条的に、都合よく悪用する。これは悪辣な『師匠利用』だと明確に断ずるものであります。」と。
 この会議終了後、滝川は上司に呼び止められ以下のように伝えられる。
 「あれは君たちに対する話だ」と。

 その日以降、滝川は上司から職場の個室に何度も呼び出される。そこには、上司の他に、地元組織の幹部(職員)が待っていた。
 翌23日、説得は朝から始まり、昼食時間も与えられないまま6時間に渡った。
 滝川は「誓約だけはできません。それが正しい事だとは思えないのです。」
 上司「正しいか正しくないかじゃない。会長が決めた誓約書に誓約しないことが問題なんだ。」
 滝川「話を聞いて頂いた上で、判断されるならば分かります。しかし、そういう監査ではなかったのです。だから再監査をお願いしたのです。私はどうしても誓約は出来ません。」
 上司「とにかく明日までに誓約書を書かなければ辞表をもってこい!」

 題目を上げねば、仕事に行けなかった。
 誓約すれば師匠は喜ばれるのか。いや、どうしてもそうとは思えなかった。
 何度語っても、“事実や経緯がどうかではなく、本部の決めたことに従うか従わないかだ”と話す上司。
 翌24日、滝川が仕事を開始するとまた、上司から呼び出された。
 上司「職場的にも、もう置けない。信濃町にも神奈川にも」「北海道の日本図書の新聞輸送(外郭法人)だ。クビには出来ないが合法的にはそこまでは出来る。」「この職場にはいられなくなるのはもう決まっている。」
 さらに、
 上司「僕の言っていることが分かんないんだったら、職員を辞めていいよ。子供みてーなことばっかり言うんじゃねんだよ。」「局長と私の指導が聞けないんだったら、辞めてもらうってこと。」「僕らも厳しいよ。覚悟しとけ。」

 そしてこの日、同じ職場の小平にも上司は、
 「誓約書を書くように。もし書かないのであれば、辞表を持ってきて自分から職員を辞めるべきだ。」と。

 職場の上司からの説得は続いた。もはや、説得と言えるものではなかった。
 しかし、苦しい時ほど、なぜか不思議と、師匠の言葉が聖教に掲載される。師匠の言葉は実に温かかった。
 
 『人生は、すべて戦いです。なかんずく、正しい人生であればあるほど、激しい戦いの連続である。その使命の闘争を、最後の最後まで貫けるかどうか。ここに、人間としての勝負がある。』(名誉会長指導)

 素直に涙がでた。なんて幸せな自分なんだと涙がでた。
 「先生、先生」と何度も自身に問いかけた。

 “自分はあまりに弱い。しかし、その弱い自分は、偉大なる師匠の弟子である。ゆえに、負けてはならない”

 誓約しなかった公明党の職員である福島氏。
 その職場でも説得は続いた。公明党職員福島氏の上司は、連日、福島氏の席に赴き、肩を叩いて個別に呼び出した。
 「学会側からかなり厳しく言われた」「サインしないなら毎日呼び出して説得する。それでもだめなら引っ張ってでもサインさせる」と。
 上司は、平成20年11月28日には一時間半に渡り福島氏を説得する。それでも誓約しない福島氏。
 しかし、上司は福島氏を連れ、福島氏の自宅を突然訪問する。
 両親を前に、「サインを書かせるという折伏をしに来た。お父さん、お母さんの三人で連合を組んで説得しましょう」と語りはじめる。
 福島氏の母親は、会長にも話が及んでいる事を初めて聞かされる。
 問題の重大さに母は泣き叫び、発狂した。あまりの興奮で呼吸困難になった。 福島氏はその母の姿を見つめる。その姿に追い打ちをかけるように、上司は「サインするまで何度でもやる」と語る。福島氏は誓約する。
 誓約するのも自由だ。むろん誓約しないのも自由だ。しかし、監査委員会の「誓約」には、もはや「誓約する」道しかないではないか!!

 そしてついに、2週間後の平成20年12月15日、本部職員である我々を職員として罰するかどうかを検討する職員規律委員会が動き出した。

 発起人となったのは青森副会長。
 「一連の問題について、職員規律に抵触する可能性がある」と。
 そして、「本部指導監査委員会の結論に伏さない理由」などについて、陳述書の提出を求められる。
 職員規律委員会委員長は、名誉会長窓口の長谷川副理事長(現・理事長)だった。

 心は決まっていた。
 「正しいと信じることを為そう。誠実を尽くし、誠意を尽くし、それで罰せられるなら喜んで受け入れよう。」と。

第3 誓約しない職員に対する学会本部の動き(H20.12~H21.12)

「常に人間は、人びとの幸福のために、平和のために、勇気の叫びをあげていくべきだ。英知の言葉を発していくべきだ。ともあれ、行動だ。生きるとは戦うということなのだ。」(名誉会長指導)

 決して完璧な人間などいない。
 不完全であるがゆえに、信仰がある。
 不完全であるがゆえに、戦いがある。
 不完全だからこそ、師匠がおられる。
 不完全だからこそ、人生の価値がうまれる。

 組織もまた同じである。
 未完成なるがゆえに、創価三代の不撓不屈の戦いがあった。
 未完成なればこそ発展があったのだ。

 ならば、君よ!
 愚痴を排し!批判を排し!
 未完成を完成へと変革しゆく戦いを起こすべきだ!
 正義と信じる行動を君が起こすべきだ!
 弟子が戦い続ける限り
 創価こそ正義だ!!
 弟子が戦い続ける限り
 未完成こそ完成なのだ!

 ゆえに
 君よ!
 君の中に創価があり。
 君こそが創価学会である。
 君の変革こそが、創価の発展であることを
 片時も忘れてはならない!


 地域組織の問題でありながら、職場での職務審査が始まる。何としても誓約させようとする本部の姿勢を感じた。
 職員規律委員会から要求された陳述書の提出。
 おかしいものはおかしい。覚悟は決まっていた。とにかく誠実を尽くし、自分が正しいと思うことは全て伝えようと誓った。1か月間、全魂込めて陳述書の作成に向き合う。
 決して、自分が全て正しいと考えている訳ではない。いや、むしろ、欠点だらけの自分である。失敗だらけの自分である。
 ゆえに、自分に至らない点が無かったと言うつもりは全くない。
 しかし、自分に至らない点があれば尚更のこと、それを改善していくためにも、具体的に何が問題であったのかを知る必要がある。
 そうでなければ、自分の行為を具体的に振り返ることも、真摯な反省をすることも不可能だ。
 しかし、本部指導監査委員会の審査では、相手方とされた職員幹部たちが私の何を問題として訴え、どのような主張をしているのか、その肝心な内容が伏せられていた。監査から出された書面は何一つ無く、何が認定され、何が否認されたのか、一切不明であった。

 その上、本部指導監査委員会の結論は、誓約書にサインをするというやり方で当事者双方に反省を迫り、喧嘩両成敗で終わらせるという内容であった。
 会員を傷つけた職員幹部には“誓約という形だけの反省”を促し、傷つけられた会員には不条理な反省を迫り、双方の誓約によって問題を終わらせる。
 そして、その誓約書には、この問題には二度と触れるなと。

 一番傷つけられた人間、それは幹部との繋がりを持つ本部職員ではない。何の繋がりも持たない会員である。
 監査の結論は、職員幹部にとっては免罪符であり、会員にとっては“泣き寝入りしろ”との通告である。会員第一の創価の中で絶対に許される判断ではない。
 
 現に、反省し謝罪したとされた静岡男子部長は、その後、私たちの所属する地域組織で、「じきに正邪がはっきりする」「彼らも強がっているだけで、根は弱い。もうすぐ泣きを入れて詫びてくる」と、私たちへの批判を繰り返した。本部指導監査委員会の裁定は、何の問題の解決にもなっていなかった。

 精査された内容が全く見えない監査。監査委員が提示したことにただ黙って頷いてさえいれば終わる監査。
 我々が職員の世界で感じていた点も全く同じだった。上の言うことに従ってさえいれば、どんなに重大な問題を起こしても、伏せられ終えられる。そして守られる。
 反対に、従わなければ、たとえ正論であっても端に追いやられ、排除される。結果的に、上(幹部)の言うことに対して意見すること自体が、問題とされる。
 しかし、正しいものは正しく、間違っているものは間違っている!

 自分の思いと考えを素直に書き出し、職員規律委員会に提出した。どのような処分が下されても悔いはないと思えた。

 平成21年4月15日、職員規律委員会での審査の結果が通知される。
 「職員として問題なし」
 不思議と本部指導監査委員会の判断と相反するものとなったのである。
 「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」 我々は心から喜んだ。

■ 池田名誉会長に報告が届かない学会本部の実態

  「職員として問題なし」との結論が職員規律委員会から出された半年後、突然、最高幹部からの批判が始まる。
 平成21年10月29日、青年部職員の会合に青森副会長が出席。
 そこで「君たち職員の中に本部の決定に不満を持ち、声をあげている者がいる。学会指導をいまだに受け入れない者がいる。これは由々しき事態だ。」と発言。暗に私たちを非難するものだった。
 一刻も早く誤解を解かなければならない。足が震えながらも青森副会長に会いにいった。「一度話を聞いて頂けないでしょうか」と。
 すると「私が会うのはダメに決まっているじゃないか。」「行動に気を付けた方がいいぞ!」と一蹴。
 さらに数日後、今度は正木理事長も職場の朝礼で、私たちを暗に非難する。
 「最近、各組織の様々な問題に携わる中で、一つの共通する問題がある。それは、『自分たちが最も先生のことが分かっていると勘違いをし、池田先生はこう言っていると幹部を批判する点』にある。」と。
 公の場での批判。幹部批判ではない。真実を知りたいだけである。はやく誤解を解かねばならないと思った。
 対話をし、批判をする理由を聞かなければならない。題目をあげ抜き、理事長に会いにいく。
 すると理事長は、「全体には話すけど個別には話さない。」「ダメだ!ダメといったらダメ!」と話し、去っていく。
 
 どの最高幹部も対話を拒否する理由が分からない。話しすらまともにしてもらえない。しかし、最高幹部は公然と批判を繰り返す。職場も同僚も明らかに自分を避けていく。
 おかしい。これは絶対におかしい。
 職員規律委員会では「職員として問題なし」と結論されたはずだ。普段何気なく話せた人も、話すことが危険なのか、あからさまに避けていく。
 自分が自分に負けてしまいそうだった。通勤の途中、仕事の最中、題目しかなかった。

 師匠の言葉が甦ってきた。
 「何かあれば長谷川副理事長(現・理事長)に言いなさい。そうすれば私の所にくるから。ちゃんと調査します。でも嘘があったら厳しくするよ。そうじゃないと公平じゃないからね。」と。
 自らを懸け学会に全てを捧げる覚悟で、監査の問題、そして対話をしてもらえない最高幹部の姿を師匠に知って頂こうと決めた。

 平成21年12月14日、私たちは、長谷川副理事長を訪ねた。やはり自分は弱い。緊張して足が震えた。

 “持参した手紙を読んでもらいたい、読んで一度話を聞いて頂けないでしょうか”と切り出す。
 しかし、長谷川副理事長は、「先生を利用したら駄目だ」と。
 師匠の指示に反し、報告を拒否したのである。

 あってはならぬ!絶対にあってはならない!師の仰せは我が命をかけても守ることが師弟だ!師弟の創価において、これほどの重い罪はないと怒りに体が震えた。
 悔しさに涙が溢れてきた。絶対に諦めない!
 絶対に絶対に断じて諦めない!

 師匠に報告を届けるためには、一体どうすればいいのか、祈りに祈った。

 原田会長、正木理事長、青森副会長は職場の会合を使って私たちを非難し、誤解を解こうと、直接会って対話を懇願するも拒否。
 師匠が全職員に示された報告ルートである長谷川副理事長も報告を拒否。

 それでも師匠に報告を届けるためには、師匠と常に行動を共にされている側近の方にお願いするしかないと思った。
 私たちは池田名誉会長のご子息であり側近の宮城副会長を訪ねることを決意する。
 会ってくれるのか、話を聞いてくれるのかも全く分からなかった。ただ、自分には前に進む以外に方法はなかった。
 さらに誤解されようが、自分が今できることを懸命にやりきる、それ以外に自身の納得する正義の道はないと思えた。

第4 池田名誉会長の御子息からも手紙が届かない実態(H20.5~H22.3)

「私は、今も、胸中の戸田先生と対話をしながら、世界広布への指揮を執っている。皆様も、この『師弟の大道』をまっすぐに進み抜いていただきたい。断じて勝利の人生を飾っていただきたい。『君よ、生涯、わが誓いに生き抜け!』」(名誉会長指導)

 『師弟の大道』を生き抜くために
 弟子は師と胸中で対話をしている。
 苦悩うずまく人間世界にあって
 弟子は常に胸中におられる師と対話をしながら
 戦い抜いてきたのだ。
 ならば友よ!
 師は本部におられるのか。
 いや、
 君の胸中だ!
 我が胸中なのだ!

 混迷の時代にあって、
 己の内なる正義を信じ
 己の内なる師と対話をしながら
 命の限り叫びたまえ!

 「不正は不正である!」
 「師の仰せを護りたまえ!」と。

 師は必ずや君の勇姿を見つめている。
 師は必ずや弟子の心を見つめている。 
 
 地位・財産・名誉、消えゆくものは
 何もいらぬ。

 ただ望むのは、
 「在在諸仏土 常与師倶生」
 我が命に刻まれた、久遠の誓いに生き抜く
 生命(自身)であることを忘れまい!


 誓約書にサインしなかった私たちは、学会本部から「本部の指導に従わない人間」として問題視された。
 平成20年7月25日、本部人事委員会は、「経緯はどうあれ本部の指導に従わないことが問題だ」との理由で、私たちに対して組織活動の謹慎処分を下す。
 学会員と一切連絡を取ってはならないと徹底され、男子部活動はもとより、本部幹部会同中で師匠とお会いすることも許されなかった。共に活動をしていた同じ組織の会員の方々には、「本人の体調が悪い」「仕事が忙しい」との嘘の理由が伝えられ、私たちに連絡をしない体制が取られた。
 職員である私たちはどう言われても良い。しかし、謹慎となり、苦しい状況に置かれる会員をそのままにすることはこの上なく苦しいものがあった。社会の荒波の中で必死に戦う会員にとって、師匠と共に創価の組織で戦えることは生きる意味である。それが奪われているのだ。会員の苦しみは計り知れない。
 原田会長に対し、“何とか一度話を聞いてもらえないか”、“何とか再監査をお願いできないか”と3度手紙を書いた。しかし、すべて断られた。
 謹慎処分は平成21年3月31日まで延長。さらに本部幹部会同中で師匠とお会いすることが許されない日々は続いた。師匠の指導を求め、聖教新聞をむさぼるように読んだ。
 謹慎処分が延長されても誓約しない私たちに対し、平成21年4月1日、本部人事委員会は組織役職の解任処分を下す。創価班・牙城会も卒業。
 会員たちへの地域組織の対応はさらに厳しいものになっていく。会合の連絡すら来ない。嘘の作り話が飛び交い、「日顕・山友」と揶揄され、組織の同志との信頼関係も失われていった。中には、家族からも非難されるようになった会員もいた。

 麗しい創価の世界を護り、創価を未来永劫に発展させゆくためには、“本部が職員の問題を伏せる体質”、“職員の世界で対話(話し合い)が出来ないという重大な問題”、そして、そうした問題によって“常に純粋な会員が犠牲となる”ことを、何としても師匠にお伝えしなければならない。
 しかし、原田会長や、名誉会長の報告窓口である長谷川副理事長(現・理事長)などの本部執行部は一度も話を聞こうとしなかった。
 何としても今の創価の現状を師匠に伝えたい。どなたか、師匠に伝えて下さる方はいないか。そう祈る中で、名誉会長の御子息である宮城副会長が思い当たった。
 しかし、宮城副会長は名誉会長と行動をともにされている側近であり、ご多忙な方である。会って話を聞いてもらえる時間を取って頂けるとは限らない。それでも、何とか話を聞いてもらいたいとの思いで、手紙を書いた。
 「決して私たちがすべて正しいと考えているわけではありません。」
 「もし自身に過ちがあるならば、人間革命して参ります。」と。
 自分たちは、ただただ正しいことをしたい、師匠の仰せ通りの生き方をしたい。
 平成21年12月28日、宮城副会長の席に赴く。緊張で心臓を高鳴らせながらも、勇気を出し、「どうしてもお伝えしたいことがあり、お手紙を書いて参りましたので読んで頂けますでしょうか。お願いします」と手紙を差し出す。
 宮城副会長は、「そうですか。はい。分かりました。ご苦労様です」と笑顔で手紙を受け取ってくれた。
 これまでの最高幹部とは全く違う対応だった。話を聞いて下さるかもしれない。希望に胸が高鳴った。

 宮城副会長からの返事を待った。何とか話が出来るように祈り続けた。しかし、一向に返事は無い。突然の相談の手紙にどうするべきか考えて下さっているのかもしれない。題目をあげ続けた。
 そして、一か月が経った。なんの返答もなかった。
 しかし、諦める訳にはいかなかった。自分には師匠への誓いがある。そして不当な扱いを受け続ける会員たちがいる。
 そして、“もう一度手紙を書こう”と決意する。
 平成22年2月8日、書き綴った手紙を携え宮城副会長の席のある事務所に入る。すると、宮城副会長の部下が行く手をふさいだ。
 「なになになに、何しに来たの?(宮城副会長は)いないよ、いない!」と、私たちは事務所の外に力づくで押し出された。
 部下は語った。
 「池田家に組織の問題でご迷惑を掛けてはならない。」
 「宮城さんは特別な人だから煩わせてはいけない。」と。

 言いたいことは分からなくはない。
 多忙を極める宮城副会長を煩わせることは本当に心苦しい思いだった。しかし、地域組織では、誓約しなかった会員たちがまるで反逆者のような扱いをされ続けている。師匠に誓って会員に罪はない。この状況を打破するために何とかしなければならなかった。
 むろん弟子として、師匠を守り支える御家族を敬い、礼を尽くしていくことは当然だと思っている。しかし、創価は民衆(会員)のためにあり、師匠は民衆(会員)のために戦い、民衆(会員)こそが主役であることを教えて下さった。その名もなき、罪なき会員が最も苦しい状況にある。
 ならば、伝え抜くしかないのだ!それが職員である意味だ!会員こそ命なのだ!

「特権階級ができれば組織は権力化し、腐敗する。指導者は、第一にも第二にも公平でなければならない。いかなる意味でも“閥”ができれば、崇高な目的に進む団結は不可能である。」(名誉会長指導)
「一切衆生が平等です。血のつながった親族だからといって、特別扱いするわけではない。」(名誉会長指導)

 師匠は無名の一会員であろうとも、国の要人であろうとも、どんな立場であろうと、一人の人間として対等に対話をされ続けてきた。それが創価の真実の歴史である。
 「池田家だから」「特別な人だから」煩わせてはならない。この思想を師匠が許されるとは到底思えなかった。

 平成22年2月15日朝、本部の大広間での自由唱題時間。小平は宮城副会長の隣に座り、手紙を渡そうと「宮城副会長」と声を掛けた。
 すると突然、2名の職員が背後から小平の両脇を抱え込み、後方に組み伏せた。一瞬小平は何が起きているのか理解できなかった。そのまま場外に引きずり出されていた。
 おかしい!手紙を渡すだけだ!なぜ、暴力を使ってまで阻止するのか!あまりの理不尽さに、怒りが込み上げてきた。小平への監視は日増しに強くなっていった。

 さらに2月22日、本部の朝礼終了後。小平は職場に戻る宮城副会長に後方から声を掛けた。すると、一人の職員が興奮して肩をぶつけてくる。
 小平が、「ちょっと待ってください。何をするんですか。お手紙を渡そうとしているだけじゃないですか。」と伝えると、その職員は我に返ったような顔をした。
 もう一度、宮城副会長に声をかけた。宮城副会長は自分の周りを囲んでいた職員たちに「いいじゃないか。私宛の手紙なんでしょ」と話し、自ら手を伸ばして手紙を受け取った。嬉しかった。周りに集まる職員の表情は実に苦い顔をしていた。

 手紙を渡した後、小平は職場に戻り、いつも通り業務を開始した。すると、しばらくして突然、局長に呼ばれた。
 要件は短かった。「2月人事で異動。詳しくは夕方に通知する」と。
 夕方の内示通知の場。青森副会長から、「小平秀一、4月1日より、九州文化会館に異動」と説明される。理由は、「人事戦略プロジェクトで検討を重ねてきた方面との交流人事で、個人の業務スキルアップも目指す」と。
 東京信濃町の学会本部から、縁もゆかりもない九州・福岡県への配置転換。覚悟はしていたが、頭の中が真っ白になった。
 同日、私たちと同じく誓約しなかった職員の茨城氏も、東京信濃町の聖教新聞本社から広島県にある広島池田平和記念会館への異動を内示される。理由は小平と同じく「方面との交流人事」との説明であった。

名誉会長御子息からの返答

 宮城副会長の周囲の職員は、「池田家を守ることが職務である」と語る。実力を行使してでも宮城副会長と接触させまいとする。しかし、当の宮城副会長本人は、それを制して手紙を受け取ってくれた。その心に涙がでる思いだった。
 宮城副会長ならば、私たちの手紙を師匠にお渡しして頂けるのではないかと思えた。対話をして下さり話を聞いて下さるのではないか。
 師匠は、我々弟子に、“次の百年のため悪い職員がいたら真実の手紙をよこしなさい。間違っていたら絶対に信用しないよ。”と厳命されている。
 宮城副会長に師匠への手紙を託そうと思った。宮城副会長宛の手紙を書くと共に、自らを懸け、師匠へ報告するための手紙を書き、同封した。

 平成22年3月1日、茨城氏が手紙を差し出すと、宮城副会長はそれを受け取る。
 しかし、一言。
 「こういうことばかりしているから先生に敵対していると思われるんだよ!」と。
 さらに3月8日、野口が宮城副会長に「先生に手紙を渡して頂けましたでしょうか」と尋ねる。
 宮城副会長は、「渡せるわけがない」「こんなことばかりやっているから反逆者のように見られるんだ」と。
 正直、本当に苦しかった。自分たちが全部正しいと思っている訳ではない。しかし、会員の声を、真実の声を何一つ聞いていない。なぜ判断できるのか。ただただ悔しかった。
 御子息も師に届けて頂けないのか。なぜ誰一人として、一度たりとも話を聞こうとしないのか!
 そもそも明らかにおかしい監査があった。しかし、私たちは誓約書にサインしないことによる謹慎処分・謹慎延長・役職解任、すべての処分を受けてきた。誓約できない理由は、職員規律委員会に50ページに渡って書き伝え抜いた。その結果「職員として問題なし」との結論がでたのだ。
 それでも、原田会長、正木理事長、青森副会長は、職場の会合を使って私たちを批判する。名誉会長への窓口である長谷川副理事長も、師の指示に反して、報告を拒否。だから御子息に手紙を書いて師匠への報告をお願いした。それが、なぜ、なぜ師敵対になるのか!なぜ反逆者になるのか!

「いかなる困難の壁にも屈せぬ負けじ魂だ。ひとたび、正義を叫んだら、相手の心に伝わるまであきらめぬ忍耐だ。」(名誉会長指導)

 絶対に負けない!断じて負けない!
 ただ、ただ必死に祈った。師匠が2月の職員全体会議で、もう一人の御子息である栃木副理事長を厳しく薫陶されている姿を思い返した。師の期待を受けられる栃木副理事長に行くしかない。
 平成22年3月17日、野口は、栃木副理事長に会いに行く。
 本部職員としてずっと生きてきた。自分の行動が職員の常識を破っていることは重々承知している。しかし、職員として最も守らねばならぬ常識は、会員のための職員、会員のための本部、会員のための創価ということだ。
 栃木副理事長に手紙を渡し、師匠への報告を懇願する。
 すぐに返事はなかった。師匠への報告を真剣に考えて下さっていると信じた。

「人間を信じ、対話に徹し抜いていくところに、仏法の人間主義の真髄がある」(名誉会長指導)

 同年3月29日、野口は栃木副理事長に尋ねる。
 「先生に手紙を渡して頂けましたでしょうか」と。
 しかし、返事は「私から先生には手紙を渡せない。第一庶務に渡しました。」と。
 第一庶務(名誉会長秘書室)からでは師匠に手紙が届かない。そのことは、栃木副理事長への手紙に書いている。失礼を承知で栃木副理事長まで懇願しにきた経緯も書いている。
 以前、小平が役職解任となっても戦い続ける決意を師匠に報告するため、第一庶務に報告書を届けたことがあった。しかし、最高責任者の群馬副会長は、「解任になったことを先生に報告するなんて失礼だ!」と受け取りを拒否した。さらに、第一庶務の最高幹部である長谷川副理事長や宮城副会長も、私たちの手紙を師匠に渡せないと拒否していた。それらの事情は全て手紙に書いている。
 それにも関わらず、なぜ「第一庶務に渡しました」と。
 野口は呆然とその場に立ち尽くし、足早に去っていく栃木副理事長の姿を見つめた。

第5 対話なき学会本部の実態(H22.2~H22.3)

「“対話”“言論”の停滞、それは『広布』の停滞につながる。『正義』は『正義』、『真実』は『真実』と、どこまでも叫びきっていくことである。
沈黙する必要はない。恐れる必要もない。―その強き一念と行動の大風に、立ちこめた暗雲もいつしか晴れ、勝利の太陽が輝く。そして相手の対応がどうであれ、また一時の状況がどうであれ、正義を叫びきったという事実は、厳然と歴史に残る。」
(名誉会長指導)

  師は叫ばれた
  「対話」の停滞は 「広宣流布」の停滞であり 
  「対話」の停滞は 「創価学会」の停滞であると。
  ゆえに、
  「対話」こそが正義であり 「対話」こそが師弟なのだ
  「対話」こそが創価であり 「対話」こそが勇気なのだ
 
  ならば君よ!
   真実を追求する対話を 絶対に諦めてはならない!

   偉大なる師の仰せを根本とし
   真実の対話によって 創価の未来を築くのだ!

   臆病に支配された
   狂った嫉妬の心によって
   馬鹿にされ、足蹴にされても

   対話の旗を 勇気の力で
   掲げゆくことだ!
   人間の心を信じ抜き、
   可能性を信じ抜く 勇気の対話に徹することだ!

   対話があるところに、創価の発展がある
   対話があるところに、広布の発展がある
   ゆえに 君よ!
   対話への挑戦にこそ 
   師弟の歴史が
   我が生命に刻まれることを 
   忘れてはならない


 平成22年2月25日、職員全体会議の席上、小平は、4月1日付での九州・福岡への人事異動を発表される。
 どんな苦難も受け切る覚悟は決めていた。しかし、地域組織では、本部職員の不正に勇気の声をあげた会員が、不当な扱いを受け続けている。何としても、九州に発つ前に、師匠に報告しなければならない。時間が無かった。必死に祈り続けた。
 翌週3月1日に茨城氏が宮城副会長に師匠宛ての手紙を手渡すことができた。しかし、その直後、小平は職場上長である管理局長から、突然、個室に呼ばれる。
 管理局長は静かに話し始めた。
 「青森副会長から、『君の局員である小平君が御子息の宮城さんのところへ手紙を渡しに行っているので、注意するように』と言われた」と。(青森副会長は小平が所属する管理局の最高責任者(責任役員)であり、管理局長の上司でもあった。)
 小平は管理局長に率直に尋ねた。
 「なぜ、宮城副会長に手紙を渡してはいけないのでしょうか。なぜ、上司の青森副会長や管理局長から注意を受けなければならなのでしょうか」と。
 自分の業務上の行為が問題とされるのであれば理解できる。しかし、本部職員の問題を宮城副会長に相談しようと手紙を渡すことは、管理局の業務とは一切関係ない。手紙を渡しに行った時間も、業務時間に入らないように配慮し、始業時間の前に行っている。
 管理局長は小平の質問に窮したように黙る。管理局長自身、宮城副会長に本部職員の問題を相談しようと手紙を渡すことがなぜいけないのか、理由が分からず説明できないように見えた。
 沈黙が流れる。
 小平は、「局長からお答え頂けないのであれば、私が直接、青森副会長からお話を伺うことはできないのでしょうか」とお願いした。
 管理局長は、「青森副会長に聞いてみる」と話した。

 翌3月2日、小平は管理局長に、青森副会長に聞いて頂けたかどうか尋ねた。
 すると管理局長は、「(話すことは)『無理』と言っていた」と返答した。
 小平は必死に説明した。
 「青森副会長を始め本部執行部が話を一度も聞いて頂けないので、やむなく宮城副会長にお手紙を渡したんです。」「宮城副会長に手紙を渡してはいけない理由がどうしても分かりません。“宮城副会長に手紙を渡さない”との約束をすることはできません」と。
 すると、管理局長は、「君は約束できないんだね。君の言ったことを(青森副会長に)そのまま伝えるよ!それにより、さらに職員懲罰委員会にかかるかもしれない」と声を詰まらせながら言った。
 小平は、宮城副会長に本部職員の問題を相談する手紙を渡す行為が、それだけで職員として懲罰の対象となることはどうしても、理解できなかった。(しかし、宮城副会長に手紙を渡す行為がその後懲罰の対象となる。)
 また、小平は管理局長に対し、自身が体験してきた一連の問題について詳しく説明をしていなかった。だからこそ、自身の目と耳で真実を知ってもらいと感じた。青森副会長から言われたままを伝えてくる、上の言うことに黙って従う本部職員の傾向とは向き合わなければならない。

 3月13日、小平は管理局長に時間を取ってもらい、一連の問題について2時間半に渡り説明する。
 管理局長は小平から一連の職員の問題を聞き、ただ頷くのみであった。そして、宮城副会長に手紙を渡してはいけない理由について、最終的に、「青森副会長に直接聞いて下さい」と言った。
 青森副会長は、管理局長に指示してまで、小平が宮城副会長に手紙を渡す行為を止めようとした。これまでも、職員規律委員会に職務規律違反として提起したり、職場の会合の場で私たちを暗に非難したりしていた。
 誤解があるならば、解かねばならない。一度、青森副会長と話をさせて頂く以外にない。

 九州への異動まで1週間を切った平成22年3月25日、就業開始時間前、小平は青森副会長の席を訪ねた。
 小平は尋ねた。「宮城さんに手紙をお渡しすることの何がいけないのでしょうか」と。
 すると青森副会長は「宮城さんは大事な人なんだ。煩わせてはいけない。」「本人の立場になれば分かるだろ!迷惑してるんだ!第一庶務もみんな迷惑しているんだ!」と。
 手紙を渡してはいけない理由は、以前第一庶務から言われたのと同じく「宮城さんは大事な人だから」であった。そして、「本人が迷惑している」と言う。
 小平は、「宮城さんは自分から手紙を受け取って頂いたんです。どうして宮城さんが迷惑していると言われるのでしょうか。宮城さんがそう言われたのですか」と尋ねる。
 しかし、青森副会長は「それは君に言う必要ないだろ!」と言葉を濁す。
 一瞬間があり、さらに、「アポなしでやっているだろ、失礼だろ!普通アポを取ってやるんだ!君は社会的常識がないんだ!非常識なんだ!」と語気を強めて話し始める。
 宮城副会長に手紙を渡してはいけない理由は「アポ無しだから」ということであった。

 さらに、青森副会長は「今だって君はアポなしで訪ねてきて、私の業務の時間を潰しているんだ!私は8時半から業務の予定が入っているんだ。それは悪いと思わないのか!自分の主張を通すためなら何でもありか!」と。
 小平は、「業務の時間を潰してしまっているのであれば、申し訳ありません」と謝り、「一度話を聞いて頂きたいのですが」とお願いする。業務に迷惑を及ぼすつもりは毛頭ない、話をするためのアポイントをとってもらいたいとの思いだった。
 しかし、青森副会長は続けざまに、「君は私の業務を止めているんだぞ!創価学会の業務を止めているんだぞ!」「君はどんどん学会に迷惑をかける方向に行っているぞ!業務を止めていることは悪いと思わないのか!自分はすべて正しいのか!」と声を荒げた。小平の声は、青森副会長の声にかき消される。
 必死に小平は、「そんなことは全く思っていません」と伝える。
 青森副会長は「だったらしっかり謝れ!」と言い、小平は「それに関しては申し訳ありません」と深々と頭を下げた。そして、「業務のお邪魔にならないよう、後日アポを取らせて頂いてまた伺います」と伝える。
 しかし、青森副会長は、小平の顔を何度も指さしながら、「会わないと言っているだろ!早く帰れ!帰れ!」と連呼。小平は、その場をあとにせざるを得なかった。

 小平は一切話を聞いてもらえない青森副会長の対応に悩み、苦しんだ。誤解があるのであれば解きたいとの思いで後日のアポも懇願した。しかし、「会わないと言っているだろ!早く帰れ!帰れ!」と完全に拒否。
 宮城副会長に本部職員の問題を相談する手紙を渡すことが間違っている、との理由があれば受け止めねばならない。
 しかし、青森副会長が話す、宮城副会長に本部職員の問題を相談する手紙を渡してはいけない理由は、「宮城さんは大事な人だから」→「本人が迷惑しているから」→「アポ無しだから」としている。この理由は曖昧であった。また、理由そのものが変遷している。小平は業務上の権限を使って注意する理由にはなっていないと思った。
 幹部職員が、自分より役職が下の職員や会員の話を聞かずに無視。
 一度も話を聞かないまま注意。さらに、「懲罰にかかる」と。
 学会本部の中にある、対話が出来ない実態を改めて痛切に感じた。

 「対話こそが宗教の生命線であり黄金律である」(名誉会長指導)
 「仏法を基調とする人間主義を推し進めるにあたって、いかに狂信や独善、不信といった問答無用(原理主義)の壁が立ちはだかろうと、この、対話こそ人間主義の"黄金律"であるという旗だけは、断じて降ろしてはならない」(名誉会長指導)

 対話なき本部の実態を見ておいて、自分自身、本部職員として見て見ぬ振りをしたならば、師匠に対する裏切りだと心から思った。

 名誉会長側近の婦人部最高幹部へのアプローチ

 何としても、師匠に「対話なき創価」「対話なき本部」の実態を伝え、弟子が師の理想とする創価へと変革し続けなければならない。
 本部の中の思いつく限りの方々すべてに当たってきた。長谷川副理事長(現・理事長)、宮城副会長、栃木副理事長と。しかし、誰一人として師匠へ報告して頂くことは叶わなかった。
 自分たちが間違っているのであれば、一からやり直す。しかし、対話することすら叶わない。
 4月からは九州に行かねばならない。身体は、本部から1000km以上も離れた土地に行くことになる。しかし、ここで諦めるわけにはいかなかった。
 今、この瞬間も職員の不正に声を上げた勇気ある会員たちが、地域組織で不当な扱いを受け続けている。一刻も早く、この問題を師匠に伝えなければならない。
 小平は、必死に祈り、考えた。そうした中、師匠の側近として第一庶務業務を担われている婦人部最高幹部の山梨女史に思いが至った。小平は創価大学在学中に学会本部のお手伝いをさせて頂き、その後も本部職員として働いていたため、常に師匠と行動を共にされる山梨女史を知っていた。
 山梨女史の娘の埼玉さんは元本部職員で面識があった。その夫は小平の友人であった。
 師に報告出来る可能性のあることはすべてやりきろうと決意した。

 小平は必死に祈り、九州・福岡県へ移動する直前の平成22年3月30日、信濃町の銀舞会館で埼玉さんと会うことができた。
 埼玉さんに、滝川に対する威圧的な本部指導監査委員会の面談の録音テープも聞いてもらう。埼玉さんは、顔を曇らせ、首をかしげた。
 小平は、会員を犠牲にして職員の問題を伏せる本部の実態、師匠に報告が届かぬ本部の実態を山梨女史に相談させて頂きたいとお願いする。
 埼玉さんは言った。
 「わかりました。母には伝えます。どんな結果であれ、必ずこちらから連絡します。」と。
 嬉しかった。涙が出た。山梨女史から師匠に届くかもしれない。
 小平はかすかな希望を胸に羽田空港に向かった。搭乗口には、共に戦う同志、反逆者とレッテルを貼られた会員やその妻もいた。小平は皆に伝えた。「本当にありがとう!戦いはこれからだよ」。
 会員や同志の目には涙があった。その姿に、二度と純粋な会員に悔しい涙を流させてはならないと誓った。最後の最後まで手を振りつづけてくれる会員に、何としても師匠に創価の実態をお伝えすると誓った。そして小平は33年間、自分を育ててくれた地元を離れ、九州へと発った。

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プロフィール

Author:元創価学会職員3名
小平秀一
平成7年3月、創価高校を卒業。
平成11年3月、創価大学を卒業。
平成11年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

滝川清志
平成12年3月、創価大学を卒業。
平成12年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

野口裕介
平成14年3月、東海大学を卒業。
平成14年4月、宗教法人創価学会に入職。
平成24年10月、宗教法人創価学会を懲戒解雇。
平成26年6月、創価学会を除名。

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